第二章 4
ルテナから一週間の墓守隊配属を知らされ、ネオとクロムは渋々特別墓地へと行くと、仕事内容を詳しく聞かされる。実際にやってみると、凄まじく肉体労働の過酷な仕事だと痛感させられる。
その一方、ノイドは友人たちとのつかの間の飲み会後の朝、同棲している婚約者エリーゼからルテナについて、女子同士の恋愛話のことを聞く。
4
不良騎士達が墓場に向かっていた頃。
ノイドは本部から十分ほどの小さな二階建ての家で、泥の様に眠っていた。
そこへ大きな影が彼の胸へダイブする。
「ぉぶ!」
胸への衝撃と、続く圧迫感に眠りから無理矢理起こされたノイドは、頭だけ起こし、胸の上の物体を見て再び枕に頭を沈めた。
「ライム~……」
「んなぁー」
名前を呼ぶと、とても低い鳴き声が返って来た。
全体の毛色は白く、ところどころにオレンジのブチがある。白とオレンジの縞模様の尻尾は若干長いが、先が折れているのが特徴の飼い猫ライムだ。首には赤いスカーフが巻かれている。
若干太り気味で、胸の上で丸くなっている十歳の老猫を脇に退かして起き上がる。頭がくらくらしたが、仕事に行かなければならない。
あれからディックとカルシオンの宣言通りに飲みに行き、散々愚痴をお互いに行ってから別れたのだ。おかげで疲労感はあったものの、多少はスッキリした。
「はぁ……」
のそのそと団服に着替える途中で、思わず大きなため息が出てしまう。
もう本部に行きたくない。妹分の話題すら聞きたくない。
ズルズルと重い足取りを引き摺りながらライムと一緒に自室を出ると、香ばしい匂いが漂って来た。
洗面台で顔を洗い、身支度を整えると、鏡の中の自分に、ディックの指摘通り濃い隈が出来ている事に気付いた。気になりだすと余計に目立って見える。
(うわぁ……)
どうしようもないその隈に渋面になりながら、自室の向かい側にある居間に入ると、こじんまりしたテーブルの上に二人分の朝食の準備がされ、窓からは柔らかい風が吹き込んで来ていた。
「おはよう、ノイド君」
キッチンからエプロン姿の女性が出てくる。
チョコレート色の長い髪をハーフアップにしていて、瞳は澄んだ水面を写しこんだような蒼い瞳。鼻筋も通っていて、形のいい小さな唇は淡い桃色。柔らかな雰囲気を持つ、とても美しい女性だった。
名前はエリーゼ・ビスマスといい、下の階にある小さな花屋を経営している。
そして、彼女はノイドを救って殉死した騎士の娘だ。
首都に来て、まずノイドは一緒に運ばれた遺体と共に、亡くなった騎士の家族に会わせてほしいと懇願した。
彼の死を伝えに行く騎士に随伴する形で、花束を持って、家の前まで来た。
あの騎士には奥方と一人娘がいるのだと聞いていた。
しかし、いざ家の前まで来て、体が震えて一歩も踏み出せなくなった。
事情を話すのが怖かった。何と言えばいいか分からなくなる。『あなたの所為よ』と罵倒されて泣かれるのが恐ろしい。
あまりの恐怖に体が強張り、心臓は破裂するかと思う程激しく脈打って、冷や汗が止まらなかった。
様子に気付いた騎士は無理しなくていいと言ってくれたが、そんなわけにはいかない。
平気だと覚悟を決めた事を告げると騎士がドアをノックする。
しかし家からは誰も出て来ず、留守かと思っていた時に、甲高い鳴き声が家の裏から聞こえて来た。
失礼かとも思ったが裏手へ周ってみると、女性と少女が二人で屋根を見上げていた。
視線を追うと、屋根に子猫が蹲って鳴いている。どうやら降りられなくなり、女の手では助けられずに困っていたところだったらしい。
森育ちで身軽なノイドが花束を騎士に預け、屋根に上って救出した。
そして上から少女に子猫を渡すところで声を掛けられた。
「子猫を助けてくれてありがとう。あなた凄いのね」
子猫を抱いて見上げる愛らしい笑顔を向けられた時、周りが輝いて見えた。花があったら本当に恥じらって萎みそうなほど、彼女の笑顔は眩しく美しかった。
その瞬間には、恋に落ちた。見惚れた所為で屋根からも滑って落ちた。
