飛ぶ相手
頭のすぐ上を、黒い翼が掠めた。
大河は身を沈めたまま剣を振り返したが、魔力刃は空を切った。頭上へ逃げた影を追って顔を上げると、もう一体が岩の陰から飛び出してくる。
「そっちにも、いたのかよ!」
全身へ雷を巡らせ、横へ跳ぶ。硬い翼の先端が肩の防具を擦り、嫌な音を立てた。痛みより先に衝撃が来て、大河は着地した足を踏み直す。
八王子ダンジョンの十二階層。
天井の高い区画へ入ったところで、三体のブレードバットに襲われていた。一体ずつなら、大河の両腕を広げた程度の大きさだ。その翼の前縁は、濡れた金属のような光を帯びている。
【肩、大丈夫か】
【翼が刃物みたいになってるやつか】
【上にもう一体いるぞ】
【飛斬で落とせ!】
「擦っただけです。……撃ちたいんですけど、じっとしてくれないんですよ!」
大河は剣を振り、《飛斬》を放った。こちらへ向かっていた一体が翼を傾け、飛んだ斬撃の上へ逃げる。魔力の刃は奥の岩へぶつかり、欠片を散らした。
また外れた。
大河は歯を噛み、天井へ戻る影を見た。最初に放った一撃も、同じように避けられている。走って追いつくには高すぎるし、降りてきたところを斬ろうとしても、そのまま飛び抜けてしまう。
甲高い鳴き声が重なった。三体が頭上へ広がるのを見て、大河は入ってきた道へ下がった。
「一回、場所変えます。ここで上ばっかり見てると、首まで疲れそうなんで!」
剣を構えたまま退くと、一体が追って降りてきた。大河は飛びかかる影を見て、さらに二歩下がる。翼が通路の張り出した岩へ触れ、乾いた音を立てた。
ブレードバットが、羽ばたいて上へ逃げる。
大河は通路の途中で足を止めた。今、ぶつかりかけた岩を見上げ、奥へ広がる空間と見比べる。ここなら、さっきほど自由には飛べない。
「……よし。ここで、やってみるか」
*
悠真と初めて潜ってから、一か月近くが経っていた。
二人での探索は、あれから三度。そのほかにも、真壁たちとの依頼や、一人での攻略を続けている。訓練場へ行けば悠真と顔を合わせることも多く、三対三だった勝負の数は、もうどちらも正確に覚えていなかった。
大河のレベルは、六十四になっている。
強くなった実感はあった。以前なら大きく避けていた攻撃を、小さく外して返せることも増えた。《飛斬》も、地面に立つ魔物へなら、かなり狙いをつけられるようになっていた。
それなのに、頭上を飛ばれるだけで、こんなに当たらない。
「……腹立つなあ」
大河は呟き、通路の奥を見た。三体はまだ追ってきている。上へ逃げる場所を探すように、岩の近くで旋回していた。
【珍しく素直に悔しがってる】
【さっきから二発避けられたしな】
【飛んでる相手は難しいぞ】
【当たれば落ちそうなんだけどな】
「そうなんですよ。剣が届くところまで来てるのに、振った時にはもう上なんです。……ちょっと、静かになりますね。ちゃんと見たいんで」
大河はドローンを自分の後方へ移した。背中側には、先ほど通ってきた道が続いている。追い込まれそうなら、さらに戻れる。
雷の循環を保ち、剣を胸の前へ構えた。
最初の一体が降りてきた。
大河は足を止めず、相手の飛ぶ方へ少しずつ身体を向ける。低くなった影が斜めに走り、翼の先端をこちらへ向けた。大河は剣を振り上げかけたが、その向こうでもう一体が降りるのを見て、攻撃をやめた。
横へ跳ぶ。
一体目がすぐ脇を抜け、二体目の翼が続いて迫った。剣を斜めに当てて外へ逸らすと、鋭い音とともに腕へ衝撃が返る。大河は押し返そうとせず、その勢いから身体を逃がした。
「っ、順番に来るなよ!」
三体目は、まだ高い。
大河は通り過ぎた二体へ目を向けた。一体はすぐに翼を広げ、上へ向きを変えている。もう一体は大きく回り、張り出した岩を避けてから戻ろうとしていた。
剣を構えると、そちらの翼が傾いた。
まだ振っていない。
「……俺の剣、見てるのか?」
大河は切っ先を少し動かした。相手は同じように横へ流れ、正面から外れる。天井の近くで旋回していた一体も、こちらへ降りるのをやめた。
撃ってから避けられたと思っていた。実際には、剣を振る前から動いていたのかもしれない。
大河は構えを戻し、息を吐いた。
「だったら……もう一回、来いよ」
ブレードバットが鳴いた。高い位置にいた一体が降り、通路の岩を避けて内側へ傾く。大河はその進路へ剣を向けた。
相手が外へ逃げる。
大河は、まだ振らなかった。
翼が広がり、岩の手前で曲がり始める。その先へ狙いを移し、今度こそ剣を振り抜いた。
「そこだっ!」
飛んだ斬撃が、黒い翼の根元を裂いた。
甲高い悲鳴が響く。ブレードバットは大きく傾き、通路の壁へぶつかって落ちた。大河はそちらへ駆け寄りかけたが、頭上から来る影を見て、剣を構え直す。
「よし、当たった! ……けど、まだ二体!」
肩へ突っ込んでくる一体を避け、降りた翼へ剣を返した。切っ先が前縁へ当たり、硬い手応えを残して滑る。浅い傷をつけられただけで、相手は再び上へ逃げた。
【一体落ちた!】
【曲がった先に撃ったな】
【落ちた方、まだ動いてるぞ】
【焦るな、二体見ろ】
