はじめてのおつかい
食事が終わってから麗さんの事を忘れてのんびりゲームなどする気も起きず、僕はリビングでソファに座ってさっき麗さんへと送ったメッセージを確認する。既読にはなっていないから、まだ起きていないのかもしれない。
なんだか無駄にそわそわしてしまって、貧乏ゆすりが止まらなくなってしまう。
そんな時、夕食の片付けが終わった如月さんが僕に話しかけてくる。
「今から隣に食事を届けたいんですけど、行ってもらっていいですか? ……心配みたいですし」
僕の様子を見て、見透かしたように言われてしまう。突然、後ろからそんな事を言われたのでソファから尻を浮かせて驚いてしまう。
「……そ、そんな事ないですって」
「そうですか。じゃあ、私が行ってきますよ」
僕が意地を張って否定すると、如月さんはすぐに意見をひっくり返して、トレーに乗ったお粥とスープを持っていこうとする。
「で、でも、如月さんにやって貰ってばっかりって言うのも悪いから、僕が行きますよ」
慌てて如月さんがいる方へと慌てて行こうとする。床に引いてあるカーペットに足を取られて、前のめりになる。
「危ないですよ! 焦らなくて大丈夫ですから」
それを見て珍しく大きな声でたしなめるように如月さんは注意をしてくる。
僕はそれを聞いて萎縮しながら反省する。
「ご、ごめんなさい……。つい、動揺しちゃって」
「……まあ、奈月くんだから良しとしましょう。はい、持って行ってください。わざとこぼしたりはしないとは思いますけれど、慌てないでくださいね」
「あ、は、はい」
僕はそのまま如月さんの持ったトレーと鍵を渡される。
「はい、これが麗様の家の合鍵です。開ける時だけ落とさないよう気をつけてくださいね」
「わ、分かりました」
……はじめてのおつかいなんて言葉が頭に浮かぶ。二人で行かない理由もないのに、一人で行くところなんて特にそう思う。
「じゃあ、行きますね」
「いってらっしゃーい」
さっきまではいつもより真面目な会話をしているのに、そんな風に軽々しく手を振る如月さん。……なぜそんな態度なのだろうか。
そんなあっさりとした対応に麗さんへの心配で緊張していた事を自覚させられてしまう。
(心配したって、何が変わるわけでもないのに……って、毎回こんな風に開き直らないと緊張がとけないの、なんなんだろうなあ)
ひとりでに苦笑して、流石にそろそろ直さないといけないなんて思い出す。
(麗さんに好きって伝えたみたいに、もっとはっきりと言葉を言えるようにしたらいいんだろうなあ)
そう思いながら靴を履いて、片手でトレーを支えながら、そっと部屋を出るべく扉を開く。
「冷めるよね。急がなきゃ」
そう呟いて、焦りながらに、だけど一動作をそれぞれ慎重にこなして、なんとか麗さんの部屋の鍵を開ける。
「よしよし、こぼしたりせずになんとか運べてる」
こんな小さなお使いに達成感を覚えてしまう自分に苦笑する。
そして、自分の部屋より靴の数が少ない玄関へと入る。見慣れた、小さな靴の存在が麗さんがここにいる事を示している気がしてほっとする。
そのまま、隣の部屋と同じ場所についた電気のスイッチをつける。
「……不法侵入じゃない? これ」
少し、自分のやっていることの正当性を疑いながらも、そのまま料理をこぼさないよう慎重に運んで玄関を上がる。
玄関についた明かりだけを元に、リビングを目指す。
当たり前といえばそうかもしれないけれど、隣と家の構造がさして変わらないのですぐにリビングへはすぐ着いた。
明かりのないリビングへと入る。
玄関からわずかに漏れてくる光だけでは、リビングの様子ははっきりとは分からなかったけれど、物も少なくて殺風景だと思った。
「……ま、麗さん越してきたばっかりだしね。物が無いのだって当たり前だよ」
僕はそう言って、乱雑に置かれた背の低い机にトレーを置く。なんとか、あまり皿の中身をこぼさず持ってこれたのを確認してほっとする。
「はじめてのおつかいは大成功……っと」
言ってからくだらなさに笑ってしまう。暗いリビングにひとり笑っている姿はなかなかに狂気じみている気がする。
「……こんな事してないで、さっさと戻ろうか」
自覚してしまえば恥ずかしさに襲われてしまう。僕は勝手に羞恥に襲われて、麗さんに置き手紙がわりに連絡をを送ろうとメッセージをせっせとスマホに打ち込む。
