332 (白縁)信仰 12時17分
「ちっ......」
名前を呼べども返事をしないバーニングに苛立ち舌打ちしながらも、アンビシャスは焦燥にまみれた思考を切りかえ、周囲を見回した。
蝋燭で怪しく照らしだされる室内にあるのは、一列に並んだ長椅子と、長机。
休憩室と聞いていたこの大部屋は、どう見ても何らかの礼拝堂である。
そして周囲に満ちた......香の匂い。
鋭敏なアンビシャスの嗅覚は、すぐに突き止めた。
それが覆い隠しているのは、血の臭いであることを。
これら二つの事実が、この事態の首謀者が誰であるのか......アンビシャスに確信させてくれた。
「おい......これは何のつもりだ、オールドマンッ!!」
りーん、りーん、りーん......。
鳴りやまぬ鐘の音をかき消すほどの大声で、アンビシャスは吠えた。
すると、ぬっと音も無く。
アンビシャスの眼前に現れたのは、蝋燭の頼りない炎に照らされる、大柄な影。
それなりに背の高いアンビシャスですら見上げざるを得ないその影の正体は、優に2メートルを超えた身長を持つ大柄な男だ。
筋骨隆々とした肉体。
腰まで届く、豊かなふさふさとした白髭。
しかし頭部の毛髪はすっかり剃ってしまっているため、スキンヘッド。
そしてその身にまとうのは、どす黒く染まった聖神教神官の法服。
その法服から漂う死臭こそ、それが常軌を逸したろくでもない方法でその色に染めあげられていることを示している。
その染色技法を名づけるならば、“血肉染め”とでもいったところだろうか。
「お久しぶりでございます、アンビシャスさん......」
りーん、りーん、りーん......。
鐘の音が鳴り続ける中で、その大柄な男オールドマンは、腰を曲げて慇懃に礼をした。
深く刻まれた顔面の皺が、この男が高齢であることを間違いなく証明しているが、その声には張りがあり、若々しい。
静かであるが、不思議と良く響く、太い声である。
そのオールドマンの爛々と怪しく輝く瞳に見据えられ、一瞬気圧されたアンビシャスであるが、彼は暗殺者組織『紫ノ二ツ輪』代表。
その矜持でもって怯えを抑えこみ、オールドマンを鋭く睨みつけながら、彼を非難した。
「この、礼拝堂!そして、貴様のその、趣味の悪い法服!私は貴様に、死神信仰を禁じていたはずだが!?」
「ほほほ、そうでございましたか......?いやはや、歳をとると、昔のことがいささか、思い出しづらく......」
「とぼけるなッ!」
アンビシャスは激昂し、懐に隠したナイフを取り出しオールドマンに向けようとして......その動きを止めた。
この部屋にいるのは、アンビシャス、オールドマン、そしてバーニング。
それだけでは......無いことに気がついたからだ。
りーん、りーん、りーん......。
鐘の音が鳴る中、アンビシャスはちらり、ちらりと周囲に目を向ける。
まず、正面に、オールドマン。
そして今気づいたが、その横に小柄な影。
こいつが、ずっと鐘を鳴らしている。
右側に、一人。
左側に、二人。
そして気配からして、後ろにも二人。
囲まれている。
アンビシャスの頬を、冷や汗が流れる。
「ほほほ、ご自分の立場を、正しく理解できたようで、何よりでございます......そして、この場で一つ、お伝えしたいことが」
オールドマンはすっと右手を前に出し、人差し指を天に向けながら言った。
「私、現在は、その名を“デスポープ”と改めてございます......以後、お間違え無きようお願い申し上げます......」
「なんだと」
「ちなみにオレは、フィアパスターだ。デスポープ様につけていただいたんだ」
アンビシャスが何か文句を言う前に、彼の後ろから声が飛ぶ。
思わず振り返ると、そこにいたのはバーニングだ。
彼もいつの間にか、どす黒い法服に着替えている。
「そして私の洗礼名は、ヘルセイビアーっす!これ以上間違えたら殺すぞ、眼鏡野郎」
さらにその横にいたのは、かつてアンビシャスがナイフハンドと名付けたはずの女。
彼女もやはり、すっかりどす黒い法服を着こんでいる。
そしてもはや、アンビシャスへの敵意を微塵も隠していない。
「貴様ら......裏切ったな!?」
「ほほほ、何を仰るやら......『紫ノ二ツ輪』は元々、尊き神アロゴロス様を崇め、殺し、殺し、殺し、彼の方に魂を捧げることこそが、本旨でございます。原点に立ち返った......ただ、それだけでございますよ」
「くっ......」
さて、この期に及んで。
アンビシャスは、これ以上問答をする気は無かった。
彼のとるべき選択は、逃走一択。
デスポープ、フィアパスター、ヘルセイビアー、そして正体のわからぬ残りの四人を相手取り殲滅を目指すのは、分の悪い賭けであると言わざるを得ない。
背後の大扉は、施錠されてしまっているが、切り札を切れば突破できなくもない。
つまり、彼が今、とるべき手立ては。
【戦獣変身】である!
だが......しかし!
