早起きしすぎてやる事がないアレ
「早く起きすぎたのでは……?」
そうやって僕が目を覚ましたのは午前四時、何をするにしても中途半端な時間だ。
「起きとくと昼に眠くなってきそうだし、寝るとそれはそれで寝過ごしそうだし……」
なんとも困る時間帯である。
「……あーそういや、風呂入りそびれちゃったんだよね。流石に入らないとまずいし、今入らなきゃ」
そう言って風呂場に繋がる脱衣所に入る。
当然だが如月さんがいるなんていうラッキースケベ展開は無い。勿論期待もしていない。……いや、ホントホント。
「……へんな事考えてないでとりあえずシャワーだけ浴びるか」
そうやって風呂の扉を開けると、昨日も入った広めの浴槽があった。
「この辺も変わりなしだよね。シャンプーがアパートで僕の使ってたのに変わってるけどそれだけかな」
そう言いながら、温度を調節してシャワーを出す。
今は九月で秋に入ってきたとはいえ、まだ気温としては夏に近い。
そんな環境だから寝汗がすごくて、シャワーをかけて洗い流そうとする。
「うへえ、べとべとだったんだな。こうやって流すと汗まみれだって分かるなあ」
念入りに体を洗い、シャワーできっちりと洗い落として風呂を出る。
体を拭きながら今日、この後の事について考えていく。
「婚約者と顔合わせってどういう形でやるんだろう……? 多分、親と一緒に会うんだと思うけど……面倒が無いといいな」
婚約者が急にいるなんて言われるのは理不尽だと僕は思うが、どうせあの親だし拒否権はこちらに無いんだろうという事で過去の僕も認めたのかもしれない。
今、エリスがいない現状からしても、僕に相談に乗ってくれるような知り合いが居るとは思えないし、おそらくだけど家の名を継がせるための都合のいい道具みたいな扱いなんだろう。
うちの両親は自分達の利益ばかり考えている癖に、妙に恩着せがましい。
母親にやられた例で言えば、本買ってやるから一緒に出かけろと買い物に連れていかれた事が思い出されるだろうか。
僕は行きたくもない服屋なんかを三時間以上巡らされ、行きたかった本屋にいた時間は二十分くらいなんて事もあった。
さらにその上で、その「本を買ってやった」事実を基に脅迫するような形で、家事の手伝いをする事を強要してくる。
これが覚えている中だと五番めくらいに不快なエピソードだろうか?
他にもいくらでもあるが、とにかく僕は親の事が嫌いだ。
特に、親の目から離れて暮らすようになって自由に休日を過ごすようになるとそう思った。
「……親の過ごす環境が変わったはずだからマシになってればいいけど、望み薄だよね」
僕は親に会うことを考えると憂鬱になってしまうので妹に会うことを一番の楽しみにして。
そして婚約者の人が気楽に話せるような人、もしくは婚約を破棄するに足るくらいにロクでも無い人間である事を期待していた。
「……エリスに告白された直後だから、婚約なんて考えてられないけどね」
結局その後も不安に駆られるような思考が頭に散発的に浮かんで行くばかりで。
そんな事を考えてばかりいると時間は過ぎるわけで。
のんびり着替えてから部屋に戻るともう五時近くになっていた。
そして、僕が部屋に戻るのとほぼ同時に部屋の外からかすかなドアの開く音が聞こえる。
如月さんが起き出してきたのだろう。
「そっか、しばらくしたらもう実家に向けて出ないと行けないのか」
そうやって思うと早く用意しないといけないという考えが湧いてきて、僕も部屋を再び出てリビングに向かう。
*
リビングに向かうとそこには案の定如月さんが居て、メイド服姿で料理を始めているのが分かった。
「おはようございます。如月さん」
「おはようございます。奈月くん」
二人して挨拶をし合う僕と如月さん。朝から挨拶する相手がいるのは気分が良いものだと、そう実感出来た。
「今日はメイド服なんですね」
「いつもは目立たないよう私服ですから珍しいですよね。今日は家を出て実家に行かないといけないので使用人らしい服を着ています」
如月さんは手際よく朝食の準備を進めて行きながらもそう言った。
今の話ぶりから言うと普段はメイド服以外で過ごしているのだろうか?
