風邪は移すと治る
通話が終わると同時に、僕は息をつく。
「……異様に体が重いけど、多分これが僕の体にかかる負担って事でいいのかな」
エリスと話すと僕の体に負荷がかかるなんて事をクソ女神は言っていたので、おそらくこの倦怠感がそれなんだろうと実感を持つ。
ベッドに寝転んで体を思いっきり楽な体制にする。
「このまま寝落ちしそうだ」
そうやって一人で呟く。矛盾するようだけど、そうとでも言っていないとすぐ寝てしまいそうだったからだ。
「……せめて、僕のできる事を考えようか」
エリスも麗さんもなぜか異様に僕に対しての裁定が甘い。
とてつもなく僕の良心に対してダメージが大きいので下方修正してください運営さん。
……いや、そんなふざけた表現は置いといて。
「二人に僕が優柔不断な事を認めてもらったんだから、それに対して何かしないとなあ」
だいたい、僕が彼女達に何かしたわけじゃないのに、優しくしてもらえすぎなのだ。
「エリスに対してできることは、話し相手とせいぜい異世界から戻るための手段を提案するくらいだよね。……でも、絶対にまた一緒に過ごすんだ」
僕に何が出来るか分からないけれど、出来ることは全部やるべきだ。僕のために、エリスのために。
……むしろ、麗さんのために何が出来るか、というのはなまじ現実的に何か出来てしまう分困ってしまう。
「……麗さん、何してあげたら嬉しいだろう?」
初めて会った時に、あまり外で遊んだ事がない、なんて言っていた。
きっと僕がそういう願いを叶えられれば良いのだろうけど……いかんせん、僕が出不精すぎるのだ。
「人と話すの苦手なんだもん。そりゃ、出たくないよね」
……まあ、つまり僕も外に出た経験なんて全然無いって話なんだけれど。
「ひょっとすればこっちの方がエリスの問題よりハードルが高いかもね」
そう言って一人でけらけらと笑う。我ながら安易というかしょうもない発想だ。
僕はそれがありえない事であるとは思いながら、だけれどそれを切実に願ってしまう。
「……そうだったらいいなあ」
言葉にもそれが漏れてしまっていて、呟くと同時に体の全身から力が抜けた。
*
麗さんと仲直りして、エリスと話したその翌日。つまりは火曜日。
僕はカーテンをかけた窓から薄く差し込み光で目を覚ます。
「寝た瞬間の記憶がないんだけど……」
最近、気絶するように眠る事が多すぎると思う。
「なんか、対策を考えた方がいいのかな……?」
体力が足りないのが原因かもしれない。
なにか運動や筋トレでもしてみようなんて考えてしまう。
「もう、六時過ぎだし、如月さんは起きてるかな」
僕はそう一人で言ってからリビングへと向かう。
リビングの隣にある台所では、如月さんがもう朝ご飯を作り始めていた。
「おはようございます。奈月くん」
「あ、おはようございます。如月さん」
「まだ少し早いですから、私がご飯の準備をする間にゆっくり着替えなどなさって下さい」
麗さんはてきぱきと作業をしながらそう言ってきた。動作の一つ一つからこなれているのが理解できる。
僕はそれを見て、思わずと言った具合に呟いてしまう。
「いつもありがとう、如月さん」
「どういたしまして、ですよ」
如月さんが口に笑みを浮かべながらそう返してくるのを確認してから僕も軽く笑って返す。
その時、玄関のチャイムが鳴る音が室内に響く。麗さんのものだろう。
如月さんもそれを聞いたようだった。
「あ、麗様ですね。行ってきます」
そう言って作業を中断してまで玄関へと向かおうとしたが、僕はそれを制して言う。
「いえ、僕が行ってきますよ。如月さん、忙しそうじゃないですか」
僕はそう言って、そそくさと玄関に向かい、玄関の鍵を開け、ゆっくりとドアを開く。
「けほ。……おはよ。……って、奈月じゃない」
