「お前は誰だ」
いつもお読みいただきありがとうございます。
少し体調に波がありますが、皆様からいただく感想や応援に元気をいただいています。
季節の変わり目でもありますので、どうぞご無理なさらずお過ごしください。
それでは本編をお楽しみいただければ幸いです。
ラルフは足早に廊下を進んでいた。
フィラが戻っていない。
それだけなら、まだ大事にはならなかった。
第二王子ルシアンと中央区域の庭を散策していると聞いていたからだ。
だが。
フィラの姿をした偽物が現れた。
それなら話は別だ。
本物のフィラはどこにいるのか。
何が起きたのか。
急がなければならなかった。
会談場の扉が開く。
休憩に入ったのだろう。
中から外交官補佐のサイラスが出てきた。
「ラルフ殿?」
サイラスはすぐに異変を察した。
ラルフがこの場へ来る理由など、そう多くはない。
「少々お伺いしたいことがございます」
「何でしょう」
「フィラ様は本日、第二王子殿下と中央区域の庭へ向かわれましたね」
「ええ」
サイラスの表情が僅かに変わる。
「何かありましたか」
「確認中です」
ラルフは最低限だけ答えた。
「第二王子殿下がどちらにいらっしゃるか、ご存じでしょうか」
サイラスは一瞬だけ黙る。
そして近くにいた侍女へ声をかけた。
すぐに返ってきた答えは、第二王子はすでに戻り、昼寝をしているというものだった。
「……戻っているのですか」
ラルフの声が低くなる。
「フィラ様はご一緒ではありませんでしたか」
「そのようには聞いておりません」
サイラスの目が細くなった。
「同行しましょう」
ラルフは頷く。
二人はすぐに第二王子の部屋へ向かった。
◇◇◇
ルシアンは眠そうに目を擦っていた。
突然起こされたのだろう。
まだ幼い顔に少しだけ不満そうな色がある。
「サイラス?」
「申し訳ございません、ルシアン殿下」
サイラスは穏やかに微笑んだ。
「少々お伺いしたいことがありまして」
「なあに?」
「本日、フィラ嬢とお庭を散策されていましたね」
「うん」
ルシアンは頷く。
「どちらでお別れになったか、覚えておいでですか?」
「えっとね」
ルシアンは少し考えるように首を傾げた。
「蝶々」
「蝶々、ですか」
「うん。綺麗な蝶々がいたの。追いかけてたら、フィラお姉ちゃんとはぐれちゃった」
子供らしい答えだった。
責めるようなものではない。
サイラスは表情を変えずに頷く。
「その場所を教えていただけますか」
「うん」
ルシアンは窓の方を指差した。
「あっち。噴水の奥のお庭」
「ありがとうございます」
それ以上は聞かなかった。
幼い王子を不安にさせる必要はない。
サイラスは丁寧に礼をし、ラルフと共に部屋を出た。
廊下に出た瞬間、ラルフの足はさらに速くなる。
「急ぎましょう」
「ええ」
サイラスも頷いた。
フィラが第二王子とはぐれた。
それ自体はあり得る。
だが、その後に偽物が現れたとなれば、偶然では済まされない。
◇◇◇
フィラの部屋で、美優は上機嫌だった。
柔らかな寝台。
整えられた机。
花の飾り。
可愛らしい小物。
何もかもが丁寧に置かれている。
ここにいるだけで、フィラがどれほど大切にされていたかがわかった。
それが腹立たしくもあり、同時に胸を躍らせてもいた。
もう自分のものになるのだから。
「ヴァルド様、まだかな」
美優は窓の外を見る。
会談が終われば戻ってくるはずだ。
フィラの姿をした自分を見たら、きっと優しくしてくれる。
今度こそ。
美優はうっとりと笑った。
部屋の隅にはツェリが控えている。
ずっと離れない。
けれど美優はそれも、自分が大切にされている証拠だと思っていた。
ツェリは静かに微笑んでいる。
だがその目は笑っていなかった。
◇◇◇
同じ頃。
闇の中で、フィラは膝を抱えていた。
何も見えない。
