霧の中の葬儀
森へたどり着いた頃には、日はすでに西へ傾き、夕闇が木々の間を静かに満たし始めていた。
長く伸びた影が地面を覆い、森は昼とは別の顔を見せている。
「みんな、少しの間ここへ集まってくれ」
チグラスの呼びかけに、一同は黙って歩み寄った。
チグラスは懐から一本の杖を取り出すと、足元の地面へ大きな円を描く。
そして低く響く声で呪文を唱え始めた。
その瞬間、円の外側から濃い霧が湧き上がり、瞬く間に森を包み込む。
視界は白く閉ざされ、まるでこの場所だけが世界から切り離されたかのようだった。
「……これでよし。ネリッサの葬儀を始めよう」
チグラスとアルセンは馬車から棺を運び下ろし、静かに地面へ横たえる。
蓋をわずかに開けると、ネリッサの穏やかな寝顔が現れた。
血の気は失われていたが、その端正な面差しは生前と何ひとつ変わらない。
今にも静かに目を覚ましそうなほど安らかな表情だった。
かつて一人息子ダエンを産むまでは、宮廷で「エレーニ妃に次ぐ美女」と称えられたネリッサ。
近年はふくよかな中年の婦人となっていたが、その気品ある美しさは少しも色褪せてはいなかった。
「……母上ぇぇっ!!」
ダエンは棺へ駆け寄ると、ネリッサへすがりついて声を上げて泣いた。
つい先ほどまで労務者に扮していたはずの粗末な身なりは、いつの間にか本来の姿へ戻っている。
ティルダスも同じだった。乱れていた髪は丁寧に撫でつけられ、衣服も王子にふさわしく整えられている。
ティルダスは静かに棺の傍らへ膝をつき、そっとネリッサの頬へ触れた。
冷たい。
そして、石のように硬い。
生まれて間もなく実母を亡くした彼にとって、乳母ネリッサは母そのものだった。
泣くまいと唇を噛み締める。
だが、込み上げる悲しみを押し留めることはできなかった。
「うっ……うぅ……。なんでだよ……。なんでネリッサが死ななきゃならなかったんだよ!!」
叫ぶように吐き出した瞬間、堪えていた涙が溢れ出し、ティルダスは子どものように声を上げて泣いた。
「さあ、ネリッサへ花を」
チグラスはどこからともなく色とりどりの花を取り出し、一人ひとりへ手渡していく。
誰も言葉を交わさず、それぞれが静かに花を棺へ供えた。
濃い霧はなお周囲を覆い尽くしている。
しかし、チグラスが描いた円の内側だけには月光が静かに降り注いでいた。
淡い銀色の光はネリッサの顔を優しく照らし、その眠るような姿を神々しいほど美しく浮かび上がらせる。
やがて一同は棺を担ぎ上げ、アルセンが楡の大木の根元へ掘っておいた墓穴へと静かに納めた。
土が一掬い、また一掬いとかけられていく。
そのたびに、ダエンとティルダスの嗚咽だけが静かな森へ響いた。
祈りを捧げ終えると、一同はなおも無言のまま馬車へ戻る。
「……荷台に乗ってもいいかな」
重い沈黙を破ったのは、ティルダスだった。
「なぜだ?」
チグラスが静かに問い返す。
「悪いけど……今夜は一人になりたい」
そう言い残すと、返事を待つことなくティルダスは荷台へ乗り込んだ。
——理由など訊くべきではなかったな……——
チグラスは胸中でそっと悔いた。
護衛として王子の行動を気にかけるのは当然の務めである。
だが、今宵だけは違った。
今はただ、悲しみに沈む時間を誰にも邪魔されず過ごさせてやるべきだったのだ。
気がつけば霧は跡形もなく消え去り、森には夜の静寂だけが満ちていた。
誰一人として口を開く者はいない。
馬車は静かに動き出し、夜の森の奥へと吸い込まれるように走り去っていった。




