第一章 2
※注意※
この章では差別的な表現があります。しかし、決して現実に当てはめて考えないようお願いします。これは創作であって、何かを訴えたいわけでも差別したいわけでもございません。あらかじめご了承の上でお読みください。
十年後。
幼い頃の苦い思い出を夢で見ていたノイドは、武器庫で目が覚めた。
あれから目指していた華々しい騎士街道など全く歩めず、四年間騎士を務めてもまだ平騎士。
それどころか仕事を押し付けられ、パシられる毎日。
そんな時に、守護騎士から降格され、窓際部隊と揶揄される『第十二軍』に左遷されたルテナが『首都勤務の墓守』として戻って来る。
2
「来てくれて助かった」
礼を述べた人物にルテナが軽く会釈する。
コートを脱ぎ、脇の椅子に掛けているルテナは、通常の団員とは異なる物を着ていた。服のデザインは同じなのだが、白ではなく黒で統一され、装飾の糸や紐は銀になっている。腰の武器はさすがに預ける事になったが、布を巻いた棒だけは手元に置いていた。
ルテナは本部の一番広い部屋に通され、その奥に設置してあった立派な机の傍に立つ人物へ視線を上げる。
歳は五十代前半といったところだろう。
刈り上げた金髪は白いものが混じり始め、輪郭の角ばった厳つい顔にも皺が寄り始めている。意思の強い、知性と威厳を感じる青い三白眼の瞳は真っ直ぐルテナを見つめ返していた。
彼こそが最強の騎士団を率いる団長にして、この国の王。
〈騎士王〉ローレンス・フォン・アルマンディンだ。
「ご無沙汰しております、陛下」
「今は団長な」
「……っと、失礼しました」
「すまんな、仕事中の呼び方はちゃんとしておかなければな。ああ、そうそう、危険度から今回の墓守はシックザールのみ。『運び屋』についてはお前の部下のレニー・ナルが担当する。……大丈夫か?」
「はい。任せください」
自信に溢れた凛とした女騎士に、心配で顔を翳らせていたローレンスも一つ頷いた。
「相変わらず頼もしいな。詳細については書類に纏めて『運び屋』に渡してある。生活用品等も彼に頼んでくれればすぐに届けてくれる」
「了解しました」
「おっと、これをやらなくてはな」
ローレンスが若干柔和だった雰囲気が一変させ、机の上に置いていた小箱を手にルテナへ近づいてを真っ直ぐ見据える。
「――第十二軍団員ルテナ・シックザール」
ルテナも軽く背筋を伸ばすと、小箱が差し出され、蓋が開けられた。中には銅色の剣の徽章、隊長の証が入っている。
「貴殿をこれより『スペッサルティン領特別墓地守護部隊隊長』に任ずる」
「お受けいたします」
右手を左胸に手を添えた騎士の拝礼をしたルテナが小箱を受け取ると、ローレンスは快活に笑う。
「一年で戻って来てくれてよかった。アレが馬鹿な事をしてもう戻っては来ないんじゃないかと皆心配していたんだ」
「……むしろ一年で戻ってよかったのかと思っていますが」
「あの『不祥事』は誰もが不可抗力だと分かってる。表向きの体裁で左遷せざるを得なかったが、アレの頭が冷えるまで引き離す意味合いもあった。むしろこちらが謝らねばならぬことだ。本当にすまん。今は落ち着いているし、少しずつ話せればと思ってる」
「あー……そう、ですね……」
ローレンスに謝られ、ルテナは気まずそうに視線を泳がせ、苦い物を噛み含んだ顔をし、話題を変えようと扉へ目を向けた。
「それにしても賑やかですね。何か事件ですか?」
ルテナが来てからずっと、訓練場や本部内では騎士達が慌ただしく走り回っているのだ。今でもドア越しに、騎士達の声が聞こえている。
指摘を受け、ローレンスは眉間の皺を揉み解すように指を置いた。
「む……アレは事件が半分と、問題児の所為……」
言いかけた瞬間、ドアが蹴破らんばかり勢いで開け放たれ、憤慨した女性が入ってきた。
「失礼しますっ! あいつらもう死刑にしちゃいましょうっ!」
