一人分じゃない夕食
天井の岩陰で、黒い翼が開いた。
大河は剣を構えたまま待った。ブレードバットが身体を傾け、通路へ降りてくる。すぐには振らず、こちらへ向かう影と、その先にある岩の張り出しを見比べた。
「……今度こそ、だぞ」
翼が傾く。曲がろうとする先へ狙いを動かし、大河は剣を振り抜いた。
飛んだ魔力の刃が、翼の根元へ入った。
甲高い鳴き声とともに、ブレードバットが落ちる。大河はほかに飛び出してくる影がないことを確かめてから近づき、地面でもがく相手へとどめを刺した。
「よしっ! 今のは、一発目でしたよね!」
【当たった!】
【ちゃんと待てたな】
【言ったとおり一発目だった】
【さっきより喜んでて草】
「そりゃ嬉しいですよ。あれだけ外して、次も同じだったら悔しいじゃないですか」
大河は笑いながら剣を下げた。さっきの三体がいた場所より、天井は低い。相手が一体だったことにも助けられたが、飛んでいる間に当てられたことは変わらなかった。
魔石を回収して立ち上がると、スマートフォンへ通知が届いた。
『一発目だったな』
悠真からだった。大河は思わず声を出して笑い、短く返事を送る。
『見届けてくれてどうも』
【悠真くんか?】
【まだ見てるんだな】
【友達に成功するとこ見せられてよかったな】
「はい。帰ってから話すこと、一個増えましたね。外した話だけで終わらなくてよかったです」
その後も十二階層を調べ、下りる階段の位置まで確かめたところで、大河は引き返した。まだ先へ進みたい気持ちはあったが、帰ると決めていた時刻が近い。今日作った地図を保存し、通ってきた道を戻った。
外へ出た時には、空が夕方の色になっていた。
「今日は、ここまでです。飛ぶ相手に結構手間取ったんで、予定より進めませんでしたけど。次に来たら、もうちょっとうまくやります」
【一発目当てたからな】
【肩の防具見てもらえよ】
【お疲れ!】
【悠真くんとの反省会も配信しよう】
「それは、本人に聞いてください。たぶん俺が外したところ、何回も戻して見るんで、あんまり公開したくないです」
笑って手を振り、配信を切る。ドローンを収納してから、大河はもう一度、肩の傷へ触れた。
今日は剣だけでなく、これにも助けられた。
帰りに店へ寄ることを忘れないよう、スマートフォンへ書き込んでおいた。
*
「ここだろ。こいつ、もう逃げ始めてる」
「いや、戻しすぎ。そこ、まだ俺が撃ってないところだって」
「だからだよ」
ギルドの休憩スペースで、悠真が画面を止めた。
翌日、大河が持ってきた配信の記録を、二人で覗き込んでいた。訓練場で身体を動かしたあとのため、悠真の髪はまだ少し濡れている。机には飲みかけの水と、大河のスマートフォンが置かれていた。
画面の中では、大河が天井へ剣を向けていた。その先にいるブレードバットは、すでに翼を傾けている。
「……ほんとだ。撃ってからじゃないんだな」
「見てる時は、俺も飛斬を避けたと思ったけど。止めると分かるな」
悠真が少しだけ先へ送る。魔力の刃が飛び、ブレードバットの下を通り過ぎた。
大河は背もたれへ身体を預けた。
「俺、この時、もうちょっと速く撃てば当たると思ってたんだよ。だから、次は急いで振ってる」
「それで、また外したのか」
「……そう。そこまで丁寧に確認しなくていいから」
「いや、せっかくだし見ようぜ。三発目は?」
「当たるの、そのあと!」
悠真が笑い、大河もつられて笑った。戦っていた時には腹が立って仕方なかったが、座って見返すと、空振りした自分が天井を睨んでいる顔まで映っている。
ドローンは、余計なところまでよく撮っていた。
「でも、最後のやつはよかったよな。逃げる方へ撃ったやつ」
「あれは気持ちよかった。もう一回同じのが来たら、今度は最初からって思ってたら、本当にいたし」
「そこも見た。あの時だけ、終わったあとこっち向くの早かったぞ」
「一発目だったって、誰かに言いたかったんだよ」
「俺にも送ってきたもんな」
「そっちから来たんだろ!」
