あの人の戦う場所
画面いっぱいに、黒い爪が迫った。
盾を構えた探索者が、その一撃を斜めに受ける。重い音とともに地面が砕け、映像まで大きく揺れた。大河は膝の上に置いていた手を握り、画面の端へ目を走らせる。
藤堂がいた。
巨大な熊の横へ入り、剣を振り上げている。その身体を包む魔力は、大河が訓練場で見た時よりも、はるかにはっきりしていた。
「亮介、右!」
映像から声が響く。
藤堂が駆け出した。熊が盾持ちへ向けていた頭を捻り、横から迫る相手へ牙を剥く。大きく開いた口が閉じる前に、藤堂の姿は顎の下を抜けていた。
剣が走ったところで、黒い破片が散る。
「……ちょっと待ってください。今の、どうやったんですか?」
大河が声を上げると、隣に座っていた藤堂が映像を止めた。
ギルドの事務所にある、大きめのモニターだった。すぐ前の椅子には大河と悠真が並び、少し後ろでは、探索から戻ったばかりの面々が飲み物を手にしている。
青脈草の採取から、四日後。
報告に来ていた大河は、藤堂たちの攻略班と顔を合わせた。話の流れで、今回撮ってきた戦闘の記録を見せてもらっている。
今日は、大河も悠真も配信をしていなかった。
「どこから分からなかった?」
「噛みつくところに入って、斬って、そのまま向こうへ出たところです。……すみません、ほとんど全部でした」
後ろで誰かが笑った。大河は構わず、止まった画面へ顔を近づける。
アーマードベア。
黒い装甲に覆われた巨体は、そばにいる探索者が小さく見えるほどだった。前脚も、爪も、胴も大きい。画面で見ているだけでも、あの下へ自分から入るところを想像すると、脚へ力が入った。
「もう一回、見てもいいですか。今度は、藤堂さんの足を見たいんで」
「いいよ。少し戻すな」
映像が動き出す。
熊が盾持ちを殴った。藤堂が横へ入る。大河が剣を見るより早く、黒い装甲の下から血が飛んだ。
気づくと、また終わっていた。
「……速いなあ」
隣で悠真が呟いた。大河も頷いたが、画面からは目を離さなかった。見えたつもりになっていたところが、もう一度見ると違っていた。
熊の口へ飛び込んだわけではない。
牙が来る場所の、すぐ脇を通っている。
「俺、今の真似したら、たぶん噛まれます」
「今はやめてくれ。大きさも速さも、いつも相手にしている魔物とは違うからな」
藤堂はそう言い、映像をゆっくり再生した。
大河はようやく、剣が通ったところを追えた。顎の下から首へ、装甲の端を巻き込むように刃が入っている。隙間を浅く斬っただけではない。硬い部分まで、一緒に割っていた。
「これ、装甲ごと斬ってますよね?」
「うん。そこは押し切れた」
「押し切れたって……」
大河は止まった画面と、隣にいる藤堂を見比べた。
いつも訓練用の剣を持って、軽く足を開いて立つ人だ。大河が斬りかかれば外し、追えば切っ先を向けてくる。強いことは、嫌というほど知っていた。
それでも、自分を相手にしている時の姿だけでは、この戦いは思い浮かばなかった。
藤堂が操作から手を離し、続きが流れる。
傷を負った熊が吠え、前脚を振り回した。藤堂が下がった先へ爪が迫るが、その腕へ矢が突き立つ。熊の肩が動き、大河がそちらを見たところで、今度は地面からせり上がった岩が後脚へぶつかった。
巨体が傾いた。
「入る!」
映像の藤堂が叫ぶ。
盾持ちが前へ出た。熊のもう片方の爪を押し上げ、その下へ藤堂が走り込む。身体から立ち上る魔力が揺れ、振り抜かれた剣が、傷ついた首へ深く入った。
熊が崩れかけても、藤堂は止まらない。踏み直した足で身体を回し、返した刃をもう一度、同じところへ叩き込んだ。
大きな身体が地面へ倒れた。
