麗さんは意地っ張り優しい
ただただ驚くばかりで何も言葉が出てこなかった。
なんとなくで読み始めたのだが、『恋をしたから死んだ』という設定自体は興味を引かれる物がある。
主人公であろう女の子が「あの人」に出会えたという事を大切に抱えながら異世界で生きていくみたいな話になるんだろうか? そんな風に思いながら見ていた。
なんというか、ヤンデレな女の子の異世界転生って感じで、愛の力で戦うみたいな小っ恥ずかしいテーマなのかな? みたいな風に思えた、ちょうどその瞬間その子の名前が見えてしまった。
……なんでかな、なんでか、この女の子の名前に見覚えがあるんですけれど。
僕は手にしたノートを向こうに向け、「鹿宮エリス」なんて女の子の名前が書かれたそのページを指差す。
そして、いつの間にかクッキーをせわしなく頬張り始めていた麗さんに向かって喋りかける。
「ねえ、麗さん? この女の子の名前って創作なの?」
そうやって、尋ねないわけにはいかなかった。
……だって当然、こんな特殊な名前を持つ人間、世界にそう何人もいないだろう。当然、疑問に思う事だ。
麗さんは、首を傾げ、眉を潜めるなんていう「怪訝に思う」の見本のような表情を取りながら言葉を返してくる。
「……あんたさ、こんな訳の分からない名前持つ人間がそんな身の回りにいると思ってんの?」
事実、いた訳である。
……が、そんな事を言っても何にもならない事は知っているのでそこにムキになって反論する意味は無いだろうと何とか言葉を飲み込む。
「いや、あの、えっと、モデルになった人とかいるのかな〜って……」
僕は最初から、人物像について話してましたよと言うかのように話題を華麗に切り替える。……アホほど言葉に詰まっているのは気のせいである。
「だーれも、いないわよ。全部、自分か他の小説の真似して書いただけ。ただ、なんとなくハーフの女の子ってコンプレックス持ってるから書きやすそうだって思ったの。名前も適当に決めたしね」
「そ、そうなんですか……」
……別に、元となった人物がいるわけでもないらしい。
僕は一旦落ち着こうとして、目の前にお菓子と紅茶が置いてある事を思い出した。すぐにカップに手を伸ばしてをそれを飲もうとする。
しかし、慌てていたせいで上手いことカップが持てず中身を零してしまう。
「うわあ! やばい、拭かないと!」
麗さんはそんな僕の様子を見て呆れた様にため息をつくと、ポケットからハンカチを差し出してくる。青のチェック模様という地味なものだった。
「ほら、これで拭きなさい。……少し、両親から聞いてはいたけれど、あんた……ドジね。なんというか、近くにいて不安になるわ」
「あ、え、えーっと」
僕はハンカチに手を掛けようとしてから、汚してしまうのが申し訳ないという気持ちにその手を止めてしまう。
そして、おそらく外に如月さんがいる事を思い立ち、そちらに布巾を貰いに行くことにする。
そうやって考えた僕はそのまま焦って無言で立ち上がって客間の扉へ向かう。
「……ちょっと? どこ行くの?」
当然、何も言わずにどこかへ僕が行こうとするのを麗さんは咎めようとしてくる。
僕は、足を止めず顔だけを後ろ側にいる麗さんに向けて要件を伝える。
「ハンカチ汚すのも申し訳無いから、外から台拭きを貰ってきま……わあ!?」
前を向かずに歩いていたから、客間のソファにつまずいて転んでしまった。痛い……。
思いっきり膝が地面に当たってしまったものだから、その部分を軽くさすっておく。それでもやはり少し痛む。
普段、運動も全然していないからこういう部分で痛みに耐性もないのかななんて少し弱気になりながらも立ち上がろうとすると、目の前に手が差し出される。
「……立てるかしら。気をつけなさいよ? あんたが慌ててたのは理解できるけど、ケガすればもっと面倒な事になるんだから」
麗さんが僕を立ち上がらせようと、手を貸してくれるみたいだった。
僕は持ち前のコミュ障を発動させて恐る恐る手を彼女の方に伸ばす。彼女はその手をしっかりと握ってくる。
小さくて華奢で、そして不思議と柔らかい。麗さんの手はそういうものだった。
僕はそのままゆっくり立ち上がるとお礼を言う。
「あ、ありがとう。……ございます」
「いいわよ、私、あんたの婚約者なんだから。いくらでも頼ってくれていいの。……それと、そんな風に敬語使って丁寧に喋る必要無いわよ」
「う、うん」
「……別に、そんな緊張もしなくて良いのに。ほら、机拭くって話でしょ。一緒に布巾取りに行くわよ」
