声をかけた理由
建物の入口に、《道標》と書かれた小さな看板があった。
大河はスマートフォンの案内と見比べ、ガラス扉の向こうを見る。受付の机があり、その奥では何人かが話していた。鎧を着た探索者が並んでいるわけではなく、外から見ると普通の事務所に近い。
高尾から帰って五日が経っていた。よく眠り、食べ、身体を動かしても痛むところがないことを確かめてから、面談の日を迎えている。今日は配信をしていない。大河はスマートフォンをしまい、扉を開けた。
「こんにちは。面談の約束をしている、天草です」
受付へ名前を伝えると、女性が立ち上がった。
「お待ちしていました。こちらへどうぞ」
通された部屋には、二人の男性がいた。窓側に座っていた方は四十代ほどで、襟のついたシャツを着ている。もう一人は大河より十歳ほど上に見え、椅子から立つ時に、こちらへ軽く手を上げた。
「よく来てくれたね。《道標》のギルドマスターを務めている、榊修一です」
「藤堂亮介。こっちは探索者で、Bランク。君を推薦したのは俺だよ」
大河は二人へ頭を下げ、勧められた椅子へ座った。藤堂は思っていたより気軽な話し方だったが、向かいへ座ると、肩も腕も大きい。配信の画面越しに見ていた上位探索者が、今は同じ机を挟んでいる。
「天草大河です。今日は、よろしくお願いします。……本当に見てくれてたんですね、俺の配信」
「見てたよ。昼に開くと、だいたい飯食ってたけどな」
大河は顔を上げた。藤堂が笑っている。
「最後まで見た。帰って風呂に入りたいって話も聞いたから、面談は急がせないでくれって頼んでおいた」
「ありがとうございます。あの日だったら、ここでも寝てたかもしれないです。換金を待ってる間にも、寝ちゃったんで」
「それなら、待ってよかった」
榊が頷いた。机へ置かれた資料にはギルドの名前があったが、まだ契約書を差し出される様子はない。大河は少し肩の力を抜き、出されたお茶へ手を伸ばした。
「まず、おめでとう。初めてのEランクで、高尾を単独攻略した。立派な実績だと思う」
「ありがとうございます。……十日かかりましたけど」
「十日で帰ってきた、とも言えるね。道を探す時間も、休む時間も探索のうちだよ」
榊の言葉を聞き、大河は頷いた。魔物を倒した時間だけなら、あの十日間の一部でしかない。行き止まりの前で地図を見ていたことも、寝床を探して歩いたことも、今ならすぐに思い出せた。
藤堂が机へ肘をつき、大河を見る。
「で、どうして声をかけたか。気になってるだろ?」
「はい。雷のスキルとか、アイテムボックスですか? 便利なのは、俺もかなり助かってるんですけど」
「それもある。十八歳であの組み合わせを持ってるのは魅力だ。でも、俺が榊さんに見てくれって言ったのは、二十階の戦闘だった」
大河は、鉄の棍棒を持ったオーガロードを思い浮かべた。高尾の途中から見ていた、という程度ではないらしい。藤堂は指で机を軽く叩き、話を続ける。
「棍棒を避けたら、空いてる手が来た。君はそこから、棍棒だけを追わなくなった。自分も剣だけじゃなく、蹴りや左手を使ってたな」
「近づくと、あっちも殴ってくるんで。剣を振れるところに入ったからって、こっちだけ攻撃できるわけじゃなかったです」
「そう。それを戦ってる途中で変えられる。うまくいったやり方に、いつまでもしがみつかない。俺はそこがよかった」
大河はお茶を机へ戻した。強かったと言われることはあったが、あの戦闘の途中で何を考えていたかを、こんなふうに話されたことはない。
「盾持ちの時もそうだった。剣で押せないから、盾を引いて蹴った。ゴーレムには殴り続けず、腕をずらして刃を入れた。毎回、相手を見てる」
「……全部、見てたんですね」
「結構、面白かったからな」
藤堂が笑い、大河もつられて笑った。そこで榊が、手元の資料へ目を向ける。
「亮介から推薦されたあと、私も配信を確認した。今の戦力としても、これから伸びる探索者としても、うちへ来てほしいと思った。それが今回の連絡の理由です」
胸の奥が、少し熱くなった。
自分より先を歩いている探索者が、自分の戦いを見ていた。便利なスキルを持っていることだけでなく、戦いながら考えたことまで見て、声をかけてくれたらしい。
「ありがとうございます。そう言ってもらえるの、嬉しいです。最後は、かなり危なかったですけど」
「うん。そこは、話しておきたい」
藤堂の声が少し落ち着いた。大河も笑みを引っ込め、相手へ顔を向ける。
