中層
宝箱の蓋を開けると、大河は中を覗き込んだまま、少しだけ肩を落とした。並んでいたのはポーションと素材で、剣や指輪のような装備は見当たらない。三体から回収した魔石をしまった時には、もう少し期待していた。
「いや、助かるんですけどね」
【顔に出てるぞ】
【装備欲しかったか】
【さっき一本使ったんだから補充できてよかっただろ】
「それは本当に。腕、治せましたし」
大河は笑い、一つずつ《鑑定》で確かめてから《アイテムボックス》へ収めた。欲しい物が出なかったからといって、使える物まで軽く扱うつもりはない。箱を空にすると、立ち上がって左腕を動かし、装備にも異常がないか確かめた。
火傷の痛みは残っていない。ブーツの表面には煤がついていたが、足を動かすのに支障はなかった。水と食料、それからポーションの残りを確認し、奥へ続く道へ向かう。
「じゃあ、中層に行きます」
【いよいよか】
【道ちゃんと覚えろよ】
【今日は安全エリア探すところまででも十分だぞ】
「まずはそこですね。寝る場所が決まらないまま、先に進むのは嫌なんで」
昨日は、十階層でほかの探索者と見張りを分担できた。今日も誰かに会えるとは限らない。中層には魔物が近寄らない区画があると管理所で聞いているが、下りれば目の前にあるわけではなかった。
大河は階段の手前で時間を確かめた。高尾へ入って二日目の午後。まだ探索する時間はあるが、十五階層までと同じ速さで進めるとは思っていない。
ドローンが少し先を照らす中、大河は十六階層へ下りた。
*
階段を下りきった先には、斜めに傾いた石柱があった。
柱の根元は岩に埋まり、上の方は天井へ届く前に折れている。周囲にも削られた石が点在していたが、壁や床がきれいに揃っているわけではない。自然の岩場に、崩れた建物の一部が混じっているような景色だった。
大河は柱の横を抜け、前方を見た。道は大きな岩を挟んで左右へ分かれ、右側にはさらに細い隙間が続いている。上層でも曲がり道はあったが、ここでは階段から少し離れただけで、先の見通しが利かなくなっていた。
「……もう三つあるのか」
【中層へようこそ】
【まだ入口だぞ】
【ここから全部調べると時間かかる】
大河はスマートフォンを取り出した。地図として使うため、階段と折れた柱の位置を簡単に記録し、三つの道を線で描く。実際に歩いて確かめた部分から埋めていくつもりだった。
「最初は左にします」
【右は?】
【理由ある?】
「左の方が広いんで。戦うことになっても動きやすそうです」
剣を抜き、ゆっくり進む。左の道は緩く曲がり、途中から天井が低くなった。壁には細い亀裂がいくつも走っているが、同じようなものが先にも続いていて、目印にするには頼りない。
大河は振り返り、帰る時にはどう見えるかも確かめた。来た時には大きく見えていた岩が、反対側からだと壁の一部にしか見えない。曲がった回数だけ覚えていればいい、とも言い切れそうになかった。
少し先で道が広がった。左には石を積んだような壁が残り、その奥へ細い道が延びている。正面はなだらかな斜面になっていて、右側には人一人が通れるほどの隙間があった。
「また分かれてる」
【だから地図大事】
【帰りも見てるのはいいな】
【戦闘だけしてれば進む場所じゃないんだよな】
大河は立ち止まり、地図へ分岐を足した。階段からここまで歩いた距離は、それほど長くない。それでも、すでに選ばなかった道が五本残っている。
正面の斜面を上がると、岩が折り重なって道を塞いでいた。脇を覗いても、抜けられる隙間はない。大河は行き止まりを書き込み、さっきの分岐へ戻った。
「一つ減りました」
【前向きだな】
【進んだ距離はゼロだけどな】
「戻れるって分かったのも、成果ですよ」
そう返しながら、今度は石積みの壁がある道へ入った。狭い場所では肩を壁へ寄せ、剣先が岩へ当たらないように持ち直す。雷で速く動けるとしても、見えない曲がり角へ飛び込む気にはならなかった。
奥から、重い足音が聞こえてきた。
大河はスマートフォンをしまい、足を止めた。道の先は緩く右へ曲がっている。音は一つではなく、低い唸り声も混じっていた。
曲がり角の向こうから、大きな肩が現れた。
【オーガ】
【レベル:62】
大河はその後ろにいたもう一体へも《鑑定》を使った。
【オーガ】
【レベル:63】
どちらも太い棍棒を持ち、道を塞ぐように近づいてくる。池袋で戦ったオーガと同じ魔物でも、腕や胸の厚みは一目で違っていた。
「二体か」
【オーガだ】
【そこで戦うのは狭くないか】
【後ろ、さっきの分岐まで戻れるぞ】
「戻ります」
