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ただ一冊のノートのために

 発言に場の空気が静まり返ったのを見逃さず、そのまま僕は喋る。


「そうだよねこんなノート、とてもじゃなくて恥ずかしくて人には見せられないよね。こんな風に僕の事が好きなんて書かれたノートはさ」


 そう言って笑顔を浮かべようと顔に力を入れ、指で笑えているか確認のために顔をなぞる。


「ねえ、これ、誰が書いたの?」


 僕が聞くと三人組の女子は困惑したようにひそひそと話を始めた。

 教室の後ろ側から、彼女達のいる教卓の近くへと歩み寄っていくと、それはさらに激しくなった。

 極め付けに、僕は更に気味悪く笑って相手の不快感を刺激しようと意識しつつ、ゆっくりと並べられた机の間をゆっくりと歩く。


 その様子を気持ち悪いと思ってくれたのだろう、女子Cが話し合いを終えて声をかけてくる。


「……キモ、死ねよ」


 司書さんがこの場にいる事も気にすることが出来なくなったのか、はっきりとした暴言をこちらへと向ける。

 僕はその言葉に大仰に、やれやれとでも主張するみたいに上に向けた両の手のひらを横に出しながら、首を振る。


「いやいや、こんな恋愛小説に僕の名前を使うって事は、僕の事好きなんでしょ? ツンデレだなあ」


 何を言われても余裕のある態度を崩さない、今の場面はその必要がある。

 そう思って、僕は創作でしか見たことの無いような、自信過剰な気持ち悪い……自分が不快だと思える人物を演じる事にする。


「だって普通こんなのに実際の人の名前なんて使わないよ? だったら僕の事……好きだとしか思えないじゃん」


 言葉と共に視線をあちこちに振るように動かす。天を仰ぐみたいに、地面を見下ろすように、じっと見つめるように。


 ……こんな事をしてる黒歴史を司書さんや細野さんに見られるの、やだなあ。


 みんなの姿を見ると、三人組は敵意を見せつつも困惑をしており、司書さんは口元を抑えて笑いを堪えてるように見える。

 細野さんは口元を引きむすんで、ぐっと両手を体の前で握っている。僕が軽く見ると何やら口を動かして、なにかを伝えようとしているみたいだけど……何言ってるか、分かんないや。


 女子三人組は話し合う。

 代表するようにして、女子Aがこちらへと反論してくる。


「いや、違うんだけど? 別に、あんたに興味なんてないから」


 そうやって一歩前へ踏み出るようにしながら主張する。


 けれど、ここで未だノートが自分の物だと主張する事はすなわち、僕が好きであると主張するのと意味合い的には変わらない。

 その事を理解しているからか、流石にこれは私のものだ、とは言ってこない。


 僕はその女子Aの様子とこいつがグループの行動指針を決めているようなさっきの様子から、こいつに不快感を植え付ける事にする。


 すぐ近くまでノートを取り返すべく女子Aが近寄ってくる。

 僕はそれに遠ざかったりはせず、むしろ近くの机にノートを置いて女子Aに近寄る。


 そして、近づいてきたそいつの右手を両手で挟むようにして無理矢理に掴む。

 ……そして、最高に気持ち悪くなろうと意識して話す。


「……そんな、意地張らなくていいのに。大丈夫、君が僕の事好きなのは知ってるから」


 そうやって、視線を少しだけ下げて、この女に目を合わせると、にへらと気味悪く笑う。だんだんと相手の顔が不快に歪んでいく。

 論理の通じない頭のおかしい人間。それが目の前にいる事の恐怖が伝わってくる。


「……キモいんだよ!」


 そう言って僕の手を無理矢理に引き剥がそうとする。力を全然入れていないためにすぐ手は離れていく。


 そして、女子Aはノートに手を伸ばそうとするが、それを咎めるように言う。


「あ、持って帰るの? いいね、君が僕の事を好きな証拠があるなんて」


 言いながらちらっと周りを確認すると、司書さんが壁に手をついて肩を震わせていた。……めっちゃ笑ってんな、あの人。


 僕の言葉を聞いて女子Aは動きを止める。……ほっとする、しっかりとこのノートを持つ事の不利益が理解してもらえたみたいだ。

 最後に、僕は相手の不快感を最大まで高めるために出来るだけ恥ずかしそうに言う。


「……言っていいよね? 周りの人に。君が僕の事を好きだって。ね、司書さん、細野さん?」


 そうやって、知り合いの代表例であるところの二人も巻き込みつつ語る。

 司書さんは「ああ」なんて笑いすぎて出たらしい涙を拭いながら軽く言って、細野さんは無言で何度も首を縦に振る。


 別に、知り合いは多くはないし、この発言に脅し以上の意味はない。


 だけど、この言葉が気に障ったのか、はたまたこれ以上の対話が嫌になったのか、女子Aは振り返ってさっきとは打って変わって不機嫌そうに、肩を怒らせ無言で教室を去っていく。


