四人で届く場所
頭の上で、岩を引っ掻く音がした。
大河が顔を上げると、斜めに張り出した岩棚の上に、大きな猿がいた。灰色の毛に覆われた身体は、背を丸めていても人より大きい。地面まで届きそうな長い腕の先で、太い指が岩を掴んでいる。
飯能へ入って四日目。二十五階層の安全エリアで最後の休憩を取り、四人で最奥まで辿り着いたところだった。
周囲には高さの違う岩が重なり、中央だけが低く開けていた。頭上の岩棚は左右の壁へ続いている。大河は足元と、猿がいる場所を見比べてから《鑑定》を使った。
【ロックエイプ】
【レベル:86】
【体力:181】
【筋力:164】
【耐久:146】
【敏捷:139】
【魔力:64】
【精神:77】
「ロックエイプ、いましたね。……腕、長いな。あれ、下にいても届きそうです」
【飯能の最後だ】
【上から見てるぞ】
【岩場でこいつは嫌だな】
【四人とも帰ってこいよ】
「僕が先に出る。天草君と瀬戸君は左右へ。三枝さんの前を空けておいて」
「はい。右へ回ります」
大河が答えると、悠真も槍を構えた。
昨夜、相談した位置とは地形が違う。それでも、誰が前へ出て、どこから自分が近づくかは分かっていた。真壁の横を通り越さず、右側の岩との間へ進む。
猿が片腕を持ち上げた。
握っていた石が、真壁へ飛ぶ。
「散って!」
真壁の声に、大河は横へ跳んだ。石は真壁がいた場所へ叩きつけられ、乾いた音を立てて割れる。砕けた欠片が転がる中へ、猿の巨体まで落ちてきた。
地面が鳴った。
真壁はすでに着地点から離れ、伸びてきた腕の外側へ槍を突いていた。穂先が前腕を裂き、猿が牙を剥く。反対の腕が振られたが、真壁は槍を戻す足で、その届く場所から離れた。
「右、入ります!」
大河は全身へ雷を循環させ、猿の脇へ走った。
真壁へ向いている間に、脚を斬る。そのつもりで距離を詰めたところへ、灰色の腕が落ちてきた。大河が横へかわすと、猿は地面を殴った腕で身体を支え、そのまま岩へ跳び上がった。
「こいつ、上にも逃げるのかよ!」
見上げた先で、猿が大河を見ていた。長い腕が岩の縁へかかり、肩が沈む。大河は踏み込むのをやめ、剣を構えたまま下がった。
頭上から伸びた手が、目の前を掴んだ。
太い指が閉じる音に、背中が冷える。あと一歩近づいていたら、肩ごと捕まれていた。
【腕なっが】
【上がった方が届くの怖い】
【横から行っても見てるな】
【岩の真下に入るなよ】
「天草君、そこから左へ寄れる?」
「行けます!」
真壁の声を聞き、大河は岩棚から離れた。代わりに突き出された槍が、伸びきった手を狙う。猿は腕を引き、奥の岩へ跳び移った。
大河が追おうとすると、そちらの岩陰から悠真の槍が見えた。
「悠真、上にいる!」
「分かってる!」
悠真が顔を上げたところへ、猿が腕を振り下ろした。槍を引いて横へ逃れる悠真を見ながら、大河は刀身へ魔力を送る。猿の腕と悠真の位置が離れたのを確かめ、剣を振った。
「こっち見ろっ!」
《飛斬》が、長い前腕へ食い込んだ。
猿が吠え、腕を引く。悠真はその間に岩から離れ、槍を構え直した。
「助かった! こっちからだと、腕の向こうに身体があって突けなかった!」
「俺も、下から追うのはきつい。上がった先で待たれる!」
猿は岩棚を渡り、今度は三枝のいる方へ顔を向けた。片手を岩へつき、もう一方で足元の石を探る。大河がそちらへ動きかけると、三枝の声が飛んだ。
「そのまま離れてて。上を狙う!」
三枝の前に、火の弾が生まれた。
飛んだ炎は、石を掴もうとしていた猿の手元へぶつかった。火の粉が散り、猿が手を引く。続けて放たれた一発は、逃げようとした先の岩へ当たった。
猿は横へ跳べず、低い方の地面へ下りた。
「真ん中へ出そう。岩の下まで追わなくていい!」
真壁が前へ出る。
猿の顔へ槍を向け、外へ回ろうとするたびに穂先を伸ばす。傷ついた腕が槍を払いにきたが、真壁は正面で押し合わず、先を引いて突き直した。鼻先へ迫った刃を嫌がり、猿が一歩下がる。
大河も右から近づいた。
