一ヶ月
池袋ダンジョンを攻略してから、大河の生活はさらに探索へ傾いていった。
翌日から向かったのは、まだ入ったことのないGランクダンジョンだった。池袋を攻略できたからといって、すぐに上位のダンジョンへ進めるわけではない。探索者ランクがFである以上、大河が入れるのもFランクまでだ。
なら、今入れるダンジョンを回ればいい。
大河にとっては、それだけの話だった。
岩肌が剥き出しになった洞窟。地下とは思えないほど植物が生い茂る森林型のダンジョン。狭い通路を大量の魔物が埋め尽くす場所もあれば、広い空間に少数の強い魔物だけが徘徊している場所もあった。
同じGランクでも、渋谷とは何もかもが違う。
大河はそれらを配信しながら、一つずつ攻略していった。
レベル41まで成長した今、Gランクの魔物一体一体に苦戦することはほとんどない。それでも、初めて見る魔物の動きを観察しながら戦い、全身へ循環させる魔力量を少しずつ増やしていくには十分だった。
《危機感知》の扱いにも慣れていった。
危険を感じたから避けるのではない。警告を感じた瞬間に意識を切り替え、そこから先は自分の目で攻撃を見極める。
最初は突然背中を走る感覚に振り回されていたスキルも、何度も戦闘を繰り返すうちに、大河の動きへ自然と溶け込んでいった。
いくつかのGランクダンジョンを攻略すると、今度はFランクを中心に回るようになった。池袋とは出現する魔物も、階層構造も、ボスも違う。
当然、順調な日ばかりではなかった。
初めて見る攻撃を読み違えて傷を負った日もあれば、魔力を使いすぎて途中で引き返したこともある。複数の魔物に囲まれ、一度大きく後退して態勢を立て直したこともあった。
それでも、一度した失敗を次の探索まで持ち越すことは少なかった。
全身強化は日に日に安定していった。以前より多くの魔力を全身へ循環させても流れが崩れにくくなり、身体を包む淡いオーラも少しずつ強くなっていく。
《マジックソード》の使い方も変わった。通常の魔物には最低限の魔力だけを流し、硬い相手やボスを斬る瞬間だけ出力を引き上げる。
池袋のミノタウロス戦で初めて試した方法だったが、繰り返すうちに魔力を流す量の調整も滑らかになっていた。
攻略するダンジョンが増えれば、手に入るものも増えていく。
ボスを倒した後の宝箱から出るものは毎回違った。
ポーション。
魔物の素材。
武器。
防具。
中には今の大河には必要なく、そのまま協会で売ったものも多い。
それでも、何度も攻略を続けていれば当たりもあった。
あるFランクダンジョンで手に入れた《疾風のブーツ》。
【疾風のブーツ】
【装備効果:敏捷+5】
それまで使っていた探索者用のブーツから履き替えると、僅かではあるが明確に身体が軽くなった。敏捷が五上がっただけだが、戦闘中の踏み込みや回避では、その差を十分に感じられた。
さらに別のFランクダンジョンでは、《魔力の腕輪》を手に入れた。
【魔力の腕輪】
【装備効果:魔力+5】
魔力が増えれば、全身強化へ回せる量も、《マジックソード》へ送れる量も増える。
派手な能力ではない。
だが、今の大河にはかなり相性のいい装備だった。
池袋で手に入れた《ミノタウロスの指輪》も、もちろん使い続けている。
武器だけは変わらなかった。
攻略の途中で何本か新しい武器も手に入れたが、魔力を流す量によって威力を変えられる《マジックソード》以上に、大河の戦い方へ合うものはなかった。
一日。
また一日。
探索して、戦って、戻る。
魔石を売り、装備を整え、翌日にはまた別のダンジョンへ向かう。
十日。
二十日。
そして――一か月。
池袋ダンジョンを攻略してからの一か月で、大河は新たに六つのGランクダンジョンを攻略した。
Fランクダンジョンも、池袋とは別に三つ。
そのほとんどを、一人で攻略していた。
*
一か月後。
その日の探索を終えて自宅へ戻った大河は、ベッドへ腰を下ろすと何気なく《鑑定》を使った。
「そういえば、ちゃんと見るの久しぶりだな」
目の前に現在のステータスが浮かび上がる。
【天草 大河】
【レベル:49】
【体力:78】
【筋力:79(+10)】
【耐久:77】
【敏捷:80(+5)】
【魔力:76(+5)】
【精神:81】
【常在スキル:《レベルアップ補正》《危機感知》】
【発動スキル:《詠唱》《アイテムボックス》《鑑定》《魔力操作》】
【装備:《マジックソード》《ミノタウロスの指輪》《疾風のブーツ》《魔力の腕輪》】
【探索者ランク:F】
「……49か」
池袋ダンジョンを攻略した時は、レベル41だった。
あれから一か月間、かなりの数の魔物を倒した。それでも上がったのは八レベル。
探索を始めたばかりの頃と比べれば、明らかに成長速度は落ちている。
