しばしの別れ
あのあと、布巾を持ってきてテーブルに広がった紅茶の後を片付けた僕たちは少しずつ会話が出来るようになってきた。
「じゃあ麗さんは一人で外に出ることなんて普段は無いんだ」
「……そう、使用人が着いてくるか、両親と一緒。だから、好きなアニメのグッズとか買ってみたいんだけど、行く機会が無くて」
「例えばどんなの買いたいの?」
「例えば……タペストリーなんか自分の部屋に飾りたいわね。あと、キーホルダーとかも鞄に付けてみたいかしら」
今は、普段何をして過ごすかと言う話をしていたところだが、麗さんは外に出て遊ぶなんて滅多にしないなんて話をしていた。
ただ、僕とは違って出る意思はあるが、周りに許してもらえないらしかった。
得られる結果は僕と同じだけど、思考は全然違うなあとか思ってまた麗さんの事を知る事が出来た気がして、なんとなく嬉しい。
人の事を知れるのは楽しいものだ。
と、僕がそんな事を考えていると彼女はこちらに提案をしてきた。
「……あんた、どこかで一緒にそういうの付き合ってくんない? 一緒なら、多分周りも文句付けづらいだろうし」
……どうにも、僕と一緒なら周りに反対をされ辛いだろうからと、一緒に遊びに行くように頼んでいるようだ。
僕は断ろうかとも思ったが、麗さんが不安そうに顔を伏してしまっていて、それを無視する罪悪感に勝てず答える。
「いや……僕も外にぜんっぜん出ないから当てにはならないんだけど、でもまあ、そういう口実作りくらいなら、手伝うよ」
そうやって、言い訳を並べながらも僕が肯定の返事を返すと麗さんは口元を緩くして表情を明るくする。
幸せを体現した一つの模範例みたいな姿を僕に一瞬見せると、すぐに元の仏頂面に戻す。
そしてそのまま近くにある鞄を探り出したかと思えば、鞄からスマホを引っ張り出してくる。
「ほら、遊びに行く時連絡してあげるから、だから私の連絡先を登録しなさい」
そうやって、SNSの連絡先IDが表示された画面をこちらに向けてくる。
僕は少し面食らって「あ、えっと、うん」なんて返す。言葉に詰まるのがいつもの事なんていう事実は知らない。
そして、彼女の連絡先を自分の方に登録する。彼女もまた、携帯をかまって僕の連絡先を登録したようだ。
「これでよし、ね。じゃあ、また遊びに行く時にでも連絡するわね」
「うん、わかったよ。……僕、全然連絡しないと思うけど許してね」
「いいわよ私もそんなものだし。あんた友達いないって話でしょ? 連絡出来るようになったし私が友達一号になってあげるわよ」
そんな事を言いながらも、彼女は嬉しそうに顔を綻ばせる。
僕もそんな姿を見て、嫌われていないのかななんて思えて安心を覚える。
そうやって二人して一つ増えた連絡先を喜んでいると、部屋の扉が開いて如月さんが入ってくる。
「お二人とも、樹様と昴様がお呼びです。今日はもう、お帰りだそうで。奈月様もお嬢様もご帰宅の準備を、という事です」
そう言って、帰りを促す如月さん。
本当に今日は顔合わせだけっていうことなんだろう。まだ、午後三時ごろだが帰らなければならないらしい。
「ああ、もう時間なのね。案外、楽しかったわ。あんた、私と結婚するになるのに相応くはないかもしれないけど……退屈じゃ無かったわ。……ありがと」
如月さんの言葉を受けて、こっちに感謝の言葉を向けてくる麗さん。……なぜか、一部トゲのある発言が含まれているが。
「僕も楽しかったよ。ありがとう」
同じように僕もお礼を言う。……楽しかったせいで、婚約を断るとかそういう方に意識を向けるのを忘れてしまっていたが。
そんな事を思っていると、僕はさっきまでの出来事で思い出した事があった。
「ねえ、麗さん。さっき最初だけ読んだ小説って、貸してもらう事は出来ない?」
そう、先程読んだ小説の事である。
主人公の名前がエリスと同じ、謎の小説『異世界でもひとり』
この事が完全に偶然だなんて思いたくは無かった。
だから、僕は納得をしたいが為に、彼女の小説を読み切ってしまいたいと思ったのだ。
「いいわよ、まだ途中なんだけど、誰かに読んでもらいたいって思ってたわけだしね」
僕の頼みは聞き入れられて、彼女は僕に先程のノートを渡してくる。
