桜ノ宮麗の謝罪
ギイ……と玄関の扉が開く、いつもと同じはずなのに今日はやたらと大きな音に聞こえてしまう。
バタン、とゆっくり扉が閉まる音を聞いて、そんなはずは無いのに後戻りが出来ないのだと錯覚を起こす。
廊下を一歩一歩進む。……右足と右手が同時に出た。緊張を自覚する。
リビングの扉の前へ立って、ドアノブに手をかける。手に、力が入らない。ドアを、開ける事が出来ない。
(今さら怖がってるの? 馬鹿じゃないのかしら? さっさと行けばいいじゃない)
今更日和ろうとする自分を頑張って鼓舞しようとして、結局罵倒しか出てこない。……私はこういう人間だって思い直す。
(態度ばっかり横柄で、実際には何も成そうとしない、迷惑を振りまくだけの最低女)
そう考えてひとり頷いた。
ああ、なんて嫌われるのに向いた人間なんだろう。そう思ったら自然と言葉が出てきた。
「私はあいつに嫌われる為に生まれた」
我ながらその理論の意味不明さと不思議な納得感を面白く感じて、決心を決めた。
(行かなきゃ、ダメなの)
リビングの、ドアを開けた。
「……おかえり、如月さん」
それに反応してゲームをしたまま、振り返ることもなく奈月がそう言ってくる。如月が帰ってきたのだと、勘違いをしているようだった。
「……違うわ」
私が一言だけそうやって答えると、奈月は驚いたように体を揺らし、こちらに振り返った。
混乱したように奈月は答えてくる。
「……う、麗さん? お、お帰り、なさい?」
……ここは私の家では無いのだけど。
なんて茶化す余裕も無くて、私は慌てて奈月の隣に座った。
*
十分が経過した。
奈月はゲームの電源を落としてさっきと同じ位置に座ったきり何も話さない。
目を合わせることもせず、二人ともただただ下を向く。
……目線は下に向けたまま、横目でちらりと奈月を見る。
時折頭を掻いたり、胸を手のひらで叩いたり、そわそわとせわしなく動いている。
……やっぱり、迷惑だろう。昨日は喧嘩をふっかけてきたような女が隣にいるのは嫌に決まってる。
だけれど、こんな時間がいつまでも続いたら何も起こらず、ぐだぐだと時間の浪費する事になるだけ。
私は、なんとか状況を動かそうと声を出す。
「……ね、ねえ!」
「……あ、あのさ!」
ふたり同時に声を出し、見つめ合う。
その事実にお互い固まってしまい、わずかな硬直が生まれる。
私は先にその沈黙に対し先手を打って次の言葉を並べた。
「……先に、話して」
私は奈月の話を先に聞くべきだと思って続きを話すように促す。
奈月は、困ったように頬を書きながら「う、うん」と答えてくる。
そしてただ一言、
「ごめんなさい」
それだけを伝えてきた。
私はそれを聞いてとても納得が出来ずに、
「……そんな言葉、いらないわ」
そうやって奈月の謝罪を拒絶するように答えてしまう。言ってから冷たすぎたんじゃないかと気づく。
奈月は私の言葉を聞いて顔を下げてしまう。……また、傷付けた、と思った。
……でも、なんでこいつが謝んなきゃなんないのよ。私が謝罪の言葉なんて聞く理由はないのに……どうして謝るのよ。
私は、深呼吸を一度する。気持ちに整理をつけたかったからだ。
吸った息を吐き出すように、私はゆっくりと奈月に向けて言いたいことを口にした。
「……ごめんなさい、のはずが無いじゃない。あんたがやったのはただ私に好意を向けただけなんだから」
私がそういっても奈月は顔を上げてはくれず、ただ口から呟きを漏らすだけだった。
「でも……」
……まあ、昨日私が言った事を考えればそういう反応になって然るべきだろう。
私は何かを言いよどんでいる奈月に気づかないふりをして、自分の言葉を振りかざす。
「ごめんなさいを言うべきなのは私よ。……本当に最低なのは、私のほうなんだから」
それを言うと、奈月は困ったように頬を掻く。
その仕草を見るとなぜか安心してしまって、息が漏れる。
私はそのまま話を続けて言う。
「まずね、あんたを殴った事。許されるべきじゃない。だって、理不尽だもの。……好きって伝えた人間が攻撃するなんてね」
「でも……それは」
「じゃあ、次よ」
奈月には何も喋らせない。
……だって優しいこいつが、私を無理してでも擁護するのが目に見えているから。
「……最低、なんて言ってしまった事。そんな事許されるはずが無いわ。……あんたの決意も、想いも踏みにじったんだから」
「……そんな大層なものじゃないよ」
「ううん、そんな訳ない。……あんたが想うことは世界をまたぐ力があるんだから」
私がそう言うと奈月は軽く息を吐いて、こちらを見てくる。
目を合わせるように顔を上げる。
心拍数が上がるのを肌に感じた。
頭の中が熱くなる。
……ああ、きっとこれが好きって感覚なんだってはっきりと思えた。
そう思うと勇気が出て、最後まで言いたいことを言い切るんだと決められた。
心の内に出てくる言葉を、ばらばらの言葉をなんとか整理して喋る。
「……昨日あんたに好きって言われた時、分からなくなったの」
「……うん」
「好きなんて言われるのは初めてだったから、どんな反応を返せばいいか、分からなかったの」
「……うん」
一言喋るごとに、奈月が頷き返してくれる。
「……嬉しい、って思う部分もあったわよ?」
「……うん」
「だけど、不安だった。あんたがエリスの事を大事に思えなくなったんじゃないかって、そう、思ったの」
「……うん」
「そうしたら、頭の中がぐちゃぐちゃになって、考えが全然まとまらなくて、あんな事をやって、そして、言ってしまったの。……最低よね」
「……そっか」
奈月はそうとだけ返してくる。
……こいつは、ただ真剣に私に向き合ってくれるんだ。
……あんな事をした、私の為に。
その姿を見て謝らなければいけないと、ただ、そう思う。
「ごめんなさい。……私はそうやって言う事しか出来ないわ。……きっと、私なんて近くにいない方が良かったのよ」
これ以上は何を言ったらいいのか分からなくて。
私はそれだけ言って逃げるようにソファから腰を上げ、この場を離れようとした。
……けれど、それは叶わなかった
私の手を、奈月が握ってきたからだ。
「麗さん。僕だって、言いたいことがある」
そう言って来た奈月は今までに見たことのない、熱を帯びた目をしていた。




