最終階層
翌朝。
大河は昨日買ったばかりの装備へ袖を通し、鏡の前で軽く身体を動かした。
黒を基調とした探索者用のジャケットは見た目以上に軽く、腕を振っても肩周りに引っかかる感覚はない。パンツも大きな動きを邪魔せず、前腕を守るガードや新しいブーツまで含めれば、探索を始めた日に揃えた装備とは明らかに違っていた。
「これなら問題ないな」
腰には《マジックソード》。
《アイテムボックス》にはポーションも多めに入れてある。
渋谷ダンジョンで死にかけ、昨日はオーガに何度も吹き飛ばされた。強くなることばかり考えていた大河も、装備や回復手段を軽く見るつもりはもうなかった。
準備を終えると、配信用ドローンを手に取る。
探索者になって七日目。
今日の目的は池袋ダンジョンを攻略することだ。
*
池袋ダンジョンへ到着した大河は、入口前で配信用ドローンを起動した。
今日のタイトルは迷わなかった。
【池袋ダンジョン 最終ボス】
「これでいいな」
配信を開始する。
【配信を開始しました】
ほとんど間を置かず、画面に数字が表示された。
【視聴者数:428】
「……多いな」
昨日までなら、配信開始直後からこれだけの人数が集まることはなかった。さらに数秒ごとに数字が増えていく。
【来た】
【待ってた】
【今日はボスだよな?】
【昨日の全身強化の切り抜きから来た】
【新装備じゃん】
【ちゃんと防具買ったの偉い】
「その言い方やめてもらえます?」
【渋谷を初期装備で突破した男】
【オーガにも初期装備で挑んだ男】
【ようやく命を大事にし始めた】
「別に命を軽く見てないですからね」
大河は苦笑しながら《ゲート》へ向かう。
「今日は十階層まで行って、そのままボスを倒します」
【言い切った】
【今日は帰らないか】
【昨日ちゃんと引いたしな】
【ボス何出るかな】
「俺も知らないんですよね」
【え?】
【調べてないの?】
【初見で行く気かよ】
「その方が面白いじゃないですか」
【やっぱ戦闘狂】
「違いますって」
いつものやり取りをしながら、大河は《ゲート》を抜けた。
*
今日は道中の攻略が目的ではない。
すでに把握している道を進み、必要のない戦闘は避けていく。どうしても進路を塞ぐ魔物だけを素早く倒し、《アイテムボックス》へ魔石を収めながら下へ向かった。
その間も、全身への魔力循環は続けている。
昨日の終盤にはかなり安定していたが、一晩休んだからといって感覚が消えることはなかった。胸の奥から流れ出した魔力が全身を巡り、淡いオーラとなって身体の表面へ滲んでいる。
【もう普通に使ってるな】
【昨日できるようになったばっかだよな】
【オーラかなり安定してる】
「昨日ずっとやってましたからね」
今はまだ循環させている魔力量そのものは多くない。それでも、維持するだけなら昨日よりずっと楽になっている。
途中で何度か魔力量を増やそうともしたが、そちらはまだ流れが乱れやすい。無理に出力を上げるより、まずは今の循環を完全に自分のものにする方がいい。
そう判断し、大河は淡いオーラを纏ったまま下層へ進んだ。
やがて九階層の最奥。
昨日引き返した階段が目の前に現れる。
【来た】
【十層】
【いよいよだな】
【ボス直行?】
大河は階段へ足をかけたところで、一度だけ首を横に振った。
「いや、その前にレベル40まで上げます」
【今39だっけ】
【あと一個か】
【節目だしな】
「せっかくなら、40にしてから行きたいんですよね」
レベル10では《アイテムボックス》と《鑑定》。
レベル20では《魔力操作》。
そしてレベル30では《レベルアップ補正》。
