第「逃げたくない」
今回は少し書き方に迷いながらのお話になりました。
元々拙い文章ではあるのですが、今回は特に「周囲の空気」や「見えない圧力」をどう表現するか悩みながら書いていました。
フィラ達の状況がじわじわ苦しくなっていく回なので、読んでいてしんどく感じる部分もあるかもしれません。
それでも、その中で支えてくれる人達や、フィラ自身の変化を書きたくて頑張りました。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
最初は、本当に小さな違和感だった。
「聖女様はお優しい方だな」
「和平のために、あれほど歩み寄ってくださっているのに……」
そんな声を聞くことが増えた。
美優は困ったように笑い。
少し寂しそうに俯き。
「大公女様と仲良くなりたいだけなんです」
そう語る。
だから周囲は自然と美優へ同情した。
特に人間側は顕著だった。
聖女である美優を悪く言う者などいない。
むしろ。
「大公女様は少々閉鎖的すぎるのでは?」
「聖女様が気を遣っておられるのに」
そんな空気へ変わっていく。
問題は。
それが少しずつ魔族側へも広がり始めたことだった。
「和平のためにも、もう少し交流をなさっては……」
遠慮がちに口にした若い魔族貴族へ。
ヴァルドの視線が鋭く細められる。
その瞬間、男はびくりと肩を震わせた。
「……っ、し、失礼しました」
慌てて黙り込む。
だが。
一人消えても、また別の誰かが同じことを言い出す。
「聖女殿も歩み寄ろうとしておられますし」
「ずっと部屋へ閉じこもっていては、余計に誤解を招くかと……」
「……娘へ何か?」
静かな声だった。
だがオズワルドが口を開いた瞬間、その場の空気が凍りつく。
誰もそれ以上は言わなかった。
けれど。
向けられる視線は少しずつ変わっていく。
ヴァルドは眉を顰めた。
おかしい。
あまりにも急激に、美優へ好意的になりすぎている。
ラルフも苦い顔をしていた。
「……気持ち悪いな」
「ええ」
ツェリも小さく頷く。
「空気が変わりすぎてる」
アーバインも静かに目を伏せた。
「昨日まで普通だった方達まで、聖女寄りになっています」
全員、違和感には気づいている。
だが。
証拠がない。
しかも厄介なのは、誰も“悪意”で言っていないことだった。
本気で善意なのだ。
本気で、美優が可哀想だと思っている。
「そこまで大変な役目でもないでしょう」
「他にも結界師はいるのだから」
何も知らない声が耳に入る度、ヴァルドは胸の奥で怒りを押し殺した。
反論したかった。
フィラがどれほどの負担を抱えているか。
どれほど無理をしているか。
全部叫んでしまいたかった。
だが。
それだけは出来ない。
結界へフィラが深く関わっていることは、ごく一部しか知らない。
公表すれば、今度はフィラへ負担が集中する。
だからオズワルド達は黙るしかなかった。
そんな中。
人間側では、サイラスが孤軍奮闘していた。
「聖女様があれほど歩み寄っておられるのに」
「大公女様は失礼ではありませんか?」
「それは違うでしょう」
静かな声だった。
だが空気が止まる。
サイラスは冷静なまま続けた。
「少なくとも私は、大公女様へ非があるとは思えません」
「事情も知らず、一方だけを責めるべきではありません」
だが。
「サイラス様は大公女様を庇いすぎでは?」
「聖女様の方が余程和平へ尽力しておられる」
「魔族側も過保護すぎるのでは?」
「だから大公女様が増長する」
サイラスは静かに眉を寄せた。
話にならない。
気づけば誰もが、美優を“守るべき聖女”として扱っている。
その時だった。
廊下の角で、フィラは足を止める。
聞こえてきたのは、サイラスの声だった。
「大公女様は、あの方を本気で恐れている」
真剣な声だった。
フィラは小さく目を見開く。
ちゃんと見てくれていた。
怖い。
今でも美優を見るだけで身体が震える。
逃げ出したくなる。
部屋へ閉じこもってしまいたくなる。
でも。
その後、別室で話し合うヴァルド達の声まで聞いてしまった。
「……これ以上隠せば、フィラが完全に悪者になる」
ヴァルドの声は苦しげだった。
「だが表へ出せば、また傷つく」
オズワルドも低く言う。
「もう限界です」
アーバインが静かに目を伏せる。
「和平維持を理由に、大公女様を表へ出せという声が増えています」
「っ……!」
フィラはぎゅっと服を握った。
自分のせいで。
ヴァルドが。
お父様が。
サイラスまで。
みんな苦しそうだった。
昔もこうだった。
優しい言葉で追い詰められ。
気づけば周囲全員が離れていく。
美優はいつも、こうやって周囲を味方にしていった。
でも。
今回は違う。
ヴァルド達は、自分を悪く言わない。
守ろうとしてくれている。
それがわかるからこそ。
これ以上、苦しませたくなかった。
「……わかりました」
部屋の空気が止まる。
振り返った先に立っていたのはフィラだった。
まだ顔色は悪い。
それでも。
震える足で前へ進む。
「フィラ!?」
ヴァルドが目を見開く。
オズワルドも表情を変えた。
フィラは小さく息を吸う。
怖い。
それでも。
「会談に参加いたします」
静かな声だった。
「だから……ヴァルド達を責めないでください」
一瞬、誰も言葉を失う。
ヴァルドは苦しそうに眉を寄せた。
「無理しなくていい」
「違うの」
フィラは小さく首を横へ振る。
「怖いよ……今でもすごく怖い」
声が震える。
それでもフィラは前を向いた。
「でも」
ぎゅっと服を握る。
「大好きな人達が苦しむ方が、もっと嫌なの」
オズワルドの目が静かに細められる。
ヴァルドも何も言えなかった。
フィラは逃げていない。
自分で立とうとしている。
それがわかったからだ。
フィラは小さく震えながら、それでもはっきりと言った。
「……もう、逃げたくない」
今回はかなり「美桜時代の再現」に近い空気のお話でした。
優しい言葉で追い詰める。
周囲を味方につける。
気づけば自分だけが悪者になっている。
フィラにとっては、まさに昔を思い出す状況です。
でも、一番違うのは「今回は一人じゃない」こと。
ヴァルド達は最初から最後までフィラを信じています。
それがフィラにとって、立ち向かう力になりました。
そしてサイラス。
今回はかなり孤軍奮闘していました。
人間側にいながら、それでもフィラを庇い続けるのは、彼にとっても簡単なことではありません。
それでも見てくれていた。
ちゃんと「怖がっているのはフィラの方だ」と気づいてくれた。
フィラにとって、それも大きかったと思います。
最後に「逃げたくない」と言えたフィラは、きっと少しずつ前へ進めているのかなと思います。




