岸へ上がれ
「そっちは、さっき通った方ですね。……危なかった。また一周するところだった」
大河は岩の割れ目を見上げ、スマートフォンの地図へ目を戻した。水路を挟んだ向こう側に、先ほど調べた道が見えている。別の道だと思って進んでいたが、大きく回り込んで戻ってきただけらしい。
【水の流れる方へ行けばいいって言ったやつ】
【すみませんでした】
【川も分岐してるからな】
【三日目でも迷路は手強い】
「流れていく方に階段があったら、楽なんですけどね。昨日はそれで、岩の下へ水だけ消えていきました。俺には通れなかったです」
奥多摩へ入って三日目。大河は二十階層を歩いていた。
二日目は十七階層で道を探すのに時間を使い、十八階層の安全エリアで夜を越した。今日は十九階層を抜け、昼前にここへ下りている。戦闘を終えても、次の分岐で足が止まることは変わらなかった。
ただ、水際で魔物と向かい合うことには、少しずつ慣れてきた。
潜られたら、姿を探しながら縁へ近づかない。水面だけでなく、岸へ上がれる場所も見る。昨日は追ってきた二体を乾いた道まで引きつけ、片方が上がる間に、もう片方との間へ岩を挟めた。
それでも、相手が水へ消える時には緊張する。
「今のところ、泳ぎ方を覚える予定はないです。帰ったら悠真に、水の中で槍を使うやつは反則だって言っておきます」
【悠真くん関係ないだろ】
【尾の次は水泳の苦情か】
【本人に言ったら笑われるぞ】
「たぶん笑いますね。俺でも、逆の立場なら笑うんで」
大河も笑い、来た道へ引き返した。まだ調べていない分岐は、一つ残っている。
そちらへ入ってしばらく進むと、水音が変わった。
細い流れが岩を叩く音に、低く響く音が重なっている。道の先が明るくなり、曲がり角を抜けた大河は足を止めた。
岩壁に囲まれた、広い水辺だった。
水路が合流し、区画の中央に深い流れを作っている。こちらの岸は幅があるものの、奥へ行くほど細くなり、対岸へ渡れる場所は見えなかった。その岸辺に、丸い盾を持ったリザードマンが立っている。
「……いました。二十階層のボスですね」
右手には長い槍。左の盾は金属で補強され、胸にも鎧を着けていた。これまでの個体より頭一つ大きく、太い尾の先が水へ浸かっている。
大河は《鑑定》を使った。
【リザードマンガード】
【レベル:77】
【体力:146】
【筋力:138】
【耐久:149】
【敏捷:112】
【魔力:73】
【精神:86】
大河自身のレベルは、昨日の探索で六十七になっていた。数字だけを見れば、相手の力と耐久は高い。あの盾の向こうへ、どう剣を届かせるか。
槍の穂先が、ゆっくりとこちらを向いた。
【盾まで持ってる】
【水に入れるやつが盾持つの嫌だな】
【陸でも普通に強いやつだぞ】
【後ろの道、確認しとけよ】
「はい。戻る方は空いてます。……できれば、あっちにも水から離れてほしいんですけど。まあ、来てくれないですよね」
リザードマンは動かない。
大河はドローンを後方へ移し、靴の下を確かめた。入口側には乾いた砂利があり、水際の石には濡れた光が残っている。
まずは、こちらから動く。
刀身へ魔力を流し、大河は剣を構えた。
*
最初の《飛斬》は、盾に防がれた。
斜めに構えられた金属の表面で、半透明の刃が散る。リザードマンの腕はわずかに下がったが、すぐに元の高さへ戻った。脚を狙って放った二発目にも、盾を下げて対応してくる。
「……ちゃんと見てるな。だったら、近くではどうだ!」
全身に雷が走る。
大河が距離を詰めると、槍が胸へ伸びた。穂先を横へ外し、柄へ剣を当てて踏み込む。盾の外側へ回ろうとしたところで、リザードマンの左肩が前へ出た。
丸い盾が、顔の高さへ迫った。
「っ!」
身を引いたが、縁が肩の防具へぶつかった。上体が押し戻され、遅れた足元へ尾が来る。大河は無理に踏ん張らず、後ろへ跳んだ。
槍の穂先が、すぐ前を通った。
もう一歩下がり、剣を構え直す。肩には鈍い痛みがあったが、腕は上がった。
「盾で殴って、尾で転ばせて、槍か。……忙しいな、お前!」
【盾の使い方うまい】
【近づいても安全じゃないぞ】
【肩、大丈夫か?】