これまで節目となるレベルでは、必ず新しいスキルが発現している。もちろん、40でも必ず何かを得られる保証はない。それでも、あと一つなら確認してから最終ボスへ挑みたかった。
「じゃあ、行きますか」
大河は階段を下りていく。
池袋ダンジョン十階層。
最終階層へ足を踏み入れた。
*
十階層は、九階層までよりさらに静かだった。
崩れかけた石造りの通路が奥へ伸び、天井も一段高い。壁際に埋め込まれた青白い鉱石だけが、薄暗い空間を照らしている。
大河はボス部屋を探しながら進みつつ、今だけは遭遇した魔物を避けなかった。
目的はレベル40。
ほどなくして、前方に三つの影が現れる。
盾と剣を持ったリザードマンが二体。その後方には、二体よりさらに大きく、黒い鱗に覆われたリザードマンが立っていた。
大河は足を止め、《鑑定》を使う。
【リザードマン】
【レベル:38】
【リザードマン】
【レベル:39】
【リザードマン・ウォリアー】
【レベル:41】
「……ちょうどいいな」
【また言ってる】
【でかいの明らかに強そう】
【ボス前なのに嬉しそうなの何なん】
「選んだわけじゃないですよ」
そう言いながらも、大河の口元は少し上がっていた。
《マジックソード》を抜く。
全身を巡る魔力は、そのまま途切れさせない。黒い刀身へも魔力を送り、半透明の魔力刃を形成すると、大河は三体へ向けて地面を蹴った。
最初に動いた二体のリザードマンを相手に、大河は速度を落とさなかった。
正面から振り下ろされた剣を身体ごと横へずらしてかわし、そのまま盾の外側へ回り込む。首元へ《マジックソード》を走らせ、一体目を倒すと、すぐに反対側から迫った二体目へ向き直った。
盾で押し込もうとしてくる動きを正面から受けず、身体強化された脚力で一気に距離を外す。追ってきたところへ踏み込み直し、剣を持つ腕ごと深く切り裂いた。
二体目が倒れる。
残ったリザードマン・ウォリアーは、それまでの二体とは動きが違った。
大河が踏み込んだ瞬間、黒い鱗に覆われた巨体が前へ出る。振るわれた剣を《マジックソード》で受けた瞬間、重い衝撃が腕へ走った。
「重いな」
【やっぱでかいの強いな】
【上位種っぽい】
【でも昨日のオーガほどじゃなさそう】
大河も同じ感想だった。
強い。
だが、昨日全身強化を習得する前に戦ったオーガほどではない。
数度、剣と剣がぶつかる。
リザードマン・ウォリアーが力で押し切ろうと一歩踏み込むたび、大河はまともに競り合わず、全身強化された速度を使って位置を変えた。
昨日までとは違う。
レベルが上がったこともある。
全身強化を維持できるようになったこともある。
その両方が重なり、自分よりレベルが高い相手にも余裕を持って動きを追えるようになっていた。
リザードマン・ウォリアーが大きく剣を振り上げた瞬間、大河は一気に懐へ入る。
「そこ」
振り下ろされるより早く、《マジックソード》を斜めに振り上げた。半透明の魔力刃が黒い鱗を切り裂き、胸元へ深く入る。
巨体が大きくよろめくが、それでも倒れない。
大河は無理に追撃せず、一度距離を取った。
次の瞬間、リザードマン・ウォリアーが真正面から突っ込んでくる。
大河も地面を蹴った。
すれ違う直前に身体を僅かに外し、伸びてきた剣をかわす。そのまま横を抜けながら、《マジックソード》を首元へ走らせた。
刃が深く食い込む。
勢いのまま数歩進んだリザードマン・ウォリアーの身体が、その場へ崩れ落ちた。
戦闘が終わった直後、大河の全身へ強い熱が広がる。
「来た」
【上がった?】
【40?】
【節目きた】
大河はすぐに《鑑定》を使った。
【天草 大河】
【レベル:40】
【体力:60】
【筋力:61】
【耐久:59】
【敏捷:62】
【魔力:58】
