「少しずつ変わるもの」
そろそろ梅雨が始まりそうですね。
じめじめした空気が続くと頭が重くなったり、体調も崩しやすくなるので少し憂鬱です。
でも、この時期の紫陽花はとても好きだったりします。
雨の中で咲いている姿を見ると、少しだけ気持ちが落ち着く気がしますね。
皆様もどうか無理をなさらずお過ごしください。
それからフィラは、少しずつ中央議会場へ顔を出すようになっていた。
もちろんヴァルドと一緒に。
そして毎回、美優がいないことを確認した上で。
最初は緊張していたフィラも、今では議会場へ着くと真っ先に魔道具展示へ向かうくらいには慣れてきていた。
「これ、前と構造違う!」
「王国側で最近改良された型ですね」
「へぇ……!」
きらきらした目で魔道具を覗き込むフィラへ、サイラスが穏やかに説明を続ける。
不思議なことに、中央議会場へ来ると高確率でサイラスと遭遇した。
最初は偶然だと思っていたフィラも、最近では「またいた」と普通に受け入れている。
そしてサイラス自身も、その時間を心待ちにしていることへ気づいていた。
気づけば目で追ってしまう。
楽しそうに笑う顔。
驚いて目を丸くする姿。
夢中になると周囲が見えなくなるところ。
その一つ一つが妙に愛おしい。
今までだって、可愛らしい女性はいた。
美しい令嬢も。
愛嬌のある女性も。
だが。
こんな風に誰かを気にしたことはない。
また会いたいと思う。
笑ってほしいと思う。
怯えた顔を見ると胸が痛む。
それはもう、“少し気になる”では説明がつかなかった。
(……ああ)
サイラスは静かに理解する。
自分はフィラへ恋をしているのだと。
けれど、だからといって焦る気にはならなかった。
そもそもフィラは、ヴァルドの想いにすら気づいていない。
あれだけわかりやすいのに。
だからまずは、自分を好きになってもらえばいい。
ヴァルドと同じように、フィラが自然に笑いかけてくれる存在になりたい。
その上で。
いつか自分へ恋をしてくれるよう、少しずつ向き合っていけばいい。
「サイラス?」
考え込んでいた彼へ、フィラが不思議そうに首を傾げる。
「ああ、すみません。少し考え事を」
「難しい顔してた」
くすりと笑うフィラへ、サイラスも自然と表情を和らげた。
その様子を見ながら、ヴァルドは静かに眉を寄せる。
フィラが元気になるのは嬉しい。
笑ってくれるのも。
楽しそうなのも。
本当に嬉しい。
だが。
(……近い)
サイラスとの距離が、だんだん自然になっている。
最近ではフィラもすっかり警戒を解いてしまった。
しかも本人は無自覚だ。
ヴァルドと話す時みたいな口調でサイラスへ話しかける。
距離も近い。
その度にヴァルドの胸は妙にざわついた。
なので今日も、自然な顔でフィラの腰へ腕を回す。
「ヴァルド?」
「転ぶ」
「転ばないよ?」
「念のため」
真顔で返され、フィラは首を傾げる。
そのやり取りへサイラスが小さく笑った。
やはりヴァルドはわかりやすい。
だがフィラは全く気づいていない。
本当に鈍い。
そんな穏やかな空気だった。
――だからこそ。
「美優、こっちだよ」
聞こえた声に、空気が変わった。
フィラの身体がぴくりと震える。
ヴァルドの表情も一瞬で消えた。
人間側入口から現れたのはレオニスだった。
その腕へ軽く手を添えながら、美優もこちらへ歩いてくる。
フィラの顔から、さっと血の気が引いた。
ヴァルドはすぐ腰を抱き寄せる。
「帰るよ」
低い声だった。
だが。
「あら?」
美優がぱちりと目を瞬かせる。
「もう帰ってしまわれるんですか?」
その声は柔らかい。
まるで本当に残念そうな響き。
「レオニス様」
美優が少し寂しそうに袖を引く。
「せっかくお会いしたのですし、先ほどのお話……」
「……そうだな」
レオニスは素直に頷いた。
「ヴァルド殿。少し話すくらい構わないだろう?」
ヴァルドの目が冷える。
わかってやっている。
だが、ここで露骨に拒絶は出来ない。