「動きます。防具に当たったんで。ただ、もう一回は嫌ですね。あの盾、顔に来るんですよ」
リザードマンは追ってこなかった。
槍をこちらへ向けたまま、一歩だけ水へ近づく。大河が回り込む方へ動くと、それに合わせて盾の向きを変えた。横へ抜けようにも、水路が邪魔になる。
大河は剣を握り直した。
遠くから撃てば盾で防ぎ、近づけば押し返す。水へ逃げるまでもなく、今の位置で戦えているのだ。
「そこ、相当気に入ってるみたいだな」
大河は水路と反対側へ大きく動いた。相手が向き直るのを見ながら、もう一度踏み込む。槍をかわし、今度は盾へ斬りかかる構えを見せた。
盾が持ち上がる。
大河は剣を止め、低く身を沈めた。盾の下から覗いた脚へ、魔力刃を振り抜く。鱗を裂く手応えが返り、リザードマンが喉を鳴らした。
「よし、入っ――」
背筋へ警告が走った。
大河は顔を上げた。盾が頭上へ振り下ろされようとしている。追撃を捨てて横へ逃れると、金属の縁が地面を叩いた。
砕けた石が頬をかすめた。
距離を取った大河の前で、リザードマンが水へ飛び込む。鎧も盾もつけた身体が沈み、大きな波が岸へ寄せた。
「……今度は、潜るのかよ」
【傷つけたら入った】
【見失うなよ】
【岸から離れろ】
大河は水際を追わなかった。剣を構えたまま、入口側へ下がる。
水面には、まだ波が残っている。先ほど斬ったのは右脚だった。泳ぐ時にも使うだろうが、あの尾があれば、動けなくなったとは思えなかった。
足元の石が乾いた砂利へ変わったところで、大河は止まった。
「ここまで来るなら、顔くらい見せてくれよ」
水が盛り上がった。
大河は剣を上げたが、飛び出してきたのは槍ではなかった。盾を前へ突き出し、リザードマンが岸へ上がってくる。濡れた巨体が、真っすぐこちらへ迫った。
「うわっ、そっちか!」
横へ跳ぶ。
盾が空を切り、その陰から槍が伸びた。大河は穂先を剣で弾き、さらに外へ動く。低く振られた尾からも逃れると、リザードマンは足を止め、再び水際へ向き直った。
岸には、濡れた足跡が続いている。
大河は荒く息を吐き、その背中を見た。
「……今、上がったな」
相手は水の中から槍を伸ばすだけではなかった。こちらが離れれば、身体ごと上がってくる。そのあと、また戻ろうとする。
大河の口元に、笑みが浮かんだ。
【何か思いついた顔】
【今の結構危なかったぞ】
【盾ごと飛び出してくるの怖すぎる】
「怖かったですよ。槍が出ると思ってたんで。……でも、あいつもずっと水にいるわけじゃないですね」
大河は盾を見て、それから、入口側に残る広い岸へ目を向けた。
「もう一回、来てもらおうか」
*
水際へ戻ったリザードマンに、大河は《飛斬》を放った。
狙ったのは、傷のある右脚だった。相手が盾を下げる。防がれることは分かっていたが、大河は間を置いて、また同じところへ撃った。
盾の表面に、傷が増える。
リザードマンが低く唸り、槍を突き出した。大河は届く範囲へ入らず、少しずつ後ろへ下がった。
「そっちへ戻ってほしいんだろ。俺は、こっちにいてほしいんだよ」
魔力は使っている。何十発も付き合うつもりはなかった。
剣を構え、水際を見据える。
リザードマンが身を沈め、また水へ入った。大河はその位置を見ながら、先ほどより数歩、奥まで下がる。横へ動ける幅と、背後の岩を確かめた。
水面が揺れた。
盾を前に、巨体が飛び出してくる。
「来たっ!」
大河は全身に雷を巡らせ、横へ走った。盾の突進を外し、すぐに剣を振る。飛ばした刃が、伸びかけた槍の腕を斬った。
槍が下がる。
大河はそこで離れず、相手と水路の間へ回り込んだ。
リザードマンが振り返った。太い尾が地面を薙ぎ、大河は足を引いてかわす。盾がこちらへ向き直るより先に、傷ついた右脚へ剣を走らせた。
「戻させるかっ!」
刃が深く入り、巨体が傾いた。
それでも盾は上がった。大河の剣を押し返し、そのまま身体ごとぶつかってくる。大河は横へ逃れかけたが、背後には水があった。
脚を止め、歯を食いしばる。
盾が胸へ当たった。
「ぐっ……!」
防具越しの衝撃に息が詰まった。靴が砂利を削る。大河は剣を持つ腕を外へ逃がし、左手を盾の縁へかけた。
押し返そうとはしなかった。