地面へ落ちた一体は、傷ついた翼で身体を引きずっていた。近づけば、まだ噛みついてくるだろう。大河はそちらを片側へ置き、飛んでいる二体に正面を向けた。
続けて来るなら、先に一体を止める。
大河は剣へ送る魔力を増やした。半透明の刃が厚みを増し、刀身の周囲でスパークが弾ける。腕を大きく振りかぶらず、胸の前で待った。
一体が低く飛び込んでくる。
大河は横へ動きながら、迫る翼へ刃を合わせた。
「今度は、通れっ!」
重い衝撃が腕へ返った。魔力刃が硬い前縁へ食い込み、その奥まで裂いていく。翼の半ばを失ったブレードバットが、大河の脇へ落ちた。
残る一体が、その頭上から降りてきた。
背筋へ警告が走る。大河は顔を上げ、迫る翼の位置を見た。剣はまだ低い。振り上げるより先に、身体を沈めて横へ跳んだ。
耳のすぐ近くで、風が鳴る。
「危なっ……!」
着地した大河は、通り過ぎた影へ向き直った。相手が岩を避け、通路の中央へ戻ってくる。先ほど当てた一体と、近い飛び方だった。
剣を上げると、翼が傾いた。
大河はその動きに狙いを合わせた。逃げる先を見て、足を踏み直す。
「そっちだろ!」
《飛斬》が、翼と胴をまとめて斬った。
最後の一体が地面へ落ち、石の上を転がる。大河はすぐに剣を構え、三体の位置を確かめた。飛び上がる影がないことを見てから近づき、まだ動く二体へとどめを刺した。
鳴き声が止む。
大河は雷を解き、その場で長く息を吐いた。肩の防具を見下ろすと、表面に細い傷が走っている。腕を回してみても、動かすのに支障はなかった。
「……ああ、疲れた。地面を走ってるやつの方が、だいぶ戦いやすいですね」
【お疲れ】
【最後はちゃんと当てたな】
【当たらない時ちょっと焦ってたろ】
【飛斬があってよかった】
「焦りました。俺、飛ばせるようになってから、届くなら何とかなると思ってたんで。あんなに外されると、結構きますね」
剣を下げ、倒れたブレードバットへ目を向ける。最後の一体には、きちんと刃が入っていた。地上へ引きずり下ろせたことが嬉しくて、大河は口元を緩めた。
「……でも、最後は当てましたよ。もう一回会ったら、最初から今のをやりたいです」
【出た】
【悔しかった分、次やりたいんだな】
【まず魔石拾え】
【肩もちゃんと見ろよ】
「見ますって。今すぐ探しに走ったりしないんで、そこまで心配しなくても大丈夫です」
*
魔石と回収できる素材を収納し、見通しのよい通路まで戻った。
ここは安全エリアではない。大河は周囲を確かめ、短く水を飲んでから、肩の防具を外さずに留め具を点検した。斬られたところは表面の傷で済んでいる。買い替える時には少し高いと思ったが、今は着てきてよかった。
「これ、なかったら肩も切れてたかもしれないですね。……帰ったら、店で見てもらおうかな」
【防具代を惜しむなという実例】
【三十万超えてたやつか】
【働いてくれたな】
「はい。次、買い物の話になったら、防具って大事ですよって、かなり説得力を持って言えると思います」
大河は笑い、スマートフォンへ手を伸ばした。地図を開く前に、今日の戦闘の配信記録をあとで見返すため、時刻を控えておく。
狙った時、剣をどう上げていたのか。ブレードバットが避け始めたのは、どこだったのか。自分の目では追いきれなかったところを、別の角度から見たかった。
藤堂へ聞きたいこともできた。
相手を見ていたつもりでも、自分の方が分かりやすく動いている。訓練で悠真に顔を見られていた時も、少し似ていたのかもしれない。
「……悠真には、先に言っておくか」
【何を?】
【今の戦闘の話?】
「こういう相手がいたって話です。今度ここへ来るなら、知ってた方がいいと思うんで。槍が長くても、あそこまで上にいたら届かないでしょうし」
メッセージを送ると、少しして返信が来た。
『今見てた。二発目外した時、うわって声出た』
大河は画面を見て、顔をしかめた。さらに続けて、もう一通が届く。
『最後のはよかった。俺も飛ぶやつ相手は嫌い』
「見てたのかよ……」
【友達も視聴中だった】
【悠真くん、コメントしていいんだぞ】
【配信見ながら個別に送ってくるの草】
「今、最後はよかったって来ました。最初の二発のことも、ちゃんと書いてありますけど」
大河は笑いながら返信した。
『帰ったら話す。次は一発目から当てる』
送ってから水をしまい、剣を握り直した。まだ奥へ進める時間はある。魔力の消耗を確かめ、雷を使わずに歩き始める。
通路の先では、天井がまた高くなっていた。
大河は足を止め、岩の張り出しと、戻る方の道を見比べた。進む前に上へ目を向ける。さっきまでは、足元にばかり気を配っていた。
「じゃあ、続けます。次に同じのが出たら、さっきよりうまくやるんで、見ててください」
【言ったな】
【一発目、期待してるぞ】
【天井ちゃんと見ろよ】
「はい。……今は、かなり見てます」
大河は剣を抜いたまま、ゆっくり奥へ進んだ。頭上で小さな影が動くと、すぐに足を止める。翼を畳んで岩へ掴まっている姿を見つけ、今度はこちらから距離を測った。




