眠れる場所
崩れた石柱の前で、大河はスマートフォンの画面と、右へ延びる道を見比べた。さっきは左を選び、いくつかの分岐を通って階段へ戻っている。今度はまだ線を引いていない方へ入り、柱が見えなくなる前に、帰りに探す目印を記録した。
道は途中から狭くなり、岩壁に沿って大きく曲がっていた。足元には平たい石が重なり、その隙間に砂が溜まっている。踏む場所を選んで進むと、先で天井が高くなった。
「ここは、まだ来てないですね」
【新しい道だ】
【今度こそ寝床あるといいな】
【地図が少しずつ埋まってきた】
開けた場所の奥には、左右に道があった。左は低い岩の向こうへ続き、右は壁の裂け目へ入っている。大河が左側を確かめようと近づくと、岩陰で何かが動いた。
灰色の毛に覆われた狼が、一頭、姿を現す。こちらへ鼻先を向けたまま低く唸り、その後ろからも二頭が出てきた。大河は足を止め、《鑑定》を使った。
【グレイウルフ】
【レベル:63】
【グレイウルフ】
【レベル:64】
【グレイウルフ】
【レベル:64】
先頭は正面に残り、ほかの二頭は左右へ離れ始めていた。オーガほど大きくはないが、足の運びが速い。大河は背後の道まで下がり、横から回り込まれる範囲を狭めた。
「今度は速そうだな」
【狼は横見ろよ】
【一頭見てると別のが来る】
【囲まれる前に下がったのはいい】
全身へ巡らせた魔力を雷属性へ変える。剣の周囲にもスパークが走ると、正面の一頭が身を低くした。大河はその脚を見ながら、左右の二頭も視界へ入れた。
正面の狼が跳びかかってきた。大河は横へ動いて牙を外し、すれ違う身体へ剣を振る。脇腹に刃が入ったが、止まらず走り抜けた狼へ追撃はしなかった。
右から来た一頭が、低い姿勢で脚へ飛びついてくる。大河は片足を引き、開いた口の横へ蹴りを入れた。狼の頭が逸れ、着地が乱れたところへ魔力刃を振り下ろす。
首元を斬られた一頭が崩れる。大河が剣を戻す間に、左の狼も地面を蹴っていた。正面から受けずに後ろへ下がると、牙が胸の前を通り過ぎる。
背後へ抜けられる前に身体を向け、着地した狼の後脚へ刃を走らせた。傷口で雷が弾け、脚が突っ張る。倒れかけた身体へ続けて剣を入れ、大河は最初に斬った一頭へ向き直った。
その狼は、まだ立っていた。脇腹から血を落としながら、こちらの動きを見ている。大河が構えると、唸り声を上げて突っ込んできた。
大河は踏み込まず、牙が届く手前で半歩横へ動いた。首へ振り抜いた魔力刃が深く入り、狼は足元を滑って倒れる。三頭とも動かなくなるまで確かめてから、身体の雷を解いた。
「……確かに、横から来るな」
【脚狙ってたぞ】
【蹴って向き変えたのよかった】
【オーガとは全然違うな】
「こっちばっかり見てたら、あれに噛まれてましたね」
大河は倒れた狼へ目を向けた。棍棒のように大きく振り上げる動きがなく、低いところから一気に距離を詰めてくる。速さでは上回っていても、三頭を追いかけ回すように戦えば、見ていない方から牙が届いていたかもしれない。
周囲を確かめ、魔石を回収する。地図へこの場所を書き足す時には、来た道の狭い部分も残した。広い場所へ出れば、いつでも戦いやすくなるわけではなかった。
*
左へ進んだ先は、奥へ行くほど天井が低くなっていた。
大河は腰を屈めて岩の下を覗いたが、その向こうには石が詰まっている。身体を押し込んでも通れそうにない。行き止まりを記録して分岐へ戻り、今度は壁の裂け目へ入った。
そこからも、すぐには辿り着けなかった。緩い坂を下り、似た形の岩が並ぶ道を進み、二度、行き止まりから引き返した。何度目かに時間を確かめると、夕方になっていた。
「……今日は、歩いてる時間の方が長いな」
【中層だからな】
【十五層までとは進み方が変わる】
【水飲んでるか?】
「飲んでます。少し休みますね」
大河は見通しの利く場所で腰を下ろし、水と軽い食料を取り出した。疲れているのは、脚だけではない。分岐のたびに地図を開き、岩の形を確かめ、帰る方向を覚えようとしていると、気づけば肩にも力が入っていた。
食べ終えてから、地図をもう一度見る。帰り道は記録できている。これ以上探しても見つからなければ、十五階層まで戻る時間も残しておかなければならない。
大河は探索を切り上げる時刻を決め、スマートフォンをしまった。立ち上がって肩を回し、まだ確かめていない道へ進む。
