「小さな一歩」
いつも読んでくださり、本当にありがとうございます。
感想や反応をいただけるたびに、とても励まされています。
最近少し体調を崩し気味ではあるのですが、「続きを書きたい」「休まず更新したい」と思えるのは、読んでくださる皆様のおかげです。
これからもフィラ達のお話を楽しんでいただけたら嬉しいです。
フィラが部屋へ閉じこもるようになって、数日が経っていた。
和平会談そのものは順調に進んでいる。
休戦後の交易。
国境管理。
魔物討伐の協力体制。
議論は少しずつ前へ進み始めていた。
特にサイラスが間へ入る時は話が早い。
感情論へ流れかけるレオニスを自然に戻し、ヴァルドやオズワルドとも冷静に話をまとめていく。
だからこそ会談自体は、想像以上に円滑だった。
――その一方で。
「……また食事、部屋で食べるって」
ヴァルドは小さく息を吐いた。
ここは魔族側宿泊棟。
ソファへ座るオズワルドも静かに眉を寄せる。
フィラはあの日以来、自分からほとんど部屋を出なくなっていた。
食事も部屋。
本も部屋。
窓際に座ってぼんやり外を見ていることが増えた。
笑う。
会話もする。
けれど。
美優への恐怖だけは、消えていない。
「焦らせるべきではないが……」
オズワルドが低く呟く。
「このまま閉じこもらせるのも良くないですね」
ヴァルドも同意する。
あの日、前世を打ち明けてくれた。
美桜だった頃の傷。
美優への恐怖。
全部知った。
だから無理はさせたくない。
けれど。
フィラは元々、好奇心旺盛な子だ。
人間の文化も。
魔道具も。
本も。
知らないものを見る時、本当は目を輝かせる。
それを失わせたくなかった。
「……前に」
ヴァルドがふと思い出したように口を開く。
「人間側の魔道具、気になるって言ってたでしょう」
オズワルドが視線を向ける。
「中央議会場に展示されてるもの、見せてあげたいなって」
少し考え。
オズワルドは頷いた。
「美優は」
「会談後、人間側宿泊棟へ戻るのを確認します」
「見張りは」
「もう配置してます」
即答だった。
オズワルドは小さく息を吐く。
「……過保護だな」
「師匠に言われたくないです」
真顔で返され、オズワルドが僅かに口元を緩めた。
「まぁいい。行ってこい」
ヴァルドは軽く頭を下げると、そのままフィラの部屋へ向かった。
控えめに扉を叩く。
「フィラ?」
少し遅れて返事が返ってきた。
「……はい」
扉を開けると、窓際へ座るフィラがいた。
本は開かれている。
けれどほとんど読めていないのだろう。
視線はぼんやり外へ向いていた。
その姿に、ヴァルドの胸が少し痛む。
それでも表情には出さず、いつもの調子で笑った。
「ちょっと出かけない?」
フィラがゆっくり振り返る。
「……出かける?」
「うん」
ヴァルドは笑う。
「人間側の魔道具見に行こう」
フィラの肩がぴくりと揺れた。
「……人間」
小さく零れた声。
ヴァルドはすぐ近くまで歩み寄る。
「大丈夫」
安心させるように優しく言う。
「美優はいない。ちゃんと確認したから」
「……本当に?」
「うん。何かあっても俺がいる」
フィラは少しだけ迷うように俯いた。
けれど。
「……魔道具、いっぱいある?」
小さな声に、ヴァルドは思わず笑ってしまう。
「ある」
即答だった。
「結構面白いよ」
「……ヴァルドも一緒?」
「もちろん」
その返答に、フィラは少しだけ肩の力を抜いた。
「……行ってみたい」
その答えに、ヴァルドの表情がぱっと明るくなる。
「じゃあ行こう」
まるで子供みたいな反応だった。
中央議会場は、この和平会談のために用意された完全中立地帯だ。
唯一、魔族と人間双方の出入りが許されている場所。
その代わり宿泊区域は完全に分けられている。
魔族側区域へ人間は入れない。
人間側区域へ魔族も入れない。
それが今回定められた絶対の規則だった。
だからこそ。
中央議会場だけは警戒が必要になる。
フィラは少し緊張した様子でヴァルドの隣を歩いていた。
人間がいるかもしれない。
そう思うだけで身体が強張る。
すると。
ふわりと腰へ腕が回った。
「ヴァルド?」
「大丈夫」
自然な動作だった。
「ちゃんと守るから」
フィラは少しだけ目を丸くして。
それから小さく頷く。
「……うん」
少し離れた場所。
オズワルドは静かにその様子を見守っていた。
油断はしていない。
ここは中央議会場だ。
人間も出入りする。
しかも今は、美優という存在がいる。
これ以上フィラを怯えさせるわけにはいかなかった。
だから護衛も配置した。
人の流れも確認している。
それでも。
ヴァルドなら大丈夫だろうと思っている自分がいた。
議会場へ入ると、フィラはきょろきょろ辺りを見回した。
その視線が並べられた魔道具へ向いた瞬間。
「……っ」
目が輝く。
さっきまでの不安が少し飛んだようだった。
「これ……!」
思わず前へ出たフィラが、ぴたりと止まる。
その先に人影があったからだ。
「失礼。驚かせるつもりはありませんでした」
穏やかな声。
振り返った先にいたのは、サイラスだった。
フィラの肩がぴくりと揺れる。
無意識にヴァルドの後ろへ半歩隠れた。
その反応にサイラスは何も言わなかった。