「黒歴史ノートだ! なんて言って周りに触れ回ったりしないでちょうだいね?」
「しないよ!?」
そもそも、そんな事をする相手がいないのだが……。
「はい、じゃあこれで今日はさよならね。メイドさんもありがとう。……あなた、こいつと一緒に暮らしてるんですって? 苦労してるわね」
「苦労をしてることは前提なんだ……」
「はい、奈月様は手間の掛かる方ですから。けれど、一緒に居て退屈しないです」
「決していい意味ではないよね、その退屈じゃ無さ……」
「とにかく、また会うことになるとは思うから。それまで、こいつの事よろしくね」
「承りました。……奈月くんも、麗様の事を気に入ってくれたようなので、是非すぐにでも会いましょう」
「またね。麗さん」
「ん、そうね。また会いましょう」
そう言って軽く挨拶を交わして麗さんは両親の元へ向かって、そのまま帰って行ったのだった。
*
「それじゃあ、私たちも帰りますね」
麗さんが家を去ってから程なくして、僕たちもマンションまで帰ろうと門の前に立つ。
両親とは玄関で別れ、今は僕と如月さん、それと千早の三人だけである。
「お兄ちゃん、元気でね。また、会いに来て勉強教えてよ」
「今更僕が千早に教えられるものも無いとは思うんだけどなあ……」
何しろ僕とは違って、優秀な部分ばかりが目立つ妹である。
小学生くらいの頃ならともかく、今は一人で勉強しても良い結果が出ると思うんだけど……。
そんな事を思って返したわけだが、如月さんにダメ出しされてしまう。
「ダメですよ、奈月くん。千早様は、あなたと一緒に居たいって言ってるんですから。そこは、『保健体育なら教えてやるよ』くらい言ってあげなきゃ」
「ど直球に下ネタだなあ……というか、それも教えられる要素なくないですかね……」
エリスしか友達がいなかった僕にそういう知識があると思って貰うのは困る。
……まずもって、実の妹にそんな事を言う兄は嫌だが。
そうやってしょうもない話ばかりしていると、千早は今度如月さんに向けて話し出す
「さらちゃん、お兄ちゃんを引き続きよろしくね」
「任せてください。奈月くんは私が責任を持って甘やかします」
「そこは、甘やかすんですね……。世話する、とかじゃないんですね……」
この人、分かってて少しとぼけた返しをするなあ……。
多分、そういう軽い感じが僕の世話係に付けられた理由なんだろうなとふと思う。
そんなちょっとふざけた如月さんに対し千早は羨ましそうに返す。
「いいなあ、さらちゃんは。お兄ちゃんの近くに居れて。……私も、同じ高校行こうかなぁ」
僕はそんな千早をたしなめるよう言う。
「ダメだよ、そんな理由で学校決めるのは。他と比べたり、しっかり調べなきゃ」
「分かってるよ。お兄ちゃん、相変わらずそう言うとこは生真面目だよね」
生真面目、というほどだろうか……? 当たり前の事だと思うんだけどなあ……。
まあ、千早は僕とは違って勉強以外にも頭の回る子だから、賢い選択をするとは思っているんだけど。
「こんなところで長く立ち話するのもなんだし、そろそろ帰った方がいいんじゃない? お兄ちゃんも明日は学校あるでしょ?」
と、話し込んでいると千早がそうやって僕たちを帰るよう促してくる。
「そうだね。そろそろ帰ったほうが良いかもね」
僕がそれに同意すると如月さんも同じように首を縦に振る。
「そうですね。千早様と積もる話もありますけれど、またすぐにでも会えますよね」
「うん、お兄ちゃんにも、さらちゃんにも会いたいし……。また、すぐにでもそっちに行くよ。お兄ちゃん、あの人達に会いたくないだろうしね」
あの人達とは、両親の事だろう。
「まあ……久々に会って、やっぱり嫌いだと思ったよ。父さんも、母さんも」
「だから、私がそっちに行くよ。じゃあ、今日はこれでさよなら」
「うん、さよなら。千早も元気でね」
「しばらくの別れです、千早様」
そうやって僕たちは車に乗り込む。
すぐに、如月さんがエンジンをかける。
「ばいばーい!」
車の外で千早が大きく手を振っている。
「ばいばい!」
僕も手を振り返し、そしてそれは車が出てから千早の姿が見えなくなるまで続けたのだった。




