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UnChain  作者: 大垣礼緒
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16/20

■第一章:反転のインジェクション

 金属の軋みが、地下の空気を震わせた。

 ロゼリア基地・実験室。蛍光灯の光が白く滲み、ステンレスの台に並んだアンプルが冷たい輝きを放っている。

 液体の中で、微粒子がゆるやかに脈動していた。まるで呼吸をしているようだった。


 つかさは無言で手袋をはめ、一本のアンプルを取り上げる。

 「……あの錆びたタンクに入ってたものでしょ? 本当に大丈夫なんですか?」

 「心配すんな。七二年式の古株だが、こっちのコードで再構成済みだ」

 芹沢が淡々と答える。

「最新型は中央制御と紐づきすぎててな、打った瞬間に位置も脈拍も本部に筒抜けになる。その点、旧式は“バカ”だから融通が利く。手間はかかるが、自由を得るにはこっちの方が都合がいいんだよ」


 ナノマシンの制御式はすでに再プログラムされており、いまや“旧体制”の残滓はない――はずだった。


 まず、リーダーのキヨシが袖をまくる。

 「おう、順番通りいくで。俺からや」

 針が皮膚を貫く瞬間、微かな青光が腕を走った。

 芹沢が続き、つかさもためらいなく自分の腕に針を立てた。

 その動作は機械のように正確で、まるでこの場全体がひとつの装置であるかのようだった。


 サムと湊が順に呼ばれる。

 「はい次。サム、リラックスしてね」

 「オーケー、先生。こっちのは痛くないタイプで頼むよ」

 軽口を交わしながら、サムは深呼吸をひとつして針を受け入れた。

 微かな温度変化。血流に混じる光の粒。

 湊もそれを真似るように、静かに腕を差し出す。

 針先が皮膚を破る音は小さく、それでいて耳の奥で響いた。


 最後に残ったのは、大杉だった。

 「前に打っただろ、俺は! あれで十分効いてるって!」

 「せやから言うてるやろ、システムが全然ちゃうねんって」

 「ガラスの向こうにいるアイツ! 黒人の姉ちゃん、打ってねぇだろ!」


 芹沢が割って入る。

 「メタは人との接触を好まない。システムが完成するや否や、自ら真っ先に打ったぞ」


 むすっとした顔の蓮の目の前に、一本の糸が垂れた。

 「ほーれ、お前の好きなタバコやぞ〜」

 キヨシが棒の先に糸を垂らし、煙草をぶら下げて見せる。

 「……それで釣れると思ってんのか」

 サムと湊が顔を見合わせる。

 (うわぁ……子供かよ……)


 そのすきに、つかさが一瞬で注射を終えた。

 「はい、完了。お疲れさま、坊や」

 「ひでぇっ!」

 笑い声が小さく響く。

  キヨシが咳払いをひとつして、全員を見渡した。

 「――ほいでもって、今回のナノは元々“戦術プログラム”が組んである。ちゅうてもな、火が吹けるとか、水場の無いとこで龍みたいなもんを操れるとか、そういう異能が付与される訳やない」