身体を横へ捻り、相手が押し込んでくる力に合わせて、盾を引く。
「こっちだ!」
重い身体が、大河の脇を通った。
大河は手を離し、踏ん張ろうとした右脚へ蹴りを叩き込んだ。傷ついた膝が折れ、リザードマンが片膝をつく。水路までは、まだ距離があった。
槍を持つ腕が動いた。
大河はその穂先を剣で外へ払い、肩へ斬りつけた。雷が弾けたが、相手は槍を離さない。盾を持ち上げ、また顔を守ろうとする。
「まだ、それで防ぐか!」
大河は一歩、外へ出た。
盾が追って向きを変える。右脚で立ち上がれない分、その動きは遅かった。大河はさらに横へ踏み込み、盾の届かない背中側へ回った。
尾が持ち上がる。
もう、足元だけを狙う高さではない。
「見えてるっ!」
振りつけられた尾を低くかわし、大河は剣へ送る魔力を増やした。厚みを増した刃を、鎧から露出した首の横へ叩き込む。
硬い鱗を裂き、刃が入った。
リザードマンが大きく身体を揺らす。大河は剣を引き、振り向こうとする相手から離れた。槍が地面へ落ち、盾の縁が砂利を擦る。
巨体は水へ戻ろうとして、片手を伸ばした。
そのまま、前へ崩れた。
大河は剣を構え、相手の手足が止まるまで見ていた。尾も動かなくなってから、ようやく肩から力を抜く。
「……よし。勝った」
【倒した!】
【二十階突破!】
【水から離したの効いたな】
【盾にぶつかられたところ怖かった】
【胸、大丈夫か?】
「結構、痛かったです。……ちょっと待ってください。今、息整えるんで」
雷を解き、胸元へ左手を当てる。ゆっくり息を吸っても、鋭い痛みはない。腕を動かし、防具の留め具も確かめてから、大河は長く息を吐いた。
「盾、守るだけじゃないんですね。二回も殴られました。悠真の槍に盾までついたら、俺、近づくの嫌になりそうです」
【帰ったら頼んでみろ】
【また自分で訓練きつくするぞ】
【槍と盾と尾と水泳、全部注文する気か】
「尾と水泳はいいです。人間相手の練習なんで、そこは人間の範囲でお願いします」
笑うと、胸に少し響いた。
大河は顔をしかめ、それから、倒れたリザードマンへ目を戻した。盾の向こうへ入れず、押し返されていた時には、ずいぶん遠くに感じた首が、今は地面に横たわっている。
「……手強かったな。水に戻られる前に、倒せてよかった」
水音を聞きながら、大河は剣を下げた。
*
宝箱が現れても、大河はすぐには動かなかった。
入口側まで戻り、椅子を出して休む。水を飲み、呼吸と胸の具合を確かめてから、ようやく回収へ向かった。
魔石と持ち帰る素材を収納し、宝箱を開ける。中にあったのはポーションと金属素材だった。新しい装備はなかったが、大河はポーションを見て頷いた。
「ありがたいです。使わなかった分も、ちゃんと帰りまで持っておきたいんで」
【今回は装備なしか】
【盾は持って帰らないの?】
【あれ持ったら槍まで欲しくなるぞ】
「盾も気にはなるんですけどね。使い方を知らないまま、今ここで持ち替えるのはやめときます。さっきの見てたら、持てば守れるってものでもなさそうなんで」
回収を終え、もう一度休んでから、肩と脚を動かした。胸を押されたところには痛みが残っているが、歩くにも剣を構えるにも支障はない。
二十階層には、ここへ来る前に見つけた安全エリアがある。
その位置を地図で確かめ、大河は奥の道を見た。水路から離れるように伸びた先で、下り階段が口を開けている。
「二十一階層を、少し見てきます。水辺が続くなら、無理に進まず戻りますね。今日はもう、あいつと戦っただけで結構疲れたんで」
【ちゃんと戻る時間残せよ】
【あと四層か】
【高尾の時より慣れてきたな】
「泊まる準備とか、休み方は慣れました。でも、道は相変わらずですね。ここから四層、真っすぐ歩けば終わるなら嬉しいんですけど」
大河は地図を閉じ、椅子を収納した。
階段の手前でもう一度振り返ると、戦った岸辺が見えた。濡れた足跡と、砂利を削った跡。その横では、変わらず水が流れている。
次に同じ相手と会うなら、盾を見た時点でもっと考えられるだろう。
「じゃあ、行きましょう。次の寝床も、足元が乾いてるといいですね」
大河は剣を手に、二十一階層へ続く階段を下り始めた。