会談中。
相手は王太子だ。
フィラは完全に強張っていた。
サイラスも静かに空気を読む。
理由はわからない。
だが。
フィラをこのまま美優へ近づけるべきではない。
それだけは理解出来た。
「お身体はもう大丈夫なんですか?」
美優は心配そうに眉を下げる。
だがフィラの指先は小さく震えていた。
「お顔の色も悪いですし……」
優しい声音。
「そんなに結界を張るのはお辛いんですか?」
フィラの肩がびくりと揺れる。
「無理をなさらなくても……お身体のためにも、一度国へ戻られた方が良いのではありませんか?」
柔らかな言葉だった。
責めているようには聞こえない。
それなのに。
逃げたくなる。
まるで昔みたいだった。
優しい顔で。
心配するふりで。
少しずつ自分を追い詰めていく。
ヴァルドは奥歯を噛み締めた。
怒鳴り返したかった。
今すぐこの場から引き離したかった。
だが。
ここは中央議会場。
しかも相手は王太子だ。
「結界維持は簡単なことではありません」
静かに口を開いたのはサイラスだった。
「むしろフィラ嬢は十分にお役目を果たされていらっしゃるかと」
穏やかな声音。
だが、はっきりとフィラを庇っていた。
その時。
「フィラ」
低く落ち着いた声が響く。
少し離れた場所から歩いてきたオズワルドが、静かに腕を広げる。
「……おいで」
「っ……」
フィラは弾かれたように駆け出した。
そのままオズワルドへ抱きつく。
「お父様……」
「大丈夫だ」
オズワルドは震える背をゆっくり撫でた。
それだけで、フィラの呼吸が少しずつ落ち着いていく。
その様子を見て、ヴァルドは胸の奥で小さく息を吐いた。
助かった、と。
「ヴァルド殿下」
オズワルドはフィラを抱き寄せたまま口を開く。
「もう休ませる時間です。娘は連れて帰りますね」
一瞬だけ。
中央議会場の空気が張り詰めた。
だがこれは、魔族側皇太子と大公の会話だ。
レオニスも美優も口を挟めない。
「……もう、そんな時間だったのですね」
ヴァルドは悔しさを滲ませながら頭を下げた。
オズワルドはそのままフィラを抱き上げる。
幼子を扱うように優しく。
フィラもまた、父へ縋るように服を掴んだ。
サイラスもまた、内心安堵していた。
あのまま会話を続けさせるべきではなかった。
理由はわからない。
それでも。
フィラが本気で怯えていたことだけは理解出来た。
一方レオニスは、特に違和感を覚えていなかった。
体調の悪い娘を心配する父親。
ただそれだけに見えたからだ。
美優だけが、小さく奥歯を噛む。
せっかく追い込めそうだったのに。
無意識に爪を噛む。
胸の奥がどろどろと煮えていた。
それでも次の瞬間には表情を切り替える。
「ヴァルド様……」
甘えるように、美優はヴァルドへ身を寄せようとした。
「私も失礼する」
低い声だった。
ヴァルドは美優を見ることすらせず、そのまま踵を返す。
真っ直ぐ向かう先は、フィラ達が去った方向だった。
遠ざかる背中を見つめながら、美優はぎり、と爪を噛んだ。
どうして。
どうしてあの子ばかり。
胸の奥で黒い感情が、静かに膨れ上がっていく。
今回は少しずつ元気を取り戻していくフィラと、そこへ入り込んできた美優のお話でした。
フィラにとって、中央議会場は怖い場所でもありますが、それ以上に「楽しい」が増え始めています。
魔道具を前に目を輝かせるフィラは、書いていてとても楽しかったです。
そしてサイラス。
ついに自分の恋心を自覚しました。
ただ彼はヴァルドと違ってかなり理性的なので、すぐ奪いに行くタイプではありません。
まずはフィラにとって安心出来る存在になろうとしています。
一方のヴァルドはかなりわかりやすく独占欲が出ています。
本人は必死に隠しているつもりですが、周囲には結構見えていそうです。
そして最後の美優。
悪意を隠したまま、少しずつフィラを追い詰めようとしています。
でも今回は、ちゃんとフィラを守ってくれる人達がいました。




