思いが世界をまたぐ時
マンションに帰ってきてから一時間ほどしてから、如月さんと一緒に昨日の残りカレーを食べた。
如月さんが「こんな早い時間に帰ってくるなら別に作り置きしなくても良かったですね」なんて苦笑しながら言っていたのが印象的だった。
夕食もそのままつつがなく終えて、風呂に入って、寝る前にジャージに着替えて、如月さんとおしゃべりして……。
そんな風に過ごしているといつのまにか時刻は九時になっていた。
「じゃあ、僕はそろそろ部屋でゆっくりしますね」
「おやすみなさい。明日も学校、頑張って下さいね」
「うん、おやすみなさい」
*
「はあ……疲れたな」
自室に戻り僕は一人、思わず呟いてしまう。
そもそも外に出ることなんて全然ないから、車に乗って移動するだけでも結構な疲れに苛まるのだ。
「でも、ちょっと……楽しかった」
しかし、僕は同時に少し充実感を覚えてもいた。
麗さんと話す時間がとても魅力的なものだったからだ。
趣味も近いものがあって、お互いに話せないなんてこともなかった。麗さんは隠し立てしない人だったからこちらも気を使う必要は少なかったのもある。
「麗さんがいい人だったのもあると思うけどね。……なかなか口悪かったけど」
なぜか、彼女は口が悪いし、正直なところ態度も名家の娘としては模範的なものでは無かった気がする。
何しろ、初対面の人間の二人称に「あんた」なんて使うくらいだ。対象が僕みたいな礼儀を弁えない人間でもなければ、怒られて当然くらいには失礼だろう。
麗さんの事を考えていると、僕は彼女の書いた小説を預かった事を思い出した。
「……小説、読むか」
麗さんに聞いてもエリスの所在は分からなかった。まあ、エリスとは元々関わりのない人だから当然といえば当然だとは思うけれど。
しかし、僕は小説の登場人物に出てきたエリスと同姓同名の「鹿宮エリス」という名前の主人公の事がどうしても気になってしまう。
「……そんなのアホみたいな妄執で、関係なんてあるわけないじゃんって言われても、仕方ないくらいだと思うけど」
けれど、僕は彼女が居なくなってしまった事実に何かしら、納得をしなければならないと思うんだ。
だから、読む。エリスが消えてしまった事実の原因を探して……文句をつけてやるんだ、エリスに。
「僕は君がいないと友達なんて誰もいないんだ! 勝手にいなくなって僕が可哀想だろ! ……なんて、自分勝手な主張をするんだ」
そういうような、身勝手な主張を彼女に対してしなかったのも、エリスが僕に黙って消えてしまった原因だと感じているから。
思いっきりわがままに叫ぶんだ。
「……まあ、友達ってことに関していえば、麗さんが友達になってあげる。なんて言ってくれたから、いないって言うのは嘘になっちゃうんだけど……」
細かい事は気にしないのだ。
「じゃあ、続きから、読もうか」
鞄から、麗さんのノートを引っ張り出し。そして、一度読んだところまでページをめくっていく。
そうやって僕は昼に引き続き、小説の世界へ誘われる……。
*
「よいしょっと……あと一軒で終了ね」
「リア、終わった?」
「あ、ソシルさん。いえ、もう一件だけ配達が残ってますね」
「そうなの、じゃあそれが終われば今日の仕事はおしまい。あとは家でのんびりしてて」
「はい、分かりました」
のどかな森の中、エルフの小さな集落の一角。そんな会話が私と一人のエルフの間で交わされた。
私こと「鹿宮 エリス」……ううん、今の名前は「アリア」だけれど。
私は今、この女の人ばかりの種族、エルフの中にただ一人の人間として暮らしている。
*
私がこの世界で最初に目を覚ましたとき、目に入ったのは知らない天井だった。……私にとってもそうだけど、恐らく、この体の持ち主にとっても。
その時、周りにいた人物……エルフであったから人物って表現するのが正しいかは疑問が残るが、とにかく非常に驚いたみたいだった。
「あなた、あの傷をモンスターに負わされて、たった一日で立ち上がれるの!?」
それが、私が初めて異世界で聞いた言葉だ。
……それを聞いた時、奇妙な気分だったのを覚えている。
全く訳の分からない言葉の羅列が、意味の通じる言語として認識できる。
よく出来た翻訳なんて次元を超えていて、いっそ不気味さすら覚えてしまった。
「どこから来た?」
「……魔族では、無い?」
しばらくして部屋へ入ってきた人々から次々に投げかけられる言葉も同じように、耳に入った瞬間に理解出来るものに勝手に変換されていく。
絶対音感の持ち主が耳に入った言葉と共に音階を情報として認識してしまうように、知らない言葉が違う情報に変換されてしまう奇妙な感覚。
私がこの世界で初めて抱いた違和感はそれだった。
私は何か答えようと口を開く。
言葉が通じるかどうかは謎であるが、とにかく意思疎通をする素振りは見せた方が印象は良いと思ったからだ。
「あの……ここはどこでしょうか?」
そうやって私は向こうの持つ疑問を自分では日本語だと思ってぶつけた。
するとエルフ達……その時はまだ目の前にいる方々を人間と認識していたけど、その人達の代表と思われる女性は答えてくる。