「勝ったから、あの戦闘が全部よかったとは言えない。左腕を斬ったあと、蹴りをもらって倒れただろ。あそこは見てて、肝が冷えた」
「……俺も、倒れてからは本当にやばいと思いました。起きようとしたら、もう剣が上にあったんで」
「転がったのはよかった。立つことにこだわってたら、間に合ってないと思う」
大河は机へ置いた左手を見る。床へ落ちた時、握っていた剣だけは離さなかった。あの重い音を、今も覚えている。
「蹴られる前は、どうすればよかったんですか。左手が剣から離れたんで、下がれると思ったんですけど」
「左手が離れたから、大剣の戻りは変わる。でも、脚は残ってる。君はあの時、剣を避けて下がろうとして、まだ蹴りが届くところにいた」
「剣から離れたつもりでも、身体からは離れてなかった……ってことですか?」
「そう。刃が通る場所を外すのと、相手の攻撃が届かないところへ出るのは、同じじゃない。あいつ、剣を振りながら自分も近づいてただろ」
大河は顔を上げ、椅子の上で少し身体を前へ出した。確かに、相手はその場に立って剣だけを振っていたわけではない。避けた先にも、太い足が届いた。
「じゃあ、後ろへ下がるより横へ抜けた方がよかった?」
「その選択もある。ただ、配信の映像だけで、必ずそれができたとは言わないよ。こっちは君が見てた角度とも違うからな」
藤堂は机の上に手を置き、指で二人の位置を示した。大河もそこを見て、オークの大剣が動いた方向を思い返す。何度も頭の中で振り返っていた場面に、別の見方が加わっていった。
「……俺、左腕に入った時、少し嬉しくなってたと思います。ちゃんと斬れたから」
「だろうな。あそこで喜ぶのは分かる。でも、傷をつけたことと、相手が攻撃できなくなったことは別だ」
「はい。右手だけで振ってきたの、見てから慌てました」
藤堂は頷いた。大河が続きを聞こうとしたところで、榊が小さく笑う。
「その話を始めると、亮介も長くなる。先にギルドの説明をしてもいいかな」
「あ、すみません。俺、会ったら聞きたいと思ってたんで、つい」
「いいんだ。質問しに来てくれたのは、こちらも嬉しい」
大河は座り直した。机へ手を伸ばし、今度は資料を自分の前へ引く。藤堂も椅子へ背中を預けたが、その顔にはまだ笑みが残っていた。
*
《道標》に所属している探索者は、四十二人だという。
CランクとDランクが多く、Bランクは藤堂を含めて三人。いくつかの攻略班があり、探索者とは別に、依頼や事務を担当する職員もいる。榊は資料をめくりながら、活動の様子を話した。
大河が最初に確かめたのは、ソロで潜れるかどうかだった。
「俺、今のところは一人でも続けたいです。誰かと一緒に行くのが嫌なんじゃなくて、自分で試したいこともあるんで。所属したら、毎回パーティで行くことになりますか?」
「いいえ。単独で活動している所属者もいます。固定の攻略班へ入るかどうかは、別に相談します」
「なら、共同の探索に参加しながら、一人でも行けるんですね」
「できます。ただ、共同依頼を引き受けた時には、決めた日程と役割を守ってもらう。途中で試したい相手を見つけたからといって、一人で別の道へ行かれては困るからね」
「それは、しないです。みんなで受けた仕事なら、そっちが先なんで」
大河が答えると、榊は頷いた。藤堂が横から、資料の一か所を指す。
「一緒に潜る時は、戦い方も合わせることになる。君が速く動けても、後ろの魔法が来るところへ入ったら危ない。そこは訓練で覚えてもらう」
「分かりました。俺、ずっと一人だったんで、誰かが撃つ場所とかは、まだ分からないと思います」
「分からないって言えるなら、教えられるよ」
費用についても尋ねた。
会費は月二万円。ギルドが仲介した依頼には、別に仲介手数料がかかる。個人で潜って得た素材や、今の個人配信の収入は、それぞれのものだという。共同探索の分配は、その探索の参加者と事前に決める。
「一人で取ってきた魔石まで、全部こっちへ出すわけじゃないんですね」
「そうです。素材の売却をこちらへ任せるなら、その手続きについて相談する。自分で売るなら、それで構いません」
大河は資料へ目を戻した。会費で利用できる物の中には、訓練場と、ギルドが蓄積している探索情報がある。指導は相手の予定に合わせて予約するため、藤堂を好きな時に呼べるわけではなかった。
「亮介も探索へ出ますからね。いつでも先生として待っている、という形ではありません」
