帰ってきた日の夕食
「それ、もう焼けてるぞ」
悠真に言われ、大河は網の上へ目を戻した。話しながら裏返した肉の縁が、少し焦げている。慌てて皿へ移すと、向かいから笑い声が上がった。
「最後まで相手を見てたんじゃなかったのか」
「肉は攻撃してこないから、ちょっと油断した。……いや、まだ食べられるだろ、これくらいなら」
「食えるけど。さっきから、お前が置いた分まで俺が見てるんだよ」
悠真がトングを伸ばし、別の一枚も裏返した。大河は小さく礼を言い、白飯と一緒に肉を口へ運ぶ。
噛むと、脂とたれの味が広がった。
しばらく喋るのを忘れていると、悠真がまた笑った。
「今度は静かになった」
「……うまい。やっぱり今日、来てよかった」
「それは顔見れば分かる」
奥多摩から帰ってきた、その日の夜だった。
管理所での報告と素材の査定依頼を済ませ、大河は一度部屋へ戻った。防具を外し、風呂へ入り、着替える。濡れたブーツは水気を拭いて風を通せる場所へ置き、乾いた靴を履いて出てきた。
悠真と合流したのは、それからだ。
駅から少し歩いた焼肉店は、夕食時で賑わっていた。隣の席から注文する声が聞こえ、網の下では炭が赤く光っている。足元を見ても、水路はない。
大河は椅子へ座り直し、脚を伸ばしかけて引っ込めた。
「疲れてる?」
「脚は、結構。座ったら分かった。店まで歩いてる時は、早く食べたい方が勝ってたんだけど」
「なら、今日は食って帰るか。二軒目で素振りはなしな」
「誰が焼肉のあとに素振りするんだよ」
「お前、帰ったら一本って送った時、断った理由が『今日は焼肉』だったろ。疲れてるからとは言わなかった」
大河は箸を止めた。
確かに、そう返した覚えがある。
「……ちゃんと休んでからって、つけただろ」
「そこまで含めて、ちょっと安心したよ」
悠真は笑い、焼けた肉を自分の皿へ取った。
配信を見ていた相手に、画面の外で続きを話せる。大河は飲み物へ手を伸ばし、奥多摩で最初に水へ潜られた時のことから話し始めた。
*
「盾のやつ、二回目に出てきた時さ。あれ、わざと受けたわけじゃないよな?」
「違う。横へ抜けようとしたら、そっちは水だった。止まった分、間に合わなかった」
「やっぱり。見てて、そっち行くのかと思った」
悠真は箸を置き、空いている皿の横へ指を二本立てた。大河とリザードマンのつもりらしい。その横へ置いたおしぼりが、水路だった。
大河は思わず笑った。
「それ、水なんだ」
「そう。こっちへ回ったところまではよかったんだろうけど、押されたら後ろがない」
「うん。戻らせないことばっかり考えてた。あの盾、近くで見ると本当にでかいんだよ。押されながら引っ張った時も、手が離れたら水だなって思ってた」
「俺だったら、あそこで一回離してたかもしれない」
「俺も、離れたかったよ」
大河は胸元へ目を落とした。
今は普通の服を着ている。盾が当たった場所の痛みは薄れていたが、息が詰まった感覚は覚えていた。最後のボスに削られた胸当ては、明日、店へ持っていくつもりだった。
「今日の防具も、結構いってた?」
「傷だけなら、今までで一番深いと思う。俺の身体には届いてないけど、あれつけてなかったら、どうなってたか分からない」
「ちゃんと見てもらえよ。外から平気そうでも、留めてるところが駄目になってたりするから」
「うん。そこは、店の人に任せる。自分で見て、まだ使えますって言うのは怖いし」
大河が答えると、悠真は頷いた。それからおしぼりを元の位置へ戻し、肉の皿を手前へ引く。
「最後のやつは、よかったな」
「……本当?」
「そこで急に嬉しそうになるなよ」
「なるだろ。俺、帰ったら誰かに言いたかったんだから。今日は、ちゃんと見て避けられたって」
大河は笑った。最後の大剣を外した時、相手の膝が見えた。高尾で同じように脚が来た時には、避けたつもりの場所へ蹴りをもらっている。
あの時とは違う動きができた。