二人の声に、少し離れた席の探索者が顔を上げた。大河たちは声を落とし、画面へ向き直る。最後の一体を落としたところまで見ると、悠真は満足したように頷いた。
大河はスマートフォンを伏せ、水を飲んだ。
「そういえば、今日も一人で行かなかったんだな。昨日も配信見てたし、しばらく潜らないの?」
「明日は行くよ。今日は槍の手入れを頼んでたから、受け取りに来た」
「訓練用の方じゃなくて?」
「本物。あっちも使いっぱなしにはできないだろ。大河の肩は、どうだった?」
「防具の方は大丈夫だった。留め具も見てもらったけど、そのまま使えるって。身体は、昨日も言ったけど擦られただけ」
「ならよかった。画面だと、結構当たったように見えたんだよな」
悠真が自分の肩を軽く叩いた。大河も同じところへ手をやり、翼がぶつかった時の音を思い出す。
「あれ、着てなかったら普通に斬られてたと思う。買った時は高いなって思ったんだけど、昨日は帰り道で、買ってよかったなって何回も思った」
「分かる。使ったあとだと、値段の見え方変わるよな」
「そうなんだよ。できれば傷つけずに帰りたいけど、俺の代わりに傷ついてくれたわけだし」
飲み終えた容器を片づけ、二人で事務所を出た。悠真の槍を受け取りに行くところまで付き合うと、通りの店から夕食の匂いが流れてくる。
大河が足を止めた横で、悠真も看板を見上げた。
「……腹減ったな。何か食って帰る?」
「食べたいけど、今日は家にある物使いたいんだよな。明日も残ってたら、さすがに困る」
「何があるの」
「肉と野菜。昨日、店に寄ったついでに買って帰ったんだけど、野菜が思ったより多かった」
買う時には、何食かに分ければ食べきれると思っていた。実際に冷蔵庫へ入れると、袋の中にあった時より存在感があったのだ。
悠真は少し考え、大河を見た。
「じゃあ、そっちで食っていい? 足りない分、俺も買うから」
「うちで?」
「嫌ならいいけど。肉と野菜なら、何とかなるだろ」
「いや、いいよ。……椅子、一個しかないけど」
「床で食える」
「それなら大丈夫。二人で食べれば、たぶん今日で片づくし」
大河はスマートフォンを出し、朝の冷蔵庫を思い返した。悠真が隣で、今度はスーパーの場所を調べ始める。
何を食べるか決めているうちに、さっきまで気になっていた店の看板から、二人とも離れていた。
*
「お前、これ買ってきた時、自分が一人暮らしなの忘れてただろ」
部屋の小さな台所で、悠真が白菜の袋を持ち上げた。
大河は冷蔵庫から肉を出しながら、その大きさを見た。店では隣に丸ごとの白菜が並んでいたせいで、これなら小さいと思ったのだ。
「安かったんだよ。それに、高尾から帰ってから、ちゃんと野菜も食べようと思って」
「食べるのはいいけど。鍋、どれ?」
「そこ。下の棚」
取り出した鍋と白菜を見比べ、悠真が黙った。
大河は肉のパックを置き、横から覗き込む。
「……二回に分けよう」
「うん。それがいいと思う」
結局、切った野菜の半分は袋へ戻した。肉と一緒に鍋へ入れ、買ってきた汁を注ぐ。大河が火を見ている間に、悠真は使った包丁とまな板を洗った。
自分以外の誰かが台所に立っていることに、大河は少しだけ落ち着かなかった。冷蔵庫を開けようとしてぶつかりかけ、二人で横へ避けて、同じ方へ動く。
「そっち行くなら、先に言ってくれ」
「ごめん。ダンジョンの外でも、これやるんだな」
「今の、完全に二人とも同じ道行こうとしただろ」
笑いながら場所を譲ると、鍋の蓋が小さく鳴り始めた。
机の上を片づけ、鍋敷きの代わりになる物を探す。悠真に椅子を勧めたが、結局、二人とも低い机の前へ座った。大河は器へ肉と野菜をよそい、湯気の向こうへ差し出す。
「熱いから、気をつけて。あと、味は俺が作ったわけじゃないから、たぶん大丈夫」
「そこまで予防線張らなくても食うって。いただきます」
「いただきます」
一口食べると、思っていたより腹が減っていたことに気づいた。大河が続けて箸を伸ばす横で、悠真も肉を取っている。二人で黙って食べ、少し落ち着いてから、ようやく話が戻った。