物騒な事を言いながらローレンスに近づく女性は、偶然ルテナと目が合う。
ルテナは知っているが歳は十八歳。
金糸のように煌めく金髪を結いあげ、つり上がり気味の大きな瞳は澄み切った空を思わせる蒼。白磁のような滑らかな肌は、今は怒りで頬が上気しているがそれが逆に色っぽさすら醸し出している。顔立ちは人形かと思う程恐ろしく整っており、本当に花も恥じらってしまいそうな美貌の持ち主だった。
すらりと背が高く、胸元に銀の徽章が煌めく、ぴったりとした団服のおかげでスタイル抜群の曲線が良く解る、異性なら放っておかない、同性なら羨ましい女性だ。
彼女はすぐにルテナに気付くと、パッと花が咲き誇ったような明るい笑顔になる。
「あら、ルゥ! やっと来たのね!」
「お久しぶりです、姫様」
首都での親しい者達からの愛称で呼ばれ、にこやかにルテナが返すと、すぐに近寄って来た。
彼女はアルマンディン王国第一王女にして、王位継承権第三位。そして父親と同じく騎士として活躍する第一軍副団長アルミナ・フォン・アルマンディンだ。
喜色満面でルテナの肩を叩いたアルミナは、まるで家族のように話しかける。
「戻って来てくれて嬉しいわ!」
「あたしもお会いできて嬉しいです。……というか、先ほど姫様を見ましたけどね。ゴンドラで来たのですが、船から船へ跳び移ってましたよね? 良い動きをされてました」
「あら、やだ、見てたの? もう……あの二人追いかけるのもクタクタ……あ、そうだわ!」
アルミナは何か思いついたのか、手を叩いてパッと青い瞳を輝かせる。
「ねぇ、墓守隊っていつでも人員不足でしょ?」
「ええ、まぁ……」
「だったら人員ほしくない? あの墓地は一番規模が大きいって話だから何人いても困らないわ。ね、そうでしょ? お父様」
「団長」
「あ、失礼しました、団長。彼女の仕事は年中無休です。女の子にはあまりにも不憫だと思います。あの二人を異動させませんか? ルゥに預けたら少しは懲りるはずですし、あそこならあいつらが好きな戦いが出来ると思います」
慌ててアルミナが言い直すと、ローレンスは思案もせずに即座に顔で首を振る。
「確かに配属という手もあるが、今は駄目だ。あいつらはもう少し墓地が落ち着いてから配属させる」
「? 何かあるんですか?」
「いや……すまんな、ルテナ。こちらでだけ話をしてしまって」
返答が曖昧なままルテナへと話しかけ、ローレンスが苦笑を浮かべた。
黙って聞いていたルテナは微笑を浮かべて首を横に振る。
「いえ……何やら問題のある騎士がいるようですね」
話から推理したルテナに、ローレンスは頷きつつ思わずため息が漏れる。
「ああ、まぁ、話しておくのもいいだろう。実は、第一軍に配属されてる若手の騎士が二人いてな。血の気が多くて困ってる」
「具体的には?」
「その……なんだ、やる気と実力が空回りしてる。今は知っての通り終戦してから一年経った。今まで戦争のために訓練していた節があったからな。戦う機会を逸して有り余った力のぶつけどころが味方に向いてしまっててな」
「……この騒ぎは彼らが?」
「事件の奔走も一応含まれているが、おおむねその通りだ。朝の訓練中に口論からケンカに発展したらしい。二人で合わせて三十人近く怪我をさせてるか。実力があるからこそ、始末が悪い」
すると、ルテナは気にせず感嘆の声を上げる。
「おぉー、三十人はすごいですねぇ」
「ちょっと、すごいで済ませちゃ騎士として国民に顔向けできないのよっ!」
「……失礼しました」
柳眉を釣り上げるアルミナに、ルテナが軽く首を竦ませる。
アルミナも熱くなった事を自覚し、小さく深呼吸するといつの間にかため息に変わっていた。
「こっちこそごめん。実はね、あの二人はラルフさんをすごく尊敬しててね、師匠同然だったの。元々不良っぽかったけど、亡くなった時は誰よりもショックを受けて……それからずっと反抗的な態度なのよ」