 サムが苦笑いを漏らす。

 「そっちの方がロマンあるけどね」

 「アホか。各々の“特性”を伸ばすっちゅう話や。元々の得手を、少しだけ上限突破させる感じやな」


 芹沢が端末を操作しながら続けた。

 「ただ、そのまま流用するのは危険だった。旧体制の制御式は粗いから、リミッターを噛ませてある。それぞれの端末に能力値が同期されてる。……手元で確認してみてくれ」

サムが最初に覗き込み、首をかしげる。

「電波呼応? どういうことだろう? 波乗りってこと?」

「サムは、機械と話せるようになるかもしれんな」冗談交じりに芹沢がぼそりと返す。


蓮は腕をさすりながらつぶやいた。

「お、俺はブーストか。……なんだこの感覚、懐かしいな」


つかさが自分の項目を見て目を細める。

「生体予測と沈静誘導……医療用コードの応用ってわけね」


「俺のは“ハック”か」芹沢が笑う。「まあ職業病や」


キヨシは端末を軽く叩いた。

「精神同期。……チーム全体の安定化プログラムか。まあなにかしには使えるやろ」


湊は最後に端末を手に取った。

しかし、画面が一瞬ノイズを走らせ、淡い光が点滅した。


SYSTEM: error

Name: error

Status: Active

Anchor_ID: Ryo Sinozaki


「……エラー?」

湊が首をかしげる。

サムが覗き込んだが、次の瞬間、画面はすぐ通常のログに戻った。


「バグったか?古い型だしまあこういうことがあってもしゃーねえのか」

芹沢が軽く笑いながら言う。

だが、キヨシと蓮が一瞬、視線を伏せた。

「これ、ほんとに大丈夫なんですか?」

不安げな湊に芹沢が問いかける。

「大丈夫だとは思うけど……再生成してみてみるか?」

そこにキヨシがすかさず割って入る。

「いや、ええ。error code自体は珍しいもんやないでな。このナノではようある話や。それより、皆今後の話やが……」

無菌灯の下、誰も気づかないほどの一瞬――

アンプルの底で、ひとつの粒子が赤く瞬いた。

 それと呼応するように、サムの視界の奥でノイズが弾けた。

 頭の中の砂嵐が、ふっと途切れる。

 雑音の奥で、誰かの声が――。

 『――こちら、結乃。サムくんたち聞こえる?新大久保のブラックデビルの街から今脱出した。こっちは、問題ないわ。でも、戻るにはかなりの時間がかかりそう。道は塞がれてるみたい。南から、迂回する。みんな、気をつけて。私はここに残る。Bẫy đấy』

