■第十章:降り注ぐ灰と麻酔の香り
風が、燃えていた。
灰が舞う新宿の夜、展望デッキの鉄柵がギシリと鳴る。
その中央で、二人の男が対峙していた。
サムは、腰のガイ・ヤーンをゆっくりと引き抜く。
黒いワイヤーが空気を裂き、金属の鞭のようにうねった。
対する伊藤玄馬は、ただ一歩、前へ出る。
拍車のフリントが地を擦り――火花が、咲いた。
「……すげぇな、その靴燃えるのか」
サムが苦笑する。
玄馬は煙草を咥えたまま、淡々と答えた。
「燃ゆる乱脚、焔返り――“ほむらがえり”。」
その言葉と同時に、炎が玄馬の右脚を包んだ。
ブーツが唸り、空気が裂ける。
炎を纏った蹴りがサムの頬を掠め、熱風が頬を焼く。
「いきなりフルスロットルかよ!」
「加減して勝てるほど、世は浅瀬ではない。鶴は山にも還らずだ」
玄馬の声は低く、風よりも鋭かった。
サムはガイ・ヤーンを鞭のように振るう。
しなった金属が弧を描き、玄馬の肩口を打つ。
電光が弾ける。
だが玄馬は怯まない。
次の瞬間、体が沈み、焔返りの二撃目――回転蹴り。
爆ぜる火線。灰が燃え、夜が紅に染まった。
鞭が閃き、炎が返す。
金属音と爆ぜる音が交差し、展望デッキはまるで祭壇のように明滅した。
サムの頬に一筋の血。玄馬の袖が焦げ落ちる。
どちらも、一歩も引かない。
「これが……おっさんの本気か!」
サムが叫び、ガイ・ヤーンを床に叩きつける。
反動で身体を跳ね上げ、勢いのまま玄馬の顎を狙う。
だが玄馬は受け流すように踏み込み、
「……風を掴む拳は虚ろを殴る」
膝が突き上げられ、サムの腹に深くめり込んだ。
「ぐっ……!」
肺の奥が焦げるように痛い。
視界が滲む。
それでもサムは笑った。
「……アンタの言葉、マジで意味わかんねぇ。でも、音だけは胸に残る」
「それでいい。言葉は届くより、響く方が強い」
玄馬の蹴りが止まる。
燃える拍車の光が、夜の灰の中で消えていく。
灰の向こうで、玄馬がゆっくりと上着の袖を捲った。
肘まで黒光りするグローブが露わになる。まるで生き物のように表面が脈動し、うっすらと赤熱していた。
「……何だそりゃ」
サムの眉が跳ねる。
玄馬は煙草を咥えたまま、口元で小さく笑った。
「火に耐え、火を語る。――焔導式耐熱打撃装甲。職人の浪漫だ」
拍車が鳴る。
火柱が脚から走り、肘、拳へと流れ込む。
グローブの内部で微かなガス音が弾け、鈍い衝撃が空気を震わせた。
次の瞬間、玄馬の拳が淡く輝いた。
赤熱した拳が、まるで血を吸った鉄のように鈍く光る。
「――炎魔・大殴」
拳が振り抜かれた瞬間、世界が歪む。
空気が爆ぜ、金属が軋み、展望デッキ全体が振動した。
サムは咄嗟に身を捻るが、爆風が背中を叩き、鉄柵に叩きつけられる。
「がっ……!」
肺の中の空気が焼け、喉の奥が鉄の味で満たされた。
玄馬は一歩、二歩と進み出る。
拳が唸り、赤い火線が螺旋を描く。
「詩は形を選ばぬ。拳もまた、語りのひとつだ」
「詩のくせに……っ、物理すぎるだろ……!」
サムはよろめきながらガイ・ヤーンを振り上げた。
鞭が火線を切り裂き、電光が散る。
だが玄馬の拳は止まらない。
炎の奔流が空を裂き、視界が真紅に染まる。
「ちくしょう、マジで地獄だな……!」
「地獄もまた、詩になる」
拳が二度、三度。
爆ぜる度に床が裂け、金属が歪む。
サムは吹き飛ばされながらも、腕にガイ・ヤーンを巻き付け、地を這うように立ち上がる。
「……あいにくだが、俺もバカじゃねぇんだよ」
ガイ・ヤーンに残った電流が火花を散らし、鞭先に閃光が灯る。
「喰らえよ、詩人のおっさん!」
鞭が走る。
雷鳴のような音と共に玄馬の炎を裂き、左肩を焼いた。
焦げた布と血が一瞬、混ざって舞う。
玄馬が、初めて動きを止めた。
「……なるほど。雷は火炎に勝る、音のわかる奴だ」
「ハァ……ハァ……響いたかよ……」
玄馬はうっすらと笑う。
「少しだけ、な」
焦げた匂いが夜を裂いた。
玄馬は焦げた左肩に手を当て、わずかに笑う。
「……悪くない。雷の詩も、案外、燃える」
「ハァ……ハァ……こっちはシャレになんねぇけどな……」
サムは膝をつきながらも、笑って見せた。
火と煙が渦を巻き、展望デッキの床が赤く脈動する。
その中心で、玄馬の靴の拍車がもう一度鳴った。
――ギィン。
今度は腕だけでなく、背中までもが赤く染まった。
カグツチが唸り、空気が燃焼音を上げる。
