「会談前夜」
休戦協定と国交樹立。
戦争が終わるかもしれない話のはずなのに、誰も安心出来ていない回です。
それぞれの思惑が少しずつ動き始めます。
人間側から届いた休戦協定と国交樹立申請書は、魔国側へ大きな波紋を広げていた。
現在、大公領の会議室では重苦しい空気の中、幹部たちが顔を揃えている。
机の中央には大型の通信魔道具。
淡い光の中へ映し出されているのは、魔国皇帝シルヴィアだった。
『急ですね』
静かな声。
だがその紅い瞳は鋭い。
『人間側がここまで譲歩する理由が見えません』
「同感です」
アーバインが頷く。
「戦況的にも、向こうが不利というほどではありませんでした」
「にも関わらず撤退した上で国交樹立まで申し出てきた」
ラルフが冷静に続ける。
「不自然です」
ライオも静かに口を開いた。
「……裏があると見るべきでしょう」
低く落ち着いた声音。
「人間側が急に態度を変えるとは思えません」
「あるでしょうね」
オズワルドは腕を組んだまま低く呟いた。
「人間どもが急に殊勝になるとは思えん」
完全に警戒している顔だった。
一方ヴァルドは、静かに書状へ視線を落としている。
「だが無視も出来ない」
休戦を拒否すれば、“和平を拒絶したのは魔国側”という大義名分を与えることになる。
特に今回は、国交樹立まで含まれていた。
表向きだけ見れば、人間側はかなり低姿勢なのだ。
『会談場所は?』
シルヴィアの問いへ、ラルフが地図を広げる。
「森の中です」
その場の空気が僅かに張り詰めた。
「双方の国境から等距離にある中間地点」
「そこへ一時的な会談拠点を建設します」
アーバインが続ける。
「こちらからも技術者を出しますが、人間側にも同数の技術者を要求」
「双方監視の元で建設を進める形ですね」
『なるほど』
シルヴィアは静かに頷いた。
『互いに相手の領土へ深く入れない形ですか』
「はい」
ラルフは冷静だった。
「信用出来ない以上、現時点ではそれが限界です」
ライオも同意するように頷く。
「妥当かと。こちらとしても、人間を領内深くへ入れるべきではありません」
「こちらも同じだ」
オズワルドが即答した。
空気が少しだけ重くなる。
長年争ってきた両国だ。
そう簡単に信用など出来ない。
その時。
フィラは静かに膝の上で指を握り締めていた。
胸の奥がざわつく。
理由はわからない。
だが嫌な予感だけが消えなかった。
その僅かな変化へ、真っ先に気づいたのはヴァルドだった。
「フィラ」
不意に名前を呼ばれ、フィラははっと顔を上げる。
ヴァルドがじっとこちらを見ていた。
「顔色が悪い」
「え……」
自分では隠していたつもりだった。
だがヴァルドは、僅かな変化も見逃さない。
その言葉で、ようやく周囲もフィラの異変へ気づいた。
もっとも。
オズワルド自身は既に気づいていた。
だが、あえて口にしなかったのだ。
フィラは昔から、周囲へ弱みを見せるのが苦手だった。
だからこそ。
無理に問い質すより、自分から頼ってほしい。
そんな父親らしい願いがあった。
『フィラ?』
映像越しにシルヴィアも眉を寄せる。
フィラは慌てて笑った。
「……大丈夫です」
「大丈夫な顔じゃない」
ヴァルドが即座に返す。
その速さに、オズワルドは内心で深くため息を吐いた。
(……お前は本当にフィラしか見ていないな)
呆れる。
だが同時に、それほど真剣に想われている娘へ少し複雑な気持ちにもなった。
「少し疲れただけです」
フィラは苦笑する。
本当は違う。
疲れだけではない。
ただ、何か嫌な予感がする。
その時。
ヴァルドが静かに口を開いた。
「会談は受ける」
全員の視線が集まる。
「ただし、護衛はこちらの指定人数以上は認めない」
「当然ですね」
ラルフが頷く。
「森の中での会談となれば、なおさらです」
オズワルドは低く口を開く。
「フィラは留守番だ」
「えっ」
フィラが顔を上げる。
「でも……」
「駄目だ」
即答だった。
「何を企んでいるかわからん以上、お前を連れて行く理由がない」
フィラは言葉に詰まる。
その通りだ。
それでも。
何故か行かなければいけない気がした。
「……行きたいです」
静かな声。
空気が止まる。
オズワルドが眉を寄せた。
「理由は」
「……わかりません」
フィラは小さく俯く。
「でも、すごく嫌な感じがするんです」
上手く説明出来ない。
ただ胸騒ぎが消えない。
ヴァルドは静かにフィラを見つめていた。
その横で、ライオが静かに口を開いた。
「……フィラ様の勘は侮れません」
「笑い事ではない」
オズワルドが低く返す。
「承知しております」
ライオは真面目な顔で続けた。
「ですが、これまでフィラ様の違和感が外れたことは少ないかと」
会議室が静まる。
誰も否定出来なかった。
ヴァルドが静かに口を開く。
「俺が守る」
短い言葉。
だがその声に迷いはなかった。
フィラは思わずヴァルドを見る。
真っ直ぐな紅い瞳。
オズワルドは深くため息を吐いた。
「……はぁ」
頭が痛い。
娘は妙な所で頑固。
弟子は娘に甘すぎる。
戦や政務では頼もしい二人なのに、こういう時だけ非常に面倒だった。
「絶対に離れるな」
低い声。
「ツェリの側にいろ」
「はい」
ツェリが静かに頭を下げる。
『私も護衛を追加で送るわ』
シルヴィアが静かに告げた。
『嫌な予感がするのは私も同じよ』
その言葉に、会議室の空気がさらに重くなった。
◇
一方。
王国側では、美優が上機嫌だった。
「魔国側から返事来たの?」
可愛らしく首を傾げる。
すぐに男たちが嬉しそうに頷いた。
「はい聖女様!」
「休戦協議を受けるとのことです!」
「会談場所は森の中の中間地点になるそうで!」
美優の顔がぱっと明るくなる。
(やった♡)
内心ではかなり浮かれていた。
まだ周囲は誰も、本当の理由に気づいていない。
美優自身も隠している。
ただ頭の中では。
(早くヴァルド様に会いたいなぁ♡)
そればかりだった。
顔が良くて。
皇太子。
しかも実際に前線へ立つほど強い。
王国の平凡な王太子など比べものにならない。
その横にいたオズワルドもかなり好みだった。
美優はうっとりと頬へ手を当てる。
「会談の準備もしなきゃねぇ」
その一言だけで周囲の男たちは大騒ぎだった。
「すぐ技術者を集めます!」
「拠点建設の準備を!」
「聖女様のお望み通りに!」
美優は満足そうに笑う。
その少し離れた場所。
サイラスはそんな光景を眺めながら、小さく息を吐いた。
美優が何か企んでいることは、もうわかっている。
急な休戦。
異様な乗り気。
絶対に裏がある。
だが、会談が行われること自体はもう決定した。
ならば。
サイラスの頭へ浮かぶのは、別のことだった。
白銀の髪。
泥だらけになりながら、それでも誰かを助け続けていた少女。
名前も知らない。
声すら聞いたことがない。
それなのに。
気づけば頭の中は、あの銀髪の少女でいっぱいだった。
(……会談、来るかな?)
知らず、小さく笑みが零れる。
会談前の静かな準備回でした。
警戒する魔国側と、妙に浮かれている王国側の温度差を書くのが楽しかったです。
そしてサイラスは、もうかなりフィラが気になっています。
まだ名前も知らないのに。