ただ少し距離を取り、穏やかに一礼する。
「改めまして」
柔らかな微笑み。
「ルクレティア王国外交補佐官、サイラス・アルヴェインです」
一度言葉を区切る。
「アルヴェイン公爵家嫡男でもあります」
ちゃんと身分を明かす。
警戒させないために。
フィラは少し迷ってから、そっと頭を下げた。
「フィラ……ヴェルレインです」
そして少しだけ躊躇い。
「ヴェルレイン大公、オズワルドの娘です」
サイラスの目が僅かに細められる。
やはり、と思った。
昨日の空気。
あれほど必死だった理由。
全部納得する。
「今日は視察ですか?」
サイラスは自然にヴァルドへ問いかけた。
フィラへ踏み込みすぎない。
まだ少し怯えているのがわかるから。
「フィラが人間側の魔道具に興味を持っていたので」
「なるほど」
サイラスは穏やかに頷いた。
「でしたら、こちらの方が面白いかもしれません」
そう言って、一つの魔道具へ歩み寄る。
「これは王国式の転写補助魔道具です」
「転写……?」
ぴくりとフィラが反応した。
少しだけヴァルドの後ろから顔を出す。
「魔力で記録を保存するんです」
「えっ、そんな細かい文字まで保存出来るの!?」
気づけばフィラは、先程よりずっと前へ出ていた。
驚き。
感心し。
夢中で魔道具を覗き込む。
ころころ変わる表情は見ていて飽きない。
ヴァルドは自然と頬を緩めた。
つい先程まで部屋へ閉じこもっていたとは思えない。
その隣でサイラスもまた、静かに目を細めていた。
(……可愛らしい人だな)
驚いたように目を丸くする顔も。
嬉しそうに笑う姿も。
全部が妙に目を引く。
しかも彼女は、一度も自分の地位へ過剰に反応しない。
公爵家嫡男だからではなく。
ただ“サイラス”として話している。
それが不思議と心地良かった。
「それなら魔力回路を反転させた方が効率良くない?」
フィラが真剣な顔で魔道具を覗き込む。
言ってから、はっと瞬きをした。
「あ……」
先程までの敬語が消えている。
だが本人は気づいていないらしい。
ヴァルドと話す時みたいな口調のまま、また魔道具へ視線を戻した。
サイラスは小さく笑う。
「その方が話しやすいので」
フィラが少しだけ安心したように息を吐く。
そのやり取りを見ながら、ヴァルドは僅かに目を細めた。
フィラが元気になるのは嬉しい。
笑ってくれるのも。
楽しそうなのも。
本当に嬉しい。
――けれど。
(あんまり親しくしないでほしい)
そんな感情も、確かに胸の奥に生まれていた。
サイラスの視線。
声音。
フィラを見る目。
ヴァルドは人の感情には聡い。
だから気づく。
この男はフィラを気に入り始めている。
無意識に。
だからヴァルドは自然にフィラの腰を抱き寄せた。
「近い」
「あ、ごめん」
フィラは全く気にしていない。
それが余計にヴァルドを複雑にさせる。
一方サイラスもまた、二人の空気へ気づいていた。
ヴァルドの想いはわかりやすい。
視線も。
距離感も。
触れ方も。
全部特別だ。
だがフィラはまだ気づいていない。
恋を知らないのだろう。
だからこそ。
(……まだ可能性はあるのかもしれない)
そんな考えが過る。
本人はまだ、それを恋だと気づいていなかった。
一方その頃。
人間側宿泊棟。
「何なのよ……!」
美優は苛立ったまま廊下を歩いていた。
今日だってちゃんとした。
優しく。
控えめに。
平和を願う聖女として振る舞った。
なのにヴァルドは、一度も自分を見なかった。
レオニスに宥められても全然足りない。
むしゃくしゃしたまま歩いているうちに、いつの間にか中央議会場寄りの窓まで来ていた。
何気なく外へ視線を向ける。
その瞬間。
美優の足が止まった。
窓越しに見えたのは、銀色の髪。
昨日倒れた少女だった。
その隣にはヴァルド。
もう一人、人間側の男もいる。
背を向けていて顔は見えない。
だがそんなことはどうでもよかった。
少女が嬉しそうに笑う。
その瞬間。
ヴァルドがふっと表情を緩めた。
優しく。
甘やかすように。
愛おしそうに。
昨日から一度も、自分へ向けられなかった顔。
「……何なのよ」
美優は窓の向こうの銀色の少女を睨む。
腹立たしい。
なのに視線は逸らせない。
少女はころころ表情を変える。
驚いて。
感心して。
楽しそうに笑う。
ヴァルドは、その一つ一つへ優しい眼差しを向けていた。
美優は無意識に理解していく。
ヴァルドは、こういう子が好きなのだと。
胸の奥がどろりと濁った。
――あの子はいらない。
ふと。
そんな感情が胸の奥へ浮かんだ。
今回は、少しだけフィラが前へ進めた回でした。
まだ美優への恐怖は消えていません。
それでも、大好きな魔道具を前にして夢中になっていくフィラを書いていて、私自身少し安心しました。
そしてついに、サイラスとフィラがちゃんと出会いました。
サイラス自身はまだ気づいていませんが、かなりフィラに惹かれ始めています。
一方でヴァルドも、フィラが元気になるのは嬉しい。
でもサイラスと距離が近づくのは複雑……という、ちょっとわかりやすい状態になっています。
そして最後の美優。
彼女はヴァルドへ向けられた優しさを見てしまいました。
ここから少しずつ、それぞれの感情が動き出していきます。




