バラスへの道
ここは、ティルダス王子の乳母ネリッサの故郷――バラスへ向かう街道。
一台の馬車が進んでいた。
御者はでっぷりと太った男だが、顔は妙に若い。
馬車の中には三人。
鋭い目をした青年チグラス。
ぼさぼさ頭の少年ティルダス。
そして――栗色の巻き毛の美少女。
「ひどいよっ!なんで僕が女のフリしなきゃなんないんだよ!」
その美少女こそが、ダエンだった。
「黙れ、小僧! 俺様だって、自慢の髭を剃り落とさなきゃならなかったんだ! おかげで幼く見えて仕方ねぇ!」
そう怒鳴るのは、御者を務めるアルセンだ。
髭を生やしていた頃は迫力があったが、いざ剃ってみれば、存外童顔である。
「ははは、よく似合っているぞ、アルセン!」
後ろから大笑いするのはチグラスだった。
「チグラスだけズルいよな~。俺なんて、このボサボサ頭に汚い服だぜ……」
不満を漏らすのはティルダス。
王子である彼にとって、これほどみすぼらしい格好は生まれて初めてだった。
「そうだよ、チグラスばっかりズルい!僕なんて一番ひどいんだから……女の子だなんて……」
ダエンは今にも泣き出しそうな顔をしている。
「仕方ねぇだろ。たまたま女物の服があっただけだ。しかも似合ってるじゃねぇか。な、チグラス?」
アルセンはそう言って、カカカと陽気に笑った。
「ひどいや……」
ダエンはすっかりむくれてしまった。
——自分も、あれだけ長かった髪を切ったというのに……誰も気づかぬか——
チグラスは内心でため息をつく。
腰まであった髪は、ダルフラの酒場を出たその日に肩のあたりまで切り揃えた。
だが、その変化に気づいた者は一人もいなかった。
「皆、すまない。まもなく王都を出る。変装もそれまでの辛抱だ」
チグラスは一同に詫びた。
ナハペト王国の王都アルサスは広大で、滞在している限り、いつ追っ手に捕捉されるかわからない。
移転魔導は体力の消耗が激しく、緊急時以外は使うなと師ギルス・ギルスに戒められている。
ゆえに、こうして地道に進むしかなかった。
国を出ることは決めた。
だが、逃亡先はまだ定まっていない。
ティルダス王子の母の祖国、コルトリ王国へ向かう案もある。
チグラスは星図を取り出し、占術で相性を確かめた。
——ふむ……王子殿とコルトリ王国、今はあまり巡りが良くないか。さて、どこへ向かうべきか——
ひとまずは、ガルテナ王国との国境沿いにある街コムナ。
そこにある酒場で、師ギルス・ギルスと合流する手筈となっている。
同時にチグラスは、周到に偽情報を流した。
王子がコルトリ王国へ逃れた、という噂である。
「風の精霊よ。ティルダス王子はコルトリ王国へ向かったと広めよ」
呪文を唱えると、
「えっ、母上の国へ向かうの?」
ティルダスが目を輝かせた。
「いいえ。これは偽りの噂です」
「え、嘘なのかよ! なーんだ、一度は母上の国に行ってみたかったのに」
ティルダスはむくれる。
「敵の目をくらますには、こういう手も必要ってことさ」
馬車を操りながら、アルセンがつぶやいた。
「で、どこ行くのさ?」
「まだ決まっておりません。ひとまず、私の師のもとへ向かっております」
チグラスは淡々と答える。
コルトリへ向かうなら北。
一方、ガルテナ方面は西。
敵が噂を信じるなら、当面は安全が保たれるはずだった。
そのとき。
「おい、やべぇ……何かいるぞ」
アルセンが馬の速度を落とした。
「どうした?」
チグラスは嫌な予感を覚える。
まもなく王都を抜けるはずだというのに、もう見張りか。
馬車から身を乗り出すと、遠目にもそれとわかる。
槍を手にした男たちが、数人、道を塞ぐように立っていた——。




