踏み込む先
浅い水の向こうで、大剣の切っ先が持ち上がった。
大河は足を止め、相手の背後まで目を走らせた。岩壁から流れ落ちた水が、平らな石の上を薄く覆っている。中央は足首ほどの深さで、左右の岩際には、水面から出た足場が点々と続いていた。
その中央に、青黒い鱗のリザードマンが立っていた。胸と肩を金属鎧で覆い、両手で大剣を握っている。太い尾がゆっくり動くたび、水面に波が広がった。
「いました。リザードマンジェネラル。……ここを越えたら、奥多摩も攻略ですね」
【ついに最奥】
【今日は剣か】
【足元ずっと水あるな】
【五日目で着いた!】
奥多摩ダンジョン、二十四階層。
二十階層のボスを倒した日は、二十一階層で寝床を見つけて探索を切り上げた。翌日は二十二階層の分岐で引き返し、水路に挟まれた魔物の集団を迂回して、二十三階層まで進んでいる。
そこから先も、道は簡単には見つからなかった。今日も一度、下りてきた階段へ戻ってしまったが、昼食を取った安全エリアから調べ直し、ようやくこの場所へ辿り着いた。
大河は《鑑定》を使った。
【リザードマンジェネラル】
【レベル:84】
【体力:169】
【筋力:163】
【耐久:151】
【敏捷:126】
【魔力:89】
【精神:94】
表示を閉じ、大剣へ目を戻す。高尾の最後に戦ったオークを思い出す大きさだった。ただ、こちらは尾があり、足元も石畳ではない。
大河は靴を一度、水へ入れた。底には平らな石がある。ゆっくり重さをかけても滑らなかったが、走りながら同じように止まれるとは限らなかった。
「休んできたんで、魔力も身体も大丈夫です。戻る道も見えてます。……あとは、あいつの剣をちゃんと見ますね」
【尾も忘れるなよ】
【水の下に段差あるかもしれんぞ】
【無理だったら戻っていいからな】
「はい。ここで転んだら、かなり嫌なことになりそうなんで。なるべく、立って終わらせたいです」
大河が剣を構えると、リザードマンの喉から低い音が漏れた。大剣を斜めに下げ、こちらへ一歩進んでくる。
大河も水へ踏み出した。
*
踏み込んできた相手の速さに、大河は息を呑んだ。
大剣が、水面のすぐ上から斜めに跳ね上がる。全身へ雷を巡らせて横へ動くと、刃が巻き上げた水が顔へかかった。目を細める間に、リザードマンはもう剣を返していた。
「っ、見えにくい!」
頭の横を通る刃へ剣を合わせ、外へ流す。腕に重い衝撃が返り、大河は下がろうとした。踵が水の抵抗を受け、思っていたより脚が遅れる。
大剣の切っ先が、胸の防具を削った。
大河は剣を押し当てながら身体を捻り、岩際へ跳んだ。水面から出た石へ着地し、さらに隣の広い足場まで離れる。
胸元には斜めの傷がついていた。手を当てても血はない。それでも、もう少し深く入っていたらと思うと、息が浅くなった。
【胸当たった】
【防具で止まったか?】
【水しぶきで剣見えなかった】
【上がれてよかった】
「防具だけです。……今の、脚を引けるつもりだったんですけどね。あいつは、普通に踏み込んでくるのかよ」
リザードマンは浅瀬を歩いてきた。足を置く場所にも、剣を構える動きにも迷いがない。こちらが岩の上にいると見ると、長い大剣を突き出してきた。
大河は横へ動いたが、足場の端が近かった。
剣で穂先を外しながら跳び、隣の石へ移る。追ってきた横薙ぎを低くかわすと、背後の岩が削れた。欠片を浴び、大河はさらに入口側へ戻った。
「そこからも届くのか。……広いところ、使わせてくれよ!」
《飛斬》を放つ。
胸を狙った刃に、相手は大剣を合わせた。魔力が散る向こうで足が止まる。その間に大河は、入口近くの幅のある岸へ戻った。
リザードマンも近づいてきたが、水からは上がらなかった。
大河は剣を構えたまま、呼吸を整えた。足場へ逃げ込んでも、あの剣なら届く。水の中では、こちらが離れたい時に脚を取られる。
相手の剣と、その下の水面へ目を向ける。
「……速いのは、俺の方だと思うんだけどな」
全力で走れる場所なら、もっと動ける。そう思っても、その場所が相手の足元へ広がってくれるわけではなかった。
大河は一度、唇を舐めた。
大剣が水面の近くへ下がる。最初の一撃と同じ構えだった。今度は刃先だけでなく、柄を握る腕と肩を見る。
リザードマンの身体が沈んだ。
大河は前へ出かけた足を止め、剣を振った。
「こっちから、先にっ!」
踏み込もうとした胸へ、《飛斬》がぶつかった。
鎧が裂け、リザードマンが短く吠える。振り上げかけていた大剣も外へ逸れ、跳ねた水が大河の靴へかかった。