「ああ……」
ルテナが眉を下げる。
ラルフ・タングステン。王剣騎士団第一軍軍団長。そして、ルテナとノイドを獣人から救い出してくれた恩人の一人。
それは一年前……ちょうどルテナが墓守隊に左遷された直後のことだ。
十年以上も攻防を続けていた神聖国軍が、十万もの軍で一気に攻め入る大規模な進軍が開始され、あまりの猛撃に撤退。その際に、ラルフは仲間達を守るために殿を務めて戦死した。
彼がいなければ、犠牲者は計り知れなかっただろう。
亡くなった今でも国の英雄だ。
悔やまれるのはその後の展開だった。
実は神聖国の進軍が苛烈になり始め、追い詰められた王国は地図上の上の二国……北西の人間の国『ヘリオドール王国』と北東の鬼人の国『コクヨウ帝国』へ援軍、同盟の要請をしていた。
その答えが来たのが、ラルフの死後だった。
ここからは、会話や行動の一部始終が複数の騎士達によって記録され、歴史にも刻まれることとなっている。もちろん、アルミナもルテナも知っている事だ。
要請を受け、真っ先に手を差し伸べてくれたのはヘリオドール王国だった。彼らは同盟の意思も見せ、三万の兵士を派遣。
それでも二国同盟の五万人で、神聖国軍十万と戦わねばならなかった。幸いなことに初めてのヘリオドールの参戦に警戒して進軍が一時止まっていたところ……ついに戦闘種族・鬼人から使者が来た。
皇帝の返答を持って、戦場へ来たのは、たった二人。
一人は『皇帝の孫・ユウガ』と名乗った赤髪赤眼、黒い角を持つ鬼人で、白い布で胸の前で斜めに重ね合わせ、腰辺りで細い帯で縛るという見たことのない服装に、袖のない朱色のコートらしきものを羽織っていて、腰には細い剣らしき武器を佩いていた。人間・鋼人ともに文字通り見上げるほどの長身の青年だった。
もう一人は小柄な少女だった。といっても、ユウガの隣にいた所為だ。
彼女はすでに人間と鋼人の成人女性とあまり変わらないほどの身長だった。
光沢のある漆黒の長髪を三つ編みにして左肩から前に流していた。服装はこちらはさらに見たことが無かった。緑色の生地に黒い六角形の柄が入った服は、やはり正面で斜めに前を合わせ、袖が横に長い妙に長く、下に垂れている。スカートにも見える黒い幅広のズボンらしきものを穿いて、胸のところまで上げているという奇怪な格好だった。不思議なのは、動物を模したらしきお面をしていることと、こちらに至っては丸腰だったことだ。
彼女はフジュツシ、という聞いたことも無い役職を告げ、『セラ』と名乗った。
その場にいるだけで威圧感も凄まじい皇帝の孫のユウガに兵士、騎士が委縮していると分かり、セラが話しかける。
「皇帝陛下の命により使者兼援軍として参りました」
「あ、あの二人だけ……?」
「はい。あ、ちなみに、戦うのはユウガ様だけです」
しれっと答えられ、二国の軍の代表の指揮官達は絶句する。援軍が、たった一人。そんなの前代未聞過ぎるし、戦争を甘く見過ぎている。
しかし、セラが一本指を立てて彼らの意識を自身へ向けた。
「我々がそちらの返答に遅れたのは、この戦争の原因がなんなのか調べていたためです」
「原因?」
「はい。まずどちらが悪いか。これは明らかに神聖国でした」
「は、はい。いきなり『我々が大陸の覇者だから土地を寄越せ。住民は奴隷として使ってやる』と……男は容赦なく殺され、女、子供は誘拐され……」
十年以上戦う理由の理不尽さを指揮官は噛み締めて俯くと、セラは僅かに見えている口元に笑みを張り付けた。
「腹立ってきました」
「今回は使者役だぞ、セラちゃん。ちゃんとやってくれ」
生暖かい表情で視線を降ろすユウガに注意され、セラは咳払いする。
「失礼しました。で、どうしてそんな事を言い出したのかと思って調べたところ、単なる戦争をする理由付けでした。天の使いとか言ってますが、あれも神聖国が兵士達を教育するための嘘で、戦争をしている本当の理由は、人口過多です」