「はい。そこは大丈夫です。教えてもらえるなら、俺の方も予定を合わせたいです」
「ほかの所属者と練習することもできる。俺だけとやるより、その方がいいよ。剣を使う相手ばかりじゃないからな」
藤堂の言葉に、大河は頷いた。槍や弓を使う探索者がいることは知っている。高尾でも見た。ただ、人がそれを使うところを、近くで確かめた経験はまだ少なかった。
「配信は、今までどおり続けられますか?」
「個人の探索配信は続けられます。共同探索では、参加者と依頼元の了承を取ってください。訓練場も同じです。映されたくない人や、公開したくない技術がありますから」
「勝手には撮らないです。今日は、ドローンも出してないんで」
「ありがとう。こちらからも、君の未公開の能力を配信で話すつもりはありません」
大河は顔を上げた。榊は資料から目を離し、まっすぐこちらを見ている。
「一緒に探索するなら、必要な情報を共有してほしい場面はある。ただ、それを視聴者へ公開することとは別です。その辺りも、所属前に確かめてください」
「……はい。そこは、ちゃんと相談したいです」
《レベルアップ補正》の効果まで、ここで話すつもりはなかった。推薦してくれた相手でも、今日会ったばかりだ。大河は必要なことを聞きながら、説明された条件へ目を通していった。
いい話だけが並んでいるわけではない。会費はかかるし、共同で活動するなら自分だけで決められないことも増える。それでも、訓練場の写真を見た時には、思わず手が止まった。
広い床の上で、二人の探索者が武器を構えている。
「……ここ、見せてもらえますか?」
「もちろん。そのつもりで時間を取ってあります」
榊が資料を閉じ、立ち上がった。
*
訓練場は、事務所から少し歩いた場所にあった。
扉を開けると、武器がぶつかる乾いた音が聞こえてきた。奥では二人が模擬剣を使い、壁際では別の探索者が肩をほぐしている。誰かが声をかけると、向かい合っていた二人は動きを止め、距離を取った。
榊が大河を紹介すると、近くにいた探索者が手を上げた。
「高尾の子か。お疲れさん」
「あ、ありがとうございます」
「亮介が、いい新人を見つけたってうるさかったんだよ」
「うるさくはないだろ。見てくれって言っただけだ」
藤堂が返すと、相手は笑って水を飲みに行った。大河は二人のやり取りを見てから、床へ目を戻す。地図を調べなくても端まで見える、広い場所だった。
壁には、何種類もの訓練用の武器が並んでいた。防具もある。大河は片手剣に近い形の物を見つけ、その前で足を止めた。
「ここなら、部屋の机を気にせず振れますね」
「家で振ろうとした?」
「昨日、ちょっとだけ。やめましたけど」
「やめて正解だな」
藤堂は笑い、棚から訓練用の剣を取った。握った柄を確かめ、その先を下へ向ける。大河は相手の手元を見てから、顔を上げた。
「身体は、もう戻ってるんだよな。痛むところは?」
「ないです。昨日も少し動かしてみました。高尾へ入る前と、同じくらいには動けると思います」
「なら、軽く合わせてみるか。さっきの話も、動いた方が分かるところがある」
大河の目が、藤堂の持つ剣へ戻った。
Bランクの探索者と、剣を合わせる。
聞きたいことは、まだ残っていた。机の上で指を動かしてもらっただけでも、自分が見落としていたことがある。実際に相手が動いたら、何が分かるのだろう。
「……いいんですか?」
「稽古だからな。今日は雷と飛斬は使わない。まず、剣を持ってどう動くか見せてくれ。身体強化を使う時は、こちらから言う」
「分かりました。お願いします。俺、人とこうやって合わせるの、ほとんどやったことないんで」
藤堂が訓練用の剣を差し出した。大河は受け取り、柄を握る。マジックソードとは重さも感触も違ったが、構えた時の長さは近かった。
榊が壁際へ移り、二人へ場所を空ける。
「加入の返事は、今日出さなくていい。まず、うちで何ができるか知って帰ってください」
「はい。……ありがとうございます」
大河は頷き、藤堂へ向き直った。少し前まで話をしていた相手が、剣を持って向かいに立っている。藤堂は気負った様子もなく、軽く足を開いた。
大河は自分の剣を持ち上げた。魔物と向かい合う時とは違う緊張がある。それでも、口元には笑みが浮かんでいた。
「じゃあ、まず一本。遠慮せず来ていいよ」
「……お願いします!」
大河は床を踏み、剣を構え直した。