大河は追いかけず、剣を構え直した。
相手の肩から血が流れている。
「……入った。今のなら、間に合うか」
【踏み込むところに当てた!】
【突っ込まなかったな】
【まだ剣持ってるぞ】
「はい。まだ、普通に振ってきますね。斬れたからって喜んで近づくと、また怒られるんで」
藤堂の顔が浮かび、大河は少し笑った。
リザードマンは、もう笑っていられる距離まで近づいていた。
*
大剣が、頭上から落ちてくる。
大河は岸に沿って走り、石へぶつかる一撃を外した。相手が剣を引き戻す間に、肩の傷へ斬りかかる。魔力刃が入ったが、深く押し込むより先に、太い尾が横から迫った。
大河は攻撃をやめ、剣を引いた。
尾をかわして離れた先へ、大剣が追ってくる。両手で柄を握り、刃を斜めに当てると、衝撃で肘が曲がった。
「重っ……!」
押し切られる前に身体を外した。大剣が地面を擦り、砂利と水が飛ぶ。大河は飛び散る水の向こうで、相手の肩が動くのを見た。
切っ先が上がる。
大河は剣の届くところから抜け、胸へ向けて《飛斬》を放った。今度は大剣の腹で受けられたが、相手もすぐには追ってこない。
腕がじんじんと痛んだ。大河は柄を握り直し、短く息を吐いた。
「……いい加減、一回くらい止まってくれよ」
傷をつけた肩は下がっている。それでも、こちらが斬れば尾が来て、離れれば剣が来た。一撃ごとに仕切り直していては、先に魔力を使い切ってしまう。
大河は相手の足元を見た。
リザードマンの片脚は水の中、もう片方は岸の縁にある。大剣を振るたび、そちらの脚へ体重が乗っていた。
岸に沿って動く。相手も向きを変え、大剣を構え直す。
大河はさらに数歩、横へ移った。
リザードマンが追い、その脚が岸へ上がった。
「……よし。そこなら、俺も走れる」
刀身の周りで、雷が弾けた。
大河は剣を振りかぶり、相手へ向き直った。ジェネラルも大剣を下げ、踏み込みに備える。
どちらも、相手を見ていた。
大河が先に動いた。
「もう一回、受けてみろっ!」
飛ばした斬撃は、肩ではなく、大剣を握る手元へ向かった。リザードマンが刃を引き上げる。魔力の刃がぶつかり、重い剣が身体の前へ戻った。
大河は、その間に走っていた。
水のない岸を蹴り、相手の横へ入る。振り向こうとした身体へ、厚い魔力刃を叩き込んだ。
肩の鎧が割れた。
刃が食い込む手応えに、大河の指へ力が入る。押し切りたかった。もう少し深く入れば、腕を使えなくできる。
相手の尾が、足元で動いた。
「……まだ、来るよな!」
大河は剣を引き抜き、足を持ち上げた。太い尾が靴の下を通る。その勢いで身体を回したリザードマンが、大剣を横へ振ってきた。
大河は跳ばなかった。
膝を曲げ、身を低くする。頭上を風が抜け、防具の肩へ水滴が落ちた。大剣を振り終えた相手が、こちらへ膝を出す。
大河はその外へ抜けた。
高尾で腹を蹴られた時のように、剣だけを見て下がらなかった。脚からも、伸びかけた腕からも離れたところで、もう一度踏み込む。
「今度は、こっちの番だっ!」
魔力刃が、相手の脇腹を裂いた。
ジェネラルが吠える。大河は止まらずに通り抜け、背中へ回った。尾が戻ってくるより先に、傷ついた肩へもう一撃を入れる。
雷が弾け、左手が大剣の柄から離れた。
【腕止まった!】
【入ったぞ!】
【まだ右で持ってる!】
大河は見ていた。
リザードマンが右手だけで大剣を引き、こちらへ向ける。追撃を欲張っていたら、その刃の前へ身体を置いていた。
大河は踏み込む向きを変えた。
切っ先の外側へ抜け、剣を振ろうとする腕へ、下から魔力刃を打ち上げる。重い手応えを両脚で支え、歯を食いしばった。
「そっちには――振らせないっ!」
大剣が外へ流れた。
大河は左手を柄へ添え、自分の剣を引いた。目の前には、割れた肩の鎧と、露出した首がある。
全身を巡る雷を保ったまま、刃へ魔力を送り込む。
「うおおおっ!」
踏み込みと一緒に、剣を振り抜いた。
厚い魔力刃が首元へ入り、青黒い鱗を裂く。リザードマンの身体が傾いたが、大河はその場に残らなかった。刃を抜き、振り向きながら数歩離れる。
大剣を持った右腕が、少しだけ上がった。
大河は剣を構えた。
相手の手から柄が滑り、重い音が響く。ジェネラルは膝をつき、尾で地面を叩いてから、横倒しになった。
水際へ伸びた脚が止まる。
大河はそれを見届け、ようやく息を吐いた。
「……よしっ!」