大河は全身へ魔力を巡らせ、雷属性へ変えた。身体の周囲でスパークが弾ける。二体へ背中を向けず、来た道を引き返しながら、先頭の棍棒が届く距離を見た。
オーガが棍棒を振り上げる。大河は後ろへ大きく下がり、岩を砕いた一撃から離れた。砕けた欠片が脚へ飛んできたが、足は止めず、分岐の広がった場所まで戻る。
先頭の一体が曲がり角を抜けてきた。後ろのオーガは大きな身体が邪魔になり、まだ棍棒を振れる位置へ出られていない。
大河は先頭へ踏み込んだ。
振り下ろされる棍棒を横へかわし、伸びた腕へ魔力刃を走らせる。厚い肉へ刃が入り、雷が弾けた。オーガは吠えながら棍棒を引こうとしたが、大河は追撃せず、その身体の外側へ回った。
もう一体が、道から出てくる。
大河は二体の間へ入らず、傷を負った方の背後へ動いた。こちらを追って身体を捻ると、オーガ自身が後ろの一体の進路を塞ぐ。大河は振り回された棍棒から離れ、踏み直した脚の膝裏へ剣を入れた。
片膝をついたところへ近づき、首元へ刃を振り抜く。大きな身体が傾くのを見て離れると、残る一体が倒れた仲間を跨いで棍棒を振った。
大河は低く沈んで横薙ぎをかわした。風が頭の上を抜ける。持ち上がった腕の下へ踏み込み、脇腹へ厚みを増した魔力刃を突き込んだ。
傷口でスパークが弾け、オーガの肩が固まった。大河は剣を抜いて外へ動き、振り向きかけた首へ続けて刃を走らせる。二体目が倒れると、来た道と、その先の隙間へ目を向けた。
新しい足音は聞こえない。
「……ここまで戻ってよかった」
【狭いところで二体は嫌だわ】
【ちゃんと戦う場所選んだな】
【池袋の時よりオーガでかく見えた】
「実際、強かったですよ。あの棍棒は受けたくないですね」
大河は雷を解き、周囲を見ながら魔石を回収した。剣を振るための余裕があれば、二体でも戦える。さっきの細い道では、横へ避ける場所がなかった。
倒したオーガへ一度目を落とし、スマートフォンの地図を開く。魔物がいた場所だけでなく、戦うために戻った分岐にも印をつけた。
道を覚えるのは、次の階段を見つけるためだけではない。引き返す時に、どこなら動けるかも分かっていた方がよかった。
*
オーガが来た道を進んだ先にも、安全エリアはなかった。
天井が高くなった区画には、崩れた石柱が何本も残っていた。その間を抜ける道が二つあり、大河が選んだ方は、曲がった先でさらに分かれている。一方は行き止まりで、もう一方は岩の陰を回りながら下っていた。
途中で出会った魔物を倒し、魔石を回収する。そのたびに立ち止まって位置を記録しているうちに、時間は少しずつ過ぎていった。歩いている距離のわりに、地図の端は伸びていない。
細い道を抜けると、斜めに傾いた石柱が見えた。
大河は足を止めた。柱の根元には大きな岩があり、上の方は折れている。見覚えはあったが、ここまで似た柱を何本も見ている。
「……これ、最初の?」
【似てる】
【反対側から見てるから分かりにくいな】
【左奥、階段じゃないか?】
大河は柱の横へ回った。岩の向こうを確かめると、下りてきた階段があった。思わず顔を上げ、それから手元の地図を見る。
「戻ってきたか」
最初に選ばなかった右側の道へ、別の場所から繋がっていた。途中では先へ進んでいるつもりだったが、実際には大きく回っていたらしい。大河は二本の線を繋ぎ、少し歪んだ輪になった地図を見つめた。
【一周お疲れ】
【これがあるんだよな】
【次から同じところ回らなくて済むぞ】
「そうですね。……でも、結構歩いたんだけどな」
大河は壁際の岩へ腰を下ろし、水を飲んだ。まだ十六階層。十五階層を突破してから、次の階段どころか、休むための場所にも辿り着いていない。
手応えのある魔物と戦うのは楽しい。さっきのオーガにも勝てた。それでも、勝った先に道が続いていなければ、戻って別の道を歩くしかなかった。
スマートフォンには、まだ調べていない分岐がいくつも残っている。大河はそのうち、最後に通った石柱の区画から延びる道へ印をつけた。そこへ戻る経路なら、もう分かっていた。
「今日は、十七階層に行くことは考えないでおきます」
【それでいい】
【まず寝床だな】
【まだ時間あるから、慌てず探せ】
「はい。安全エリアを見つけます」
大河は水をしまい、少し休んでから立ち上がった。地図へ残した線を確かめ、折れた柱の横を通る。今度はどの分岐まで戻り、どこから調べ直すのかを決めていた。
剣を手に、歩いた道をもう一度進む。
雷で走ればすぐに着く距離だったが、大河は曲がり角ごとに足を緩めた。これから何日も歩くことになる道だ。戦う時と同じように、まずはよく見て、覚えるところから始めた。




