「届かなかった傷」
【前書き】
少し体調を崩してしまいました……。
身体というより精神的な疲れかな?と思い、リフレッシュのために1日お仕事をお休みしました。
無理をすると後からどっと来ますね……。
皆さまも、どうかご無理はなさらずお過ごしください。
フィラは静かに眠っていた。
前世を話したことで張り詰めていた糸が、ようやく切れたのだろう。
美優の存在。
美桜だった頃の記憶。
全部知られてしまった。
それでも。
ヴァルドもオズワルドも変わらなかった。
怖がりもせず。
拒絶もせず。
いつものようにフィラへ触れてくれた。
だから安心したのだ。
ようやく力を抜いて眠れるくらいには。
「……フィラ」
ヴァルドがそっと銀色の髪を撫でる。
その声は優しかった。
腕の中のフィラは、先程まで震えていたのが嘘のように穏やかな顔をしている。
時折、不安そうに眉が寄るたび、ヴァルドの胸は痛んだ。
部屋には柔らかな灯りだけが落ちている。
向かいでは、オズワルドが静かに紅茶を口にしていた。
沈黙。
けれど不思議と苦しくはない。
二人とも、同じことを考えていた。
「……ようやくわかりましたね」
先に口を開いたのはヴァルドだった。
オズワルドが静かに視線を向ける。
「フィラはちゃんと受け取っていた」
オズワルドの言葉に、ヴァルドも頷く。
フィラは素直ないい子だ。
だから向けられた優しさを、ちゃんと抱えていた。
オズワルドの言葉も。
ヴァルドの想いも。
大公家の人々の愛情も。
フィラは全部、大切そうに受け止めていたのだ。
笑うようにもなった。
甘えることも覚え始めた。
頼ることも、少しずつ出来るようになっていた。
だから二人とも思っていた。
傷は少しずつ癒えているのだと。
けれど。
「……根っこだけは、変わらなかった」
ヴァルドが苦しそうに呟く。
愛されることへの怯え。
捨てられることへの恐怖。
役に立たなければという強迫。
そこだけは、どうしても消えなかった。
「“フィラ”には届いていたんだ」
ヴァルドは眠るフィラを見下ろす。
「でも、“美桜”には届かなかった」
前世から深く根を張った傷。
オズワルドが出会うより前から、ずっと存在していた痛み。
だからフィラは、愛されてもなお怖がっていたのだ。
オズワルドは静かに目を伏せる。
「……よく壊れなかったものだ」
低い声だった。
怒りにも似た苦さが滲む。
拾ったばかりの頃のフィラを思い出す。
痩せた身体。
警戒した瞳。
怯えながら、それでも役に立とうとしていた幼い子供。
当時は、拾われる前の環境が原因だと思っていた。
だが違った。
もっと前からだった。
前世から。
「気づいてやれませんでした」
ヴァルドが悔しそうに眉を寄せる。
するとオズワルドは小さく首を振った。
「無理だ」
「ですが」
「前世など想像出来るものではない」
それはそうだった。
ヴァルドも口を閉ざすしかない。
しばらくして。
オズワルドが静かに口を開いた。
「だが、妙だな」
「……ええ」
ヴァルドも同じことを感じていた。
聖女は本来、一時代に一人。
そして二人は知っている。
本物が誰なのかを。
だからこそ、“異世界から召喚された聖女”という存在そのものに最初から違和感があった。
それだけではない。
その女は、フィラの前世――美桜の妹だった。
しかも、フィラへ深い傷を残した相手。
偶然にしては、あまりにも出来すぎている。
ぞくり、と。
背筋を冷たいものが撫でた。
その時。
ふとオズワルドの脳裏に、あの時の光景が蘇る。
消滅寸前だった皇帝。
狂気に染まりながら、それでも最後には確かに“何か”へ縋っていた。
『何故だ!?』
怨嗟に満ちた叫び。
『余こそが至高の存在になれるはずだった!!』
まるで。
誰かにそう約束されていたかのような言葉。
『そう言ったではないか!! 答えろ!!』
皇帝は確かに、“何か”へ向かって叫んでいた。
だが返事はなかった。
次の瞬間。
皇帝の表情が恐怖に歪む。
『待て!!』
『余を置いていくな!!』
あれは断末魔ではない。
見捨てられた者の叫びだった。
「師匠?」
ヴァルドが訝しげに声をかける。
オズワルドはゆっくり目を閉じた。
「……いや」
だが胸に残る違和感は消えない。
まるで。
何か、自分達の知らないものが見え隠れしているような。
そんな不気味さがあった。
けれど今は。
「向こうはまだ気づいていない」
オズワルドは静かに現実へ思考を戻す。
「フィラが美桜だということに」
「なら、こちらから知られる必要はありませんね」
ヴァルドの声は冷静だった。
「あの女には近づけません」
そこには明確な拒絶があった。
オズワルドも否定しない。
やっと愛されることを受け入れ始めたフィラを、再び壊しかねない存在。
それが今の美優だった。
「しばらくはこちらに置く」
「はい」
「フィラを優先する」
当然のように交わされる言葉。
その時。
眠っていたフィラが小さく身動ぎした。
無意識にヴァルドの服をきゅっと掴む。
一瞬、ヴァルドの表情が柔らかく緩んだ。
オズワルドはその様子を静かに見つめる。
昔なら。
フィラが不安定な時、ヴァルドを部屋へ残しはしなかった。
けれど今は違う。
フィラにはヴァルドが必要だ。
そしてヴァルドもまた、フィラを必要としている。
「……全く」
呆れたように呟きながらも、その声音は穏やかだった。
ヴァルドはフィラを抱き寄せたまま、小さく笑う。
「安心して眠ってる」
その声には、安堵が滲んでいた。
前世を知られても。
美桜だったことを話しても。
フィラはちゃんとここにいる。
その温もりを確かめるように、ヴァルドはそっとフィラの髪へ口付けた。
腕の中で。
フィラはようやく、本当に安心したように眠っていた。
【後書き】
今回は、フィラの“根っこ”に触れる回になりました。
今までたくさん愛されてきたフィラ。
でも、その優しさはずっと“フィラ”へ向けられたもので、“美桜”には届いていなかったのだと思います。
だからこそ今回、ヴァルドとオズワルドの言葉が初めて“美桜”へ届きました。
そして同時に、聖女と呼ばれる美優の存在に、少しずつ不穏な気配も見え始めています。
まだ誰も正体には辿り着いていません。
けれど確かに、“何か”が動き始めています。