自分でも分かっていたことを、見ていた相手にも言ってもらえる。それだけで、また話したくなった。
「斬れた時は、もう一回いきたかったんだけどさ。尾が動いてるのが見えたから、そっちを先に避けたんだよ。そしたら剣も来て、膝まで来て」
「忙しいな」
「本当に。あいつ、俺に気持ちよく斬らせる気、全然なかった」
「そりゃ、向こうも斬られたくないだろ」
「分かってるけど、一回くらいは素直に倒れてくれてもいいだろ」
悠真が吹き出した。
つられて笑ってから、大河は新しい肉を網へ並べた。今度は置いた場所を覚えておく。話すのに夢中になって、また悠真の分まで焦がすのは避けたかった。
「でも、同じくらいの相手にもう一回会ったら、試してみたくはなる」
「どっちを?」
「今日できたことを、またできるか。今度は、最初から胸を削られないようにしたいし」
「帰ってきた日の飯で、もう次に戦う話か」
悠真は呆れたように言いながら、笑っていた。
大河も、自分で少しおかしくなる。
「今日は行かないって。明日も休む。……考えるくらいは、いいだろ」
*
追加で頼んだ肉が届いた頃、大河のスマートフォンが短く鳴った。
母からだった。
『おかえり。帰ったら一度連絡してね』
外へ出たところで、無事に帰ったとは送っている。大河は画面を見てから、悠真へ顔を上げた。
「悪い。帰ったって送ったんだけど、たぶん、あとで声も聞きたいんだと思う」
「いいよ。電話するなら、肉は焼いとく」
「今は返事だけ。帰ってからかける」
そこまで打ちかけて、大河は皿を見た。肉と白飯、それから、まだあまり減っていない野菜の盛り合わせが並んでいる。
悠真へスマートフォンを軽く見せた。
「飯の写真、送っていい? お前、写らないようにするから」
「いいよ。野菜も一緒に入れとけ」
「……そこまで読めるようになったのか」
「前の鍋の時も、野菜食べてるって送ってたろ」
大河は苦笑し、食卓の写真を撮った。
『今、悠真と焼肉。帰ったら電話する』
送信し、スマートフォンを伏せる。網へ野菜を置くと、悠真が満足そうに頷いた。
「それで、うちの母親は安心するのか?」
「たぶんな。肉だけの写真よりは」
「まあ、そうなんだけど」
大河は玉ねぎを裏返した。実家で食卓へ出ていた時には、何も考えずに食べていた。自分で選ぶようになると、肉だけを追加して済ませたくなる日もある。
母から見れば、そこも心配なのだろう。
「五日、泊まりで潜るって言ったら、どうだった?」
悠真に聞かれ、大河は少し考えた。
「気をつけてって。あと、前みたいに怪我したら、ちゃんと教えてって言われた。高尾の時、帰ってから話したんで」
「配信では見られるだろ」
「全部見てるわけじゃないから。仕事もあるし。それに、俺が大丈夫って言ってても、本当はどうなんだって思うんじゃないかな」
言いながら、焼けた玉ねぎを皿へ移す。
自分なら、家族が怪我をしたと聞いて、本人の一言だけで安心できるだろうか。そう考えると、帰ってから声を聞かせるくらいは、しておきたかった。
「悠真は?」
「潜る前に連絡はしてる。返事は、帰ったらもう一回送れって感じ。送らずに寝ると、起きた時に何件か来てる」
「それは送れよ」
「分かってる。だから最近は、出たところで送る」
二人とも少し笑った。
魔物の強さも、使えるスキルも違う。それでも、帰った連絡を忘れれば家から電話が来るところは同じだった。
*
「今度、何人かで長めに潜ってみたいんだよな」
悠真が言ったのは、食事も終わりに近づいた頃だった。
大河は飲み物を置き、顔を上げた。
「何日か泊まるやつ?」
「うん。俺も泊まり自体はあるけど、もう少し長く。真壁さんたちの予定が合えば、相談してみようかと思ってた」
「俺も行きたい。予定が合うなら、声かけてよ」
「そこは、すぐ言うんだな」
「言うだろ。お前と一緒に潜った時、泊まりだとどうなるかって気になってたし」
悠真は少し嬉しそうに笑った。
