329 (白縁)再会 11時24分
ここはアーシュゴー国王都の裏通りの、奥の奥。
地元の人間ですら、あまり入りこまないような......迷路のような薄暗い路地裏。
そんな人気の無い細い道を、買いたてのパンをつめた大きな袋を抱えながら走る、若い女性がいた。
真ん丸な目に、太い眉。
そばかすのある頬。
愛嬌のあるその顔立ちは、現在不安で歪められている。
「はっ、はっ、はっ......」
小走りに進む彼女の、息は荒い。
そして時折、何かを気にするように、後ろを振り向いている。
つまり、端的に言おう。
彼女は現在、何者かに追われているのだ。
『お姉さんも、気をつけなよ?最近良く聞くでしょ?......人さらいの話!』
女性の脳裏によぎるのは、先ほど噂好きのパン屋の女将さんと交わした会話。
最近裏通りで多発している、謎の失踪事件。
『怪しい集団が、被害者を囲んでいる場面を見た』という証言もあることから、これはただの失踪事件ではなく、誘拐事件......つまり目的不明の人さらい事件なのだと、女将さんは神妙な顔つきで語っていた。
そんな噂が、既に王都の一般住民にも流れている状況だ。
つまり。
今現在、彼女を追っているのは......。
女性があれやこれやと、脳内で推測を積み上げ始めた......その時だった!
シュッ!
ナイフが小さな風切り音を立てながら、左右で三つ編みに縛った彼女の髪をかすりつつ、通り過ぎていったのは!
「!」
女性が慌てて振り向くと、そこには細身のシルエット。
逆光で詳細はわからないが、骨格的には男性である。
「きゃあああああっ!」
女性は悲鳴をあげながら、抱えていたパンの袋を放り投げた!
ばらばらと宙を舞う、焼き立てパン!
そして、女性は体勢を低くして!
恐怖で歪む、その顔を!
一瞬で、獰猛かつ好戦的な笑顔へと......変化させた!
「ああああああッ!」
無害な力なき一般王都民の仮面を捨て去った彼女は、低い体勢のまま、力強い踏みこみ!
宙を舞うパンの下を潜りながら、瞬時に相手との距離をつめる。
相手とは、大分身長差がある。
首筋を狙うには、こちらの背が足りない。
一撃で仕留めなくとも良い。
まずは、腹。
女は甲高い叫び声をあげながら、敵の腹に向けて、槍のように手刀を突き出す。
敵は油断していたのか、まだ動き無し!
(やった!!)
女は己の攻撃の成功を確信し、脳内で快哉を叫んだ!
が、しかし!
敵の男は、女の手刀が届く、そのほんの一瞬前に。
ひらりと。
それをかわしたのだ!
「ああああああッ!?」
少し焦りつつも、女は思いきり地面を踏みこみ、急停止。
そして方向を変え、再度突進。
真横に避けた男に対して、またしても手刀を突き出す!
しかしそれも、容易く避けられる!
狭い路地裏での戦いだ。
女の手刀は石壁へとめりこみ、一瞬の隙が生じる。
その隙に、男は。
女の首筋へと、ナイフを当てた。
......完敗である。
もはやこの期に及んでは、抵抗する手立て無し。
死を覚悟した女は、その真ん丸な瞳をぎゅっとつぶった。
しかし。
「うん、良い動きだったね。成長を感じるよ」
首筋のナイフが彼女の命を刈りとることは無く、響いたのは聞き覚えのある声。
「え?」
思わず女が振り向くと、そこにいたのは。
先ほどは......逆光でわからなかったが。
良く焼けた肌をジャケットとシャツで包み、スラックスをはいた男だ。
髪は白髪で、細長い白縁眼鏡をかけている。
「やはり、成長......優れた暗殺者の資質とは、常に成長を続けること。成長しようという志を持っていることだ。何故なら顧客の信頼は、これまでと同じ仕事を続けるだけでは、得られないからね。彼らはいつだって、『もっと、もっと』と熱望している。要求の水準は、どんどん高くなる。彼らの要望に応え、満足させるには、こちらが日々成長を続けるしかないんだ。故に、だからこそ、ね。我々は、成長することをやめてはならない。成長とは、我々に与えられた義務であるというわけだ」
聞き覚えのある声。
身なり。
そして、相変わらず良くわからないことを、ぺらぺらと喋り続ける、その口。
間違いなく、今、女の前に立っている、その男は。
「アンビシャス、代表......」
女が所属する組織、『紫ノ二ツ輪』の代表、アンビシャスその人であった。
「久しぶりだね、ナイフハンド」
アンビシャスは白い歯を煌めかせながら、爽やかに笑った。
【アンビシャス】
かつて小規模カルト宗教団体だった『紫ノ二ツ輪』を乗っとり、暗殺者組織へと作りかえた男。
現在の肩書は、『紫ノ二ツ輪』代表。
とある依頼に失敗したことで、本部で活動していた暗殺者たちを、大勢失っている。