「大河って、高校の時から探索者になるつもりだったの?」
「うん。卒業したらなるって決めてた。ずっと配信見てたし、自分でも潜ってみたかったから」
「それで東京に来たんだ」
「こっち、行ってみたいダンジョン多かったし。初めて実物の入口見た時、結構嬉しかったよ。配信で見たところだって」
箸を止めると、登録したばかりの頃の景色が浮かんだ。管理所の前で装備を確かめている探索者も、入口から戻ってきた人たちも、あの時は全部が珍しかった。
「……今なら、あの時の俺に言いたいこと、結構あるけどね」
「何から言う?」
「その金の使い方、ちょっと待てって。あと、一人で分かんないこと全部決める前に、誰かに聞けって言う」
「今も、とりあえずやってみる方じゃないか?」
「そこは、あんまり変わってないかもしれない」
大河は苦笑し、器へ汁を足した。悠真も笑ったが、すぐに次の肉へ手を伸ばす。
「俺、高尾は一人で行く気しないんだよな。十日も誰とも普通に喋らないの、無理そう」
「配信してたから、俺は喋ってたよ。飯の時も、結構コメント来てたし」
「寝る前は切るだろ?」
「ああ……うん。切ってからは、静かだった」
ほかの探索者が近くにいれば、話し声は聞こえた。自分から挨拶をすることもあったが、毎晩、同じ誰かとその日の話をしたわけではない。
大河は鍋の中を見て、残っていた肉を悠真の器へ入れた。
「でも、やってる間は次の日の道とか、そっちを考えてたかな。帰ってからの方が、十日もいたんだなって思った」
「また一人で長く潜りたい?」
「行きたい。今なら、持っていく物も変えるし、もうちょっとうまくやれると思うから。……悠真は、ずっと誰かと潜る方がいい?」
「一人でも行くよ。ただ、泊まりが長いなら誰かいた方が楽しいかな。迷った時、文句言う相手もいるし」
「俺、文句言われる側になりそうなんだけど」
「二人で迷ったら、お互い様だろ」
大河は声を出して笑った。
国分寺でも、道を間違えかけた。どちらか一人がいれば、何でも分かるようになるわけではない。それでも、戻りながら何か話せる相手がいるのは、確かによかった。
空いた鍋へ残りの野菜を入れ、もう一度火にかけた。二人分の夕食は、一人で食べる時より片づくのが早い。
待っている間に、大河のスマートフォンが震えた。母からのメッセージで、今日は何をしていたのかと書かれている。
大河は鍋へ顔を向けた。
「写真、撮ってもいい? 母さんから。今、飯食べてるって送る」
「俺、入らない方がいい?」
「どっちでも。嫌なら鍋だけ撮る」
「なら、別にいいよ。……これ持ったままでいい?」
悠真が器を持ち上げる。大河は机の端に寄っていた袋をどけ、鍋と、その向こうに座る悠真を一枚撮った。
『ギルドの友達と鍋。野菜も食べてる』
送ってから、もう一度画面を見た。
東京へ来てから、食べた物の写真を送ったことはあった。探索の報告も、無事に帰ったという連絡もしている。
友達が部屋へ来ていると伝えるのは、初めてだった。
「何て送ったの?」
「野菜も食べてるって」
「そこ、俺じゃなくて白菜が主役なんだな」
「いや、友達とって書いたよ。……あ、返ってきた」
母からは、二人で食べるなら全部食べきれそうだね、という返事が来た。その下に、悠真へもよろしくと続いている。
大河が伝えると、悠真は少し姿勢を正した。
「こちらこそ。……って、これ何に対してのこちらこそなんだ?」
「俺に聞かれても分かんないよ」
二人でまた笑い、火を止めた鍋を机へ戻した。
明日は、それぞれ別の探索へ行く。悠真は自分の予定を話し、大河も八王子の続きをどうするかを話した。どちらの話にも、相手の知らない道と魔物が出てくる。
「じゃあ、明日はそっちの話も聞かせてよ。俺だけ外した話、何回もされるの嫌だから」
「分かった。大河も、一発目のあと全部当たったことにはするなよ」
「してないだろ、そんな話!」
言い返しながら、大河は器を差し出した。悠真が野菜をよそい、自分の分にも箸を伸ばす。
画面を伏せたスマートフォンの横で、湯気がゆっくり上がっていた。