 ――一瞬にして、記憶が蘇った。

 あの朝、旧式端末から流れたノイズ混じりの声。

 湊が「バイバイか」と呟き、朝日が差し込んだ、あの光景。

 それが今、ノイズのない“完全な音声”として頭の中で再生されていた。

 「……あ……!」

 サムの肩が跳ね、キヨシが振り向く。

 「なんや、どしたんや」

 「ノイズが……頭の中で、ノイズが晴れたんだ! 結乃さんの無線……!“欠けた音”が、脳内で補完されて繋がった」

 湊が眉を寄せる。

 「また“あの声”か?」

 サムは無線機を掴み、震える指でダイヤルを回した。ノイズが重なり、波形が跳ねる。

 『……Bẫy đấy……』

 その音は、まるで日本語の「バイバイ」のように響いた。

 だが、サムの顔は凍りついたままだった。

 「……違う。これ、ベトナム語で――“罠だ”って意味だ」

 キヨシが眉を上げた。

 「君はタイ出身やないっけか? なんでベトナム語を?」

 サムは一瞬だけ黙り、ゆっくりと無線を見つめた。

 「……俺、結乃さんには“技能実習生”ってだけ話してた。だからきっと、俺がベトナム人だと思ったんだ」

 彼の声は低く、少し掠れていた。

 「日本に来た頃、港で同じベトナム人の連中と働いててさ。

  夜勤明けに、よく冗談で言ってた言葉があった。

  “Bẫy đấy”――危ないときに使え、って笑ってたやつ」

 彼は少し目を伏せ、静かに息を吐いた。

 「まさか……それがここで役に立つとは」

 湊が呟いた。

 「つまり、結乃さんは……あえてその言葉を?」

 「そう。俺にだけ届く言葉で、“罠だ”って伝えようとした。でもノイズで掻き消されて、気づけなかった。……ミスリードが、綺麗に合致したんだ」


 室内の空気が、一瞬で変わった。

 芹沢が息を詰め、蓮が無言で目を見開く。

 「罠……?」

 「結乃さん、言わされてたんだ」

 サムの声は震えていた。

 「後ろに、誰かいた。呼吸音が混じってた。“続けろ”って……小さく聞こえた」

 無菌灯の光が金属に反射し、部屋の白が冷たく歪んだ。

 「……サム。もう一回、全文を思い出せ」

 キヨシが腕を組んだまま、低く言った。

 「つまり――逆やな」

 「“問題ない”は“問題あり”……“南から迂回”は“南に行くな”」

 湊が続けた。

 「“ここに残る”は、“もうここにはいない」

 芹沢が息を呑んだ。

 「……全部、反転してる可能性があるということか」

 サムは無線機を見つめながら呟いた。

 「“Bẫy đấy”……あれは、“逆に読め”っていう暗号だ。

  そして――まだ、生きてる」

  誰も言葉を発せなかった。

 冷たい沈黙が、無菌灯の光とともに降りてくる。

 湊が、静かに拳を握った。

 「……結乃さん、今どこにいるんだ」

 サムは無線を見つめたまま、かすかに首を振る。

 「わからない。けど……少なくとも“ブラックデビルの街”には、もういない」

 蓮が目を細める。

 「なら、どこへ行った」

 「それを探るしかないな」

 キヨシの声は低く、淡々としていた。

 「芹沢、通信履歴と波形の発信元を割り出せ。座標が出たらすぐ報告や」

 芹沢が端末を覗き込み、頷く。

 「ログの残留パターンから見て、信号は“新大久保地区”で間違いない。だが――」

 「だが?」

 「十時間前に、一帯の通信網そのものが切断されてる。なんか変だぞ」

 「それでも行く」

 サムの声が割り込んだ。

 湊が振り返る。

 「サム……」

 「彼女の痕跡があるなら、確かめたい。何が起きたのか、俺たちが知らなきゃいけない」

 キヨシはしばらく沈黙し、ゆっくりと立ち上がった。

 「ええやろ。調査班は少数精鋭や。サム、つかさ――お前らで行け。湊はまだ万全やないから今回は基地待機。芹沢の補助として通信支援を頼む。蓮は近くでトラック待機。皆相違はないか?」

