王子の初恋
初めての転移魔導酔いから目を覚ましたティルダスだったが、アルサス城を出てからずっと続いていた緊張のせいか、高熱を出して寝込んでしまっていた。
「おっはよ〜! ティル…じゃなかった、デヴィッド! 冷やした葡萄ジュース持ってきたよ!」
ティルダスとチグラスは、『デヴィッド』と『マリス』という偽名を使い、兄弟を装っていた。
「マナフィ、ありがとう」
ティルダスが起き上がろうとすると、
「あっ、ちょっと待って!」
マナフィは手にしていた陶器をサイドテーブルに置き、そっと彼の半身を抱き起こした。
「んー……熱はだいぶ下がったけど、まだ微熱だね」
額に当てられたひんやりとした手が心地よく、思わずティルダスは見惚れてしまう。
——きれいだなぁ…女神様かよ!——
「はい、これ飲んでね!」
マナフィは陶製のカップにジュースを注ぎ、
口元へと差し出す。
そこへチグラスが入ってきた。
「具合はどうだ?」
「下がってきたけど、まだ休ませたほうがいいかも」
「そうか……何から何まで世話になって、すまない」
実際、マナフィは食事だけでなく、シーツの取り替えや薬の調合まで引き受けてくれていた。
「ふふっ、あたしが薬草に詳しいの、びっくりしたでしょ?」
チグラスにウィンクするマナフィに、ティルダスの胸はチクリと痛んだ。
——やっぱりマナフィにはチグラスのほうがお似合いなんだろうな。俺も早く大人になりたい…——
目を覚まして最初に飛び込んできたのは、マナフィの美しい顔だった。
まるで天国で女神に微笑まれたように思い、
心を奪われたティルダスは、もうずっとここにいたいと願うほどになっていた。
*********
数日後。
体調はすっかり戻ったが、ティルダスの心は落ち着かなかった。
ファシム大臣に命を狙われ、城を出た今——王子という身分を捨ててしまいたい気持ちが芽生えていたのだ。
——どうしてチグラスは、俺を王にしようとするんだ? 優秀な兄上が王位を継いでいるのに……——
王になることに、正直まるで興味はなかった。
……だが。
——よし、マナフィに告白しよう!王子だし、断られない……って、あれ?俺、王子やめたいんじゃなかったっけ?——
自分で矛盾に気づいて笑ってしまう。
「ずいぶん楽しそうね」
声に振り返ると、マナフィが立っていた。
「あ、いや、ちょっと……」
慌てて顔を赤らめるティルダス。
——やっべ、見られてたか!?——
「元気そうだし、そろそろ採掘場行ってもいいんじゃない?あたしは反対だけど」
マナフィはもともと、金の採掘場へ行くこと自体、反対していた。
「俺、採掘なんて興味ない!そんなことより、君とずっと一緒に暮らしたい!」
言ってしまってから、自分の言葉が告白に近いと気づき、ティルダスは真っ赤になった。
「ち、ちがっ……その……!」
「いやぁ、光栄だね! こんなかわいい坊やにそんなこと言われるなんて!」
マナフィは軽く受け流したが、その表情を“まんざらでもない”と勘違いしたティルダスは、
「いや……俺は本気だよ」
そう言って彼女の手を強く握った。
「参ったなぁ……身分が全然ちがうから、無理ですよ〜!」
振り解こうとするマナフィに、ティルダスはさらに力を込める。
「身分なんて関係ないさ! 俺、王になんてなりたくないし!」
そのとき——。
「なりません、王子!」
チグラスが飛び込んできた。
「なんだよ、いいところで邪魔するな!」
睨むティルダス。
しかしマナフィは、チグラスを見て懇願するように言った。
「マリス……いや、チグラス殿! 結界も張ってくれたし、もう僕の正体を明かしてもいいでしょう?」
「え、僕?」
思わぬ言葉にティルダスは目を丸くする。
「仕方ありませんね。誰も入ってこられませんし……変身を解いても」
チグラスがうなずくと、マナフィはティルダスの手をやさしく解き、片手を頭からつま先へとすべらせた。
次の瞬間——。
赤毛の美少女は消え、背の高い栗毛の美青年が立っていた。
「ええっ!?」
腰を抜かしそうになるティルダス。
「王子殿……自分は事情があって、女として生きねばならないのです」
深々と頭を下げるマナフィに、ティルダスは叫んだ。
「なんだよ! ひどいじゃないか!」
「彼は、男であることが知られればファシム殿に命を狙われる……実は——」
チグラスが説明しかけると、
「もういい! 聞きたくない!」
ティルダスは耳を塞いだ。
「今はそっとしておきましょう」
マナフィはそう言って、チグラスの肩を軽く叩いた。
こうしてティルダス王子の初恋は、あっけなく幕を閉じたのだった。