「え……?」
セラが遥か彼方を陣地にして野営している神聖国軍を一瞥する。バサバサと、彼らの国旗が風になびいているのが小さく見えた。
「ご存知ですか? 獣人ってあらゆる霊力……おっと失礼、こちらでは魔力でしたね。その魔力属性を有して自在に『魔法』とやらを使って、戦闘力も高いですが、種族の中で寿命は最も短命で、二十年から三十年だそうです」
「三十年!?」
人間と鋼人が仰天する。
人間は八十年前後、鋼人は寿命が百二十年前後ほど。鬼人に至っては最長の千年なのだから、あまりにも短すぎる。
「彼らは様々な動物の特徴を持つため、『人』より『獣』に近い。動物並みの寿命かつ、早く成熟して、たくさんの子供を産むことが出来る体質なんです。一度に平均三人は産むそうです。つまり、自分達の性質の所為で、土地が手狭になり、かつ食糧難にも陥ってしまった。だから土地が必要だった。誘拐しているのは子供達の世話をさせるためですね」
「な……」
獣人の特性を全く知らなかった彼らも絶句する。
鋼人は隣の国とはいえ、獣人の種族特性や事情を知る余裕がなかったのだ。
思わず、人間側の指揮官が呟く。
「それならそうと正直に言って救援を要請してくれていれば、こちらもなんとか対策を講じていたのに……」
「ま、まぁ、確かに……こちらも、友好的でいてくれれば交易でもなんでも……」
鋼人側も思わず救援対策を考えてしまうと、ぱちんとセラが手を叩いた。
「おっと。あなた方、善良過ぎですよ。今までの事を全部水に流して助けるんですか?」
「ぐ……」
「あちらは助けを求めるなんて頭にない。原因は略奪する理由を作り、神の使いを自称して信仰心を育て、指揮を上げている為政者ども。兵士も市民も、他種族について学ぼうともせず従って、虐殺を愉しんでる。疑問も持たず、指示待ちなだけの奴らに、同情無用。これが、我ら鬼人の結論です」
お面の奥で、妖しく眼光が煌めく。
「ここからが本題です。我々が戦う条件は一つ。『不干渉』です。帝国側からそちらの二国とは関わったりしないので、そちらも関わってこないでください。いわゆる、『鎖国』を求めます。それを許可していただければ、獣人たちは今後、我々鬼人が『狩場』にし、戦争を起こさせないとお約束します」
「か、狩場? どういうことです?」
「……要するに、強制的に属領にして、大虐殺して、数を定期的に減らすんだ」
指揮官たちの困惑顔を見て、ユウガが容赦なく訳す。
「オレ達はな、千年生きるから、鍛錬のし過ぎで火力が上がり続けるし、特殊で強力な武器もあって、その所有者ともなれば簡単に『本気』が出せねぇ。被害が出過ぎるんだ。鬱憤も溜まるし、腕も鈍るし、良い事がない」
「えっと……つまり?」
「つまり、獣人の国をオレのような奴の羽目を外す場所にして、人口調整として定期的に暴れて、数を減らそうってことだ。オレ達にとっては、とってもいい話ってわけ」
かなり苛烈な事を言われて全員絶句すると、セラが苦笑いする。
「可哀想とか思いました? 獣人に同情はいりません。攻撃してきたのは向こうです。自分達がやってる事をやり返されて文句など言えるわけありません。『狩る側』だと思い込んでる阿呆は身をもって『狩られる側』の気持ちを知るべきです」
「……!」
「条約を呑んでもらえれば、あとはこちらで全部やります。実質帝国の領土が広がる形になってそちらは恐ろしいかもしれませんが、鬼人も問題が解決するし、獣人は人口が減って戦争する必要はなくなる。そちらは脅威がいなくなって、平和になる。全部丸く収まりますよ」
彼女の後押しに、指揮官たちが顔を見合わせる。
あのケダモノたちに同情はいらない。だが、悪いのはそういう教育をした獣人の為政者たちでもある。それに人としての意思もあり、言葉も解する『人種』だ。女も、子供もいて、何も知らずに平和に暮らす者もいるはず。