 湊が小さく頷く。

 「了解」

 「出発は夜明け前。……現場には、まだ“罠”が残っとるかもしれん。気ぃ抜くなよ」


時間だけが、ゆっくりと流れていた。

 ロゼリア基地の廊下には、冷却ファンの低い唸りと、外気を取り込むダクトの風音だけが響いている。


 湊は、まだ熱の残る端末を見つめていた。

 画面には、すでに通常ログが戻っている。

 いつもの診断コード、いつものシステムステータス。

 ……それなのに、どこか違和感があった。


 ほんの一瞬、ノイズが走った。

 その後すぐに自動修復が入って、画面は何事もなかったように整った。

 だが湊の中には、妙な引っかかりだけが残っていた。


 “エラー”という単語。

 芹沢が笑って流したこと。

 キヨシが、それを妙に早口で話題を変えようとしたこと。

 全部が、わずかに噛み合っていない気がした。


 気のせいだろう――

 そう思って息を吐いたが、胸の奥のざらつきは消えなかった。


 端末を閉じ、背を伸ばす。

 廊下の照明が反射して、床のステンレスに淡い光を走らせる。

 湊は一度だけ後ろを振り返った。

 モニタに映る緑の文字列が、なぜか一瞬だけ、血のように赤く見えた。


 格納庫の照明が点き、床を這う電磁搬送ラインが静かに光を放つ。

 サムが防弾ジャケットを締め、つかさがナノ医療パックの起動テストをしていた。

 蓮はAIトラックの前で、パネルを開いて中のモジュールを覗き込んでいる。

 「リチウムセルか……随分古典的な作りだな」

 「元は中南海のものや。多分おたくらのところのお古やに」

 キヨシの声が格納庫に反響した。


 「……こりゃ、早出手当でもつけて貰わなきゃ割に合わんぞ」

 蓮がぼやくと、つかさが小さく笑った。

 「蓮さんが頼みの綱なんですから、頑張りましょ」

「足だけやけどな」

 「頭は……?」

 サムが横で肩をすくめた。「熱いお湯にキレるおっさんの頭なんてたかがしれてるような……」

「あ、てめ、言った!言いやがった!!」

 ――けれど、その軽口の裏に、焦りのような硬さがあった。

 湊がゆっくりとサムに近づく。

 「サム、寝てないだろ」

 「寝られなかったんだよ。鼻づまりがひどくて……と言うのは嘘。まあ、大体わかるでしょ」

 「わかるよ。でも、焦っても仕方ない。……無茶だけはするなよ」

 サムは短く笑った。

 「あ、これが死亡フラグってやつか」

 「縁起でもないこと言うなよ」

 そう返しながらも、湊の目はどこか曇っていた。


「通信系の再ルート確保完了。……大杉、なんかあったら頼むぞ」

 「了解」

 「サム、トラックの電源系は?」

 「AI制御はバッチリ正常。充電率八十六パーセント、行きは余裕っす」

 「帰りも余裕で頼むで」

 キヨシは短く息をつき、全員を見渡した。

 「……結乃ちんは、まだ生きとる。こんなことで死ぬようなたまやない。でも油断するな、やつらが通信を遮断しよるっちゅうことは、とてつもないことをやっとるにちがいない。気ぃ引き締めや」