今度は、上へ行かせない。猿と岩の間へ入りすぎず、そちらへ向きを変えたところで剣を構える。悠真は反対側から、脚の届く位置を探っていた。
「右、俺がいます。戻ろうとしたら、こっちから斬ります!」
「左も見てます!」
猿が牙を剥き、真壁へ飛びかかった。
振り回される腕を真壁がかわし、その肩へ槍を入れる。大河も横腹を狙ったが、猿は傷ついた肩を引きながら身体を捻った。肘が顔の高さへ迫り、大河は剣を戻して下がる。
風が頬を打った。
「っ……まだ、そんなに振れるのか!」
届かなかった剣を握り直す。真壁へ向いたからといって、自分へ何もできなくなったわけではない。右へ向き直った猿の脚へ、反対側から槍が入った。
悠真だった。
猿の膝が沈む。悠真はすぐに穂先を抜いたが、猿は長い腕を地面へつき、傷ついた脚を浮かせた。腕の力で横へ跳び、四人の間から抜けようとする。
「そっち、戻る!」
大河が叫ぶより先に、真壁の槍が進路へ伸びていた。
猿は胸を刺されるのを避け、身体を捩った。その足元へ三枝の火球が飛び、踏み出すはずだった場所で炎が弾ける。巨体がたたらを踏み、また中央へ戻った。
【逃がさないな】
【三枝さん、ずっと上がる方見てる】
【脚も入ったぞ】
【真壁さんが前にいるの頼もしい】
大河は短く息を吐いた。
一人なら、今の跳躍を追っていたかもしれない。追いついても、また岩へ上られたら、そこからやり直しだった。今は目の前に、傷ついた猿が残っている。
ここで、深く入れる。
「真壁さん、次、腕を振ったら右へ回ります!」
「分かった。僕の槍が戻るのを待たなくていい。空いた方へ入って!」
猿が大きく吠え、両腕を持ち上げた。
真壁が後ろへ動く。その場所へ拳が落ち、石が砕けた。大河は横から走り込もうとしたが、猿は片腕を持ち上げ、地面を払うように振ってきた。
踏み込んだ足を止める。
大きく外れた剣先の向こうで、猿が再び身体を起こした。もう一方の手には、砕けた石が握られている。こちらへ投げるつもりだった。
「させるか!」
大河は《飛斬》を放った。
斬撃が手首を裂き、石が落ちる。猿が腕を引いたところへ、真壁が踏み込んだ。槍が胸へ深く入り、押し返された巨体が揺れた。
大河の前から、振り回されていた腕が離れた。
「今なら行ける! 悠真、脚!」
「任せろ!」
悠真の槍が、傷のある膝へ突き込まれた。猿が脚を引こうとしても、真壁の槍に押され、すぐには身体を戻せない。三枝の火球が顔の横へぶつかり、伸びかけた腕まで上がった。
大河は地面を蹴った。
胸には真壁の槍がある。向こう側には悠真がいる。二人へ刃を向けない角度で、猿の右側へ踏み込む。
「そこだあっ!」
厚い魔力刃が、露出した首筋へ入った。
硬い手応えに、足を踏み直す。両手で剣を押し切ると、雷が毛の間で弾けた。大河は刃を抜き、相手が倒れる方から離れた。
猿はまだ腕を伸ばした。
その手が大河へ届く前に、真壁が槍を引き抜き、返した穂先を顎の下へ突き上げた。巨体が大きく傾き、膝をつく。悠真も槍を抜いて離れ、三枝が次の魔法を構えたまま見ていた。
猿は片手で地面を掴み、身体を起こしかけた。
腕が曲がり、そのまま横へ倒れた。
大河は剣を構えたまま、荒い呼吸を整える。握られていた指が開き、長い腕も動かなくなる。それを確かめてから、ようやく雷を解いた。
「……終わった?」
「うん。もう動いていないね。みんな、怪我は?」
真壁が三人を見た。
大河は腕と脚を動かし、首を横へ振った。悠真も大丈夫だと答え、三枝が構えていた手を下ろす。全員の返事を聞くと、真壁も一つ息を吐いた。
「飯能攻略。お疲れさま」
【倒した!】
【四人で攻略!】
【最後、全部繋がったな】
【お疲れ!】
大河は倒れた猿を見てから、三人へ顔を向けた。
「……今の、もう一回合わせたいですね。俺が走ったところに、ちゃんと隙ができてたんで。あんなに腕振ってたのに、最後、首が見えたんですよ」
「まず帰ろうな。俺、もう一回あの脚を突くのは、今日はいい」
悠真に返され、大河は笑った。
「今からじゃないって。次に一緒に潜った時の話」