【精神:63】
《レベルアップ補正》によって、今回も六つの基礎ステータスはそれぞれ二つずつ上がっている。
そのことを確認した大河は、さらに表示の下へ視線を動かした。
「……スキル、出た」
【マジ?】
【やっぱ40でも出るのか】
【何取った?】
【また秘密にするやつ?】
大河はコメントへ答えず、新しく加わったスキルを見つめる。
【常在スキル:《危機感知》】
意識を向けると、その効果が自然と頭へ入ってきた。
【《危機感知》】
【自身へ迫る危険を感知しやすくなる】
「危機感知……」
【何だった?】
【また常在?】
【効果教えて】
大河は少し考えたあと、表示を閉じた。
「常在スキルでした」
【またそこまでかよ】
【効果は?】
「それは秘密で」
【秘密増えていくな】
【鑑定とアイテムボックスはバレてるのに】
「バレたやつは仕方ないんですよ」
大河は苦笑しながら、倒した三体から魔石を回収していく。
《危機感知》。
今のところ、身体に何か大きな変化が起きた感覚はない。自分から発動する必要もなく、常に効果を持つ常在スキルらしい。どこまで役に立つのかは、実際に使ってみなければ分からなかった。
「まあ、そのうち分かるか」
魔石を《アイテムボックス》へ収め、大河は再び通路の奥へ視線を向ける。
レベル40。
目的だった節目にも到達した。
あとは、この階層の最奥にいるボスを倒すだけだ。
「じゃあ、今度こそボス行きます」
【きた】
【本番】
【ちゃんとポーション確認しとけ】
「分かってますって」
大河は《マジックソード》を握り直し、十階層のさらに奥へ歩き出した。
しばらく進んだ先。
長い通路の終点に、これまで見てきたものよりも一際大きな扉が現れる。五階層の中間ボス部屋よりも重厚で、表面には見たことのない紋様が刻まれていた。
【来たぞ】
【ボス部屋】
【池袋攻略まであと一体】
大河は扉の前で立ち止まる。
全身を巡る魔力を確認する。
ポーションもある。
装備も昨日までとは違う。
体調も万全だった。
「……よし」
大河は両手を扉へかけた。
「行きます」
重い音とともに、池袋ダンジョン最後の扉がゆっくりと開き始めた。
*
扉が開き切った瞬間、大河は無意識に息を止めた。
そこに広がっていたのは、五階層のボス部屋とは比べものにならないほど広い石造りの空間だった。天井は高く、壁際には等間隔で青白い鉱石が埋め込まれている。
床には何本もの深い傷が残り、その中央に一体の魔物が立っていた。
人型ではある。
だが、その身体は人間の倍近くあった。
二メートル半を優に超える巨体。全身を覆う黒褐色の毛と、隆起した筋肉。牛に似た頭部から左右へ太い角が伸び、両手には巨大な戦斧が握られている。
「……ミノタウロスか」
【うわ】
【ミノタウロスじゃん】
【池袋のボスこれか】
【でかすぎ】
【斧やば】
大河は《マジックソード》へ手をかけながら、《鑑定》を発動した。
【ミノタウロス】
【レベル:46】
【体力:67】
【筋力:74】
【耐久:69】
【敏捷:48】
【魔力:22】
【精神:31】
「……なるほど」
レベル差は六。
それだけなら、昨日のオーガと大きく変わらない。
だが、表示された数値は明らかに別物だった。特に筋力74と耐久69は、大河の基礎ステータスを大きく上回っている。敏捷も48あり、この巨体だからといって鈍重な相手だと考えることもできない。
「Fランクダンジョンのボスで、レベル46か……」
思わず、小さく呟く。
探索者としては下から二番目に位置するFランク。
大河自身も昇格したばかりということもあって、どこか初心者帯の延長のような感覚を持っていた。