Gランクの魔物では、もうほとんど経験値が入らない。Fランクでも、以前のように数体倒した程度ではレベルは上がらなくなっていた。
大河は表示された数字をしばらく眺める。
そして、レベルの欄で視線を止めた。
「あと一つだな」
レベル50。
次の節目が、すぐそこまで来ていた。
*
翌日。
大河は前日に回収した魔石を売るため、いつものように探索者協会へ来ていた。
入口を抜け、そのまま買取窓口へ向かおうとしたところで、横から声をかけられる。
「すみません」
「はい?」
振り返ると、協会職員の女性がこちらを見ていた。
「天草大河さんで間違いないでしょうか?」
「そうですけど」
名前まで確認されたことで、大河は僅かに首を傾げる。
「少々お時間よろしいですか?」
「何かありました?」
「こちらへお願いします」
理由を聞いても、その場では詳しく説明されなかった。
大河は言われるまま職員の後をついていき、受付の奥にある小さな応接室へ通された。
「こちらへどうぞ」
「失礼します」
中には机を挟んで椅子が二脚置かれていた。大河が腰を下ろすと、先ほどの職員も向かい側へ座り、手元の端末を確認する。
「改めまして、天草大河さんですね」
「はい」
「本日は、探索者ランクについてお話があります」
「ランク?」
職員は一度頷いた。
「天草さんの探索実績を協会で確認させていただきました。登録からこれまでの期間、攻略したダンジョン数、単独での攻略実績、持ち込まれた魔石やボス討伐記録などを総合的に判断した結果――」
一拍置く。
「本日付で、探索者ランクをFからEへ昇格とさせていただきます」
「……E?」
「はい。おめでとうございます」
大河は少しだけ目を見開いた。
自分から昇格を申請した覚えはない。そもそも、この一か月はランクを上げるために探索していたわけでもなかった。
「勝手に上がるんですね」
その言葉に、職員は僅かに笑う。
「一定以上の実績が確認できた場合、協会側から昇格をご案内することがあります。もちろん、誰でもこれだけ早く上がるわけではありません」
「早いんですか?」
「かなり早いです」
即答だった。
「天草さんが探索者登録をされたのは、約一か月前ですよね」
「そうですね」
「一か月ほどでEランクまで到達する探索者は、かなり少ないです。特に天草さんの場合、ほとんどの攻略を単独で行っていますから」
職員は端末へ視線を落とす。
「通常はGランクで基本的な探索に慣れ、Fランクでは複数人での探索経験を積みながら実績を増やしていきます。その期間だけでも数か月かかる方は珍しくありません」
「そんなに」
「むしろ、それが普通です」
探索を始めてから今日まで、ほとんど毎日のようにダンジョンへ潜ってきた。
大河にとっては、その積み重ねが一か月だっただけだ。
「ただし」
職員の声音が少し変わる。
「ここから先は、今までと同じ感覚で考えないでください」
大河が顔を上げる。
「Eランクダンジョンからは、Fランクまでとは明確に難易度が変わります。魔物のレベルだけでなく、種類、数、連携、特殊な攻撃を持つ個体など、危険性そのものが一段上がります」
「そんなに違うんですか」
「はい。GとFの差よりも、FとEの差の方が大きいと考えてください」
職員は続けた。
「特に初めて挑むダンジョンでは、基本的にパーティでの探索を推奨しています。協会で一つの目安として案内している安全マージンは、相手の想定レベルより十程度上です」
「十?」
「例えば、レベル50前後の魔物が出る区域へ挑むのであれば、パーティ側も平均してレベル60前後ある方が安全性は高い、という考え方です」
もちろん、と職員は付け加える。
「これは絶対的な基準ではありません。人数、装備、スキル構成、役割分担、戦闘経験によって大きく変わります。ただ、初見のダンジョンへ挑む際に、同格だから大丈夫と考えるのは危険です」
「なるほど」
昨日確認した大河のレベルは49。
Eランクへ上がったからといって、今すぐどこへでも安全に潜れるわけではない。
「それと、もう一つ」
「はい」
「Eランクへ上がる探索者の多くは、この辺りからギルドへ所属します」
「ギルド?」
「探索者同士で組織された団体です。規模は様々ですが、パーティの募集や編成、ダンジョン情報の共有、装備や素材の取引、攻略依頼の仲介などを行っています」
大河は黙って話を聞く。
「GやFの間は、個人で活動される方も多いです。ただEランク以降になると、ソロだけで活動し続ける探索者は一気に少なくなります」
「やっぱり危ないからですか?」