全部丸投げして背を向けて良いものなのか。
悩む一同だったが、鋼人側の指揮官が複雑な表情だが真っ直ぐセラを見る。
「こちらからも、お願いがあります」
「なんでしょう?」
「誘拐された鋼人たちやその遺品を見つけたら、国に、帰してもらえませんか」
「――もちろんそのつもりでおりました」
セラが頷くと、指揮官は人としての良心をかなぐり捨てて頭を下げた。
「陛下には私からも説得します。お願いします。もう、苦しむ者も悲しむ者も見たくありません。あのケダモノ達を止めてください」
鋼人の被害を思うと人間側も反論できず、伝令を回すほかない。
伝令が回されて数日後、正式に二国の王からも条件を呑むと通達が来た。
その間ずっと同盟軍の野営地を間借りしていた鬼人の二人は、それを聞き届けるとすぐにユウガが行動に出て、腕を回して敵の野営地を見据える。
「一応、停戦交渉はしてみる。これが最初で最後だって念押ししてな。降参するならちょっと狩りは考え直してもいいかもな」
「無理じゃないですか?」
「無理だろうな。じゃ、行ってくる」
まるで散歩に出かけるように、軽い足取りで神聖国軍の本隊の野営地へ行ってしまった。
しばらくして、ごう、という轟音が味方軍まで響く。
地平線に竜巻の如き太さの火柱が上がった。その炎の竜巻が渦を巻き、蛇のような形へ変化し、牙を剥いて地面へ降下。
その蛇が通った後にも炎が燃え上がり、地平線が細長く赤い光に染まり、青い空すらいきなり夕日になったかと思うような赤さで照らされた。
一掃が始まってからセラから聞いたが、アレは『龍』と呼ばれる生物を模したものらしかった。
同盟軍はただただ蹂躙される敵の野営地を眺めるしかない。
あれだけ死者も出して、国の存亡がかかっていたのに、文字通りの圧倒。
その様子を見て、セラが失笑する。
「あーあ……力量の差も分からないか……動物の方がマシだね。おや?」
逃げようとしてるのか、空へ獣人が複数飛び立つ。遠方のため、まるで黒い点にしか見えないが、蛇が通っただけで黒い点が発火し、火の粉が散っていくように落ちていく。
しかし、一部の黒い点が一気にこちら側の陣地へ迫って来た。
一瞬で距離を詰めて来た獣人は鬼気迫る形相で彼らが使う魔法陣を展開する。
「貴様らぁ……! よくもやってくれたな……! せめて一矢報いてくれる……!」
「っ! しまった、防御魔具を……」
油断していた人間の指揮官が指示を出そうとしたが、セラが片手をあげて止める。そして広々とした袖の中から一枚の紙を取り出した。
全員ただの紙切れにしか見えない物で、怪訝な顔になる。
セラは獣人へ紙を放つと、指を二本立てて揃え、小さく唱えた。
「水術守式――幽玄水牢」
刹那、中空でピタリと止まった紙から青い光が放たれ、六角形の亀の甲羅のような模様が半円型に展開され、同盟軍全体を覆い尽くす。
「け、結界か……? あの紙一枚で……?」
人間の指揮官が茫然と見上げて呟く。
人間の王国では、様々な属性の魔力を溜め込む鉱石を利用した道具を作って生活や武器として役立てている。他に国にもその鉱石を使った道具はあるものの、人間ほど日常に浸透はしていない。とはいえ、紙の一枚でこの規模の何かしらの術を扱うというのは、人間でも『あり得ない』という話だった。
同時に獣人の光線や炎が放たれると、結界に当たった瞬間に霧散する。青い結界はまるで水面のような光の波紋が緩く動くだけで割れる様子もない。
「な……!?」
無数の獣人の一斉攻撃に微動だにしない結界に、彼らも驚愕する。
すると、セラが両手を胸の前に合わせる形を取った。結界の青さがさらに増す。
何をしてるのかと思った瞬間、獣人の背後から大きく口を開けた炎の龍が突進してきた。
ゴォォォォォォ!
