葬れぬ死者
その頃チグラスは、後始末に追われていた。
すでに魔導により、北の館には誰一人近づけぬよう封鎖している。
同時に、各所へ連絡も飛ばした。
だが、最優先すべきことは別にあった。
ネリッサの遺体である。
「……」
チグラスは、静かにその亡骸を見つめた。
本来ならば、丁重に葬らねばならない。
だが今は、それすら許されない状況だった。
——どうする……——
ネリッサは、ただの乳母ではない。
かつてチグラスが剣の修行に励んでいた頃、
さりげなくパンを差し入れてくれた。
そして——
亡き元帥バルジャーミの妻でもあった。
——せめて……敬意だけでも——
このままでは、遺体は腐敗する。
だが、保存の術をチグラスは知らない。
遠い南西の国には、遺体を長く保つ技があると聞いたことはある。
だが、それは伝聞に過ぎない。
——無力だな……——
その言葉が、胸の奥に沈んでいく。
チグラスは、ただ立ち尽くすしかなかった。
そのとき。
ふわり、と炎が揺らいだ。
「……来たか」
炎の魔鳥が戻ってくる。
チグラスの不死鳥不死鳥とは違い、フクロウだ。
師、ギルス・ギルスからの返答だ。
チグラスはすぐさま羊皮紙を受け取り、目を走らせた。
『愛弟子チグラスよ……。
ネリッサ殿のことは、誠に残念である。
彼女は元帥バルジャーミの妻であったゆえ、
ファシム殿も長らく処遇を見合わせていた。
しかし今回、裏切り者として粛清されたのであろう。
気の毒なことだ。
遺体については手を打ってある。
西の隣国ガルテナ王国、その地下都市デリーキューに住む魔法族ヤズダへ協力を依頼した。
まもなくそなたのもとへ現れるはずだ。
以後は彼の指示に従うがよい。
そしてチグラスよ。
国を出る前に、西の国境沿いにあるコムナの酒場を訪ねよ。
我はそこで待つ。
最後に一つ。
移転魔導は体力を激しく消耗する。
緊急時以外は用いぬよう心得よ』
「……魔法族、か」
チグラスは低く呟く。
魔導士とは異なる存在。
鍛錬で力を得る人間と違い、生まれながらに魔を宿す種族。
ナハペトには存在しないとされていた。
——ガルテナ王国に、いたのか……——
そう思った、次の瞬間だった。
フッ——
煙が、何もない空間から滲み出る。
それは床に落ちることなく、宙に留まり、
やがて——人の輪郭を形作った。
気配が、ある。
だが、生者のそれではない。
「……そなたが、チグラスか」
声がした。
まだ顔も見えぬまま——それは、確かに彼を見据えていた。