だが、目の前にいる魔物を見れば、その認識が甘かったことが分かる。
ここまで辿り着くことと、攻略することはまったく別だった。
【なんかめちゃくちゃ強そうなんだけど】
【これ本当にFランクダンジョン?】
【最終ボスは別格だぞ】
【ソロで来る場所じゃないからな普通】
大河は流れるコメントを見て、僅かに笑った。
「なるほど。Fランクでも最後まで行けば、ちゃんとこうなるわけか」
なら、その上にはまだE、D、C、B、A、Sと続いている。
目の前のミノタウロスですら、探索者の世界ではまだ入口に近い。
その事実は、大河を怯ませるどころか、むしろ嬉しくさせた。
「……まだまだ先あるな」
大河は《マジックソード》を抜き、胸の奥から魔力を流す。
全身を巡る循環はすぐに安定し、淡いオーラが身体を包んだ。さらに刀身へ魔力を送り、半透明の刃を形成する。
ミノタウロスの赤い目が大河を捉え、巨大な戦斧がゆっくりと持ち上がった。
その瞬間だった。
ぞわりと、大河の背中を冷たいものが走る。
「……?」
まだ相手は動いていない。
それなのに、何かが身体の奥から強く危険を訴えている。
「これが……《危機感知》か?」
次の瞬間、ミノタウロスの巨体が一気に距離を詰めた。
「っ!?」
大河は反射的に地面を蹴る。
直後、巨大な戦斧が横薙ぎに振り抜かれ、大河が立っていた場所を通過した刃が、そのまま石壁の一部を深く削り取った。
【速っ!?】
【あの巨体でその速度は反則だろ】
【今よく避けたな】
数メートル離れた場所へ着地した大河は、目を見開いたままミノタウロスを見る。
「……危な」
もし、あの感覚がなければ。
動き出してから反応していたのでは、間に合わなかったかもしれない。
《危機感知》は、何が起きるかまでは教えてくれない。どこから攻撃が来るのかも、どう避ければいいのかも分からない。
ただ、危険が迫っているということだけは確かに伝わった。
「……結構使えるな」
【何が?】
【また新スキルか?】
「秘密です」
【またかよ】
大河は笑いながら、《マジックソード》を構え直した。
昨日のオーガより強い。
今まで戦ってきた中でも、間違いなく一番の相手だ。
それでも、大河の口元は自然と上がっていた。
「最後にちょうどいい」
ミノタウロスが再び戦斧を構える。
大河は全身を巡る魔力を維持したまま、正面からその動きを見据えた。
先ほどの一撃で分かったことは多い。力だけではなく、速度まで高い。正面から受ける選択肢はない。
ミノタウロスが地面を蹴る。
その直前、再び《危機感知》が大河へ警告を送った。
「来る」
迷わず右へ踏み込む。
一瞬遅れて戦斧が斜め下から振り上げられ、まともに受ければ身体ごと持っていかれそうな一撃が胸元すれすれを通過した。
そのまま懐へ入り、《マジックソード》を脇腹へ振り抜く。
半透明の魔力刃が黒褐色の毛を切り裂き、その下の皮膚へ食い込んだ。
「硬い……!」
昨日のオーガよりも明らかに浅い。
ミノタウロスが身体を捻ったのを見て、大河はすぐに距離を取る。直後、巨大な肘が目の前を通り過ぎた。
【今の避け方うま】
【全身強化してから動き変わりすぎ】
【でも攻撃あんま通ってなくない?】
大河も同じことを考えていた。
避けられる。
だが、倒せるかは別だ。
全身強化まで含めれば、少なくとも相手の動きについていくことはできている。問題は攻撃力だった。
《マジックソード》の魔力刃を使っても、ミノタウロスの耐久を簡単には抜けない。
「なら……」
大河は一度距離を取り、全身を巡っている魔力の量を僅かに増やした。
淡かったオーラが少しだけ濃くなる。
【お】
【また出力上げた?】
【昨日失敗してたやつ】
