王なる器〜ウジュル〜
「貴様らは、何者だ!」
血走った目でティルダスとマナフィを睨みつけるフェージンが、ムチを振り上げかけたその刹那――
「最善の神ワヒスタよ、我とその同志以外の時を止めよ」
低くも澄んだ声が響き渡った。
呪文が結ばれると同時に、フェージンの動きは振り上げたムチの形のまま凍りついた。
周囲の労働者たちもまた、一様に石像のごとく固まる。
ティルダスは声の主を探す、マナフィでないのは明らかだった。
「あっ!」
岩の上に、紺のマントを風にはためかせたチグラスが立っていた。
「そんな……!魔導で深き眠りに落ちているはずなのに……!」
マナフィは驚愕の声を上げる。
「すまぬ、マナフィ。そなたの睡眠魔導は掛けられる寸前に気づき、防ぎを張ってしまったのだ」
「そうだったのか……ならば仕方ないなぁ」
マナフィは肩をすくめ、苦く笑う。
「それより、私が今かけた呪文はそう長くはもたない。続けて忘却の術をかけねば」
チグラスがこう言うと、
「それなら!僕がこの責任を取って忘却の術をかけます!」
マナフィは小声で呪を紡ぎ、労働者たちの瞳に霞を落とした。
——見事なる技よ…——
チグラスは、深く感心した。
——この男を、旅の仲間にできれば……——
だが、今は誘いの言葉なんてかけてる間はない、一刻も早くこの場を離れなければならなかった。
「マナフィ殿…今ここで転移魔導をかけてしまうのは、王子殿にとって負担が大きい。姿を消して、この場を静かに立ち去りましょう」
「異存はない」
マナフィはうなずいた。
「え、俺もう大丈夫だと思うよ?だいぶ魔導に慣れてきたし!」
ティルダス王子は相も変わらずノンキである。
「王子殿……そうはいきません。ここは我らに従っていただきます」
言い終えるや否や、チグラスは姿を消す魔導を放った。
『おっと、ついでに…』
マナフィが小声でつぶやき、ティルダスの口元に指を当てる。
途端に、王子の声は封じられた。
——はぁぁ!?なんてことすんだよ!——
声を出せなくなってしまったティルダスは憤慨するが、誰かに——姿は見えないが、恐らくチグラスに腕を引かれ、その場を後にした。
やがて遠くでムチの唸る音が鳴り響いた。
——それにしても…この金で栄えるナハペト王国が、こんな酷い労働の上で成り立っていたなんて…——
ティルダスの胸は痛んだ。
「ここまで来れば、もう大丈夫!」
マナフィは術を解く。
「ひどいぞ、マナフィ!」
口が利けるようになった王子は、真っ先に噛みついた。
「あはは、悪かったね!」
マナフィは軽く詫びる。
本来なら、たとえ冷遇されていようとも王子に対する無礼は咎められるべきものであった。
だが、マナフィがするとなぜか咎を受けぬ空気が漂う。
——やはり、この者を仲間にしたい…——
チグラスは思い切って声をかける。
「マナフィ殿…我らとともに来てくれぬか?」
ティルダスもすぐさま賛同する。
「そうだよ!マナフィってちょっと失礼だけどさ、一人でも多いほうが楽しいよね!」
しかし、マナフィは微笑を浮かべ、きっぱりと答えた。
「王子殿にチグラス殿、すまない。僕には果たさねばならぬ務めがある…だから、同行はできない」
「そうか…」
チグラスは落胆の色を隠せず、ティルダスは大げさに叫ぶ。
「ええーっ!なんでだよー!?」
「そのかわり、ひとつ”良きこと”を教えるよ」
マナフィはティルダスをちらりと見て、口を開いた。
「僕の見立てでは、ティルダス王子からわずかながら、”ウジュル”を感じるんだよね!これは、生まれながらに備わる力さ」
「ウジュル!まことか!?」
チグラスは興奮を抑えきれず声をあげた。
「はぁ?ウジュル?なんだそりゃ!?」
ティルダスには、ちんぷんかんぷんだった。
「ウジュルとはね、王の器を示す力さ。これはね、誰もが持つものではないんだよ」
マナフィがわかりやすく説明してくれたのに対し、
「えーっ、マジか?!俺、そんなの自覚ないよー!!」
ティルダスは驚く。
「さすがは真の大神官長の息子だな…」
チグラスは、思わず洩らした。
「父上には及ばぬさ」
マナフィは、どこか寂しげに笑う。
「そういえばさ……ナハペトには長らく大神官長がいないって聞いたけど、どういうことなの?」
その問いに、チグラスは、ハッとした。
——しまった……この件は、まだ口外すべきではなかった!——
「ああ…かつてこの国にも大神官長がいたのだけどね…禁断の恋に落ちて僕が生まれて、追放されたのさ」
マナフィは、淡々と語る。
「へえ、そうなんだ〜」
あっさりと納得するティルダスを見て、チグラスは胸を撫で下ろした。
——よかった……マナフィの母君のことは、今はまだ語る時ではない。だが――王子に王としての器であるウジュルあると知れたのは、何よりの収穫だ——
多くの真実が一度に明らかとなり、チグラスの心は騒がしかった。
だが確かに一つ、大きな光を見出したのであった。




