通り過ぎていたもの
「天草君。その足、もう少し右に置いて」
大河は踏み出しかけた足を止めた。
靴の先に、小さな草が生えている。岩の隙間から細い葉を伸ばし、その中央に青白い筋が通っていた。隣にも似たような草はあるが、そちらは葉全体が濃い緑色をしている。
「……これですか?」
「そう。それが今日、採りに来たやつ」
宮原がしゃがみ、指先で葉を持ち上げた。三十代の男性探索者で、《道標》では採取を含む依頼によく出ているという。腰に剣を下げているが、今、手にしているのは小さな鋏だった。
日野ダンジョンの九階層。湿った岩肌の下には、同じような草がいくつも見えた。
大河は足を置き直し、《鑑定》を使った。
【青脈草】
「本当だ。名前、合ってます。……俺、今まで普通に踏んでたかもしれないです」
【さっそく踏みかけてた】
【今日は採取か】
【それ買い取りに出せるやつだぞ】
【足元に金が生えてる】
「先に教えてくださいよ、それ。いや、教えてもらいに来たんですけど」
悠真が隣で笑った。大河は岩の周りを見渡し、ほかにも青い筋のある葉がないか探す。さっきまでは歩きやすそうな場所にしか見えなかった岩陰が、急に気になる場所へ変わった。
悠真と部屋で鍋を食べてから、三週間が経っていた。
その間も、一人での探索とギルドの仕事を続けている。八王子にも再び潜ったし、訓練場へ行けば、誰かに剣を合わせてもらった。今回の依頼は、榊から二人へ紹介されたものだった。
ポーションの製造に使う青脈草を、指定された状態と量で納める。採り方を知っている宮原と一緒に行くと聞いて、大河は参加を決めた。
資料の写真は見てきた。それでも、岩やほかの草と一緒になると、見つけるまでに時間がかかった。
「《鑑定》があるなら、間違えて持って帰ることは減るね。ただ、まず見つけないと使えないから」
「はい。全部の草を見ながら歩いてたら、今日帰れなくなりそうです」
「俺、それやったら途中で名前覚えるのやめると思う」
悠真が言うと、宮原も笑った。
鋏を持つ手が、葉の付け根へ近づく。大河が袋を開こうとすると、宮原は先に、一本の葉をこちらへ見せた。
「使うのは葉。根ごと引っ張らず、必要な分を切る。あと、これみたいに端が黒くなってるのは、今回の納品には混ぜないで」
「同じ名前なら、何でもいいわけじゃないんですね」
「向こうで選り分ける手間が増えるからね。持ち帰った重さ全部に、同じ値段がつくとは限らない」
宮原が葉を切り、薄いケースへ収めた。大河も一枚だけ切らせてもらう。力を入れすぎないように葉を持つと、思っていたより柔らかかった。
いつも剣を握っている指先で、切った葉をそっと置く。
「……戦う時より、手に気を使うな」
「そこで握り潰したら、宮原さんに怒られるぞ」
「潰さないって。悠真こそ、槍の下で踏まないようにしろよ」
「それは、さっきのお前だろ」
大河は言い返せず、ケースへ目を落とした。最初の一枚は折れずに収まっている。宮原に頷いてもらうと、少しだけ嬉しかった。
*
採取できる場所をいくつか回るうちに、大河にも、草のある岩陰が分かってきた。
乾いた通路の真ん中より、水の染みた岩の下。葉の色だけを探すより、先にそういう場所へ目を向けた方が見つけやすい。見つけたあとは、近くで別の草と比べる。
「宮原さん。こっちにもあります。奥の方、結構まとまってるんですけど」
大河が声をかけると、宮原はすぐには近づかなかった。先に周囲の道を見てから、悠真へ顔を向ける。
「向こう、見ていてくれる?」
「はい。大河、俺が呼んだら手を止めてくれよ」
「分かってる。そっちも、何かいたら先に言って」
作業をする間は、一人が見張る。場所を変えたら交代し、大河も悠真が葉を切っている間、通路の先を見ていた。三人ともしゃがんでしまわないようにすることは、出発前にも確かめている。
宮原は、葉の集まっているところへ鋏を入れた。
大河も隣で手を動かす。最初より早くなったと思っていたが、宮原のケースには、もう自分の倍ほど収まっていた。
「……速いですね。俺、どれを切るかで迷ってる間に、次いかれてます」