「……あ、まってよえーちゃん!」


 女子Bがまず去っていた女子Aを追う。……まさかえーちゃんなんてぴったりの呼ばれ方してんのか。


「ちょっと!?」


 女子Cが去り際にこちらを睨みつけてくる。僕が笑って返すと、舌打ちが飛んできた。ものすごく不快に思ってくれたらしい。嬉しい。


 しばらくして人のいない廊下に反響する声が聞こえなくなった頃、僕は司書さんと細野さんだけが残った教室で声を上げる。


「……よかったぁ」


 崩れるようにして姿勢が下がる。手近な机に両手を乗せて何とか立ったままの姿勢を維持した。そして、その隣に机に置いたノートを見る。


 名前のないノート、そこにしっかりと「異世界でもひとり」と書かれているのを見て、自然と笑みがこぼれる。


 と、その瞬間に声がかけられる。細野さんのものだ。

 僕の近くまで寄ってきた彼女は笑顔で喋る。


「先輩! よかったですね!」


 そう言って、隣から覗き込むように顔を斜め下からこちらへ向けてくる。

 急に飛び出てくるから「うわ」なんて声が漏れてしまう。それを聞いた彼女はくすくすと笑った。


「あはは、ありがと。助かったよ。……ごめん、関係ないのに巻き込んじゃって」


 彼女、手を無理矢理掴まれてしまっていた。ひょっとして、怪我なんかしてないかと不安になってしまう。


 しかし、そんな心配なんてお見通しとばかりに細野さんは僕の眼前にさっき掴まれた手を突き出してきた。


「見ての通り傷のない、白魚のような手です!」

「自分で言っちゃうんだ……。いやまあ、雪みたいに綺麗だよ?」

「えへへ、ありがとうございます」


 そんな風に間抜けに話していて、そういえば何で彼女はここに来たんだろうとふと思った。

 その瞬間、ちょうど司書さんの笑いは収まったのか会話に参加しだす。


「ああ、笑い死ぬかと思った。まさか、あんな学芸会見せられるとは思わなかったよ」

「学芸会扱いは酷いでしょ!?」

「いや、あれは学芸会ですよ、先輩」

「細野さんまで!?」


 ……確かに、演技っぽくしすぎないように意識しても過剰演技だった自覚はあるし、相手にやられた事をやり返した子供っぽさもある気はするけど。

 二人の様子が元に戻るのを確認すると体が落ち着いてきて、机から手を離して、曲がった背中を起こす。そのまま、彼女達が来てくれて良かったと感謝を伝えた。


「でも、二人がいなかったら、持ち逃げされて学芸会まで行けなかったですから。助かりました」

「そうですよ、感謝してください!」

「私はなんもしてないけどな」


 僕の言葉に二人がそれぞれ対照的な反応を返してくる。


 子供っぽく自分の成果を誇る細野さんに対し、落ち着き払って特に何もしてないと言う司書さん。そんな二人の様子を見ながら軽く首を傾げながら浮かんだ疑問をぶつけて行く。


「なんで、二人とも教室まで来たんですか?」


 さっきまで図書室にいた二人がどちらも僕の元へ来たんだから、何か理由がありそうな物だけど……僕はそれがよく分からなかった。


 細野さんは目を横に逸らしながら言う。


「ぐ、偶然ですよ! 偶然! ……間違っても、図書室を出た先輩を尾けてなんていませんから」


 ……なんでそれをこっちに聞こえるように言うのだろうか。まあ、困ってないし、今回は助かったんだしいいか。


 司書さんはそんな細野さんに向けて呆れたようにため息を一つこぼすと、ここに来た理由を話し始める。


「私は細野が帰ったようだったから、坂川にも帰って良いよう伝える為だな。こっから図書室行ってから帰るなんて面倒だろ?」

「そうなんですか。わざわざありがとうございます」

「いいよ別に。私だってさっさと図書室に鍵閉めて帰りたいとこだったしな」


 そう言って時計を右手の親指で刺す司書さん。もう、時刻は五時半を迎えようとしていた。


 窓の外を見ると、もう空は赤から深い紺色へと変わっていて、夜の訪れがはっきりと想像できた。


「……あ、帰らないと!」


 僕はそれを見て、麗さんが家で休んでいる事を思い出す。

 その事になぜか早く帰らないと、なんて焦りが生まれてしまう。……別に、彼女のために何が出来るわけでも無いんだけど、なんとなくそんな気がしたのだ。


 僕は守りきったノートをぎゅっと握ってそのまま教室に置きっぱなしになっていた自分の鞄へとそっと入れる。


「先輩、一緒に帰りましょう!」


 慌てた様子で帰りの準備を始めた僕に対して細野さんが声をかけてくる。

 だけれど、僕は慌ててしまっていたのでその言葉に対して応えることは出来なかった。


「ごめん! 急がないといけないんだ!」


 じゃあこの時間までゆっくりと学校に留まっているのはおかしいだろうと言いながら思いつつ、けれど僕は足早に教室を去ろうとする。


 そして、「さよなら!」なんて慌てつつ、いつもより大きな声で短く言ってその場を走って離れた。

 だが、五秒もするとそこで一つ思い出した事があった。


 僕は慌てたまま教室へと戻る。司書さんと、細野さんが風のようにさっさと去って行く僕をドアから体を出しながら見ていた。


 その状態のまま、戻って行く僕を見て細野さんがなにやら声をかけてくる。


「あ、やっぱり私と……」


 だけど、僕は身勝手にもその言葉を聞かず、司書さんに伝えたい事だけを伝える。


「そうだ、司書さん。 さっきのクロスワードなんですけど、答え、オーストラリアです。 じゃあ、今度こそ、さようなら!」

「お、おう。ありがとな、気をつけろよ」


 それに無言で首を縦に振り答えると、僕はそのまま振り返り、再び人のいない廊下を小走りで走り出す。


 教室から細野さんが「先輩のバカー!」なんてなじってくるのが聞こえたのだった。

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