「届かぬ刃、届く願い」
黒き龍が、咆哮を上げる。
それは怒りではない。苦しみと、哀しみを孕んだ声だった。
だがヴァルドは剣を構える。
「……行く」
低く呟き、地を蹴る。一瞬で距離を詰め、迷いなく斬りかかった。
重い音が響く。刃は鱗に弾かれ、火花を散らす。
「……っ」
止まらない。すぐさま踏み込み直し、連撃を叩き込む。首、翼、脚――確実に急所を狙う。
だが浅い。届かない。
「……終わらせる」
吐き出すように言い、さらに踏み込む。
黒龍が動く。巨大な爪が振り下ろされる。
受ける。衝撃が腕を軋ませ、骨が悲鳴を上げる。それでも退かない。
弾き、流し、斬り返す。わずかに、鱗の隙間へ刃が食い込む。血が滲む。
その瞬間、黒龍が咆哮を上げた。
痛み。怒り。そして――苦しみ。
「……っ」
ヴァルドの動きが一瞬だけ止まる。
違う。ただの魔物じゃない。師匠だ。まだ中で抗っている。
胸が締め付けられる。それでも剣を握る手は緩めない。
「……終わらせてやる……!」
踏み込む。だが次の瞬間、尾が薙ぎ払われた。
「ぐっ……!」
身体が宙を舞い、床へ叩きつけられる。息が詰まり、視界が揺れる。
それでも立ち上がる。血を拭い、剣を構える。
何度でも。終わらせるために。
その様子をフィラは見ていた。
「……やめて……」
震える声。
目の前で、大切な人が大切な人を殺そうとしている。そして殺されようとしている方も、苦しんでいる。
涙が溢れる。
「やめて……」
止めたい。こんなのおかしい。
私ができることは…。
「ヴァルド!」
自分でも驚くほど、はっきりとした声が出た。
ヴァルドが振り返る。視線がぶつかる。
涙に濡れながらも、そこには確かな決意が宿っていた。
「……っ」
一瞬で理解する。
だから動いた。
剣に魔力を込め、踏み込み、振り抜く。
「——はあああああっ!!」
渾身の斬撃が黒龍を大きく仰け反らせる。体勢が崩れる。
その隙を逃さず反転し、フィラの元へ駆け寄る。
その前に立つ。
「……フィラ」
短く呼ぶ。
フィラは一歩近づく。震えている。それでも目は逸らさない。
「……父さまを、助けたい」
その一言で、すべてが伝わる。
「力を貸して」
ヴァルドは息を呑む。
「……でも、それは」
言いかける。
だがフィラは静かに首を振った。
「いいの」
そして、優しく微笑んだ。
「バレても……ヴァルドが守ってくれるんでしょう?」
その瞳には絶対の信頼があった。
「……っ」
言葉が詰まる。胸の奥が強く打たれる。
「……ずるいな」
苦笑が漏れる。昔から、この表情には逆らえたことがない。
「……分かった」
短く頷く。
剣を握り直し、背を向ける。
「時間、稼ぐ」
「無理はしないで」
それだけを残して踏み込む。
終わらせるための戦いは終わりだ。今は守るための戦い。
黒龍の前に立ち、その進路を遮る。
「……こっちだ」
挑発する。
黒龍が吠え、爪を振り下ろす。
受ける。弾く。逸らす。
すべてを受け止める。
背後にはフィラがいる。だから一歩も退かない。
フィラは静かに目を閉じた。
自分の内側へと意識を向ける。
そこにある光。
ずっと怖くて、目を逸らしてきたもの。
でも今は、逃げない。
そっと触れる。
「……お願い」
小さな声。
「力を貸して」
胸の奥に温かな記憶が灯る。
父さまとの日々。優しくて、穏やかで、何よりも大切な時間。
「父さまを、助けたいの」
光が応えるように揺れる。
さらに浮かぶ。
あの日。自分が倒れた時のみんなの顔。悲しそうで、苦しそうで。
「……もう、悲しませたくない」
強く願う。
守りたい。この温かさを。失いたくない。
その想いに呼応するように、光が大きくなる。
優しく、けれど確かな意志を持って。
フィラは目を開いた。
次の瞬間――
眩い光が溢れ出した。
すべてを包み込む、強く温かな光が、広間を満たしていく。