「それもあります。単純に、パーティを組んだ方が攻略できる範囲が広がるんです。前衛、後衛、支援。それぞれ得意分野を持つ探索者が組めば、一人では対応しづらい魔物にも対応できますから」
「なるほど……」
「天草さんはこれまで単独で十分な実績を残されていますので、無理に所属してくださいとは言いません。ただ、Eランクへ上がったこの機会に、一度ご自身に合うギルドを探してみるのもいいと思います」
大河は腕を組み、少しだけ考えた。
ギルド。
パーティ。
今までは、ほとんど一人で戦ってきた。それで困ったこともなかったし、自分の好きなように探索できることも気に入っている。
「分かりました。ちょっと調べてみます」
「はい。焦って決める必要はありません」
職員はそう言って、机の上へ大河の探索者証を置いた。
表示されていたランクが変わっている。
【探索者ランク:E】
「Eランクか……」
新しくなった探索者証を眺めながら、大河は小さく呟いた。
*
協会を出たあと、大河はそのままダンジョンへ向かわず、自宅へ戻った。
Eランクへ上がったからといって、何も知らないまま次のダンジョンへ入るつもりはない。
「さて……どんな感じなんだろ」
スマートフォンを手に取り、探索者協会が公開しているダンジョン情報や、これまで何となく見ていた探索配信を改めて調べていく。
最初に分かったのは、Eランクダンジョンと一口に言っても、その規模がかなり違うということだった。
十数階層程度で終わる比較的浅いものもある。
だが、中には三十階層前後まで続くダンジョンも存在していた。
「三十……」
池袋は十階層だった。それでも最終階層まで進み、ボスを倒して地上へ戻れば一日仕事になる。
三十階層ともなれば、単純に三倍という話ではない。階層が深くなるほど移動距離は伸び、魔物も強くなる。休憩も必要になり、戦闘で消耗すれば進行速度も落ちる。
一日で攻略すること自体、物理的に難しくなっていく。
実際、Eランク以上のダンジョンでは、数日間内部に滞在しながら攻略を進めることも珍しくないらしい。長い場合には、一週間近くダンジョンから出てこない探索者パーティもいる。
「一週間、中で生活するのか……」
そこで初めて、大河は以前見た探索配信を思い出した。
大きなバッグを背負い、何日分もの荷物を持ってダンジョンへ入っていく探索者たち。当時は単純に装備が多いのだと思っていた。
だが、必要なのは武器や防具だけではない。
食料。
飲料水。
複数のポーション。
応急処置用品。
武器や防具を整備するための道具。
予備の装備。
そして、メインの武器が壊れた時のためのサブ武器。
数日間地上へ戻らないのであれば、そのすべてを持ち込まなければならない。
「そりゃ、あんなバッグになるわ」
配信で見た探索者たちが、登山でもするような大型のバッグを背負っていた理由がようやく分かった。
さらに調べていくと、ダンジョンの深さを示す言葉も出てくる。
【上層】
【中層】
【下層】
【深層】
【冥層】
すべてのダンジョンがそこまで続いているわけではない。
GランクやFランクで大河が攻略してきたダンジョンは、基本的に上層で完結する。
だがEランクになると、ダンジョンによっては一般的に中層と呼ばれる領域まで続くものが現れ始める。
さらに、その先。
より高位で深いダンジョンの下層域まで到達すると、これまで大河が見てきた「地下迷宮」という言葉では説明できない場所も存在するらしい。
映像を開く。
そこに映っていたのは、ダンジョン内部とは思えない景色だった。
頭上には青い空が広がり、太陽のような光源が地上と変わらない明るさで世界を照らしている。
見渡す限りの草原。
山。
森。
別の映像では、赤く燃える火山と溶岩が広がっていた。
さらに別のダンジョンでは、視界のほとんどを水が占め、島のように点在する足場を探索者たちが進んでいる。
「……これ、本当にダンジョンの中なんだよな?」
探索者になる前にも、こうした配信を見たことはあった。その頃は、ただすごい景色だとしか思っていなかった。
だが、自分でダンジョンを攻略するようになった今なら、その異常さが少し分かる。
あの広さを探索するのであれば、階段を下りていくだけのダンジョンとは根本的に違う。
目的地まで歩くだけで何時間もかかる。
場合によっては野営する。
魔物を倒しながら食料と水を管理し、武器の状態を確認し、帰還までに必要な物資を常に残しておかなければならない。
「……そりゃソロ減るわ」
協会職員がギルドやパーティを勧めてきた理由も、ようやく実感を伴って理解できた。
そして、調べれば調べるほど、大河は自分の持つ二つのスキルを意識するようになった。
「《アイテムボックス》って……思ってたより相当便利なんじゃないか?」
食料も水も、ポーションも、予備の武器も、整備用の道具も。