その向こうへ抜けた藤堂が、剣を構え直す。ほかの三人も武器を向けたまま、動かなくなるまで待っていた。
倒れる音が収まった部屋で、大河は息を吐いた。
「……格好いいな、これ」
思ったことが、そのまま口から出た。
藤堂がこちらを見た。大河は照れるより先に、もう一度、画面へ顔を向ける。
「最後、ちゃんと見えました。あの大きさのやつが倒れるの、すごいですね。俺、高尾のボスでも、倒れた時にはもう座りたかったんですけど」
「俺だって、終わったあとは座りたいよ」
「お前、実際あのあと座ってたろ」
後ろから、盾を使っていた男性が声をかけた。藤堂が振り返ると、相手は自分の肩を回している。
「角の回収、あとでやるって言って、先に水飲んでたじゃないか」
「先に休むのは大事だろ。あそこまで歩いて、戦ってるんだから」
「正しい。だから、俺の水まで飲むな」
「それは本当に悪かった」
悠真が吹き出し、大河も笑った。
画面の中では、あれだけ強い。今は、飲んだ水のことで仲間に文句を言われている。その両方が同じ人なのだと思うと、大河はまた映像を見たくなった。
*
藤堂たちが潜っていたのは、Bランクのダンジョンだった。
大河にとっては、まだ攻略の予定を立てることもない場所だ。今回見せてもらった戦闘も、階層を進んだ先で遭遇した一体で、最終ボスではなかった。
「……あれで、最後じゃないんですか」
「うん。今回は、最後までは行けなかった。途中で引き返してきたよ」
大河は顔を上げた。
藤堂は空になった容器を机へ置き、背もたれへ身体を預けている。悔しそうではあったが、何かを隠すような話し方ではなかった。
「あの熊より、強いやつがいたんですか?」
「先へ進む道に、魔法を使う魔物がまとまっていた。こっちも倒せると思ったけど、そのあとが続かない。あそこへ着いた時には、使える魔力が減っていたからな」
「次の安全エリアまでも、遠かったんですね」
「そう。そこまで含めて、今日は無理だって決めた」
大河は、先ほどの戦闘を思い返した。盾で爪を受けた人も、矢を当てた人も、魔法を合わせた人もいた。四人であれだけのことができても、その先へは進まない日があるらしい。
机の上には、探索の記録が開かれていた。戦った場所のほかに、通らなかった道や、戻った分岐も残っている。
「次は、また同じところへ行くんですか?」
「行く。そのつもりで、今、記録をまとめてる」
藤堂が頷いた。大河が資料へ目を向けていると、後ろで弓の手入れをしていた探索者が口を挟む。
「亮介、帰ってくる途中から、次はあそこの手前で休もうって言ってたからな」
「考えるだろ。道も分かったんだし、次はもう少し余裕を作って着きたい」
「俺、熊の爪で盾を削られた話してたんだけど」
「聞いてたよ。だから、修理が終わってからって言っただろ」
藤堂が返すと、相手は笑って肩をすくめた。
大河も笑った。誰かの配信を見る時は、倒したところや、奥へ進んだところを楽しみにしていた。今日は、その続きを考えている人たちが目の前にいる。
戻ってきて、装備を直し、また行く。
自分が八王子へもう一度潜った時と、そこは同じだった。
「藤堂さんでも、帰ってから次のこと考えるんですね」
「でも、って何だよ。俺も、行けなかったところは気になる」
「いや、何でもできるとは思ってないですけど。さっきの戦い見たあとだと、ちょっと、そういう気分になるんで」
「俺より上なんて、いくらでもいるよ。そっちの映像も見てみるといい。今度は俺が、同じような顔で見てると思う」
藤堂は笑って、大河を見た。
「今日の、どこが一番気になった?」