それが、飼い猫ライムと、エリーゼとの出会いだった。
子猫救出のあとに改めて、訃報と共に事情を説明した。かなりの勇気を必要としたが、ルテナに頭を叩かれ恫喝されたことを思い出し、正直に全てを話した。
事情を話した時も、俯くノイドに奥方は静かにこう言った。
「あの人らしいわ。ノイド君、生きていてくれてありがとう。あなたが生きていてくれることこそ、あの人の騎士の誇りは失われなかったわ」
「辛いことなのに言いに来てくれたのね。怖かったことを思い出させちゃってごめんね」
娘のエリーゼも、父親のことよりもノイドを心配する。
彼女達は騎士の家族。戦地へ見送った時点で、いつでも覚悟は出来ていたのだろう。
何一つ責められなかった。むしろ盛大に罵倒してくれた方がよかったかもしれない。感謝さえされて、痛くて辛くて、情けなくて、涙が止まらなかった。
こんな優しい妻と娘がいる人を、自分の身勝手で死なせてしまったのだ。
なんて、取り返しのつかない事をしてしまったのか。
……それから葬式まで出席し、毎年命日には欠かさず墓参りに行っている。
そして、学校が休みの日は、時折奥方にお呼ばれして食事会までする仲になった。
しかし一目惚れしたエリーゼには告白できずにいた。
父親を殺したも同然の自分が、彼女と付き合うなんて許されることじゃない。
そう思い続けて、気持ちを押し殺していたが、エリーゼもまた彼を意識し始めていた。
そんな二人の状況を、恋愛に関しては大先輩である奥方はいち早く気付き、優しくノイドの背中を叩いてこう諭した。
「夫の事、ずっと責任を感じてるんでしょ。私は重荷にしないでほしかったけれど、そう思い続けるのなら……責任とってちょうだい」
本当に、文字通りに背中を押され、ノイドは二年前に告白して恋人になった。
とんとん拍子で、どちらの両親にも認められて婚約している。
父親のハロルドに紹介した時は、ノイドには勿体ない女性だとしきりに言っていた。
ノイドもそう思っている。容姿端麗で家事も万能、性格もよく気配り上手で誰とでも打ち解けられる器量の良い女性だと思う。むしろディックとの方がお似合いなのではとすら最近では思い始めていた。
それから奥方の援助もあって、二階建ての家を借りて同棲も始め、エリーゼは一階を改装して花屋を、ノイドは必死で騎士団で働いているのだった。
傍から見たら、順風満帆のはずなのに……。
「おはよう」
ノイドが軽く返し、作り笑いを浮かべた。
言えない。騎士になったのに、やってる事は雑用ばかりなんて、言えない。
ノイドは席に着く前にエリーゼの足にすり寄っていたライムを見て、猫用の皿に餌を入れてテーブルの近くの床に置いてやるとすかさず近づいていく。
改めてテーブルに向かい合わせに座ると、パンと様々な具材が置かれ、脇には白い湯気を立たせるスープが置かれていた。
二人でパンを取り、好きな具材を乗せていきながら、エリーゼが口を開く。
「ねぇ、ルテナちゃんの事なんだけど、首都には戻って来たけど、墓守隊なのよね?」
「ん? うん。そうだぞ」
「……じゃあ、相変わらず忙しくて会えないわよね」
急な確認に、ペーストを塗っていたノイドが顔を上げる。エリーゼは柳眉を下げてとても不安そうにしていた。
実はノイドはルテナの事を、エリーゼやディックとカルシオンに色んな話を聞かせていた。そしてルテナが学校に来るまでの二年間は、手紙で二人の事をよく書いて送っている。
そのため、エリーゼは本人に会ってみたいと前から希望していたため、ルテナが首都へ仕事に来た時に、いつものように非番で遊びに来るのを狙って対面させた。
紹介した時はルテナは目を点にさせた。
「ノイ兄から女の子を紹介されるなんて思わなかったんだけど」
それから散々おちょくられて腹を立てたが、何はともあれエリーゼとも仲良くやっていた。その日には、二人でお菓子を作っていたほどだ。
その後も、ルテナが休みになるてノイドの所へ行き、二人でエリーゼの家に遊びに行っていた。