普通の探索者なら、そのすべてを自分たちで背負う必要がある。
だが大河には、それがない。
《アイテムボックス》へ入れてしまえば、数日分の物資を持ち込んでも探索中の動きを邪魔しない。攻略途中で魔石や素材が増えても、荷物の空きを気にする必要もない。
「……これ、深いダンジョンほど価値上がるな」
そして《鑑定》も同じだった。
普通の探索者は、ダンジョン内で自分の正確なレベルやステータスを確認することはできない。
何体もの魔物を倒し、レベルアップした感覚があったとしても、正確な数値を確認するには地上へ戻り、協会の設備を使う必要がある。
だが大河は違う。
自分へ《鑑定》を使えば、ダンジョンの中でもいつでも現在のステータスを確認できる。
それだけではない。
初めて遭遇した魔物のレベルや能力まで、その場で確認できる。
「……俺、結構すごいの引いてたんだな」
レベル10で二つのスキルを得た時は、珍しいらしいという程度にしか考えていなかった。だが、探索範囲が広がるほど、その価値は大きくなっていく。
荷物の制約をほとんど受けない《アイテムボックス》。
ダンジョン内でも自分と魔物の情報を確認できる《鑑定》。
どちらも、長期間の探索になればなるほど強みが増す。
大河はスマートフォンの画面へ視線を戻し、今度は東京都内のEランクダンジョン一覧を開いた。
全十二階層。
全十九階層。
全二十四階層。
そして、その中で指が止まる。
【高尾ダンジョン】
【探索者ランク:E】
【確認済階層:全30階層】
【中層域:あり】
「三十階層……」
一覧の中でも、かなり規模が大きい。
攻略情報を開けば、十五階層付近までは上層。その先から徐々に環境が変化し、後半は中層域として扱われている。
推奨されている攻略日数も、一日ではなかった。
【標準攻略期間:四日~七日】
「一週間か」
他のEランクダンジョンも確認する。
十二階層のものなら、比較的短期間で攻略できる。
二十階層前後のダンジョンもある。
初めてのEランクなら、そちらを選ぶ方が普通なのかもしれない。
大河は何度か画面を上下させたあと、結局もう一度、高尾ダンジョンのページへ戻った。
「……ここだな」
迷いはそれほどなかった。
どうせEランクへ上がったのなら、今までとの違いを一番感じられる場所へ行ってみたい。
ただし、何も考えずに突っ込むつもりもない。
協会で聞いた話も、今調べた内容も頭に残っている。
*
翌日。
大河は必要な物を買い揃えるため、朝から店を回った。
数日分の食料。
飲料水。
回復用と魔力回復用のポーション。
包帯などの応急処置用品。
《マジックソード》を整備するための道具。
予備の衣類。
簡易的な寝具。
そして、万が一が使えなくなった時のためのサブ武器。
「結構いるな……」
普通なら、これだけでもかなりの荷物になる。まして四日から七日分ともなれば、大型のバッグが必要になる。
だが、大河には《アイテムボックス》がある。
保存の利く食料と水を多めに購入し、ポーションもこれまでより数を増やす。武器の整備用品に加え、予備として扱いやすい片手剣も一本購入した。
買った物は、次々と《アイテムボックス》へ入れていく。
数日分の物資を揃えているにもかかわらず、大河自身が持って歩いている荷物はほとんど増えなかった。
「……やっぱこれ便利すぎるな」
長期探索を前提に準備してみて、改めて実感する。
他の探索者が大型のバッグへ詰め込んで持ち込む物資を、自分はほぼ何も背負わず持っていける。
戦闘中も荷物に動きを邪魔されない。
攻略途中で魔石や素材が増えても、持ち帰るための空きを気にする必要もない。
準備を終えて自宅へ戻る頃には、大河の《アイテムボックス》にはこれまでにない量の物資が収められていた。
念のため一つずつ確認し、最後に予備の片手剣まで入っていることを確かめる。
「これなら大丈夫か」
あとは、潜るだけだ。
大河は配信アプリを開いた。
池袋攻略から一か月。
その間も何度も配信を続けてきたことで、待ってくれている視聴者も以前とは比べものにならないほど増えている。
告知欄を開き、短く入力する。
【次回配信】
【初Eランクダンジョン】
【高尾ダンジョン・全30階層攻略】
投稿。
ほとんど間を置かず、反応が付き始めた。
【ついにEランク!?】
【昇格したのか】
【高尾って30層あるとこじゃん】
【何日潜る気だよ】
【初Eでそこ選ぶのかよ】
【やっぱりそういうやつだった】
「……なんで最後だけ悪口なんだよ」
大河は苦笑しながらスマートフォンを置いた。
初めてのEランク。
初めての中層。
そして、初めての長期探索。
今までとは違うダンジョンが、明日から始まる。