「……なんて書けばいいんだろう」
人に向けて言葉を発するのが苦手というのは文字媒体においても例外ではなくて、何度も書きなおしてしまう。
「えっと、ご飯持ってきたよ……色々と気軽に過ぎるし、なんかよくわかんない気がする。……早く元気になってね、なんて馴れ馴れしい気がするし」
何度も自分で言いながら、リビングの壁にもたれかかりつつ、文を打ち直し続ける。
そして試行錯誤ののち、『リビングに夕食を置いておきました』なんてあまりに簡潔な言葉で、無駄に敬語なメッセージを残す。
そして僕がそのまま、こそこそとリビングを抜け出そうとした時に廊下に面した扉が開く。
そして、小柄な人影が出てくると、すぐに僕の姿を捉える。一瞬だけ驚いたように体を震わせると、すぐに息を吐いて冷静さを取り戻しながら言う。
「……なによ、奈月じゃない。驚かさないでよ」
当然といえば当然だけれど、麗さんだった。
*
「お茶、入れるよ」
「お願いするわ」
僕が聞くとぶかぶかの赤いチェックのパジャマを着た麗さんは、リビングにぽつんと置いてある背の低い机の前に女の子座りをしながらそう言ってくる。
彼女は僕の持ってきたご飯を食べながら、僕はお茶を入れるべく、やたら綺麗な台所でポットから湯を沸かしながら話す。
「だいぶ治ったんだね」
「部屋で測ったら平熱近くだったから、明日か明後日には行けるわよ」
「そっか……よかった」
麗さんは転校してきてから間もないし、そう長期間休むことにならなくて安心した。
未開封だった緑茶の葉を備え付けの急須に入れ、湧いたばかりの湯を注ぐ。
そのまま台所に乱雑に置いてあったコップを軽く水で洗って、急須と共にリビングへと持っていく。
麗さんの座るテーブルへとコップと出来立てで熱々のお茶を置くと、一声かける。
「熱いから気をつけてね」
「ありがと」
麗さんはそう言ってから自分の方へお茶を寄せようと、急須の腹へと手を伸ばす。
一瞬だけ急須を触ると、熱さへの反射から無言で手を引く。……理科の教育ビデオにでも使えそうな、お手本みたいな反射だと思わず笑ってしまう。
僕はとはいえ注意しないとまずいだろうと軽く笑ったままの表情で注意する。
「横、まだ熱いから、取っ手掴まないと危ないよ」
「そ、そうよね。分かってた、うん、分かってたわ」
そう誤魔化しながら、麗さんは急須の取手に恐る恐る手を伸ばして近くに寄せる。
そのまま、慎重に急須を傾ける。
「……こういうやり方でいいのよね?」
確認のため僕に聞いてくる。なんでもない事ではあるけれど、一々確認をしてくるのは不器用な僕としては親近感があって、その言葉に強く頷く。
……にしても、麗さん、本当に箱入りというか、急須を使ったことがないみたいな反応だから、なんとなく驚いてしまう。
皿洗いみたいな小さな事もしたいと一昨日言っていた事を思い出して納得する。
そんな思考をしているうちに麗さんはこぼす事なくお茶を入れられたらしい。満足そうにしながらゆっくりとお茶に口をつけ出す。
「美味しい……」
「よかった。なんかちょっと高級というか良さそうなお茶だったからかな」
「ここにそんなお茶あったのね」
「え、知らなかったの?」
驚いて聞き直してしまう。……普段、こっちの部屋にはあんまりいないんだろうけど、それにしても不思議な話だ。
僕が目を見開いて驚いたのを見て、麗さんは恥ずかしそうに呟く。
「食事の世話、如月がしてくれるから……どうしても自分だとする気が起きなくて。今日のご飯だって、本当なら一人暮らしなんだから自分でどうにかしなきゃいけないのに」
「風邪だったらしょうがないって」
だいたい、別に料理なんて難しいものじゃなければやって出来ない事じゃないんだ。そんなに気に病まなくてもいいのに。
「けど……迷惑をかけっぱなしだから」
慰めるけれど、彼女のネガティブな思考は止まらず、言葉は尻すぼみに小さな声に変わっていく。
……偉いなあ、成長しようと思えるなんて。
出来ないことは放置でいいなんて思っている僕からすれば、気に病む事が出来るのは簡単に自分に満足しない証拠だと感じる。その事がとても羨ましいし、何かしてあげたいとも思う。
「じゃあさ、今週末あたりに一緒にご飯食べようよ。如月さんも、週末くらいは自分の事したいだろうしさ」
僕がそう言うと麗さんは驚きながらも拒否する様子は見せなかった。