声にした途端、笑みがこぼれた。腕は痛いし、肩で息をしている。それでも、両脚で立っていた。
【倒したあああ!】
【奥多摩攻略!】
【最後まで反撃見てたな】
【立って終わったぞ!】
「はい。……言ったとおりに、できましたね。最後、まだ剣上げようとしてたんで、ちょっと怖かったですけど」
雷を解くと、腕の重さがはっきりした。大河は剣を下げ、動かなくなった相手を見る。
途中で、攻撃が通ったことに夢中になりかけた。
それでも、尾が動くのを見て止まれた。そのあとの膝も、大剣も、見落とさなかった。
「強かったです。けど……高尾の時より、ちゃんと戦えた気がします。最後まで、あいつが何してるか見られたんで」
【見てる方もそう思った】
【斬ったあと止まらなくなったな】
【帰ったら藤堂さんに見てもらおうぜ】
「見てもらいたいですね。たぶん、まだいろいろ言われますけど。今日の最後くらいは、ちょっと褒めてほしいです」
大河は笑い、入口側の岸へ戻った。まずは座って、水を飲もう。回収へ行くのは、息が落ち着いてからだった。
*
身体を休めている間に、宝箱と帰還ゲートが現れた。
大河は魔石を回収し、鎧の破片や持ち帰れる素材を収納した。大剣の横を通る時には、一度足を止める。刃には傷が残り、握る部分にも、自分の剣を当てた跡があった。
宝箱にはポーションと素材が収められていた。鑑定を終え、持ち物を一つずつしまってから、自分の表示を開く。
探索の途中で上がっていたレベルが、さらに一つ増えていた。
【天草 大河】
【レベル:69】
【体力:118】
【筋力:119(+10)】
【耐久:117(+10)】
【敏捷:120(+5)】
【魔力:116(+5)】
【精神:121】
【常在スキル:《レベルアップ補正》《危機感知》】
【発動スキル:《詠唱》《アイテムボックス》《鑑定》《魔力操作》《魔力属性変化・雷》《飛斬》】
【装備:《マジックソード》《ミノタウロスの指輪》《疾風のブーツ》《魔力の腕輪》《鋼拳の手甲》】
【探索者ランク:E】
大河は表示を閉じ、剣を見下ろした。刃についた汚れを拭き、胸の防具も確かめる。最初の一撃が残した傷は、浅いとは言い切れなかった。
「これ、帰ったら見てもらいます。買っておいてよかったな、本当に」
【防具の仕事したな】
【ちゃんと修理しろよ】
【帰るまで脱ぐなよ】
「脱ぎませんよ。もう入口まで戻れますけど、ここではまだ着ておきます。濡れた靴は、今すぐ替えたいですけどね」
椅子も、水の容器も収納した。ドローンが後ろにいることを確かめ、ゲートの前へ立つ。
振り返ると、戦っていた浅瀬が見えた。
昨日までと同じように水は流れているのに、もう剣を構えて待つ相手はいなかった。
「奥多摩ダンジョン、攻略です。五日間、お付き合いありがとうございました。……じゃあ、帰りましょう!」
光をくぐり、見覚えのある入口側の道へ出る。大河は足元を確かめ、ドローンと一緒に出口へ歩いた。
外には、湿った草の匂いがあった。
管理所の前を探索者たちが行き交い、誰かが自販機の前で話している。大河はその横を通り、空を見上げた。
「……外、明るいな」
【おかえり!】
【五日間お疲れ】
【攻略おめでとう!】
【まず報告してこい】
「はい。報告して、それから帰ります。今日は、ちゃんとした店で飯食べたいですね。途中から、ずっと焼肉のこと考えてたんで」
【いつからだよ】
【昨日の夕飯でも肉欲しいって言ってたな】
【昼休みに見た時も飯の話だったぞ】
「戦ってる時は考えてませんよ。道を間違えて戻ってる時とかです。何か楽しみがないと、同じ分岐、三回も見たくないんで」
笑いながら答え、最後にドローンへ手を振った。
配信を終えて収納すると、スマートフォンへ届いていた通知を開く。悠真から、短いメッセージが来ていた。
『見た。尾も水泳もなしで、帰ったら一本な』
大河は声を出して笑った。訓練場の乾いた床が、今は少し恋しい。
『今日は焼肉。一本は休んでから』
返すと、すぐに画面が光った。
『肉の方なら参加する』
大河は管理所へ歩きながら、空いている方の手で返事を打った。
帰ったら話したいことが、五日分ある。水から飛び出してきた盾のことも、迷って戻った道のことも、最後の大剣のことも。
今日はそれを、誰かと食べながら話せる。
『じゃあ、報告終わったら連絡する』
送信してスマートフォンをしまい、大河は受付へ向かった。歩くたびに靴の中が少し鳴る。それも、帰って話せることの一つになりそうだった。