「麗さん、おはよう。ちょっと早めに起きたから、たまにはね」
麗さんが咳き込むくらいに、驚くのを見て僕は答える。
それを聞いた麗さんは、お礼を言いつつドアを引いて、中へと入ろうとした。心なしか、いつもよりも体勢がふらふらとしている気がする。
「ともかく、開けてくれてありがと。……っと!」
その瞬間、ドアと玄関のわずかな段差に引っかかり麗さんがバランスを崩した。
僕はそんな前のめりにこちらに倒れ込んでくる麗さんを受け止める。
僕自身も軽くよろけてしまうけれど、なんとか倒れ込んだり、しりもちをつく事もなく、麗さんが倒れてしまわないように押さえる。……麗さんが小柄でよかった。
「麗さん、大丈夫?」
確認のために彼女にそう尋ねると、麗さんは元気が無さそうに首を縦に振る。
……体調が悪いのかな? 心配だ。
「ご飯まで、ゆっくり休んでてよ」
そういうと、麗さんは黙って頷く。
……不安だから、熱も測ってもらった方がいいかな。
そうやって、僕は麗さんの様子をチラチラと確認しながらリビングへと案内するのだった。
*
リビングに着いてから麗さんに朝ご飯までソファに座って貰っていた。
ところが、あまりにも元気が無いので、体温を測ったところ、高熱だった。
「流石にこれは風邪ですね。休んだ方が良いですよ。いえ、休みましょう」
そうやって、如月さんは落ち着いた声で麗さんに語る。
麗さんも無理をするつもりはないのか、それに首肯で答えた。
「ご飯は食べられそうですか?」
「……うん」
「病院に行って、大丈夫でしょうか?」
「……うん」
如月さんが麗さんに対して、優しく質問を重ねていく。
それに対して麗さんが短い言葉と首の動きだけで答えていく。
「じゃあ、軽くご飯を食べて、落ち着いたら車に乗って病院まで行きましょう」
「……わかったわ」
確認するように如月さんが言って、麗さんも短く答える。
いつもは喋るのが好きで、如月さんとたくさん話しているから、麗さんが全然喋らないのがどうにも不安になってしまった。
そんな調子で、僕たちはそのまま朝食を終える。
麗さんはご飯を食べてもやはり元気が無くて、ソファでブランケットをかけられながら横になっている。
「学校へは連絡を入れておきますね。奈月様からも担任の先生へ伝えて頂けると助かります」
「わかった、言っておくね」
僕に言うとすぐに如月さんは学校へと連絡を始める。
学校に行く準備も終えてしまった僕は、麗さんに話しかける。
「早く元気になってね。……あと、ごめん。僕の風邪が本当に移ったのかも」
昨日の午前中は僕も軽く風邪気味だったから、それが彼女に行ってしまった可能性はあるだろう。
昨日は長い時間一緒にいたから、おかしなことではない気がして、僕は罪悪感を覚えてしまう。
しかし、麗さんは僕の心配なんてよそに、寝たままの姿勢で喋る。
「別に、関係ないわ。……けほ。大丈夫よ。そんな大した熱じゃなかったでしょ?」
実際、少し熱がある程度で、それほど大ごとでは無いはずなのだけれど、どうしても彼女の環境は先週からガラッと変わってしまっているというのが不安材料になる。
けれど、そんな僕の内心を見透かしたように、麗さんは軽く笑って喋りかけてくる。
「困ったら如月に頼むわ。……私のことなんて気にしないで、とっとと荷物持って登校した方がいいわよ?」
「あ、そうだよね、行かないと。……麗さんもゆっくり休んでね?」
「そんなの私が一番良く分かってるわよ。……ほら、行ってきて?」
「じゃあ、行ってきます」
麗さんは寝たままで、僕が去る方向に向けて軽く手を振る。
僕はそれに手を振り返しながら荷物を持って、如月さんにいってきますの挨拶をして家を出た。
……いつもの登校時間より、家を出た時間が三十分以上早いと気付いたのは外に出た、その瞬間であった。