「少しだけです」
循環が乱れないぎりぎりまで魔力量を増やし、全身へ流していく。
昨日ならすぐに崩れていた。
だが今は、まだ保てている。
「……いける」
ミノタウロスが咆哮を上げる。
大河も地面を蹴った。
先ほどより速い。
自分でもはっきり分かるほど、身体の反応が上がっている。
振り下ろされた戦斧をかわし、先ほど傷をつけた脇腹へ再び《マジックソード》を振り抜く。
魔力刃が同じ場所へ重なった。
「グオオオオッ!」
ミノタウロスが初めて大きく身体を揺らす。
傷は深くなっている。
「通った」
だが、そこからの戦いは少しずつ大河にとって苦しいものになっていった。
全身への魔力循環を維持しながら、循環させる量を増やす。考え方そのものは間違っていない。実際、出力を上げた時だけならミノタウロスの速度にも余裕を持って対応でき、斬撃にも明らかに重さが増していた。
しかし、それを長く続けることができない。
魔力量を増やすほど循環は不安定になり、少しでも意識が乱れれば流れが崩れる。そのたびに出力を落とし、安定させ直さなければならなかった。
一方のミノタウロスは、多少の傷では止まらない。
「グオオオオッ!」
巨大な戦斧が横薙ぎに迫る。
大河は身体を低く沈めて斧の下を抜け、《マジックソード》を脇腹へ叩き込んだ。
だが、やはり浅い。
「……足りない」
振り返ったミノタウロスの拳が迫る。
大河は後方へ跳んだが、完全には逃げ切れなかった。前腕で受けた衝撃に身体が浮き、そのまま地面を滑る。
「っ……!」
【押されてきたな】
【攻撃通ってないのがきつい】
【避け続けてもいつか捕まるぞ】
大河は立ち上がりながら呼吸を整えた。
新しく買った防具のおかげで、昨日までならもっと大きなダメージになっていた攻撃もある程度は軽減できている。それでも、何発も受け続けていい相手ではない。
ミノタウロスが再び突進してくる。
大河は全身強化の出力を上げ、一気に横へ回り込んだ。そのまま首元を狙って《マジックソード》を振り抜く。
魔力刃が食い込む。
しかし、止まった。
あと少し深く入れば致命傷になる。
それでも、ミノタウロスの厚い筋肉と皮膚が刃を押し返してくる。
「グオオッ!」
「まずっ――」
大河は剣を引き抜き、反射的に後ろへ跳んだ。
直後、戦斧が目の前を通り過ぎる。
着地した大河の全身から、淡いオーラが大きく揺らいだ。
「……今の身体強化じゃ、押し切れないな」
【やっぱそう見える】
【速さは負けてないんだけどな】
【火力が足りない】
【剣がもっと通ればいけそうなのに】
大河はミノタウロスから目を離さないまま、わずかに眉を寄せた。
身体強化の出力をさらに上げることも考えた。
だが、今の技術では循環を維持できない。無理に上げれば途中で流れが乱れ、その一瞬を狙われれば今度こそ致命傷になりかねない。
「どうする……」
その時だった。
【身体強化じゃなくて剣の方は?】
【マジックソードって魔力流したら刃強くなるんだろ】
【もっと魔力送ったら魔力刃強くならない?】
【今ずっと同じくらいしか流してなくね?】
「……あ」
大河の視線が、自分の右手へ落ちた。
黒い刀身の外側に形成されている、半透明の魔力刃。
思えば、身体強化を覚えてからは全身へ魔力を巡らせることばかり考えていた。《マジックソード》へ送る魔力量は、最初に使い始めた頃から大きく変えていない。
「確かに」
【気づいてなかったのかよ】
【身体強化に夢中すぎる】
【試せ試せ】
大河は小さく笑った。
「やってみます」
全身強化は今の安定した出力のまま維持する。
そのうえで、右手から《マジックソード》へ流す魔力を増やしていく。
普段より多く。