「最後にそれ着てたのっていつだっけ?」
如月さんは考え込む様子もなくすぐに答えて来る。
「夏休み、三日くらい実家に戻った時に毎日着てたじゃないですか……まあ実家だと、千早様とほとんど過ごしてましたからね。その前だと、お正月ですね確か」
その言葉から春休みは実家に帰らなかったのだと言う事が推測できた。
こうして引っ越しているから不思議では無いが、やはり両親とは不仲なままなんだろう。
逆に話からすれば、千早とは良好な関係のまま過ごせているのはとても嬉しいと思う。
「千早様に連絡は入れました? 来るのは分かってるでしょうけど、一応しておいた方が安心できると思いますよ」
「あー、そうですね。今やっておきます」
そうやって連絡しようとした時に昨日、連絡先一覧に表示されていた『あなたのためのメイド』という名前があった事を思い出す。
確認の意味も込めて如月さんに確認を取ってみる。
「如月さん……なんで、あんな名前でSNS使ってるの? スパム扱いして履歴消しちゃったよ?」
……おそらく、というかほぼ間違いなく如月さんのアカウントだろうけど、普通に名前でやった方が間違いが無くて良いだろうに。
「む、あんな名前とは失礼な。役割を的確に表した名前じゃないですか。ぷんぷん」
「分かればそれで良いってもんじゃないと思うんですけどね……」
ちなみに昨日の僕はそもそも分かっていなかったわけだが。
それはそうと、僕は妹にメッセージを送ろうと『千早』という名前のアカウントにメッセージを送る。
「ええと、『もう少ししたらそっち向かうね』っと」
普段から人に文章を書くという習慣のない僕は、書くために時間をかけながらも、最終的には最低限の要件だけを伝えるような内容のメッセージを送る。
まだ、朝五時という早すぎる時間だし、流石に返事が来るのも遅くなるだろうとスマホを机の上に置いた時通知が来る。
『気をつけて来てね』
……短文ではあったけど反応が一瞬すぎて、驚く。
『もう起きてたの』
『お兄ちゃんが婚約なんて考えたら眠れなくて、早く起きすぎちゃった』
『別にすぐ結婚するわけじゃないし気にしなくていいよ』
『お兄ちゃんが私とさらちゃんだけのものじゃなくなっちゃう』
僕は知らない名前に戸惑いながら聞き返す。
『さらちゃんって誰だっけ』
『……お兄ちゃんが人の名前覚えないのは知ってるけど、まさか一緒に住むメイドの名前を覚えてないとは思ってなかったよ』
『……すまぬ、すまぬ』
そういえば僕は如月さんの名前を知らない事に何も違和感を持っていなかった事を自覚する。
『まあお兄ちゃんがどこか抜けてるのはいいんだけど』
酷い認識である……などと自分ですら思えず、とても妥当な物だと思えてしまうのが悲しい。
千早はそのまま連投してくる。
『もし酷い女だったら、すぐに逃げてね。お兄ちゃん甘いから正面から相手しちゃうのが心配で』
すぐに逃げろとはなかなかに極端な表現だが、正直なところ一理あると思った。
実際、如月さんを通してではあるが婚約者さんがしっかりとしていなくて、わがままであると言う事は伝えられている。
ひょっとすれば、遊びまわってヤンキー紛いのことばかりをしている人間かもしれない。
『ちゃんと嫌なら自分の意思伝えるって。流石に父さんも母さんもある程度尊重してくれるでしょ』
『そうだといいけどね』
そんな風にやりとりしていると如月さんが朝食を運んでくる。
「千早様と連絡してました?」
画面を見たわけではないのにそうやって言ってくる如月さん。エスパーかな?
……うん、まあ実際にはさっき如月さん自身が言ったのと、僕がこの時間にスマホで文字を打つ理由がそれくらいしかないってだけなんだろうけど。
「そうそう。千早が早起きし過ぎたなんて言ってたからさ」
そうやって言うと如月さんは納得したようにうんうん頷いて喋る。
「まあ、そうですよね。私だって可能なら相手の女を消してしまいたいくらい……」
「怖いよ!?」
「冗談ですよ、冗談」
そうやって明るい感じに喋ってくる如月さん。
しかし、その後にさらに言葉が続く。
「……やってもお茶に毒物が混入しちゃうくらいかな」
「結構な事しようとしてんね!?」
そんな風に無駄にテンションを高くしながら、僕は朝食に手を付けだすのであった。