大河は、奥多摩で寝具を広げた場所を思い返した。ほかの探索者が近くで食事をしていても、自分の予定を決めるのは一人だった。誰かと同じ地図を見て、次の日に進む道を相談する探索は、まだ経験が少ない。
「ただ、お前がいるから荷物を全部任せるっていうのは、なしにしたいんだよ」
「別に、持てる物は持つけど」
「それは助かる。でも、俺が一人で持てる分も考えておかないと、毎回お前と一緒じゃないと潜れなくなるだろ」
「……なるほど」
大河は頷いた。
護衛依頼で、調査器具を全部しまわなかった時にも、似た話をしている。便利だから任せることと、それがなくても動けるようにすることは、両方考える必要があるらしかった。
「じゃあ、食う分は俺が多めに持っていく。重い物まで全部背負う必要はないと思うし。手元にいる物とか、分けた方がいい物は、先に決めよう」
「食う分って、お前の追加の肉も含む?」
「お前も食ってただろ、今日」
「食うけど。ダンジョンの中で、焼肉店と同じ量は勘弁してくれ」
大河は笑い、最後の一枚を網から取った。話している間に焼きすぎないよう、今度は何度か確かめていた肉だった。
皿へ置くと、悠真が少し身を乗り出した。
「で、長く潜るなら、ほかに何が欲しかった?」
「乾いた靴下」
「まずそれかよ」
「本当に大事だぞ。初日から水辺だったんだから。あと、寝る場所が乾いてること。新しいマット、買ってよかった」
「戦いの話してた時より、実感あるな」
「どっちも実感あるよ。剣を振る時間より、靴履いて歩いてる時間の方が長かったし」
悠真は笑いながらも、スマートフォンへ何かを書き込んだ。大河が覗くと、持ち物のメモらしい。
次は一緒に使うかもしれない物を考える。
大河は自分のスマートフォンも取り出し、奥多摩で残した物資のメモを開いた。
*
店を出ると、風が少し涼しかった。
満腹になった身体で歩くと、脚の疲れが戻ってくる。大河は歩調を緩め、駅の方へ向かった。悠真も隣で、同じくらいの速さで歩いている。
「明日は、ちゃんと休めよ。防具を預けに行って、その足で別の装備借りて潜るとか、なしな」
「しないって。洗濯も残ってるし、ブーツも乾かさないと。今日は帰ったら、電話して寝る」
「それがいい。俺は明日、訓練場行くけど」
「……それ聞くと、ちょっと行きたくなるんだけど」
「だから休めって言ってるんだよ」
悠真に笑われ、大河も笑った。
駅の手前で別れ、部屋へ向かう。途中でスマートフォンを見ると、藤堂からも連絡が届いていた。
『攻略おめでとう。最後、膝の外へ抜けたところはよかった。話は休んでから聞かせて』
大河は立ち止まりかけた。
画面をもう一度読み、それから、口元を緩める。焼肉を食べながら話していたことを、本人にも見てもらえていたらしい。
『ありがとうございます。俺も、あそこは見えました。休んだら伺います』
返信して、スマートフォンをしまった。
部屋へ帰ると、干しておいたブーツが目に入った。胸当ては店へ持っていくため、別にしてある。片づける物は残っていたが、今夜のうちに全部終わらせる必要はなかった。
母へ電話をかける。
「もしもし。うん、帰ってる。さっきまで悠真と食べてて、今、部屋」
怪我はないこと、防具は明日見てもらうことを伝えた。五日も潜って何を食べていたのかと聞かれ、持ち込んだ食料の話をする。焼肉の写真だけでは、足りなかったらしい。
「野菜も食べたって。写真にもあっただろ。……うん、明日は休む。ちゃんと寝るよ」
電話を終え、大河は充電器へスマートフォンをつないだ。
ベッドへ腰を下ろすと、身体が沈んだ。岩の上に敷いたマットも悪くなかったが、やはり自分の部屋は楽だった。
今日は、勝って帰ってきた。
食べたい物を食べ、話したかった相手に話せた。藤堂から届いた一文を思い出すと、また少し嬉しくなる。
大河は灯りを消し、寝具へ潜り込んだ。次の予定を調べるのは、明日にしよう。今夜はもう、目を閉じたかった。