しばらく歩くと、前方から人の声が聞こえてきた。
大河は足を緩めた。曲がり角を抜けると、岩壁が大きく外へ膨らんだ区画があり、その端で二人の探索者が荷物をまとめている。地面には平たい石が露出し、奥には背の低い石積みが残っていた。
特別な光も、目立つ標識もない。ほかの場所より少し広く、腰を下ろしやすそうなだけに見えた。
「こんにちは」
二人のうち、リュックを背負いかけていた男が顔を上げた。大河は剣を下げ、少し離れた場所で止まる。
「すみません。ここって、安全エリアですか?」
「そうですよ。初めてですか?」
「はい。ずっと探してて」
男が頷くと、大河はようやく息を吐いた。思っていたより大きな息になり、相手が少し笑う。
「十六階層、道が分かりにくいでしょう。俺たちも最初は時間かかりました」
「一回、階段まで戻りました」
「ここも、道から奥が見えないんですよね」
男が指した入口を振り返る。曲がった岩壁が邪魔をして、道を歩いている時には、この広がりの大半が隠れていた。大河は地図を開き、最後の曲がり角からここまでの形を描き足した。
もう一人の探索者も荷物を背負い、二人は上層へ戻るのだと話した。大河が礼を言って道を空けると、男は軽く手を上げて歩き出す。足音が遠ざかったあと、大河は改めて区画の奥を見た。
「……見つかりました」
【よかった】
【本日の寝床確保】
【お疲れ、結構探したな】
「ありがとうございます。今日はもう、ここまでにします」
入口と奥の様子を確かめてから、壁際へ移動した。寝具を広げる場所を選び、《アイテムボックス》から椅子を取り出す。腰を下ろすと、歩いている間は気にしていなかった脚の重さが、はっきり分かった。
大河は背もたれへ身体を預けた。耳を澄ませても、魔物の足音は聞こえてこない。ここへ着くまで何度も確かめていた背後へ、つい、もう一度顔を向けてしまった。
「休めるって分かると、急に疲れが来ますね」
【ずっと気張ってたんだろ】
【今日はボスとも戦ってるしな】
【飯食って寝ろ】
「そうします。ちゃんと食べます」
*
夕食を食べ終える頃には、大河の肩から力が抜けていた。
食器を片づけ、剣と防具を手元へ置く。刀身の汚れを落とし、ブーツについた砂を払ってから、今日使った物と残っている物を確かめた。食料も水もまだ余裕はある。ポーションも、十五階層で補充できていた。
それを終えると、スマートフォンの地図を開いた。
行き止まりの印と、階段へ戻ってしまった輪。その先へ延ばした線の端に、今いる場所を書き込んである。十七階層へ下りる道は、まだ見つかっていなかった。
「午前中は五階層進んだのに、午後は一つも下りてないんだな」
【でも安全エリア見つけた】
【明日はここから始められる】
【それだけ歩いて地図もできたしな】
「はい。今日通ったところは、次は分かります」
大河は明日調べる分岐へ印をつけた。すべてを歩き直す必要はない。ここから戻れる場所を選び、まだ確かめていない道を調べていく。
画面を閉じると、剣へ目が向いた。十五階層の炎も、オーガの棍棒も、狼の牙も、まだ思い出せる。それぞれ違う相手だったが、今日は戦いを終えてからも、長く歩いた。
明日はどんな魔物がいるのか、という楽しみはある。ただ、寝具を出した今は、横になりたい気持ちの方が強かった。
「配信は、ここで終わります。明日も十六階層からですね」
【お疲れ】
【ゆっくり寝ろよ】
【明日も見る】
【今夜はちゃんと眠れそうだな】
「はい。お付き合いありがとうございました」
大河はドローンへ顔を向け、笑ってから配信を切った。機体を手元へ戻し、スマートフォンと一緒に充電の準備をする。明日の探索にも使う物だから、寝る前に忘れるわけにはいかなかった。
寝具へ入ると、岩の上とは違う柔らかさに、身体が沈んだ。手を伸ばせば届く場所に剣があることを確かめ、入口へ目を向ける。暗い道の先から、魔物が姿を現すことはなかった。
昨日は、見張りを交代する相手がいた。今夜、この区画にいるのは自分一人だ。それでも、次に起こされる時刻を気にせず、眠ることができる。
「……見つけてよかった」
誰に聞かせるでもなく呟き、大河は目を閉じた。高尾で迎える二度目の夜は、十六階層で越す。まだ先の長い探索のために、今夜はしっかり眠るつもりだった。