何も聞こえない。
ただ冷たい闇だけが広がっている。
『可哀想に』
声がした。
優しい声だった。
『怖かっただろう』
フィラは肩を震わせる。
『裏切られたと思っただろう』
「違います……」
か細い声で否定する。
すると闇が揺れた。
目の前に映像が浮かぶ。
魔族側の宿泊棟。
そこに、フィラの姿をした美優がいた。
彼女はオズワルドに抱きついている。
『見ろ』
邪神の声が囁く。
『お前の場所に、もう別の者がいる』
オズワルドの手が美優の頬に触れる。
「ああ、顔色が悪いな」
「部屋で休みなさい」
その言葉に、フィラの胸が軋んだ。
「お父様……」
『受け入れられているではないか』
「違う……」
『何が違う』
今度はツェリが映る。
フィラの姿をした美優を部屋へ案内している。
ラルフも何も言わない。
誰も止めない。
誰も否定しない。
『ほら』
『お前がいなくても、誰も困らない』
フィラは首を振る。
「違う……」
けれど声は震えていた。
ただでさえ心は限界だった。
美優に正体を知られた。
追い詰められた。
崖から落ちた。
そして目覚めた場所は、この闇の中。
そんな時に見せられた光景は、あまりにも残酷だった。
『お前の代わりはいる』
『お前でなくてもいい』
「やめて……」
フィラは耳を塞いだ。
『美優が憎いだろう』
「違う……」
『奪われたくないだろう』
「違う……」
『ならば私が救ってやる』
闇が優しくフィラを包む。
『もう苦しまなくていい』
『もう恐れなくていい』
『私だけがお前を必要としている』
「やめて……!」
フィラはぎゅっと目を閉じた。
耳を塞ぎ、膝を抱える。
涙が零れた。
もう見たくない。
もう聞きたくない。
『そうだ』
邪神の声が甘くなる。
『そのまま目を閉じていろ』
『何も見なければ傷つかない』
フィラは震えながら蹲った。
闇が深くなる。
◇◇◇
ラルフとサイラスは、ルシアンが示した庭へ辿り着いた。
噴水の奥。
花壇の先。
そこには人の気配がなかった。
ラルフは周囲を見回す。
地面。
草の乱れ。
足跡。
そして。
「……」
崖へ続く道に視線が止まる。
嫌な予感がした。
二人は急いで向かう。
崖際の土が崩れている。
その下。
岩場に赤いものが見えた。
血痕。
ラルフの表情が消えた。
サイラスが息を呑む。
さらに近くには、小さな髪飾りが落ちていた。
フィラのものだった。
「……戻ります」
ラルフの声は低かった。
「ええ」
サイラスも頷く。
結界は揺らいでいない。
だからフィラは生きている。
だが無事ではない。
早く見つけなければならない。
偽物が何かを知っているなら、聞き出すしかなかった。
◇◇◇
魔族側の宿泊棟へ戻る頃には、会談も休憩に入っていた。
いや、正確には会談を終えたヴァルドが戻ってきていた。
アーバインも傍にいる。
ヴァルドは廊下の空気の異様さに気づいた。
「何があった」
誰も答える前に、部屋の扉が開く。
フィラの姿をした美優が顔を出した。
そしてヴァルドを見た瞬間、ぱっと表情を輝かせる。
「ヴァルド!」
嬉しそうに駆け寄ろうとする。
だがヴァルドは動かなかった。
紅い瞳が冷たく細められる。
美優は一歩近づき、甘えるように微笑んだ。
「会いたかった」
沈黙。
周囲の空気が凍る。
ヴァルドは目の前の少女を見据えた。
そして。
低く、冷たい声で言った。
「お前は誰だ」
ここまでお読みいただきありがとうございました。
今回はそれぞれが別々に動き出す回となりました。
書きながら「気づいている人達」と「気づいていない人」の温度差がとても楽しかったです。
そして次回はいよいよあの場面です。
少しでも楽しんでいただけましたら嬉しいです。
いつもブックマーク、評価、感想、本当にありがとうございます。
毎日の励みになっています。




