2話
人生とはつまり、探求の連続なのである。
人とは好奇心の塊で、知る事に生きる価値を見いだす生き物だ。それはずっと昔から変わらない不変の真理と言うやつで、古来より人はそうして生きてきた。空を飛ぶ感覚を知りたいから飛行機を創ったし、馬より速く走る感覚を知りたいから車を創った。愉悦の極意を知りたいから金を欲するし、神様の事を知りたいから宗教にのめり込む。恋愛だって相手の事を知りたいという欲求が働いているし、もっと言うと生きる意味を知る為に生きている人だって多数いるのではないか。
つまり、人生とは探求の連続なのだ。探求し、知って、更に知りたいから探求する。このスパイラルこそ人生で、人生を続けるからこそスパイラルなのだ。
だというのに一般的な人間共はこの事を理解しようともせず、ただ呆然と安寧とした人生を享受している。本当に知らなければならない事から目を背け、都合の良い事にしか興味を示さない。だから無意識の内に何かを知りたい欲求に心身ともに支配され、その所為でぶつかり合って喧嘩に発展、さらには周りを巻き込んで戦争したりするのだ。ふふっ、人間とは本当に愚かな生き物だ。折角知る権利を持っているのに、それをドブに捨てる様な行動をしたがる。何と愚かな…ふふっ、ふふふふふ…。
「…お、お嬢様…?」
「ふふ…ふふふ…っは」
どうやら心の声を無意識のうちに口に出してしまっていたようだ。側付きのメイドが心底怯えた表情を私に向けている事に気付いて、私はすぐに誤解を解こうと手を振った。
「いや、違うの。ただちょっと人間って愚かだなって考えてただけで」
「お嬢様…?人間関係で何かお悩みがあるのですか…?」
「お、おほほ…無いわよ、そんなの」
本当はあるんですけどねー。どでかい悩みが一つ。
愛想笑いを返して、私はお茶を濁す様に再度机へと向かった。豪華で高価な机の上には私がお父様の書斎から借りてきた勉強の為の本が大量に置いてある。その一つを開き、真っ白な洋紙の束に内容を分かりやすい様に崩しながら書き写す。所謂ノートを作っているのだが、ここの所連日勉強ばかりしていたので少しばかりとリップしていたらしい。反省しよう。
「お嬢様。倒れてからずっとお勉強をなされていますが、そろそろご休憩された方がよろしいのではありませんか…?」
「全く大丈夫。私はもっと勉強して、一人立ち出来る様にならないといけないのだわ」
「…」
だけど、と私は鏡に目を移した。
美少女というより美女と言えるだろう容姿の女性が、目の下に巨大なクマを作って机に向かっていた。瞳は濁って虚ろに光っていて、艶やかに光りを反射する髪の毛と比例して酷い感じになっていた。
「…そう、ね。少し休もうかしら」
「…!はい、そうして下さい!今お茶を淹れますね!」
先ほどから暗い表情をしていたメイドが、突如ぱっと笑顔を咲かせてたかたかとティーセットまで小走りする。
「…?嬉しそうね。何か良い事でもあったのかしら」
はてと首を傾げ、先ほどの短い会話を頭の中で反芻するもどうも心当たりは無い。
「お待たせしました!」
自信満々の表情で紅茶を持ってきたので、私は遠慮する事無くそれを受け取る。
まあ良いか。嬉しそうで何よりだ。
私は一口紅茶をすすり、うん、と頷いた。
「…ふむ。美味しいわ」
「わあ!ありがとうございます!」
本当に嬉しそうな顔をするメイドを横目に、私は本まみれになってしまった自分の部屋を眺めた。
そう、私は前世の記憶を思い出し、今の状況の危機に気付いたあの日からずっとその対策を続けてきたのだ。まあ、対策と言っても勉強をしまくるくらいだが、見くびる事無かれ。何とこの『勉強』が、私のこれからの未来を決める一つの要素だったりする。
前世の私の記憶を良く思い出す限り、ゲームの世界の私、つまり敵役のリーヴェント・プロミネンスが自身と自身の家を没落へと向かわせた一つの要因が、この『勉強』にある。ゲームの世界の私は全く、これっぽっちも勉強をしなかったらしい。そんな馬鹿で教養もどうしようも無かった私は、主人公ちゃんとイケメン達が策略を企てている事にも気付かずにそれまでをのんのんと過ごし、最後、呆然と何が起きたのかすら分からないで没落していったのだ。さらにその後。今まで何の勉強もしていなかったリーヴェント・プロミネンスは一人で生きていく知識も何も無かったため、一人冬の寒さに凍えながら道の隅っこに丸まって死んでしまうのである。ああ、無知とはなんと罪な事なのだろう。
ベンキョウダイジ。超大事。勉強して少しでも一般常識、その他色々な知識を持っていないと、私は死んでしまうのだ。それは嫌だ。折角貰った二回目の人生、路傍で凍えて死ぬのだけは勘弁願いたい。
そういう訳で、今現在勉強に精を出していると言う訳だ。学園に入学するまでのこの時間が大事だ。今の内に勉強しておかないと、入学した瞬間に主人公ちゃんとその取り巻き(イケメン達)の策略に嵌って即路傍の石ころエンドになってしまうかもしれない。
「そう、今こそ勉強するとき。しなければ死ぬのだわ」
