102.スヴェンの思い
「え?」
どうしたい? 確かにそう聞かれた。
彼は額の髪の生え際を搔いて、目を伏せる。少し眉間を寄せた。
「自制はするよ。でも嫌われていないと思うから聞く。サリヤちゃんは先ほどからモノ欲しそうな目で見ているから、君を傷つけない範囲で」
スヴェンは一度言葉をきった。
「――何かしてほしいことはある?」
ぼーっとして、サリヤは我に返る。二人ともおかしくなりかけているけれど、サリヤはふとスヴェンの顔を見上げた。
彼に先ほどの三人のような嫌悪のような感情は抱いていない。でも今欲しいのはそれではなくて。
「――でしたら、珀蘭を撫でてあげてください」
「え?」
そして珀蘭を出現させる。サリヤは珀蘭をつまんで、彼の膝に落とした。
「え、あ、えーと」
とりあえず、と言った様子でスヴェンが珀蘭の背を撫で始める。最初は身をよじり逃げ出そうとしていた珀蘭も、すぐに彼の大きな手のひらに身を擦り付けるようになる。
この子も、現金だ。
恐らく今は甘えたいから、スヴェンにすり寄っている。そして大きな手に安心したのだろう。
スヴェンも慣れたのか、上手な手つきで背を撫で、お腹をくすぐると、もう珀蘭は上機嫌だった。喉を鳴らして、スヴェンの指を甘噛みし始める。
「まだ幼獣ですから。――私も珀蘭と同じように……身体を撫でつけたい、甘えたい、抱きしめられたい」
眼差しを落とし、ため息とともに答える。
「サリヤちゃんもそう?」
スヴェンの声につい頷いていた。そうだ、抱きしめられたい、その願望がどんどん強くなる。
「動くよ。何も、しないから」
彼の掠れたような声が響いて、そしてサリヤのすわるベッドに腰をかける。本当は止めなきゃいけないのに、彼が奥の壁によりかかる、そしてサリヤを引き寄せる。
珀蘭がフーと鳴いて、ベッドの上に駆け寄ってきて、サリヤたちの横でグルグル回りだす。
何もしない、それが本当だと信じてしまう。
男の人はすぐにその気になる。そうしたら、止めようがない。それをよく知っている。
けれど、スヴェンは自制をしながら、サリヤと自分の望みの折り合いをつけてくれたのだとわかった。
そして、胡坐をかいて大きな足のあいだ、彼の背に体を預けて包まれて肩の力を抜くように言われる。
思い切って背を預けると、硬い胸なのに落ち着いてしまう。
気を遣ったように後ろから回される手はサリヤのお腹の上。けして胸のほうには上がってこない。
「……よかった」
安心して気が緩む。
サリヤが呟くと、スヴェンが戸惑う気配がした。
「何が?」
「この間のスヴェンさんの記憶に入ったことです。その記憶を呼び起こしたこと、それのケアをしたかったけどできなくて、こうやって触れ合ってれば、できるから」
隠していた記憶を呼び起こせば、トラウマになることもある。そうならないように気持ちを宥めるのも夢の導き手の役目。
触れ合う、それだけで気持ちが互いに穏やかに、和んでいく。彼の中の記憶は荒い海に揺れる波のようだったが、そこを撫でるとやがて凪いだ湖になっていくのを感じる。
「――そういう、ことか」
スヴェンの複雑そうな呟きにサリヤは笑う。もちろん、今二人が微妙な距離なのは感じている。お互い男女なのだ、しかも欲情しかかっている。
一つ道を踏み外せば、キス、そしてそのまま行為に及ぶかもしれない。
でもサリヤは望んでいない。そうなったら、スヴェンとはこれまで通りではいられない。
ただ、背中から伝わる熱が温かい。サリヤ自身、珀蘭に打った睡眠剤の影響でまどろみが強くなる。
「ひとつだけ、訊いていい?」
低くなった声、サリヤの首筋に微かに掠める唇。サリヤは少し彼が距離を進めたのがわかって緊張しかけたけれど、すぐにそれを解く。
「君の団長とはつきあってる?」
「……」
その問いかけは何を含んでいるのだろう。踏み込んだ質問なのだろうか。この場面ならばそう考えるのが普通だ。
「やっぱいいや」「いいえ」
二人の声が重なる。前者がスヴェンで、後者がサリヤだ。
そして沈黙。スヴェンがそっか、とサリヤを押し出し、額をサリヤの肩甲骨の間につけたまま答える。
「どうしてですか?」
その問いは、どうして聞いたのか、ということと。それから「やっぱりいい」と問いをやめた理由。
スヴェンがサリヤの背から離れ、顔をあげた気配を感じた。
「今は彼が好きでも、次に好きになってもらえばいい。付き合っていても、奪えばいい。結局はそういうことだから」
「それって、私に――」
大きな含みはない。そう思った方が楽。でもここで尋ねないといつかは追い込まれる。
「あの時、『未来は未来で変えるしかない』そう言ったのは君だから」
過去に戻りたい、そう思う人は多い。けれど、過去で未来は変えられない。これから先の未来で変えるしかない。
スヴェンの記憶の中で、事実を変えようとした。そのときサリヤは彼に告げた。
それがスヴェンには深く響いたみたいだ。そのことがサリヤへの気持ちに影響を与えた気がする。
「私と付き合っても、いいことは何もないです」
とりあえずは軽い断り。一時の気の迷いでも、サリヤの勘違いでも、それでも言っておいた方がいいと思った。
「わかっている。一番の障壁は、世界が違うこと。でも今ここに君がいるから。壁は今、何もないから。だから――」
サリヤの腰に巻いた両手はしっかりとホールドしている。でも拘束というほど、きつくもなく、たぶん逃げられる。
いや逃げられない。言葉に魅了されている。
「君が、好きだよ」