 その言葉に、その場にいたみんなが頷く。

 静寂の中、基地の外気口の先で夜がわずかに明けていく。

 空は鉄色に滲み、遠くの街灯が一つ、また一つと消えていった。

 AIトラックのサイドランプが点灯し、金属の床を柔らかく照らす。


 機械音が静かに鳴り、AIの冷たい声が車内に響いた。

 《目的地を設定してください》

 「新大久保地区。ブラックデビルの拠点跡だ。新宿方面は避けて西側からのルートで頼むよ」

 サムの声は低く、しかし揺らぎはなかった。

 《確認しました。出発します》

 車体の下で駆動ユニットが唸りを上げ、滑るように動き出す。

 シャッターを開くと外はすでに白み始めていた。

 廃れた高層ビルの隙間から差し込む朝日は、湿った道路を金色に染めていた。


 AIトラックは音もなく停車した。

 新大久保から少し離れた住宅街の、細い裏通り。

 かつては商店の並んでいた通りも、今はシャッターが閉じられ、草がアスファルトを突き破っている。

 「ここで降りよう」

 サムがドアを開け、湿った朝の空気を吸い込んだ。

 「蓮さんはここで待機ですね。何かあったらすぐ無線を入れます」

 「了解。……気ぃつけろよ」

 蓮は短く答え、シートを倒して端末を起動させた。

 トラックのエンジンが静かに停止する。

 二人は並んで歩き出した。

 細い路地に入り、ひとつ角を曲がると、遠くに新大久保の駅前ビル群が見えた。

 朝の光の中で、ビルのガラスがまるで氷のように輝いている。

 つかさが軽く息を吐いた。

 「なんか、遠足みたいだね」

 「お、つかさっちがそんなこと言うなんて珍しいね」

 「アンタが珍しくテンション低いから上げてるんでしょ」

 サムは少しだけ笑った。

 「……そうかもな。ありがと。俺らしく全開で行かせてもらうよ」


そんなやり取りをしながら、二人は裏路地を抜け、新大久保の中心へ向かった。

 思った以上に街は生きており、かつての歓楽街は、今や光の街になっていた。

 ビルの外壁にはホログラムの看板が並び、空中に浮かぶハングルが風に揺れるたび、

 光粒のように分解しては再構成されていく。


 ふと上を見上げる。

 “서울 본점(ソウル本店)”“AI포차(AIポチャ)”“24H미용실(24時間美容室)”――

 どの看板もLEDではなく、空間投影式の立体映像だ。

 路地裏には、バッテリー駆動の自動屋台が並び、

 串焼きやトッポッキの湯気が電子広告の光と混ざり合っていた。

 自動走行の配達ロボットが、湯気の立つパックを抱えてすれ違った。

 「……これが“ブラックデビルの街”の外縁か」

 つかさが周囲を見回す。

 「昔のままじゃないね。完全に再開発されてる」

 「いや、再現って言ったほうが近いかもな。人工的すぎる」

 サムは空中に浮かぶ看板を見上げた。

 まるで街そのものが、誰かの“記憶”を模して作られたようだった。

 そんな中、サムの腹が鳴った。

 ぐぅ――と妙に響く。

 つかさが目を細める。

 「……何の音?」

 「腹だよ。だってさ、朝から何も食ってないし」

 「任務中よ? 何言ってんの?」

 「“腹が減っては戦はできぬ”だよ」

 「どこで覚えたのよ、そんな日本語」

 ぐ~。

 今度は、つかさの腹が鳴った。

 サムがにやりと笑う。

 「ね?」

 「……いいにおいがしてるから仕方ないね。入ろうか」

 「そうこなくっちゃ!」

 二人が立ち止まった先にあったのは、

 古びたレンガ造りの建物――「청명분식」。

 ホログラム全盛のこの街で、唯一、光ではなく“手書き”の看板が掲げられていた。

 湯気とスープの匂いが、静かに流れ出している。

 「……なんか怪しくない?」

 「こういうところの飯が一番うまいんだよ!」

 サムが扉を押し開けた。

 チリン――とアナログなベルの音。

 中は驚くほど静かで、外のネオンの喧騒が嘘のようだった。

 「어서오세요(いらっしゃい)」

 湯気越しに、おばちゃんが笑顔で迎える。

 その瞬間、ふたりの緊張はほんの少しだけ、ほどけた。


 壁にはメニュー札がずらりと並び、テーブルには使い込まれたタブレット端末が一台ずつ。

 サムは端末をいじりながら、嬉しそうに声を上げた。

 「お、チョゲグクスある!」

 「なにそれ?」

 「冷たい鶏出汁の麺だよ。ほら、見ろよこの透明感。心が洗われる感じだ」

 「……あんた寒くないの? 見てるだけで凍えそうなんだけど。それに薄着だし」

 「いやいや、ほら小学校の頃いたでしょ? 真冬でも半袖短パンのやつ」

 「いたけど、あれは“バカ”って呼ばれてたわよ」

 つかさは呆れ顔のまま、タブレットを適当にタップした。

 「じゃあ私はこれで」

 「お、いいね。……って、それ――」

 数分後、湯気を立てて鉄鍋が置かれた。

 真っ赤なスープ。牛骨の香り、唐辛子、ニンニク、内臓の匂い。

 つかさが固まる。

 「……ぎょええっ!? な、なにこれ!?」

 「ヘジャンクッ(해장국)だな。二日酔いスープ。酒飲んだ翌朝の定番」

  数分後、鉄鍋が置かれた。

 真っ赤なスープの中で、何かがゆらりと揺れている。

 黒っぽい塊――ゼリー状のソンジ、そして蜂の巣のような白い肉片ハチノス

 見た目の破壊力に、つかさが顔をひきつらせた。

 「……これ、なに? 内臓……?」