「はい?」
「いいえ、何でも無いわ」
「はあ…って、また勉強なさるのですか!?」
「今やらなければ、いつやるの?いまでしょ」
「何かを感じさせる痺れる言葉ですぅ…」
そう、今止まる訳には行かない。少しでも教養を付けて、将来どんな事があっても柔軟に対応出来る様にしておかなければ、私は死ぬのである。
私は再度勉学の世界へと自身をトリップさせたのだった。
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「…ふむ。この本はとても興味深いな…」
私は今、お父様の書斎に来ている。書斎と言っても、既に形は図書館と言っても過言ではない程の量の本がそこにはある。何でも良いから知識を欲する私には絶好の場所なのだ。いわばヘヴン。
「これが必要という事は…これも必要か…」
私の口調が何時もと違うのは、単純にこれが私の素だからというだけの話だ。前世の私の口調なのだが、やはりこちらの方がお嬢様言葉よりも落ち着く。
本を5冊程手に持ち、8m程のはしごをゆっくりと着実に降りていく。路傍で凍え死ぬのも嫌だが、落下死も嫌なのだ。ゲームの世界のリーヴェントは、はしごの上から落ちて死んだ事もある。注意しなければ。
「はしご…上にある本を取るのに便利だが、私にとっては天敵だ。気は許すまいぞ」
足が地面に着いた事を確認して一気に降り、一旦本を地面においてふう、と一息つく。
「本は重いなぁ…肩が凝ってしまうわ…」
「なら従者に頼めば良いだろう」
「ひっ…お、お父様?」
いつの間にいたのか、全く気が付かなかった。不味い、独り言を聞かれていたとしたら、口調について言及されるかもしれない。
「本を持ちながらはしごを降りるのは危険だ。これからは従者をつけなさい」
「…この程度、従者など使わなくても取れましてよ」
「危険だと言っているんだ」
この頭でっかちめ。
私はダンディーなあご髭をした、深い深紅色のオールドバックの男性、つまり私のお父様に向き直りながら言った。
「申しますが、私は腐ってもプロミネンス家の娘です。従者に何もかもを任せるなど、高貴な者がやる事ではないのだわ」
「高貴な者だからこそ従者を使うものなのだ。…一体どうしたというのだ。倒れたあの日から、まるで人が変わったかの様に言う事を聞かなくなってしまって…」
「人とは変わるものですわ。それとも、子供の成長が喜べませんの?」
「成長などしなくても良い時がある。それに、いつまで経っても変わらない不変な物の方が美しい」
それは宝石類を差した言葉なのだろう。つまり、いつまでも変わらず朽ちない方が美しいと言っているのだな。なるほど気に入らない。
不変な物はあれど変わらない人間などいない。この世は常に移ろっていくものなのだよ。私も、お父様だって、長い目で見れば宝石だって変わっていく。変わらない物などこの世には存在しないのだ。
「私は変わっていく物の方が、見ていて楽しいので好きですわ」
「…全く。この前までの素直なヴェントはどこに行ったのやら」
はあ、とわざとらしい大きなため息を吐くお父様に、私の心もどんよりとした。
気持ちは分かるのだ。前まで何でも言う事を聞いて、ずっと子供のままだった娘が、いきなりこうして反発してきたのだから心穏やかではないだろう。所謂子供離れ出来ない親、と言うものだろうか。
ただ、こうしていちいち絡んでくるのはとても面倒くさいしストレスも溜まってくる。こっちは勉強したいのに、三十分もずっと小言ばかり言いやがって。私には構っている暇はないというのに。
「それに、従者だって前までは散々使っていたではないか…『貴女達は私の奴隷なのだわ!身の程をわきまえて少しでも私の役に立ちなさい!この屑共!』と罵詈雑言だって…」
「ぶふっ」
私は心の中で血を吐いた。ヤメテ!過去の傷を穿り返さないで!わざわざダンディーな声を無理して声色まで似せて再現してくれたお父様に私は思わず本で頭を殴りたい衝動に駆られた。ただ、ここの本はどれも分厚いので下手をすると『〜書斎で殺された貴族〜家政婦は見た!』になりかねないので何とか自重しておく。
「まあ、今は何も言わないがね…明日の準備は出来ているのか?」
「はい、出来ていますわ」
「そうか…明日は朝早い。今日は早い内に眠る様に」
「分かりました」
書斎から姿を消すお父様に頭を下げ、そして下に詰んでいた本を持ち上げた。
「この頭でっかちめ」
おっといけない。口を慎もう。何たってこんな毎日も明日で終わるのだ。
私は明日、魔法学園のある街、『学園の街』アトスラダムへと向かう事になっている。向こうは全寮制でメイドもこちらからは一人か二人しか連れて行けないので、実質1人立ちと言っても過言ではないだろう。
明日、家を出て、1日掛けてアトスラダムへ到着。今日から見て明後日の内に寮に入り、明々後日で学校が始まる。
そう、ついに三日後だ。後三日すれば、私の戦いが始まる。
「…頑張ろう」
私は本を勢い良く持ち上げ、1人そう呟いたのだった。