女の子同士だから、ノイド抜きで遊んでいたほどだ。
だからだろうか、遠方へ左遷されてからエリーゼはたまに寂しそうにしていた。
「なんだ、会いたいのか? 向こうは忙しいとは思うけど……」
「あ……その……そうじゃなくてね」
ノイドは野菜やハム、チーズを重ねて齧りつきながら聞くと、エリーゼは迷った様子で視線をさ迷わせる。
「……言っちゃっていいのかしら。秘密にしてるみたいだったけど」
「ん?」
エリーゼの歯切れの悪さにノイドが首を傾げる。
「……ルテナに秘密って言われてないなら、言ってもいいと思うぜ。どうせ知られても皮肉の一言ぐらいだろ」
「そ、そう? ……実はね、墓守隊に異動の話が出る直前に、涙目でうちに来たの」
「は?」
涙目。ルテナが泣くところなんてあっただろうか。
「それでね、騎士服も少し乱れてて、明らかに何かあったみたいだったから、落ち着いて貰おうと思って紅茶を入れて部屋で休んでもらったんだけど、その時にね……聞いちゃったの」
「な、何を……?」
「……男の人に押し倒されて、怖くなって殴って、逃げて来たって」
さすがのノイドも食べる手を止めて絶句する。
エリーゼは彼を見て慌てて謝罪する。
「ご、ごめんね、朝に話すことじゃないのは分かってたけど、夜遅くて忙しそうだし、話す時間がなくって……」
「あ、いや。い、いいんだ。大丈夫。それで? 他には何か言ってたか?」
「ううん。ルテナちゃん、押し倒されてパニックになってたみたいで、誰なのかも教えてくれなかったけど、ちょっとだけ……ずっと告白して来ていた相手で、断ってたんだけど、今回強引に押し倒された……って言ってたわ」
「まぁ、人気者だし、憧れてる奴なんてごまんといるしなぁ。他には?」
「他は何も……しばらく一緒にいて、落ち着いたら帰っちゃったの」
「うーん……にしても、そんなことする奴なんて殴るだけじゃ済まないと思うんだけど。逃げることなんてあるんだな」
そもそも守護騎士を押し倒すなんて命知らずにもほどがある。
だからこそ、いつも強気なルテナが涙目で逃げるとは信じられない話だった。
すると、エリーゼは少し責めるような瞳で真剣にノイドを見据える。
「ノイド君。冗談抜きでね、どんなに強い人だろうと、突然男の人に襲われたら怖いものだと思うの。本当に許せるって思える人とじゃないと、嫌なの、分からない?」
「あ、う、うん。そうだよな、軽率だった、ごめん」
「ううん。こっちこそ……まぁ、でもなんていうか、殴ったのを後悔してるみたいだったわ。殴った手を握り込んで震えてたし……」
「そ、そんなことがあったのか……」
「その後なのよ、異動の話。だから襲われた話がきっかけなんじゃないかって思えてならないの」
確かにそう聞いてしまうと予想してしまうのは無理もない。
エリーゼは不安そうに眉を下げた。
「一年で心の疵って癒えるのかしら……墓守隊だから墓地に籠ってるんだろうけど、心配で……」
ノイドも初めて聞く話に返す言葉を失ってしまう。
確かにそんなことがあったのならたった一年で戻って来るのは酷だろう。
女性側からしても深刻な問題だし、少し失言をしているため、尚更何を言えばいいか分からなくなっていた。
すると、エリーゼは話題を少し変えて来た。
「あのね……子供の頃に、ルテナちゃんと恋愛の話になったんだけど」
エリーゼは思い出しながら言葉を選んでいく。
「ずっと前から、好きな人がいるって言ってたの」
「……ずっとか」
ノイドが小さく呟く。
もしかしたら襲われた時に抵抗したのも、他に好きな者がいたからかもしれないと思考がよぎるが、エリーゼの話を聞く。
「でね、その人の事を少し聞いたんだけど、年上で、騎士を目指して一生懸命頑張って、夢を叶えた人なんですって」
「へぇー」
「でも告白はしないって言ってたの。ほら護衛の仕事してるじゃない? それでね『怪我は多いし、あたしは粗暴だし、彼にはもっと女性らしい綺麗な人が相応しい』って……。諦めるつもりなんだけど、会うとどうしてもドキドキして、気になっちゃうらしいの」