炎が大気を焼くすさまじい音がした。
獣人たちが炎の中に消え、結界に龍がぶつかる。
炎がうねり、結界全体を覆い尽くし、結界の青さも塗りつぶすほど内部を照らした。
炎の空。兵士も騎士も見たことも無い光景は、『この世の終わり』を想起させたという。
現に、兵士達の中には尻餅を突いたり、蹲って震えたりしていた。
炎が消えると、獣人は跡形もなかった。
彼女も手を降ろすと、結界も掻き消えて、紙も彼女の手元へと戻って来る。兵士が興味本位で覗くと、長方形の紙に何か模様のようなものが書き込まれていたらしい。
「すみませんね。怖かったでしょう。あとで厳重注意しておきますので」
紙を袖に直しながら、かろうじて見える口元に笑みを張りつけているセラに、指揮官達も背筋を伸ばしてしまう。
最初、彼女を『交渉役』に派遣した帝国に疑問だった。
年齢は分からないが、明らかに幼さも残っている。
だが、今ので分かった。きっと彼女は防御面で最強なのだろう。つまり、帝国は攻撃力、防御力の最強格を二人派遣していたのだ。
……二人は必要以上に説明をしていない。ユウガは国で上から十番目の強さで、セラに至っては順位すらついていない。だが、彼らには無用の情報だとあえて言っていなかった。
地平線の炎が消え、静寂が包むと、ユウガが戻って来た。両手には複数の敵軍の首の髪を掴んでぶらさげ、白い軍服らしき服は煤で黒くなっていたが、怪我は見当たらない。
「ただいま。全滅させて来たぞ。歯ごたえなかったけど最大火力出せてすっきりしたぜ」
「ちょっと、さっきのなんですか? 取り逃がしてるし、龍までこっちに来たんですけど」
「十万を一掃したんだから少し取りこぼしたぐらい許してくれよ。それにセラちゃんの結界で平気だっただろ? あ、お詫びの敵将軍の首のお土産」
「いりません。捨てて来てください」
「大将首って貴重なんだぜ? ま、いいけど」
ユウガはつまらなそうに両手を発火させ、全ての首を灰燼にしてしまう。
それを横目にセラは貰った書簡を懐へ入れる。
「ここからは私の仕事ですね。これから陛下に書簡を届けて、神聖国の統治者の……えっと」
「教皇って言うらしいぞ」
「ああ、その教皇とかいう奴を捕まえて、トウショウ閣下達を人口密度の高い場所に送ってきます。みなさんウズウズしてるでしょうから」
「あ、オレも配置してくれ」
「今暴れたばかりでしょうが!?」
さすがにセラもツッコミを入れると、ユウガが口を尖らせる。
「いいじゃねーか。推定人口五千万だろ。半分以下にしないとすぐ増えるぞ」
「五千万……!?」
会話を聞いていた指揮官たちが絶句する。人口爆発と聞いてはいたが、それほどまでに膨れ上がっていたとは。
セラは嘆息すると、ユウガを無視して指揮官達へ振り返る。
「では、私たちは帰ります。もう二度と会うことはないでしょう」
「は、はい……」
「そうそう、お願いされたことですがね。実は誘拐された鋼人の居場所は全員把握してあります。私とユウガ様と入れ違いに、誘拐された人たちがココに来ます。一瞬です。遺体や遺品も見つけてあります。一緒に運んでいいですか?」
「――……!? え、あ……お、お願いします……!」
「はい。ではみなさん、改めて、さようなら。良き人生を送ってください」
セラはユウガの腕に触れ、空いた片手で指を鳴らした。
刹那、二人が掻き消え、同じ場所に数えきれないほどの人々が現れた。
一様に痩せ細り、ボロボロの服を着ていて、絶望の表情をしている。その隣に遺体が入っている麻の袋が無数に、だが丁寧に並べられていて、白い大きな袋も複数置かれていた。
指揮官の願いを聞く前から準備していたようではあったが、何をどうやって運んだのか、分からない。聞きたくても彼女はもういない。
まさしく奇跡のような出来事だった。
その後、誘拐された人々を保護した同盟軍はすぐに帰還。
後日、統治者である教皇は捕縛され、クリノクロア神聖国は正式に停戦を表明し、増援部隊も全て撤退していった。
さらに数日が経ち、いつの間にか『報告書』と記載された紙束が王城の玄関に置かれていた。鬼人からの連絡だった。
それによると、宣言通りに至る所で『狩り』が行われ、獣人の人口は四分の一にまで強制的に減らされた。
捕縛された教皇に神聖国は正式に『コクヨウ帝国の属領』と認めさせ、名前もクリノクロアが長かったのか『クリノ領』と縮められたそうだ。
教皇及び側近達は鬼人の手で公開処刑され、新たな統治者も鬼人が務め、生き残りを再教育するとか。