「“炎魔大殴・双殴”。炎は二度繰り返す」
玄馬の声は静かだった。
詩を朗読するように、重く、美しく。
炎が脚から拳へと流れ、身体全体が白熱の残像を残す。
「おっさん、それ……もう人間の色じゃねぇぞ」
「詩人は、人である必要がない」
瞬間、玄馬の姿が掻き消えた。
――爆ぜた。
拳が二度、三度と叩き込まれる。
爆風が鉄骨を吹き飛ばし、床が剥がれ、サムの身体が宙を舞う。
時間が伸び、音が遠のく。
赤い火線の中、玄馬の姿がぼやけて見えた。
その眼差しは、怒りでも憎しみでもない。
ただ、静かな詩の終わりを見届ける者のようだった。
サムは床に叩きつけられ、肺の中の空気がすべて吐き出された。
肋骨が折れる音がした。
動かない。立ち上がれない。
だが、それでも――
「……なぁ、詩人。俺の“音”……届いたかよ」
玄馬が静かに拳を下ろす。
炎が消え、夜の風が灰を運ぶ。
「お前の響きは、確かにここに残った」
そう言って、玄馬はカグツチを外し、灰の上に置いた。
沈黙。
やがて遠くでブーツの音が響く。
低く、重い足取り。
煙の帳の向こうから現れたのは――大杉 蓮だった。
「……ずいぶん派手にやったな、伊藤」
「大杉ぃ。会いたかったぞ」
「…やるのか?」
「いや今、お前とやり合うのは分が悪い」
玄馬は肩を押さえながら、短く笑った。
「こいつ、タフだな。……お前の弟子か?」
蓮はまっすぐと玄馬のほうを見ながら、倒れたサムの傍に膝をつく。
「いや、だが仲間には違いない」
玄馬は口の端を上げ、灰の中に消えていった。
風が止み、灰が雪のように降る。
蓮は黙ってサムを背負い上げ、ぼそりと呟いた。
「――よくやった。今はゆっくり寝てくれ」
展望デッキの照明が一つ、また一つと落ちていく。
残るのは、焦げた鉄の匂いと、消えゆく火の粉だけだった。
その頃、別の区画では――。
――A棟前・広場
「……つかさちゃん、あなたは私を撃つことはできない」
采女の声は、驚くほど優しかった。
「その優しさが命を奪う。あなたが誰かを“助けたい”と願うたびに」
「っ……!」
つかさの瞳に揺れる光が、怒りとも涙ともつかない震えを帯びた。
「それでも、私は撃ちます。あなたを止めるために」
乾いた音が鳴った。
ナースバスターⅡの銃口から閃光が走る。
テイザーが直線的に飛び、広場の霧を切り裂いた。
だが――。
采女の体が流れるように傾く。
わずか半歩。
弾丸が空気を掠め、背後の壁に白い火花を散らした。
「っ――!」
采女が身を翻す。
電撃が空気を焦がし、床の金属片に火花が散った。
「反応速度、悪くないわね」
采女は微笑んだ。その表情に温度はない。
白衣ではなくスーツ。だが、背筋の伸びた姿勢は昔と変わらない。
「テイザーなんておもちゃで、私に勝てるとでも?」
「勝ち負けよりも、先生は誇りを忘れたのですか?医療に携わる者として、どうかしています」
「必ずしも医療が人の命を救うものとでも?時に奪うことも、人のためになることがある。忘れたわけじゃないでしょう」
「先生……やめてください。今のあなたは――」
その言葉を遮るように、采女が一歩踏み込んだ。
目にも止まらぬ速さ。
刃が閃き、つかさの腕をかすめた。
「っ……!」
すぐに麻痺が走る。腕が自分のものではないように重く沈んだ。
「麻痺毒。あなたの調合したものよ。懐かしいでしょ?」
采女の声はどこまでも静かだ。
「それは、患者様のために……」
「“使い方”が違うだけ。命を繋ぐか、絶つか。それを決めるのは道具じゃない、人間よ」
つかさは唇を噛んだ。
震える指でトリガーを引く。
青い閃光が采女の胸を撃ち抜く。
火花が散り、采女が一瞬たたらを踏む。
「……やった……!」
だがその喜びは一瞬だった。
瞬間、スーツ下の導電パッチが青白く発光し、電流を逃がす。
それでも残った余波が采女の筋肉を跳ねさせた。
采女は迷いなく注射器を首筋へと刺す――。
「……筋反応抑制剤。電撃は効くけど、止められはしない」
呼吸を整える采女の声は、相変わらず穏やかだった。
動揺していたつかさの胸に、冷たい恐怖が走る。
膝が震える。
麻痺は肩に、背中にまで広がっていた。
采女は歩み寄る。
ナイフを下段に構え、点穴を突くように軽く前に突き出した。
「ひっ……!」
衝撃と共に、足の感覚が消えた。
もう一撃。
腕。動かない。
「これが“現実”よ、つかさちゃん。あなたの手技は救うためのもの。奪うことには向かない」