そうやって、彼女は仏頂面のまま顎で扉の方を示す。
態度はとても横柄に近いような気がするが、何というか、言葉の内容としてはとても優しい物がある。
誤解されやすそうな人だな、と思った。
*
僕たちはそのまま二人して応接間を出る。
扉のすぐ近くに如月さんがいた。
彼女は二人連れ立って出てきた僕たちに少し目を見開き驚きを見せて、こちらに質問を投げかけてくる。
「……どうしたんですか、急に外に出てきて。何か用事でもありますか?」
「いえ、用事ってほどじゃないんですけど、紅茶をこぼしてしまったので布巾を取りに」
「それで、わざわざ二人で……。なるほど」
そう言って納得したのか如月さんは続けて麗さんに布巾の所在を伝える。
「お嬢様、さきほどまで居た食堂のところに備え付けの台拭きがあります。よければ奈月様と一緒に取りに行って差し上げて下さい」
わざわざ、「一緒に」という部分を強調して行ってくる如月さん。
……なんだろう、何か言いたいことがありそうなニヤニヤした笑顔でこちらの顔を覗いてくる。
僕がそう思っていると如月さんはこちらにこっそり耳打ちしてきて、
「……わざわざ、それだけの用事でも二人で行こうとするなんて、よっぽど仲良くなったんですね」
からかう様な口調で、そう言ってくる。
……確かに、麗さんが付いてくる必要なんてないし、なんなら一緒にいて気まずいなら部屋に残っていればいいはずだ。
何というか、付いてきてくれる事が麗さんの信頼の証みたいに思える。
僕はそんな事を思ってしまった恥ずかしさでしどろもどろになりながら答えるしかなかった。
「そんなのじゃないですよ。ただ、麗さんが付いてきてくれるって……」
「冗談です。麗様、悪い人じゃなさそうでよかったですね」
別に自分が話したわけでは無いだろうにそうやって悪い人じゃなさそうなんて言ってくる。
……判断基準がよく分からない。
「奈月くんが、初対面で一緒に行動しようと思える人が悪い人な訳無いです」
「……僕の事、信用し過ぎじゃない?」
「私は、奈月くんが大体の人を信頼してないって事。その一点において奈月くんを全面的に信じていますから」
だから、私が何事も無く奈月くんと一緒に暮らせてるのも信用の証拠みたいで嬉しいんですけどね、と付け加える如月さん。
そうやって二人で話していると、麗さんがこちらに向けて声をかけてくる。
「ねえ、メイドさん? 傷に塗る薬なんて持ってないかしら」
突然、何事か言い出した麗さんに対し、しかし流石と言うべきか如月さんは丁寧に応対し、薬を取り出しながら返事をする。
「はい、持っていますよ。何にお使いになられますか?」
そうやって返した如月さんの言葉に少し安心を覚えたのか麗さんが口角を上げて答える。
「そいつ、さっき転んで膝打ってたから。ケガしてんじゃないかって思ったのよ」
そうやって僕を指差しながら麗さんは言い放った。
「そうですか。でも、奈月様の傷の手当であれば私達がやりますので……」
「別に誰がやったって関係ないじゃない、貸してちょうだい」
そうやって如月さんに押し通して、塗り薬を手に入れる麗さん。
如月さんも少し困惑している。
そのまま僕の方へ向けて続けて喋り出す。
「ほら、足。出しなさい」
そう言って僕がさっきぶつけた場所を出させようとする麗さん。
やれ、と言われた事は基本的に断れないのが僕である。まあ、つまり動揺をしながらもしゃがみこんでぶつけた膝の部分を出すことになるわけだ。
「は、はいどうぞ」
……どうでもいいが女の人に「足を出せ」って言われるの怪しいサービスみたいだ。
麗さんも屈みこんで僕の怪我した患部に薬を塗ってくる。
「やっぱちょっと血出てるわね。……ほら、今塗ってあげるわ」
「……痛っ」
「少し染みるかもしれないわね。我慢しなさい。……ほら、おしまい」
「あ、ありがとう」
「……別に、私がやる必要なんてなかったから、感謝するなら薬くれたメイドにしなさいよね」
そうやって顔を赤くして、怒った様にぷいっと振り返り、麗さんは早足で食堂へ向かう。
僕もそれに付いていこうと後ろに続く。
「待ってよ! 僕も行くって」
そうやって言うと麗さんは立ち止まってこちらを振り返ってくれる。
僕が追いつくと、何か言うこともなくそのまま前を向いて歩き出す。
そのまま僕たちは食堂の方へ向かって行くのだった。
「……奈月くん、青春してますね」
なんて後ろの方から聞こえたのはきっと幻聴だと思う事にする。
ツンデレはいいぞ