「ここは私たちエルフの森。そのずっと奥にある障壁に囲われた村だ」
そうやって目の前の彼女が言い放った言葉は、日本語が通じる事以上に驚きの事実を秘めていたのだった。
*
「もう、あれから一ヶ月経ったのね……」
私は魔法を使って作られた、紙みたいに薄い土の文字盤を見る。
そこに描かれた正の字でのカウントが三十に達したのを見て、元の世界なら一ヶ月だな、なんて思って一人呟いた。
私がこの世界に来てから、エルフに初めて会ってから、この体で生活するようになってから。
「色々なことが一ヶ月記念ね」みたいな、しょうもない事を思って私は自分で笑ってしまう
独り言は前世からの癖だが、特に今は娯楽も少ないからこうでもしていないと退屈で仕方がない。
「エルフの人達が優しいから助かってる訳だけど、甘えっぱなしって訳にもいかないのよね」
私はこちらの世界に着いてからエルフの村に一ヶ月ずっと滞在している。
……どうも、森の中で倒れていた私……というよりアリアはモンスターと手酷い痛み分けをして倒れていたようだった。
ようだった、というのは事後に私が聞いた話から判断したからだ。
倒れていた私をエルフが荷物ごと里まで運んでくれて、さらに手厚い看病までしてくれて……もしそうでなければ、私ことアリアは死んでいたであろう事は想像に難くない。なのでエルフの人達には足を向けて寝られないと思うのだ。
とはいえ、私はこれには一つ疑問を持っていて、
「実際には、アリアは一度死んだんじゃないかしら……?」
そうやって私は一つの仮説を立てている。
「……私の意識が入る事で、見知らぬアリアっていう方の人格を書き換えたって言うのは怖いしね。アリアの意識が途絶えたところに私が入り込んだって方が罪悪感は薄いし」
結局、どっちにせよ現在アリアの意識がこの体に無いのは事実。だから、この思考に大した意味は無い。
というか、このアリアって言う人物は何を考えてこの森に入ったのだろうか。
大きな丸い鞄を背負い鬱蒼とした森へと入る。その事がどれほど危険か考えなかったんだろうか?
動きにくい状態でモンスターがはびこる森へ突撃する事の無謀さなんて考えるまでもないだろう。
「……まあ、賢い人でもドジだったり抜けてたりって事、あるわよね」
私は前世での「あの人」の事を思い出して、苦笑する。
頭は良いくせに、忘れっぽくて、よく失敗をしていた「あの人」の事を。
「冒険者としての身分証に十全な食料、武器に火種に、さらに魔法が使えない場合の水を確保する手段のマニュアル。……ここまで準備しているにも関わらず、なんで大荷物を持つ事の危険性まで頭が回らなかったのかしら……?」
この体、つまりはアリアの体は華奢というほどでは無かったが、しかし小柄で筋張った筋肉の塊みたいな人間でもない。
「だから、この大荷物はおかしいと思うのだけど」
こんな大荷物を持って森の中を進んでいけるほどの体力がこの体にあるとは、正直なところ思えない。
それに、何を思ってアリアが森を抜けようとしたか、なんて事も分からない
今更そんな事を考えてもアリアの人格と話すことが出来るわけでもないし、真相は闇の中だ。
そんな風に分からないことだらけで、私はその分からない事実に不安を覚えてしまう。
「……これから、どうしようかしら」
過去のことも分からない。
どうやってここから出ていけばいいかなんて、当然知らない。
この世界の常識にだって無理解だ。
そんなことばかり考えている私一人では、何もできない人間って強く思わされる。
だから、私はより一層「あの人」の事を強く思ってしまう。
「会いたい、会いたいの……」
そんな事を思ってしまう自分が情けなくなって私はさらに口から弱音を零す。
「元の世界に帰らせてよ……!」
私は自分勝手な願いの代償に死んだ。
いや、むしろ死んでもいいなんて思っていたから、願いの代償に死を選んだ。
……恋をしたいなんて、くだらない願いのために。
きっとそんなものは作られたもので。
なのに、私はそんな作り物の恋に落ちて。
結局、そのまま溺れて死んだ。なんて間抜けな姿なんだろうか。
気づくと、頰を涙が伝っていて。
私はそれに気づいて、なんとか誤魔化そうなんて一人しかいないのに冗談を言おうとする。
「……ううん、私は悪くないもの。『あの人』が私にとって魅力的すぎたのが悪いの、ふふ」
我ながら無茶苦茶な論理で、いつもだったら思いついて一人、しばらくの間ニヤニヤしちゃうくらいにはくだらない冗談だったと思うのに、思わず軽く笑ってしまうくらいなのに。
なぜか涙は止まらないどころかさらに強くなっていく。
私はこんなことばっかり考えても辛いだけと、心の整理を付けようと日課をこなすため裏庭に向かう事にする。
「……絶対、今度は迷わずに好きだって伝えられるように、ラブレターを書き溜めておくの」
気持ちを奮い立たせるべく、「ラブレター」なんて自分で言って恥ずかしい単語をわざと選んで喋る。
そして、私は毎日続けている「あの人」……いえ「坂川 奈月」くんに向けた言葉を書きに行く。
ネガティブな思考を抱え込んだ女の子は可愛い(偏愛)