「慣れだよ。天草君だって、魔石を回収するのは最初より早くなったでしょ」
「それは、かなり。最初は場所を探すだけでも——」
「二人とも、止まって」
悠真の声で、大河は顔を上げた。
曲がり角の奥から、低い唸り声が聞こえる。鋏をケースの横へ置き、剣を取り出す。宮原も立ち上がり、開いていたケースへ蓋をした。
岩の陰から、赤褐色の狼が姿を現した。
レッドファングウルフ。もう一体が、その後ろから鼻先を出している。大河は《鑑定》で確かめ、二体の足へ目を移した。
先頭は悠真を見ていたが、後ろの一体は横へ動こうとしていた。
「大河、そっちへ回る!」
「見えてる。こっち、俺が行く!」
剣を持ち上げ、後ろの一体へ狙いをつける。その向こうには、まだ採っていない青脈草が広がっていた。
大河は振りかけた剣を止めた。
ここで《飛斬》を放てば、狼には届く。外れたり、斬り抜けたりした先まで、葉を無事に残せるかは分からない。
「悠真、少し戻ろう。さっきの乾いてるところまで!」
「分かった。宮原さん、下がります!」
宮原がケースを持ち、大河たちの後ろへ移った。悠真は槍を構えたまま後退する。大河も横へ並び、岩陰から離れた。
先頭の狼が、悠真へ飛びかかった。
「おっと……近いな!」
槍の穂先が鼻先をかすめ、狼が身を捻る。地面へ降りた相手を悠真が追おうとしたところで、もう一体が横から走り込んできた。
大河は全身へ雷を巡らせ、二体目の前へ出た。
「そっちは、俺だろ!」
開いた口を横へかわし、肩口へ剣を走らせる。魔力刃が毛皮を裂いたが、狼は止まらず、大河の脚へ噛みつこうと首を返した。
大河は足を引き、左の手甲で鼻先を外へ打った。硬い感触が返り、牙が膝の横を通る。
「っ、まだ来るか!」
狼が低く唸った。血の流れる肩をかばいながらも、目は大河から離れない。こちらが動くと、相手も横へ回ろうとする。
大河は背後の岩陰との距離を確かめた。
もう、十分に離れている。
「悠真、そっちは任せた。こいつ、こっち向いてるから!」
「こっちも今、手いっぱい!」
隣で槍が地面を擦った。悠真は飛び込んできた狼を突いて退け、自分も半歩下がる。大河はそちらへ割り込まず、目の前の一体へ向き直った。
傷を負った狼が、再び走る。
大河は剣を高く上げず、胸元で構えて待った。狼が跳ぶより先に、こちらから踏み込む。低い位置を走っていた身体へ、魔力刃を斜めに振り下ろした。
刃が首元へ入り、その身体が地面を滑った。
大河はすぐに顔を上げた。悠真の相手は、槍を嫌って距離を取ろうとしている。狼の後ろに仲間も草もないことを見て、大河は剣を引いた。
「悠真、横から撃つ!」
「いいぞ!」
《飛斬》が狼の脇腹へ入った。悲鳴を上げて向きを変えたところへ、悠真が踏み込む。
「逃がすかよ!」
突き出した槍が胸を貫き、二体目も倒れた。
大河は息を吐き、周囲へ目を向けた。曲がり角の奥から、続いてくる足音はない。宮原も剣を構えていたが、二体が動かなくなるのを見て、その切っ先を下げた。
「二人とも、大丈夫?」
「はい。俺は当たってないです。悠真は?」
「俺も。……最後、助かった」
「こっち、先に終わったから。そっちも無事ならよかった」
悠真が頷き、槍を抜いた。大河も雷を解いてから、自分の狼へ近づく。
【草から離したな】
【ちゃんと仕事してる】
【最後は飛斬使った】
【殴られた狼ちょっとびっくりしてたぞ】
「俺も、あの距離でまだ噛みに来るとは思ってなかったんで。びっくりしたのは、お互い様です」
魔石を回収しながら、草のある岩陰を振り返った。宮原がケースを置き、残った葉を確かめている。
「そっち、踏まれてないですか?」
「大丈夫。続けられるよ」
その返事に、大河は肩の力を抜いた。
自分たちも、採っていた草も無事だった。剣を持ったまま笑うと、悠真が隣で小さく息をつく。
「倒したあと、魔物より先に草の心配する日が来るとは思わなかったな」
「今日、あっちを持って帰りに来たんだから。……魔石も、もらうけど」
「それは、俺ももらう」
大河は笑って、回収した魔石を収納した。
*
依頼の量を揃えたあと、三人は来た道を戻った。
