喪失模糊1
カタカタと、無機質な音が、冷房の効いた部屋に響き渡る。
我煉はパソコンのキーボードを小刻み良く叩きながら、それを片手間にして束の資料を捲る。
私もこの仕事に付いて早くも一年が経ったが、以前慣れる事は無い。
何故ならば、私は五年前までは盲目だったのだ。
眼が見えないので、パソコンに触れる事はおろか勉学も高校三年のままで止まっている。
我煉は仕事の片手間に勉強をしてもいいと云ってはいたが、特に何もする事が無いから高校に行っていただけで、もう仕事に就いている私には不必要な物となってしまった。
「………困ったな」
我煉がそう呟いて、私に視線を此方に向ける。
一度見て直ぐに視線を逸らし、もう一度見ては視線を逸らす、と何度もその行いで、私は仕方なく、何が困ったのかを聞いてみることにした。
我煉は少し笑って、聞きたいか、と念を押してくる、自分が聞いて来いと目配りしたのに、それは無いと私は思う。
「いいから云え、じゃないと二度は聞かんぞ」
「ふむ、それは困るな、では云うとしよう」
我煉はノートパソコンを閉めて、Yシャツの胸ポケットからココアシガレットを取り出した。
我煉はこの様なお菓子に目が無いらしい、チョコに付いた紙を破ると、三分の一を頬張り、舌で溶かす様に口を動かす。
「最近、ん、下っ端に、取立ての仕事を押し付けたんだ」
「借金か、滞納か?」
「借金だよ、金貸しの奴らが言うには、十五万程ギャンブルで溶かしたらしい」
十五万、この仕事をしているせいか安く聞こえてしまうが、もし私が高校卒で仕事に就けば、月収はそれ位だ。
男の名前は長井光男、四十三、独身、無職でアルコール依存症。
かつては有名企業の社員として働いていたが入社十二年目でリストラに逢い、それ以降就職はしていないらしい、アルコール依存症になったのも、リストラの時期からと書いてある。ギャンブルに嵌ったのはそれから五年後、興味本位で競馬に挑戦したところ見事に勝ったため、そこからのめりこんだと、随分と典型な奴が居た者だ。
「これがどうした?特に不審な所は無い、寧ろ恐喝すれば簡単に盗れるじゃないか」
それが出来たら苦労はしないさ、と何かを思い出して、イラつく様にココアシガレットを頬張る。
「昨日辺り、ワタシが用意した駒で借金の取立てに行かせたんだ、幸い場所も割れている、今はもう居ないと思うがね」
今はもう居ない、と言った時点で私は気づいた、我煉がその取立てに失敗したのだと。
「何が遭った?お前が取立てに失敗、あ、いや、お前じゃないか、下の奴らが失敗するなんて、お前の直属だろ?らしくないじゃないか」
「ワタシだってまさかとは思ったさ、駒は駒でも、随分と金を掛けたボディーガード兼取立てなんだよ、あいつら、みすぼらしくなりやがって……」
私は一度、我煉の云う駒というものを見たことがある、アレは言うなれば筋肉だ、筋肉を題材とした筋肉達磨。
おまけに顔も怖いので、睨み一つと鍛え上げられた上腕二頭筋を見せ付ければ、誰だって根を上げて借りた金を返すだろうに。
「で、外傷は何だ?あの筋肉達磨が太刀打ちできないって事は、それ以上の肉体……は無いとして、凶器があるだろ、刃物か?それともまさか、火器か?」
「―――外傷は無い、寧ろ無傷だ」
「……まさか、あの筋肉達磨が取立て出来なかったんだろ? お前も先程、みすぼらしくなりやがってとか云ってたではないか」
「何も、外見だけがみすぼらしくなるわけじゃない、アレはね、精神が崩れたのさ、朝方電話があってね、下っ端の奴らが電話をして来たのさ、何やらゴミ袋の上で、筋肉達磨が寝ているってね、下っ端が起こして何が遭ったのか聞いて見れば、何も答えやしない、それどころか、ガタガタと震えて、縮こまる始末、どうだい?あの筋肉の塊が、随分とみすぼらしいものになっただろ?」
ココアシガレットの紙くずを丸めて、机の隣に配置されたバケツ程のゴミ箱に投げ捨てる。
私は、我煉の顔を見て、密かにイラつきが見えたと思ったが、どうにもアイツ、笑っているらしい。
強敵が現れた、と子供の様な無邪気な笑顔の代わりに、睨み付ける様に目を吊り上げ、頬を引き上げている。
「そこで物は相談なんだが、明日は空いているかい?」
「―――俺に取立てをしろって事か、いいよ、明日は空いてる」
そこで我煉は初めて子供の様な笑顔をむき出して、そうかそうかと頷く。
「いや実はな、明日妹のお守りをして欲しくてな、金は出すから行って来てくれないか?」
私はてっきり、取立てに行くだろうと思っていたが、随分と的外れな事を云われて肩透かしを食らってしまった。
というか、何でそうなる、私が取立てに行くのではないのか?
「馬鹿かお前は、お前は所謂わが社の切り札だ、そんな奴が易々舞台に上がらせる訳に行くまい、私がこの話をしたのはな、もし長井が顔を出したら、早急に私に伝えろと云いたかっただけだ、妹もワタシも、お前の事を気に入っているんだ、まあもしワタシの手に負えなければ、君の"力"に頼らせて頂こう」
話はそれだけ、と席を立ち、コーヒーを入れに云った。
私は明日は面倒になりそうだな、と思いつつ、残りの事務業を定時内に終わらす様に手を動かした。