「天草君、途中から、こっちが撃つ方も空けてくれてたね。助かったよ」
「三枝さんが上を見てくれてたんで。俺、あいつが地面にいる方へ行けました」
三枝が笑い、真壁も槍についた血を払った。
大河は手甲のついた左手を開いた。指にも、肩にも力が残っている。息は上がっていたが、剣を置いて倒れ込むほどではなかった。
それでも、自分が何もしていないわけではない。
あの首へ剣を入れた感触は、今も両手に残っていた。
*
宝箱の中には、ポーションと金属素材が入っていた。
新しい装備はなかったが、四人で中身を確かめると、回収する量はそれなりにある。大河は素材を受け取り、道中で集めた物とは分けて収納した。ロックエイプの魔石や持ち帰れる部位も、すでに回収を終えていた。
少し休んでから、奥に現れた転移ゲートへ向かう。
「忘れ物、ないね?」
「はい。預かった分も、全部入ってます」
大河が答える横で、悠真も自分の荷物を確かめた。三枝が最後に周囲を見回し、真壁へ頷く。四人で光をくぐると、見覚えのある入口側の道へ戻っていた。
外へ出た大河は、眩しさに目を細めた。
先を歩いていた悠真が、空を見上げている。三枝は肩を回し、真壁は管理所へ続く道を確かめていた。誰も欠けていないことが、顔を動かすだけで分かった。
「飯能ダンジョン、攻略できました。今回は四人で、四日間ですね。素材も集まったんで、あとは持って帰って、いくらになるかです」
【おかえり!】
【全員帰還】
【査定楽しみだな】
【四日間お疲れ】
「はい。見てくれてありがとうございました。帰ってからの分配まで、俺もちょっと楽しみにしてます」
大河はドローンへ手を振り、配信を切った。
管理所へ向かって歩き出すと、隣から悠真の声がする。
「最後、岩の上から手が来たところ、結構近かったな」
「近かった。肩を掴まれるかと思ったよ。お前の方へ行った時も、上から見ると、あんなに遠くまで届くんだな」
「あれ、槍が長くても安心できなかった」
悠真が腕を伸ばしてみせる。大河も思わず猿の手の大きさを示しかけ、前を歩いていた三枝に笑われた。
「二人とも、受付でそれやらないでね」
「やらないですって。……報告で聞かれたら、ちょっとやるかもしれないですけど」
真壁まで振り返って笑い、大河も笑った。四日分の荷物を持ち帰りながら、出口の先まで話す相手がいる。それが嬉しくて、管理所へ着くまで、つい戦闘の話を続けてしまった。
*
「一人、四十八万六千円」
後日、ギルドで渡された明細を見て、大河は顔を上げた。
査定を終えた素材と魔石の売却代金から、共同の費用と手数料を引いた額。それを、出発前に決めていたとおり四人で分けた結果だった。
自分の取り分を、もう一度確かめる。
「……四日で、これか」
「アーマーボアの外皮、状態がよかったからね。ほかの依頼品も、減額された分が少なかった」
三枝が明細の一か所を示した。
大河もそこを見て、悠真へ紙を寄せる。あの時、胴を斬らずに残した分が、金額になって並んでいた。悠真が覗き込み、小さく笑う。
「最初に脇腹斬らなくてよかったな」
「ほんとにな。脚、止めてくれて助かった」
「首を斬ったのは、お前だろ」
大河は頷き、明細へ目を戻した。
高尾の時とは違い、全部が自分の取り分になるわけではない。それでも、四日間でこれだけ持ち帰れた。寝床を探す時も、素材を回収する時も、あの長い腕を相手にした時も、三人が一緒にいた。
「また行きたいです。今度は、回収する方も、もう少し早くやれるようにしておくんで」
「うん。予定が合う時に、また組もう」
真壁が答えた。
大河は明細をしまい、隣で同じように紙を畳む悠真を見た。二人とも、まだ口元が緩んでいる。
「帰り、何か食ってく?」
「いいけど、俺、今日は焼肉以外も食べたい」
「別に、毎回焼肉って言ってないだろ」
笑いながら席を立つ。事務所を出る前に、次に訓練場へ来る日を確かめた。
また潜る時には、今回よりうまく合わせたい。大河は悠真と予定を見比べ、空いている日に印をつけた。