「な......馬鹿な!?」
できない!
変身が、できないのだ!
「ほほほ、おや?何かしようと、いたしましたな?」
突然慌てふためき始めたアンビシャスを見て、デスポープは優し気な微笑みを浮かべた。
「やっぱりな......あんたのことだ、オレらには言ってない異能を隠し持っていると思っていたが、正解だったようだな」
次いで言葉を発したのは、フィアパスター。
「これ、この鐘、その名も、『異能封じの鐘』......ダンジョン産の、遺物」
りーん、りーん、りーん......。
ここで、これまでデスポープの横で鐘を鳴らし続けていた小柄な男が一歩前に進み出て、しゃがれた声で、そう告げた。
「音が鳴っている間、その名の通り異能を......それどころか魔法の使用すら封じる、恐るべき遺物よ。もはや【身体強化】すら、満足に使えまい?」
そう語るのは、アンビシャスの右側に立っていた男だ。
名前は知らない。
新しく加入した構成員の内の、一人なのだろう。
「“アミュレット”を持っている、我々は別であるがな」
今度は左側からそんな声が響いた。
その男は、アンビシャス以外の全員がつけている首飾りを見せびらかせながら、小馬鹿にしたような口調でそう言った。
こいつも初めて見る顔だ。
「ま、つまりさ、眼鏡野郎......余計な抵抗はするなってことっすよ」
最後にヘルセイビアーがそう告げ、指を鳴らした。
次の瞬間、アンビシャスの周囲にいた『紫ノ二ツ輪』構成員たちが、一斉に彼にとびかかり、その動きを封じた。
アンビシャスは必死で抵抗するも、【身体強化】すら封じられた状態で複数人と戦うことなど、彼ほどの手練れであろうとも不可能であり......。
何らかの液体をその口に注ぎこまれたアンビシャスは、意識を失い......礼拝堂の床に、力なく横たわった。
「さて、この男のことは、いかがいたしましょう、デスポープ様。早速神への供物といたしますか?」
何らかの、宗教的作法なのだろう。
フィアパスターはデスポープに向かい、胸を手で四回叩き一礼してから、そう質問した。
この発言からわかる通り、アンビシャスはまだ死んでいない。
薬品により意識を失っているだけである。
「いえ、せっかくです......他の生贄たちと同じように、捕えておきましょう。『夜明けの日』前の、儀式に使うのです......」
「おお......」
「強き者の魂......尊き神アロゴロス様も、きっとお喜びになる!」
「牢につなぐのだ」
デスポープの言葉を受けて、構成員たちはアンビシャスは引きずって、施錠を解き、礼拝堂から退室していった。
室内に残っているのは、デスポープ、フィアパスター、ヘルセイビアー、そして鐘を持った小柄な男の四人である。
「まったく、後をつけられていることに気づいた時には、誘拐事件の捜査をしている兵士連中かと思って焦ったっすけど、まさかあの眼鏡野郎だとはね」
そう言いながら、ヘルセイビアーは廊下をずりずりと引きずられていくアンビシャスを見て、鼻で笑った。
「そう、馬鹿にするものでは、ございませんよ......彼自身は、神を信じぬ不信心者ではございましたが......彼の考えには、学ぶべき点が多くありました......」
「と、言うと?」
「例えば洗礼名は、教祖ダハチエの時代には無く、彼の名づけを参考に取り入れた仕組みです」
「なんと......!」
「尊き神と繋がっておられた教祖ダハチエとは異なり、我々は非才の身......どうすれば、より、尊き神のお力になれるのか......日々それを考え、どんな物事からでも新しいことを学び、取り入れる。それが、肝要でございますよ......」
「ははっ!」
ヘルセイビアーはデスポープに向かって、深く深く頭を下げた。
「さ、私どもも、再び準備にとりかかるとしましょう。儀式の日は近い。大勢の命を捧げるべきは、二日後の『夜明けの日』の、前の晩です。時間はありませんよ?」
「「「ははっ!」」」
頭を下げる三人を見て、デスポープは満足そうに頷いた。
「場所は、大通りの第二広場......ここで殺戮の儀式を執り行い、尊き神に魂を捧げる......そうすることで『夜明けの日』はまさに、私どもの信仰にとっての夜明けとなりて、福音が全世界の人類に響き渡ることでしょう......!」
そして恍惚としながら、デスポープは訳の分からないことを言ってから、叫んだ!
「おぉ、尊き神アロゴロス様......新たな供物を捧げます。お受け取りくださいませ......!!」
「「「お受け取りくださいませ......!!」」」
彼らは腰を折り胸元で印を組み、その後数分間の祈りを捧げた。
【死神アロゴロス】
『紫ノ二ツ輪』が信仰する神。
実際のところは温厚な性格をしており、殺戮を望んだり魂を捧げられて喜んだりはせず、『紫ノ二ツ輪』の活動には非常に迷惑している。
現在不貞寝中。
【教祖ダハチエ】
アロゴロスの使徒であった男であり、『紫ノ二ツ輪』の創設者。
故人ではあるが、名前だけ登場してさりげない存在感をアピールする序盤ボス。