さらに多く。
黒い刀身を覆っていた半透明の刃が、徐々に厚みを増していった。刀身から外へ伸びる光も大きくなり、輪郭も以前よりはっきりとしていく。
「……おお」
【でかくなった】
【明らかに違う】
【それいけるんじゃね?】
【魔力消費やばそうだけど】
そのコメントの通り、大河自身にも消費量の違いはすぐに分かった。
これまでとは比べものにならない勢いで、体内の魔力が剣へ流れ込んでいく。
「長くは無理だな」
なら、長く使う必要はない。
決める瞬間だけ最大まで流せばいい。
大河は《マジックソード》を構え直した。
ミノタウロスが咆哮を上げ、戦斧を振りかぶる。
同時に、《危機感知》が強く反応した。
大河は地面を蹴る。
戦斧が振り下ろされるより早く、大きく横へ踏み込んだ。刃が床を砕き、石片が舞い上がった時には、すでにミノタウロスの側面へ回り込んでいる。
右手からさらに魔力を流す。
魔力刃が一段大きくなった。
「これなら――」
脇腹へ振り抜く。
先ほどまで何度も止められていた場所へ、光の刃が食い込んだ。
今度は止まらない。
「グオオオオオッ!」
鮮血が飛び、ミノタウロスの巨体が大きく傾いた。
【通った!】
【さっきと全然違う】
【火力上がりすぎだろ】
大河はすぐに距離を取る。
魔力消費は大きい。
だが、確実に効いている。
「……これだな」
答えが見えた。
身体強化で相手の攻撃をかわし、決定的な隙ができた瞬間だけ《マジックソード》へ大量の魔力を流す。
今の大河にできる最大火力。
ミノタウロスが傷口から血を流しながら、大河へ向き直った。
「グオオオオオオオッ!!」
怒りに満ちた咆哮がボス部屋を震わせる。
巨体が地面を蹴った。
大河も正面から走る。
【また正面!?】
【最後狙ってるな】
【気をつけろ!】
《危機感知》が全身へ警告を走らせる。
振り下ろされる戦斧。
大河は直前で身体を外し、刃の横をすり抜けた。
そのまま一歩。
ミノタウロスの懐へ入る。
右手から《マジックソード》へ、残っている魔力を一気に送り込んだ。
半透明だった魔力刃が、これまでで最も大きく膨れ上がる。
「――終わりだ!」
全身を巡る魔力と踏み込み、身体の回転、そして剣へ流し込んだ大量の魔力。そのすべてを一つの斬撃へ乗せ、《マジックソード》を首元へ振り抜いた。
光の刃が、ミノタウロスの首を深く切り裂く。
一瞬、巨体がその場で止まった。
握られていた戦斧が、重い音を立てて床へ落ちる。
そして次の瞬間、ミノタウロスの身体がゆっくりと前へ崩れ落ちた。
石造りのボス部屋に、地響きのような音が響く。
大河は《マジックソード》を振り抜いたまま、荒い呼吸を繰り返した。
剣を覆っていた巨大な魔力刃が急速に小さくなっていく。
「……勝った」
【うおおおおおお!!】
【勝った!!】
【マジで倒した】
【最後の魔力刃えぐかった】
【探索七日目で池袋ソロ攻略??】
【切り抜き確定】
大河は笑いながら、その場へ腰を下ろした。
「……疲れた」
昨日のオーガ戦とは違い、今回は最初から全身強化を使えていた。それでも簡単には勝てなかった。
身体強化だけでは火力が足りず、最後は視聴者のコメントをきっかけに《マジックソード》へ流す魔力量まで増やして、ようやく決定打を作れた。
「剣の方、全然使い切れてなかったんだな」
【身体強化ばっか練習してたからな】
【マジックソードも魔力次第でまだ伸びるってことか】
【やること増えたな】
「増えましたね」
その言葉とは裏腹に、大河の表情は嬉しそうだった。
身体強化は、もっと多くの魔力を安定して循環させられるようにする。
《マジックソード》も、一度に流せる魔力量を増やし、より強い魔力刃を扱えるようにする。