 「うん、まあそれは、ソンジ・ヘジャンクッ。血と胃袋のスープ。栄養満点らしい」

 「栄養以前の問題でしょ!?」

 「酒飲んだ翌朝に効くみたいだよ…」

 「えぇ…二日酔いの朝には重くない?」

 恐る恐るスプーンを口に運ぶ。

 ――沈黙。

 つかさの眉がゆっくり上がった。

 「……おいしい」

 「は?」

 「深い……。血の甘みって、こんなに優しいの……?」

 「う、うそだろ。異国民の俺でも、ちょっときついかな……」

 気づけば、つかさはバクバク食べていた。

  そこへ小鉢が次々に並べられる。

  キムチ、ナムル、豆腐、ゼンマイ、そしてウズラの卵のしょうゆ漬け。

  テーブルが埋まり始め、つかさが慌てた。

  「ま、待って! これ、頼んでないです! 頼んでないです!」

 サムがスープを啜りながら、さらっと言った。

 「これはサービスだよ」

 「……サービスって量じゃないわよこれ!」

 つかさがスプーンを置いたそのとき、店の隅からかすかな声が流れてきた。

 壁に掛かった有機ELディスプレイ――もう今では珍しい、平面式の旧世代パネルだった。

 端は薄く焼け付き、緑の色素がかすかに滲んでいる。

 光がところどころ歪み、映像の輪郭が揺れて見えた。

 けれど、そこからこぼれる音声はどこか“生”だった。

 ドン、と遠くで低い衝撃音が響いた。

 店のガラスがわずかに震え、吊るされた照明がチリ、と鳴る。

 「……今の、地震?」

 つかさが顔を上げる。

 サムは耳をすませ、すぐに首を振った。

 「違う。……爆発だ」

 外ではホログラム看板がちらつき、

 AIポチャのネオンが一瞬だけノイズを走らせた。

 次の瞬間、店の隅の有機ELディスプレイが自動で点灯し、無機質な報道音声が流れ始めた。

 〈速報です。午前八時二十七分ごろ、“旧都庁”として知られるアイスブラスト社本社ビルで大規模な爆発が発生しました〉

 〈現場周辺では通信遮断が発生、AIネットワークおよびナノ制御システムが不安定な状態にあります〉

 映像の中で、ビル群の一角が崩れ落ち、黒煙が空へと昇っていた。

 〈現在、原因は調査中。テロの可能性も否定できないとのことです〉

 「……アイスブラスト本社って…あの?」

 サムのスプーンが止まった。

 つかさが小さく息を呑む。

 「……旧都庁……あそこ、南じゃない?」

 サムは黙って頷いた。

 画面の中で、爆煙が朝の光を遮るように広がっていく。

 その瞬間、映像が途切れ、赤いエラーコードが一瞬だけ画面を走った。

 『SIGNAL_LOST──』

 店内が静まり返る。

 「……行かなきゃ」

 「だな。ごちそうさん!」

 二人は慌てて残りをおなかに詰め込んで、レジ端末の前に立つが反応しない。

 「……サム、私たちナノ遮断してるの、忘れてない?」

 「……つまり?」

 「……ナノ遮断してると、生体IDが通らない」

 「……というと?」

 「つまり、支払いができない」

 「しまっったああああああ!」


 ――プツッ。

 突然、旧型端末の画面が青く光り、無線が割り込んだ。

 『そんなこともあろうかとだ。その端末、少額ながらクレジット残してある。使え』

 芹沢の声だった。

 サムが目を見開く。

 『……聞いてたのかよ!』

 『あたり前だ。任務中に飯屋に入るやつなんて、お前らぐらいだ』

 『えっ、でもそれじゃ居場所バレませんか?』

 『安心しろ。その端末は対策済みだ。海外サーバ経由で擬似ノードを噛ませてある。決済しても追跡はされん』

 『便利屋さんね』

 『便利屋って呼ぶな。俺は技術屋だ』

 『はいはい、助かりました、技術屋さん』

 『……それと、気をつけろ。通信ログが乱れてる。

  現場周辺のネットワークが、まるで“意図的に書き換えられた”みたいに――』

 プツッ。

 通信が、突然途切れた。

 端末の表示は青から赤に変わり、わずかにノイズを走らせて沈黙する。

 サムとつかさは顔を見合わせた。

 「……聞こえた?」

 「“書き換えられた”って、どういう意味だろう」

 「どっちにしても、こっから先は気をつけないとな」

 二人は短くうなずき合い、店を出た。

 外はすでにざわついていた。

 人々の会話、遠くのサイレン、そして上空を横切る警備ドローンの羽音。

 ホログラム看板の色がくすみ、街全体のシステムが不安定に点滅している。

 “AI포차”の文字が風に揺れ、赤と白を交互に瞬いた。

 つかさが空を見上げる。

 「……黒煙、南から流れてきてる。風向きもおかしい」

 「風じゃない。……吸い上げられてるんだ」

 「吸い上げ……?」

 サムは一瞬だけ目を細め、黙り込んだ。

 遠く、アイスブラスト本社――旧都庁の方向に、異様な光の筋が立ち上っていた。

 「行こう」

 「……うん」

 二人は人波に紛れるように歩き出した。

 朝の雑踏の中で、彼らの足音だけが妙に軽く響いていた。


最近気づいたのは、朝起きた時雨が降ってるとなんか妙にテンションがあがってコンビニに出かけたくなることです。


アンニュイな気分を引きづりながら、朝を過ごすというのは心地の良いものですな。


忙しくなる前のつかの間の休息。


そして足元にはゴリラのひとつかみ。


これ、結構効くんだよねぇ……

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