335 (裏方)くたびれた宰相
アーシュゴー国王都、その中心にそびえたつ王城。
主が不在となって久しいこの城......とはいえ、議会や行政府の中心として活用されており、未だ政治の中枢として稼働を続けているが......とにかくこの、王城の一角にて。
もはやすっかり日も沈み、夕食時であるにも関わらず、ただ黙々と書類の山を捌き続ける一人の男がいた。
その男の名は、ボークジ。
爵位は、侯爵。
もっと言えば、現在この国の宰相を務める、端的に言って偉い人である。
だがしかし、瘦せこけた頬。
目の下の隈。
白髪交じりのその髪。
そんなくたびれた容姿のこのおっさんには、威厳なんてものは微塵も感じられない。
もっとちゃんとした恰好をすれば、それなりに偉そうには見えるはずなのだが......今現在このおっさんは、自分の身なりに気がまわらないほど忙しいのだ。
その一番の原因は何かと言えば、やはりマケテラ・ロッテン元侯爵の背任事件だ。
あれのせいで、国の中枢を担っていた貴族のいくらかが、その地位を追われた。
膿を出すことができたのだから、その点で言えば喜ばしいことではあるのだが......とにかくそのしわ寄せが、ボークジ宰相の肩に重くのしかかってきたのだ。
多分、今日も徹夜だ。
中年の体には、連日の激務はかなりこたえる。
(もう、宰相やめたい......)
「もう、宰相やめたい......」
あまりにも疲れていたボークジ宰相は、ついつい油断して、思ったことをそのまま口に出した。
「それは、困りますな」
「うひぃっ!?」
すると突然、背後からそう声をかけられ、宰相は跳びあがって驚いた。
現在宰相の執務室にいるのは、彼一人だったはずなのに!?
急ぎ振り向くとそこにいたのは、給仕の恰好をした、胡散臭い笑顔をはりつけた男だ。
この男の名前はゲインルーミ。
この国の諜報部の統括者である。
「あのね、ゲインルーミ、君ね......いつも言っているでしょう?ちゃんと部屋にはノックをして、扉から入ってきましょうねって」
「そうですな。幼少の頃から」
「覚えてるなら、悪い癖は直しましょうね。マジふざけんなよてめー」
この気やすい口調からわかる通り、二人のつきあいはかなり長い。
幼馴染なのだ。
「......で、どうしましたか?お茶でも飲みに来ましたか?」
宰相は執務椅子に座り直し、両手をあげて体を伸ばしながら、ゲインルーミに問いかけた。
このゲインルーミという男はなかなかに捉えどころの無い人物であり、たまに特に用もないのに宰相の部屋に遊びに来るのだ。
激務の合間合間にもたらされる幼馴染の来訪は、宰相にとっては割と癒しの時間だったりするのだが、それはさておき。
「いえいえ、今回はちゃんと、仕事で来ましたぞ。報告がありましてな」
「んー......?報告......?」
宰相はずり落ちた眼鏡を指で押しあげてから、ゲインルーミの顔をじっと覗きこんだ。
「はい。ダイチーブ公爵閣下が」
「どうしました?勇者ごっこでもして、猪にはね飛ばされましたか?」
ダイチーブ公爵。
問題ばかりを起こす、困ったご老人の名前だ。
また今回も何か、くだらないことをしでかしたのだろう。
宰相はあくびをしながら、ゲインルーミの次の言葉を待った。
「いえ、クーデターを起こすそうです」
「はあああああーーーっ!?」
その報告を聞いた宰相は驚きのあまり、叫びながら椅子ごとひっくり返った!
◇ ◇ ◇
「なるほど......ダイチーブ公爵を担ぎあげて、オーボス将軍ら公爵派貴族が今晩、蜂起すると」
宰相はずきずき痛む後頭部をさすりながら、ゲインルーミから渡された報告書をじっと見つめていた。
最近視力が落ちてきたので、細かい文字を読むのがつらい。
「これ、いつものごっこ遊びじゃないんですよね?」
「残念ながら」
二人は共に、大きなため息をついた。
「......とにかく、よくぞ気づいてくれました。これは諜報部のお手柄ですね。怪しい動きでも見つけて、はりついていたんですか?」
「いえ、何でも公爵家のタウンハウスから、何度も不審な雄たけびがあったと民からの通報があったらしくてですな。それを受けて部下が面白半分で潜入調査したところ、思いのほかヤバイ自体が判明したという経緯がございまして」
「面白半分で潜入調査するなよ!?どうなってんですかこの国の諜報部は!?」
「なにせ、私が統括ですからな」
「胸をはって言うことではありませんよ!?」
宰相は頭をかきむしりながら執務机の引き出しを開け、中に入っていた焼き菓子を口の中に詰めこみ、ぼりぼりと噛み砕いた。
今晩は、これからとんでもなく忙しくなる。
夕食を食べている暇は、どうやら無さそうだ。
「はあ......しかし、オーボス将軍が、クーデターですか......彼は確かに野心を隠しきれない男ではありましたが、これほどまでに愚かな人間だったでしょうか?」
宰相は菓子を無理やり飲みこむと、そうつぶやいて首を捻った。
公爵がクーデターを起こす。
それは、まあ良い。
いや、良くないんだけど、彼の御仁であれば、そういうことも考えなしにやりかねないということは、わかる。
しかしオーボスは違う。
彼はもっと、慎重で計算高い男だったはずだ。
クーデターを起こすにしても、決して矢面には立たず、背後から物事を動かすだけのずる賢さがあったはずだ。
何かが、おかしい。
「確かに私にも、違和感はありますな。しかしそれは、今考えても詮無きことかと」
「......その通り、ですね。とにかく、至急の対策が必要です」
そんなゲインルーミの提言に頷いた宰相は、疲れた体に鞭打って立ちあがり、扉に向かって歩きながら指示を出し始めた。
「緊急事態ですので、ゲインルーミ、関係各所に連絡を。30分で会議です。至急人を集めて。兵たちは待機。極力、混乱を招かないように」
「宰相閣下は、どちらに?」
ぴたりと、足を止める宰相。
ゆっくりとゲインルーミを振り返る。
その瞳には、確かに覇気が宿っていた。
もはやここにいるのは、ただのくたびれたおっさんではない。
長年にわたり宰相という重責を担い続けた、大貴族がそこにいたのだ。
ゲインルーミは、久しぶりに感じた幼馴染の気迫に、思わず息をのんだ。
「......今回は、公爵が担がれている。その血の重みは、厄介です。どれだけ相手に非があろうとも、神が選びし血筋には、やはり刃を向けにくい。だからこそ前王は、あれほどの悪政を敷けた」
「......ならば」
「私はこれから......“彼”のもとへと向かいます。少しだけお披露目が早まると......伝えなくてはね」
さて、彼らは物語的には、裏方にあたる。
故に、彼らの活躍については、これ以上直接的な描写をすることは無いと、あらかじめ伝えてはおくが。
『夜明けの日』の、夜明け。
その時を迎えるまでの、彼らにとっても長い長い夜が。
今、始まろうとしていた。