今日だけでも、まだ伸ばせる部分が二つ見つかった。
その時、身体の奥から熱が広がる。
「……レベルも上がったか」
大河は《鑑定》を使った。
【天草 大河】
【レベル:41】
【体力:62】
【筋力:63】
【耐久:61】
【敏捷:64】
【魔力:60】
【精神:65】
《レベルアップ補正》によって、今回もすべて二つずつ上昇している。
【レベル上がった?】
「上がりました」
【いくつ?】
「秘密です」
【もうそのくだりいいって】
【さっき40って言ってたぞ】
「じゃあ分かるじゃないですか」
【41か】
【自白してて草】
「……今のなしで」
コメント欄が一気に流れる。
大河は苦笑しながら表示を閉じた。
配信開始時には四百人ほどだった視聴者数も、いつの間にか大きく増えている。
【視聴者数:3,817】
「……三千?」
【今気づいた?】
【ボス戦中ずっと増えてたぞ】
【最後の魔力刃で一気に来た】
【初見です】
【切り抜きから】
昨日までとは明らかに違う数字だった。
大河は少しだけ画面を見つめたあと、肩をすくめる。
「まあ……見てくれるならありがたいです」
【軽いな】
【もっと喜べ】
【三千人だぞ】
「ボス倒した方が嬉しいんで」
【知ってた】
【やっぱ戦闘狂】
「だから違いますって」
いつものように言い返してから、大河は立ち上がった。
倒れたミノタウロスへ近づき、胸部の奥から大きな魔石を回収する。昨日のオーガから取り出したものより、さらに一回り大きい。
「でかいな……」
【それ高そう】
【ボス魔石だからな】
【持って帰れ持って帰れ】
「言われなくても持って帰りますよ」
大河は魔石を《アイテムボックス》へ収納すると、部屋の奥へ視線を向けた。
ボスを倒したことで、一つの宝箱が出現している。
五階層で見たものより明らかに大きく、装飾も豪華だった。
【来た】
【ボス報酬】
【何出る?】
【レア引け】
「こっちも楽しみだったんですよね」
大河は宝箱の前まで歩み寄り、ゆっくりと蓋を開けた。
中に入っていたのは、一つの指輪だった。
黒みがかった金属で作られた無骨な造りで、表面には牛の角を思わせる意匠が刻まれている。
「指輪?」
【アクセサリー系だ】
【ボス装備じゃん】
【鑑定はよ】
「分かってますって」
大河は指輪を手に取り、《鑑定》を使った。
【ミノタウロスの指輪】
【装備効果:筋力+10】
「……プラス10?」
思わず、もう一度表示を見る。
間違いない。
装着しているだけで、筋力が十も上昇する。
「普通に強いな、これ」
【何だった?】
【当たり?】
【その反応絶対いいやつ】
「まあ、当たりだと思います」
【効果は?】
「秘密です」
【またか】
【装備まで隠し始めたぞ】
「戦力に関わるんで」
【急に探索者っぽいこと言うな】
大河は笑いながら指輪を右手の指へ通した。
その瞬間、身体の奥に僅かな変化を感じる。拳を握ってみれば、明らかに力の入り方が違った。
現在の筋力は63。
そこへ指輪の効果が加われば73。
先ほど戦ったミノタウロスの筋力74と、ほとんど変わらない数値になる。
「装備って、ちゃんと揃えた方がいいな……」
【今さら気づいた】
【昨日防具買った男の発言】
【装備沼へようこそ】
大河は指輪を眺めながら、小さく笑った。
レベルを上げるだけではなく、技術を磨き、スキルを使いこなし、装備を揃えることでも強くなれる。探索を始めてからまだ一週間しか経っていないが、強くなるための方法は思っていた以上に多いらしい。
ただ、今はそれを試すだけの余裕が残っていなかった。最後の一撃で《マジックソード》へ大量の魔力を流し込んだせいで、身体の内側にははっきりとした空虚感があり、全身への魔力循環もすでに解いている。
