金と剣
ネリッサの葬儀を終えてから、まもなく一か月が過ぎようとしていた。
あの日以来、ティルダスとダエンは目に見えて口数が減った。
悲しみを無理に言葉にすることもなく、ただ静かに前を向こうとしている――そんな二人を、チグラスとアルセンは何も言わず見守っていた。
ある夜のこと。
宿で休んでいると、アルセンがチグラスの部屋を訪ねてきた。
ティルダスとダエンは、すでに別の部屋で眠りについている。
「なぁ、チグラス。少し相談がある」
まだ寝支度もせず椅子に腰掛け、考え事をしていたチグラスは顔を上げた。
「どうした」
アルセンは向かいの椅子へ腰を下ろす。
「路銀にはまだ余裕がある。でも、稼げるうちに稼いでおいたほうがいいんじゃねぇか?それに王子サンとダエンの剣も鍛えなきゃならねぇだろ」
チグラスは小さく頷いた。
「……実は、自分も同じことを考えていた」
そう言うと懐から地図を取り出し、机の上へ広げる。
「今いるのがここだ。この近くにアラガーター山という金山がある」
指先で山を示しながら続けた。
「我々は一時、二手に分かれる」
「二手に?」
「追手の目を欺くためだ。王子を連れ出した四人組として、すでに王都中へ手配が回っているはずだ。同じ行動を続ければ、それだけ目立つ」
アルセンは腕を組み、ゆっくり頷いた。
「なるほどな」
「王子と自分は採掘へ向かう。アルセンとダエンは湖畔の宿で剣の稽古だ。そして頃合いを見て交代する」
「俺とダエンが採掘じゃねぇのか?」
「いや」
チグラスは静かに首を振る。
「王子はいずれ国を治めるお方だ。国を支える富が、どのように生み出されるのかをご自身の目で知っていただく必要がある」
アルセンは少し考え込み、首を傾げた。
「でもよ、皆で採掘して、皆で稽古すりゃ早いんじゃねぇか?」
「それでは意味がない」
チグラスは落ち着いた口調で答える。
「四人まとまって動けば、それだけ追跡されやすくなる」
「……確かにな」
アルセンはようやく納得し、深く息を吐いた。
翌朝、一行は宿を発ち、馬車でセワナ湖へ向かった。
御者台にはアルセン。
車内にはチグラス、ティルダス、ダエンが向かい合って座っている。
しばらく進んだところで、チグラスが口を開いた。
「二人とも、聞いてくれ」
少年たちは同時に視線を向ける。
城を抜け出した頃より、その表情にはどこか大人びた影が差していた。
「昨夜、アルセンと相談して決めた。この先しばらく、我々は二手に分かれて行動する」
以前なら真っ先に理由を尋ねていただろう。
しかし二人は黙って続きを待っていた。
「王子と自分はアラガーター山で採掘に加わる。一定期間働いたあと、セワナ湖畔の宿へ戻る。その間、アルセンとダエンは宿で剣の修練を積む」
ティルダスが静かに尋ねる。
「……どうして金山なんだ?」
「路銀を得るためでもある。しかし、それ以上に王子には知っていただきたいのです」
チグラスは真っ直ぐティルダスを見つめた。
「国を豊かにする鉱脈が、どのように人々の手で掘り出されるのかを」
ティルダスは少し考え込み、小さく頷いた。
「わかった」
今度はダエンが尋ねる。
「じゃあ僕は宿で待ってればいいの?」
「待つだけではない」
チグラスは穏やかに微笑んだ。
「ダエン。君の父上は、この国でも指折りの剣士で元帥だった。その誇りを受け継ぐためにも、王子を支える剣を身につけてほしい」
父の姿が脳裏によみがえったのだろう。
ダエンの瞳に、久しぶりに力が戻る。
「うん! 僕、頑張るよ!」は
ネリッサを失って以来曇っていた茶色の瞳が、再び輝きを取り戻した。
「チグラス。俺も剣を鍛えなきゃ駄目だろ?」
ティルダスが言う。
「ああ。宿へ戻ったら、今度は王子と自分が剣の修練を行い、その間にアルセンたちが採掘へ向かう」
「なるほど」
ティルダスもダエンも、それ以上は何も言わなかった。
四人一緒に行動できない理由を、もう十分理解していた。
やがてチグラスは表情を改める。
「もう一つ、大切な話があります」
馬車の中に静けさが広がる。
「これから先、王子を本名でお呼びすることは避けたい。万が一、正体が露見すれば、これまでの苦労がすべて水の泡になる」
そう言ってチグラスは片膝をつき、ティルダスの右手を取った。
「今後は”デヴィッド”とお呼びすることを、お許しください」
ティルダスは照れくさそうに笑った。
「そんなの構わないよ。それよりチグラス、その姿勢は危ないって。馬車、揺れてるぞ」
そう言って、自分の左手をそっとチグラスの手へ重ねる。
王子はまともな教育を受けていないと聞いていた。
だが、この優しさは誰かに教えられて身につくものではない。
もしかすると……。
この少年には、生まれながらに民を思う心が備わっているのかもしれない。
ならば自分は、その資質を王として育て上げなければならない――。
そんな決意を胸に刻んだとき、アルセンの声が響いた。
「着いたぞ! セワナ湖だ!」
馬車を降りると、目の前には果てしなく広がる青い湖があった。
陽光を受けた水面は宝石のように輝き、穏やかな波が岸辺を静かに撫でている。
「うわぁ!」
「すっげぇ!」
ティルダスとダエンは歓声を上げ、一目散に湖へ駆け寄った。
「ねぇ、泳いでもいい?」
振り返るティルダスに、ダエンが呆れたように笑う。
「何言ってるんだよ。まだ寒いし、水なんて氷みたいだぞ」
そう言いながらも、その顔には笑みが浮かんでいた。
無邪気にはしゃぐ二人を見つめながら、チグラスは胸の奥が締めつけられるのを感じた。
王宮で育った彼らは、こうして自由に野を駆け回り、心から笑う機会すらほとんど与えられなかったのかもしれない。
湖畔に響く少年たちの笑い声を聞きながら、チグラスは静かにその光景を目に焼きつけた。