途中にも青脈草はあったが、宮原は足を止めなかった。今日の納品分は足りているし、追加で採るより、決めた時間に戻る方を優先するという。
大河も草の位置だけ地図へ残し、歩き続けた。
外へ出て配信を終え、そのまま納品へ向かう。受け取りの担当者はケースを開け、葉の状態を確かめてから重さを量った。大河は横で見ながら、黒くなった葉を混ぜないようにしたことを思い出す。
自分で選んだ分が入っているケースに、担当者の手が伸びた。
何も言われずに受け取ってもらえると、思っていた以上にほっとした。
「これで、指定分は揃っています。ありがとうございました」
仕事が終わった。
大河は空になったケースを受け取り、宮原と悠真へ顔を向けた。二人も同じように荷物を片づけている。
報告を済ませてから確認した今回の取り分は、七万六千円だった。
ギルドの手数料と経費を差し引き、事前に決めたとおり三人で分けた額だ。道中で得た魔石や素材の売却分は、これとは別になる。
「……草で、これだけになるんですね」
「見つけて、選んで、あそこから運んできた分も入ってるからね。いつも同じだけ採れるわけでもないよ」
「はい。俺一人だったら、まず通り過ぎてました。九階層まで下りて、狼だけ倒して帰ってたと思います」
大河が言うと、宮原は笑った。
「次は、足元も見てみるといい。全部持ち帰ろうとしなくていいから、気になった物を覚えておくだけでも違うよ」
「そうします。名前が分かっても、採り方まで分かるわけじゃないんで。また聞いてもいいですか?」
「もちろん。今日みたいに、切る前に聞いて」
大河は礼を言い、スマートフォンへ青脈草の写真を保存した。名前だけでなく、どこに生えていたかと、納品できた葉の状態も書いておく。
横から覗いた悠真が、自分の画面も見せてきた。
「俺、似てる方の草も撮ってきた。並べたら分かりやすいだろ」
「あ、それ欲しい。俺、正解の方ばっかり撮ってた」
「送っとく。あと、宮原さんが切ってたところも、一枚ある」
「それも頼む。次に見つけた時、どこから切るんだっけってなりそうだから」
写真を受け取り、二枚を並べる。岩陰で見た時より、葉の筋の違いがよく分かった。
今日のうちに、覚えておきたい。
大河は画面へ顔を近づけ、しばらく見比べていた。
宮原と別れたあと、悠真が隣で腕を伸ばした。
「今日は、脚より腰に来たな。しゃがんでる時間、結構長かった」
「俺、指もちょっと疲れた。剣を握ってる時と、全然違うところ使った感じがする」
「握り潰さないように、ずっと気を使ってたからじゃない?」
「そうかもしれない。途中から、葉を持つより、切る方が楽だった」
歩き出すと、夕方の通りには仕事帰りらしい人たちが増えていた。大河は買い物袋を下げた人とすれ違い、今日の夕食を考える。
収入の確認画面を開いてから、もう一度閉じた。
「この分、次の装備代に回そうかな」
「何か買うの?」
「まだ決めてない。今日みたいな仕事で稼いだ分だけ分けておいたら、結構貯まるかなって。欲しい物が出た時、迷わず買えるように」
「なるほどな。俺は、槍の手入れ代が戻ってきたって思ってた」
「そっちもあるか。稼いでも、使うところあるよな」
悠真が頷いた。二人とも食べるし、家へ帰れば生活費もかかる。今日の金額を見て嬉しくなったが、全部をそのまま好きな物へ使えるわけではない。
それでも、魔物を倒して得た物とは別に、自分で切って持ち帰った葉が収入になった。
大河はそのことを、もう少し喜んでいたかった。
「でも、また行きたいな。あの草、次は俺の方が早く見つけるから」
「そこで張り合うのかよ。俺も、今日の最後は結構分かるようになってたぞ」
「じゃあ、次は踏みそうになる前に教えてくれ」
「最初に踏みかけた話、当分使えそうだな」
「それ、もう終わった話だろ!」
悠真が笑い、大河も笑った。
分かれ道で手を振ってから、大河は駅へ向かった。歩きながら、明後日の探索予定を思い出す。一人で潜るつもりだったが、持っていく物へ、小さな鋏とケースを加えておこうと思った。
まずは、知っている草を見つけるところからだ。
スマートフォンの買い物メモへ二つ書き足し、大河は改札へ歩いていった。