「……さすがに使いすぎたな」
【最後めちゃくちゃ流してたもんな】
【魔力刃でかすぎた】
【今日はもう帰れ】
【さすがに異論なし】
「俺も帰りますよ。なんで毎回無茶する前提なんですか」
【今までの行動】
【説得力がない】
大河は苦笑しながら《アイテムボックス》から魔力回復用のポーションを取り出し、そのまま飲み干した。
空になりかけていた身体の内側へ少しずつ魔力が戻ってくる。完全に回復したわけではないが、帰路につくには十分だった。
宝箱に取り残したものがないことを確認すると、大河は最後にもう一度、倒れたミノタウロスと静まり返ったボス部屋を見渡した。
「……攻略完了、か」
【おめでとう】
【池袋ソロ攻略おめ】
【探索七日目なの忘れそうになる】
【次どこ行くんだろ】
「次はまだ決めてないですよ」
そう答え、大河は出口へ向かって歩き出した。
*
帰り道では極力戦闘を避け、行きに把握した道をそのまま戻った。避けられない魔物だけを最低限倒しながら進み、池袋ダンジョンの入口へ戻ってきた頃には、外はすでに夕方になっている。
「今日はここまでですね。池袋ダンジョン、無事攻略できました」
【おつ】
【攻略おめ】
【最後めちゃくちゃ面白かった】
【明日も配信する?】
「明日はまだ分かんないです。またやる時は告知します」
【了解】
【次も見る】
【切り抜き待ってる】
大河は流れていくコメントを眺めながら軽く手を上げ、そのまま配信を終了した。
【配信を終了しました】
静かになった画面を見て一息つくと、その足で探索者協会へ向かった。
*
買取窓口では、今日回収した魔石を《アイテムボックス》から次々と取り出していった。道中で倒した魔物のものに加え、最後にはミノタウロスの大きな魔石もカウンターへ置く。
担当者は並べられた魔石を見たあと、最後の一つで手を止めた。
「……これ、池袋ダンジョンのボス魔石ですよね?」
「はい。今日倒しました」
「今日……ですか」
「はい」
探索者証へ視線を落とした担当者の表情が、僅かに固まる。
「Fランクですよね?」
「まだそうですね」
「まだ……」
何か言いたそうな顔をしていたが、結局それ以上は聞かれなかった。
査定が終わり、提示された金額を確認すると、大河も思わず目を見開く。これまでの換金額とは桁が違い、ボス魔石だけでもかなりの値段が付いていた。
「……ダンジョン深くなると、ほんとに金額変わるな」
探索を仕事にする者が多い理由を、少しずつ実感し始めていた。
売却を終え、協会を出る。
池袋ダンジョン攻略完了。
レベル41。
全身への《身体強化》を身につけ、《マジックソード》の新しい使い方も知り、《危機感知》と《ミノタウロスの指輪》まで手に入れた。
探索者として過ごした最初の一週間は、それだけでも十分すぎるほど濃かった。
それでも、大河の頭に浮かんでいたのは達成感だけではない。
Fランクダンジョンの最終ボスですら、あれほど強かった。
なら、その上には何がいるのか。
大河は歩きながら、僅かに口元を上げた。
「……次、どこ行こうかな」
そう呟きながら、大河は現在のステータスを確認した。
【天草 大河】
【レベル:41】
【体力:62】
【筋力:63】
【耐久:61】
【敏捷:64】
【魔力:60】
【精神:65】
【常在スキル:《レベルアップ補正》《危機感知》】
【発動スキル:《詠唱》《アイテムボックス》《鑑定》《魔力操作》】
【装備:《ミノタウロスの指輪》 筋力+10】
【探索者ランク:F】
探索者になって七日。
大河の最初の一週間が、終わった。