それでも――つかさは退かなかった。
歯を食いしばり、片膝を立てて采女の手首を払う。
「……まだ、終わってません……!」
痺れた手で、懐から最後のアンプル弾を取り出す。
反射のように撃つ。
弾丸が采女の脇腹をかすめ、薬液が染み込んだ。
「……っ」
わずかに采女の動きが鈍る。
だが次の瞬間、彼女は無表情のまま再び注射器を突き刺した。
「立ち直るのが早いのも、医者の性分よ」
「なんで……先生……どうして……!」
涙がこぼれた。
采女は一瞬だけ瞳を伏せ、そして、静かに告げる。
「――私がここで終わらせる」
ナイフの刃先がつかさの喉元に触れる。
薬液が微かに滴り、鉄の匂いが夜気に混ざった。
その時だった。
――ピッ。
ごく小さな電子音が、采女の体内から響いた。
耳の奥にだけ届く、鋭い信号音。
彼女の瞳が一瞬だけ揺らぐ。
「……まさか」
独り言のように呟くと、采女はナイフを引き、静かに立ち上がった。
その表情から、感情というものがすっかり抜け落ちていた。
「つかさちゃん。あなたはまだ、生きていなさい」
「……せ、んせ……」
采女は返事をせず、踵を返した。
ヒールの音が遠ざかる。
夜風が吹き抜け、彼女の姿が闇に溶けた。
――その直後。
「つかさちゃん!」
声が響く。
息を切らせて駆け寄ってきたのは、キヨシだった。
床に膝をつき、つかさの脈を取る。
「麻痺か。……これやったらどうにかなるか」
キヨシはポーチからバイアルを取り出し、注射器でつかさの首筋に素早く注入した。
「……キヨシ、さん……」
「喋るな。今は、生き延びることだけ考えろ」
夜の風が冷たく吹き抜ける。
キヨシはつかさを抱え、広場を走り抜けていった。
EMPの残光が遠くで明滅し、爆煙の匂いが肌にまとわりつく。
「……もう少しでベッドや」
「……だいじょぶ、です……」
つかさの声は掠れていた。
足も腕も言うことをきかず、息をするたびに麻痺が胸の奥を締めつける。
それでも、キヨシの背中の熱だけが現実を繋ぎ止めていた。
広場の外れに停められたトラックが、非常灯に照らされていた。
その横には蓮のバイクが停められている。
リアキャリアには金属製のガスタンク――奪取したナノマシンが入った容器が括りつけられていた。
「……間に合ったな」
キヨシは荷台の扉を開け、中に入る。
車内には、簡易ベッドが二つ。
そのうちの一つに、すでにサムが横たわっていた。
包帯の隙間から覗く腕には火傷と打撲の痕。
顔は血の気がなく、それでも微かに胸が上下している。
キヨシはそっとつかさをもう一つのベッドに寝かせた。
つかさの目が、横のベッドに気づく。
焦点の合わない視界の中、見慣れた顔を認めると、唇が震えた。
「……サム……!」
かすれた声が、夜気に溶ける。
キヨシは静かに頷いた。
「息はある。心配ない」
その時、背後から靴音が近づいてきた。
煙の中から現れたのは――大杉蓮だった。
「サムの容態は?」
「意識はないが、生命反応は安定してる」
「そうか」
蓮は短く息を吐き、バイクからガスタンクを外してトラックの助手席に積み替える。
金属がぶつかる鈍い音が、夜に響いた。
「湊が応答しねぇ。……嫌な予感がする」
蓮の声に、キヨシの表情が僅かに強張った。
「俺が見に行ってくる。お前は二人を連れて先に拠点に戻っててくれ」
「わかった。……大杉、必ず帰って来いよ」
蓮は振り返らずに笑った。
「俺を、誰だと思ってんだ」
そのまま、バイクのエンジンを掛ける。
黒煙と共に排気音が広場を震わせた。
トラックのライトが彼の背を照らす。
灰が降りしきる中、蓮は再びアイスブラストの施設の奥――
燃える塔の方角へと走り出した。
キヨシは腕端末を確認し、つぶやいた。
「ルート確保、AI制御良好……行け」
トラックのエンジンが低く唸り、ゆっくりと動き出す。
振動がベッドを伝い、つかさの手がわずかに動く。
隣で眠るサムの指先に、そっと触れた。
わずかな体温が返ってくる。
「……サム……絶対、みんなで帰るんだから……」
AIトラックは無人のまま、静かに夜の闇を進んでいった。
その後ろで、キヨシの瞳だけが、燃え続ける塔の方向を見つめていた。
今日は車での出勤故、朝イチにあげられませんでした
そんなこんなで残すところはあと二章
ここまで読んでいただきありがとうございます
残りわずかですがお付き合いいただけると幸いです




