「迫る災厄」
いつもお読みいただきありがとうございます。
梅雨入りしたそうですが、こちらはまだまだ晴れの日が続いていて毎日暑いです。
気温差や湿度で体調を崩しやすい時期ですので、皆様もどうぞお気をつけください。
少しでも物語で気分転換していただけましたら嬉しいです。
それでは本編をお楽しみください。
「ただいま」
その言葉を最後に。
フィラの身体から力が抜けた。
「フィラ!」
ヴァルドが慌てて抱き留める。
閉じた瞼。
浅い呼吸。
だが確かに生きている。
ヴァルドは強く抱き締めた。
本当に。
本当に帰ってきた。
オズワルドは大きく息を吐く。
胸を締め付けていた不安がようやく少しだけ和らいだ。
無事だった。
娘は無事だった。
「閣下……」
ツェリの声が震える。
ラルフも安堵したように目を閉じた。
サイラスも静かに息を吐く。
誰もがフィラの無事に心を奪われていた。
だから。
気づくのが遅れた。
部屋からもう一人の少女が消えていることに。
◇◇◇
美優は走っていた。
ただひたすらに。
怒りのままに。
「何なのよ!」
叫ぶ。
「何でよ!」
頬に触れる。
ぺり。
薄い皮のようなものが剥がれ落ちた。
銀色の髪が崩れる。
空色の瞳が揺らぐ。
フィラの姿が消えていく。
「何なのよ!」
また剥がれる。
ぺり。
ぺり。
まるで偽物の仮面が剥がれていくようだった。
「私の方が可愛いのに!」
「私の方が愛されるはずなのに!」
悔しい。
悔しい。
悔しい。
何故誰も自分を選ばなかったのか。
何故皆フィラを選ぶのか。
何故。
何故。
何故。
全部。
全部お姉ちゃんのせいだ。
走る。
走る。
気づけば。
虹色に輝く巨大な結界石の前に立っていた。
その光が美優を照らす。
『ぐっ……』
頭の中で苦しそうな声が響いた。
召喚された時に聞いた声。
自分を導いてくれた声。
『フィラ……』
憎悪が滲む。
美優の胸にも同じ感情が渦巻いていた。
「お姉ちゃん……」
許せない。
全部奪った。
全部。
全部。
その瞬間。
邪神の怒りと。
美優の怒りが重なった。
『我のものにならぬなら』
「私のものにならないなら」
『消えてしまえ』
「消えてなくなれ!」
「「消えてしまえ!!」」
闇が溢れた。
黒い力が結界石へ叩きつけられる。
轟音。
虹色の光が砕け散った。
◇◇◇
大地が揺れた。
凄まじい衝撃が会談区域を襲う。
オズワルドが顔を上げる。
「何だ」
直後。
兵士が飛び込んできた。
「大公閣下!」
息を切らしながら叫ぶ。
「会談区域を守っていた結界石が破壊されました!」
全員の顔色が変わる。
「何だと」
「森から魔獣が侵入しています!」
空気が凍った。
この会談場は危険な森の中に作られている。
だからこそ結界で守られていた。
その結界が失われた。
意味することは一つだった。
◇◇◇
オズワルドは即座に動く。
「ラルフ」
「はっ」
「アーバインと共に非戦闘員の避難を指揮しろ」
「承知いたしました」
ラルフは即座に頭を下げた。
「アーバイン」
「お任せください」
アーバインも一礼する。
続いて。
オズワルドはツェリへ視線を向けた。
「ツェリ」
「はい」
「フィラを部屋へ」
ツェリは頷く。
「目覚めても部屋から出すな」
低く強い声だった。
「必ず守れ」
「お任せください」
ツェリは眠るフィラを抱き上げる。
絶対に守る。
そう誓うように。
◇◇◇
「ヴァルド」
オズワルドが呼ぶ。
ヴァルドはゆっくり立ち上がった。
先ほどまでフィラを抱いていた腕が剣へ伸びる。
「行くぞ」
「はい」
短い返事。
だが紅い瞳には怒りが燃えていた。
フィラを傷つけた者。
フィラを苦しめた者。
そして今。
フィラが支えていた結界を壊した者。
許すつもりなど欠片もない。
大公と王太子。
二人は並んで歩き出す。
迫り来る魔獣を迎え撃つために。
◇◇◇
一方。
サイラスもまた走り出していた。
向かう先は王国側の宿泊棟。
王太子へ報告しなければならない。
結界石の破壊。
魔獣の襲来。
帝国側の迎撃開始。
そして避難誘導。
やるべきことは山ほどある。
王太子の部屋へ飛び込むと、すぐに現状を説明した。
王太子の顔色が変わる。
「すぐに軍を動かせ」
命令が飛ぶ。
「非戦闘員を避難させろ」
「帝国側とも連携を取る」
その判断は早かった。
サイラスは内心安堵する。
やはり殿下は殿下だ。
このような非常時に責務を放り出す方ではない。
だが。
「それとミユはどうした?」
王太子が周囲を見回す。
侍女達が顔を見合わせた。
「聖女様は……」
「お部屋にいらっしゃらないようです」
王太子の顔色が変わる。
「何だと!?」
勢いよく立ち上がった。
「捜せ!」
「すぐに捜索隊を出せ!」
「ですが殿下――」
思わずサイラスが口を開く。
今は一人でも多く避難誘導と迎撃へ回したい。
だが王太子は首を振った。
「聖女は我が国の重要人物だ」
「万が一があってはならない」
その言葉に周囲も頷く。
間違ってはいない。
確かに聖女は要人だ。
国にとって重要な存在だ。
だから反論できない。
けれど。
サイラスは黙った。
胸の奥に小さな違和感が残る。
結界石の破壊。
魔獣の襲来。
今この場には守るべき者が大勢いる。
それなのに。
殿下は聖女の捜索へ人員を割いた。
要人だから。
そう言った。
だが本当にそうだろうか。
サイラスは目を伏せる。
幼い頃から知っている。
真面目で。
誠実で。
責任感の強い人だった。
凡人だからこそ努力を惜しまない人だった。
だからこそ支えてきた。
だが。
自分は見誤っていたのかもしれない。
殿下が思っていた以上に。
ミユへ心を奪われていたことを。
◇◇◇
部屋の隅ではルシアンが侍女へしがみついていた。
顔色は悪い。
小さな身体も震えている。
「殿下」
侍女が優しく背を撫でる。
「大丈夫ですよ」
ルシアンは小さく頷いた。
王太子はそんな弟の前に膝をつく。
「ルシアン」
「兄上……」
「お前は先に王国へ帰りなさい」
ルシアンが不安そうに王太子を見る。
王太子は笑みを浮かべた。
「大丈夫だ」
「兄上がいる」
「だから安心しなさい」
ルシアンは小さく頷く。
王太子はその頭を優しく撫でた。
「必ず後から帰る」
その言葉に少しだけ安心したようにルシアンは侍女へ寄り添った。
そして王太子は立ち上がる。
「行くぞ」
守るべき者達のために。
迫り来る災厄へ立ち向かうために。
それぞれが。
それぞれの役目を果たすため動き始めていた。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
無事に帰って来られたと思ったら、なかなかゆっくりさせてもらえないフィラでした。
それぞれが自分の立場で動き始め、物語も少しずつ次の局面へ向かっています。
次回も楽しんでいただけましたら嬉しいです。
いつも感想や応援、本当にありがとうございます。
皆様の応援が更新の励みになっています。