これにて大陸三国の大戦が、たった一国の介入であっという間に終わった。
戦闘種族・鬼人の恐ろしさをまざまざと見せつけられた一件だ。
条約があるとはいえ、これを機にアルマンディン王国とヘリオドール王国は同盟を維持して交流を深めることにした。この話も大々的に広めて歴史に刻み、鬼人とは不干渉を誓っている。
これによって、現在の大陸は東西に二分された状況になったのだった。
そして、平和になって一年。鬼人の恐怖が少し緩んでから、こんな声が聞こえ出した。
「もっと早く来てくれていれば、英雄ラルフは死なずに済んだのに……」
と。
言っても仕方ないことだが、嘆かずにはいられなかった。
ラルフの副官だったとはいえ、王女の身のため、戦場には出なかったアルミナが、目を伏せてため息を漏らした。
「今は後任でラジーム叔父様が軍団長をされてるんだけど、すごく反発しててずっと難癖つけてるの。ここだけの話、認めてない人はあいつらだけじゃないんだけどね」
「なるほど」
ルテナも肩を持つ事もなく理解を示して頷いた。
ラジームはローレンスの弟、つまり王弟であり、現在の王位継承権は第四位。
悪い意味で話題に事欠かない人物で、ルテナの認識でもあまりいい性格をしていない。権力を笠に威張り散らす典型的な貴族だ。
本来なら王太子の立場だが、若い頃に政務での横領が発覚し、全額国に返した事でなんとか処罰を免れたという事件があったのだ。
ローレンスも流刑や死罪の案も出される中で、家族としての恩情により、政務から引き離し、しばらく蟄居させるだけに留めた。それでも信用がガタ落ちしたのは言うまでもなく、継承権が低いのもそこに理由があった。
反抗的な理由もすぐに理解したルテナに、アルミナは話題を戻す。
「それはとにかく、どうかしら? 雑用でもなんでもさせていいから、力仕事に二人を預かってくれない?」
「力仕事ですか……」
「そう。墓穴掘りでもいいし、死体運びでもいいわ。戦わせてもいいわよ。体力だけはバカみたいにあるから。それに重労働でしょ?」
「まぁ、そうですけど……」
「ね? ね? ルゥは任せて楽すればいいのよ」
アルミナが押し売りのようにして迫ると、ルテナは黙考を始め、その様子にローレンスは不安げに指摘する。
「今は人員をどうこう言ってる場合ではないぞ」
「解ってますが……聞いてると、力を誇示してやさぐれてるのが問題ってことですよね? 要するに、上には上がいることを解らせればいいのでは?」
「……うん、まぁ、少しは丸くなるかもしれんが……」
「だったら、数日だけでも墓地にいれば懲りると思いますよ。そうですね……一週間以内には大人しくなるかと。臨時ということで放り込んでみては」
「む」
ローレンスがルテナの意見に数瞬悩み、失笑して頭を縦に振る。
「君がいいというなら、いいだろう。確かに効果的かもしれん。では一週間臨時で派遣としよう」
「了解しました」
ルテナが一礼して了承すると、成り行きを見守っていたアルミナが喜ぶ。
「よかったわ! これで悩みの種が減るわ」
「――で、その話題のお二人は?」
ルテナが肝心な事を訊ねると、アルミナは苦い顔をした。
「それが捕まえようとしたんだけど撒かれちゃって……。あ、でも、行きつけの酒場があるわ。そこじゃないかしら」
「なるほど。では、アルマンディン第一副団長、案内を頼めないでしょうか?」
「いいわよ。あ、名前はいつも通り『ミナ』でもいいわよ。『アルマンディン姓』は騎士団に四人もいるし。それ、長いでしょ?」
「では、『アルミナ副団長』。よろしくお願いします」
公私混同をしないルテナに、アルミナも思わず失笑するのだった。
はい。『不可思議』主人公登場&獣人戦争終結です。
早々にで悪いのですが獣人は退場になります。この話、戦争の話ではありませんので。
時系列でいうと、『不可思議』本編→一年後に終戦→その一年後がイデアール本編。つまり、『不可思議』視点からは二年後の話となってます。
ユウガは本編で鬼火をほぼ使わないので、ココでお披露目(笑)。
そして前書きの注意書きは、この部分のことでして、差別的要素というは『人種差別』ですね。
書き終えてから読み返し、ふと注意書きが必要だろうと気付きました。注意書きにも記載しましたが、現実に当てはめたり、何かの隠喩とか考えず、あくまでフィクションとして読んでいただきたいです。
獣人は本当に、『敵役』として設定しました。主人公にした話も考えてません。全く深い意味を込めて書いているわけではないことを念頭にいれていただければと思います。