「最後の二回斬ったところです。……あと、最初に首へ入ったところ。すみません、やっぱりどっちも、もう一回見たいです」
「なら、その二か所を見ようか」
大河は椅子を寄せた。悠真も反対側から覗き込み、藤堂が映像を戻す。
剣が入る直前、熊の前脚を持ち上げている盾が見えた。さっきは藤堂ばかり追っていたが、今度はその動きも目に入る。自分だけで作った隙へ、斬り込んでいるわけではなかった。
「これ、横で一緒に戦ってたら、もっとすごいんでしょうね」
「音は、映像よりうるさいな。あと、あいつの近くは結構臭い」
「今、格好いい話してたのに」
悠真が言い、大河は腹を抱えて笑った。
藤堂まで笑い始め、映像はいったん止まった。
*
その夜、大河は部屋でダンジョンの資料を開いていた。
夕食の皿は、もう洗った。明日の準備もほとんど終わっている。それでも寝るには少し早く、机の端には、今日書き込んだメモを置いていた。
自分より強い探索者の配信なら、これまでも見てきた。
ただ、今日の藤堂は、いつも剣を合わせている相手だった。あの人の攻撃を一度でも外せたと喜んでいた自分が、少し可笑しい。
同時に、あの人から一本取れたら、どれだけ嬉しいだろうとも思った。
「……まだまだだな、俺」
声に出してから、笑った。
今すぐあの熊と戦いたいわけではない。自分が近づけば、最初の爪から逃げるだけで精いっぱいだろう。それでも、いつかあの場所に立ってみたい。
隣で一緒に剣を振る、自分の姿を見てみたかった。
大河は画面を切り替え、以前から候補へ入れていたEランクのダンジョンを開いた。
奥多摩ダンジョン。全二十四階層。
十六階層からは中層へ入り、迷路の中を水路が通っている。浅い流れを渡る場所も、足場を選んで進む場所もあるという。主に出るのは、武器を持ったリザードマンだった。
写真には、濡れた石の上で槍を構える魔物が写っている。
大河はその脚へ目を向けた。
速く動けても、踏んだところで滑れば、いつもと同じようには戦えない。飛斬で先に傷をつけるとしても、水路の曲がりや岩の陰へ逃げられる場所はありそうだった。
高尾で通った道とは、また違う。
資料を読みながら、気になるところへ印をつけていく。
最終ボスの欄で一度手が止まったが、先に、そこまでの道と安全エリアについて調べた。何日分の物資を持つか。今回はどこまで一人で進むつもりか。明日の探索とは別に、準備する日も必要だった。
スマートフォンへ悠真からメッセージが届いた。
『今日の最後のやつ、槍でやるの想像したら、まず長さが足りなかった』
大河は画面を見て笑い、返事を打った。
『俺は、あそこまで近づくところで噛まれる』
『そこからかよ』
『そこからだよ』
送ってから、開いていた資料の名前も伝えた。
『次、奥多摩に行ってみようと思ってる。何日か潜るつもりで、今調べてるところ』
返信は、少し間が空いた。
『あそこ、水路ある方だろ。行った人、ギルドにいるんじゃない?』
『明日聞いてみる。高尾と違うところ、先に知っておきたいし』
『帰ってきたら話して。俺も気になってた』
『分かった。迷った話ばっかりにならないようにする』
悠真から、笑っているスタンプが返ってきた。
大河はスマートフォンを机へ置き、資料へ目を戻した。二十四階層あるからといって、高尾より楽だとは思っていない。知らない魔物も、歩いたことのない地形もある。
それが、今は楽しみだった。
今日見た藤堂の剣を思い出し、自分の右手を握る。あの速さも、硬い装甲を斬り裂く力も、まだ持っていない。
大河は握った手を開き、メモへ予定を書き加えた。
まずは、奥多摩へ。
出発までに確かめたいことは、もういくつも浮かんでいた。