「はぁ……そういや前から『将来誰かと結婚して幸せな家庭を築きたい』とか言ってたっけか」
自分と同じく、ルテナも夢が叶わず苦悩しているのかもしれない。あげくに、男に襲われかけるなんて、理想と真逆だ。
ノイドは渋い顔で美味しいパンをかじっていると、エリーゼがジッと何か言いたげに見つめる。
「? どうした?」
「あのね……その片想いの相手って、ノイド君のことなの」
「へ?」
素っ頓狂な声を出したノイドは、彼女の言っていた特徴を思い出すと、確かに自分と当てはまってる事に気付く。
しかし、ノイドは首を横に振った。
「いや、いやいやいや……違うだろ。見た目とか、どんな性格とか聞いてないのか?」
「えっと、見た目は話してくれなかったわ。でも剣のガイストで、いつも自信満々で、注意しても聞かなくって、いつも危険に飛び込んで行って大変だって。悪口に聞こえるけど、話してる時は楽しそうだったわ」
「…………」
思い当たる事が多い気がする。
いや、それ以前に、悪いところばかりで、なぜそんな奴が好きになったのか不思議だ。だがエリーゼと正式に交際を始めてからは、嫌な事があっても、愛おしく思えてしまう。その気持ちと同じだろう。
すると、エリーゼが眉を下げた。
「ルテナちゃんはノイド君の事ってはっきりと言ってないんだけど、その後に気になっちゃってお義母さんに、こっそり聞いてみたの。それで、ノイド君の事が好きなんだって、聞いちゃったの」
「って、なんで母さんが知ってんだよ。……いや、もしかして、オレが気付いてないだけで、村のみんな知ってる……?」
「あの雰囲気はそうみたいよ? ノイド君、結構恋には鈍感みたいだし」
「お、おう……」
さすがにノイドも狼狽え、子供の頃の彼女の将来の夢を改めて思い出した。もしや、『誰かの嫁』とは、自分であり、気付いてほしくてアピールしていたのでは。
昔の自分の鈍感さに頭を抱えたくなるが、エリーゼはそんな心境とは知らず、蒼い瞳を伏せて肩を落とす。
「私……ルテナちゃんの後にあなたと知り合ったのに、横恋慕しちゃったんだわ……その上頼ってくれたのに、何もしてあげられてないし」
「い、いやいや、そんな……!」
悲し気にか細く声を震わせるエリーゼに、ノイドが慌てて取り繕う。
「あー、ほら、告白はしないって言ってたんだろ? 片想いのままでいいって本当に思ってんだよ」
「で、でも……」
「大体、嫌いなら恋バナしたり、頼って家に来たりしないだろ。パニックでも頼ろうとしたってことは、本当に信頼してるってことだ。あいつはお茶らけて皮肉ばっかだけど、陰湿な奴じゃないぞ?」
「う、うん……そうね」
説明しても浮かない顔だったエリーゼは、多少は気持ちが落ち着いたのか微笑を浮かべたため、ノイドはホッと安堵しながら提案する。
「気になるなら、今度会えた時にでも食事に誘ってみるよ。絶対墓地から出られないってわけじゃないはずだから」
「あ、無理をさせたいわけじゃないから、本当に時間が空いた時でいいのよ。ノイド君も訓練や仕事が大変なんだし、無理ならいいから」
「……おう」
訓練すら遅れをとっている役立たずだという事は胸に仕舞い込み、優しさが滲む恋人に微笑み返し、パンを平らげてスープを飲み干す。
ノイドが席を立つと、エリーゼも立ち上がってキッチンから丁寧にハンカチで包んだ弁当を持って来た。しかも三つ。
「はい、昨日飲みに行って驕って貰ったんでしょ? ディック君とカルシオン君にお礼のお弁当作ったから一緒に食べてね」
「おう、ありがとう」
律儀な彼女に微苦笑しながら受け取ったノイドは、ひと時の安らぎの後、一人と一匹に見送られ職場へ向かうのだった。
第二章、終了でございます。
ちょっと3と4は逆でもよかったかな、時系列的に……。
あと、投稿がズレまくるので、金曜に変更させていただきます。誠に申し訳ありません。




