「一番大切なお姫様」
皆さんはGW始まりましたでしょうか?
私はまだ通常運転で、日曜までお預けです。
連休の方も、お仕事の方も、体調に気をつけてお過ごしくださいね。
それでは、第37話です。
治療院へ向かう馬車の中。
向かいに座るアーバインは、静かに目の前の二人を見ていた。
フィラは膝の上に薬草の本を広げ、ローグから書き込まれた注意書きを真剣な顔で読み返している。
その隣で、ヴァルドがそっと覗き込んだ。
「今日は薬草の確認もあるの?」
フィラが顔を上げて、ふっと笑う。
「うん。ローグ様が、覚えるだけじゃ意味がないって」
「そっか」
小さく頷く。
今日も一緒にいられることが、少し嬉しそうだった。
「ヴァルドも手伝ってくれるんでしょ?」
「……うん」
「荷物持ちだけじゃなくて?」
「それも大事」
真顔で返されて、フィラがくすくす笑う。
「そうだね。すごく助かってる」
その一言だけで、ヴァルドの頬が少し赤くなった。
アーバインは黙ってそれを見ていた。
皇宮で知るヴァルドは、いつも無表情だった。
兄姉に侮辱されても、叩かれても、まるで他人事のような顔をしていた。
生誕祭で兄を叩きのめした時でさえ、浮かべていたのは勝者の愉悦ではなく、ただ冷たい無関心。
――皇帝の傀儡。
半分は人間奴隷の血を引く、哀れで使いやすい皇子。
皇帝も笑って言っていた。
『哀れな子だからな。だから潜り込める』
同情されることでしか居場所を得られない存在。
そう思っていた。
だが今、フィラに「助かってる」と笑われて、ほんの少し頬を染めるその姿は、どう見てもただの八歳の子供だった。
剣の修行と、自分が任された皇族教育の時間以外。
ヴァルドはほとんどフィラの隣にいる。
最初は執着かと思った。
だが違う。
あれはもっと静かで、切実なものだ。
守る、と決めた者の距離だった。
馬車が止まる。
治療院へ着いた。
*
扉を開けた瞬間だった。
「姫様!」
明るい声が飛ぶ。
薬を受け取りに来ていた女性が、ぱっと顔を輝かせた。
「今日も来てくれたのかい」
「うん。こんにちは」
フィラが自然に笑って手を振る。
その横で、小さな子どもが駆け寄ってきた。
「姫様! この前のお薬、にがかった!」
「ちゃんと飲んだの?」
「のんだ!」
「えらい」
しゃがんで目線を合わせ、頭を撫でる。
あまりにも自然だった。
媚びではない。
恐れでもない。
本当に慕われている。
それがすぐにわかった。
「姫様、最近はちゃんと食べてますか?」
別の老人が呆れたように言う。
フィラは苦笑した。
「今日はちゃんと食べたよ」
「嘘」
即座にヴァルドが言った。
「朝、パン半分だった」
「言わなくていいの!」
頬を赤くするフィラに、周囲がどっと笑う。
「ヴァルド様、ちゃんと見張ってくださいよ」
「ちゃんと見てる」
真顔で返すものだから、また笑いが起きた。
高位貴族と民。
ここまで距離が近い姿を、アーバインは見たことがなかった。
皇宮ではありえない。
近づくことすら許されない距離にいる者たちが、この場所では当たり前のように笑っている。
それが、ひどく衝撃だった。
*
治療院の奥では、ローグが腕を組んで待っていた。
「遅いぞ」
「ごめんなさい、ローグ様」
「まったく、お人好しの弟子めが。今日は薬草の見分けからじゃ」
相変わらず容赦がない。
だが、その目はどこか楽しそうだった。
フィラは慣れた様子で薬草の束を抱える。
ヴァルドは黙って重い箱を持った。
「ほう」
ローグがにやりと口元を歪める。
「随分と熱心な助手じゃな、ヴァルド」
「……当たり前です」
「そうかそうか」
面白がるような視線。
ヴァルドは無表情のまま、耳だけが少し赤い。
フィラはきょとんとしていた。
「助手?友達だよ?」
「鈍いな、お前は」
「なんで?」
ますます分かっていない。
ローグは肩を揺らして笑った。
アーバインはそのやり取りを見ながら、妙な違和感を覚える。
皆、当たり前のようにヴァルドを受け入れている。
哀れだからではない。
同情でもない。
そこにいるのが自然であるかのように。
*
昼を過ぎても、フィラは水を一口飲んだだけだった。
患者の話を聞き、薬を調合し、治癒魔法を使う。
誰よりもよく動き、誰よりもよく気を配る。
それなのに、自分のことは後回し。
「フィラ」
ヴァルドが低く呼ぶ。
「ちゃんと食べて」
「あとで食べるよ」
「今すぐ」
即答だった。
ローグも鼻を鳴らす。
「倒れるまで頑張るのを美徳だと思うな。馬鹿弟子が」
「……はい」
しゅん、と肩を落とす。
叱られている。
けれど、それは誰もがフィラを大切にしているからだ。
役に立つからではない。
ただ、フィラだから。
それが分かる。
*
帰り道。
馬車を待ちながら、アーバインは街角で立ち止まった。
少し離れた場所で、領民たちの話し声が聞こえる。
「あの姫様には頭が上がらねぇよ」
「本当にな。うちの息子も、あの時助かった」
「閣下ももちろんだが、姫様がいなきゃ今頃この街はなかった」
「今じゃすっかり、大公家の一番大切なお姫様だ」
「ああ。俺たちの命まで守ってくれたんだからな」
静かに目を伏せる。
皇宮にいた頃に聞いていた。
かつての人間との戦いで、力を暴走させてまで父を、大公領を守った少女の話。
ただ守られているだけではない。
彼女もまた、守る側だった。
だからこそ、民はこんなにも慕うのだ。
*
屋敷へ戻ると、ラルフが書類を抱えて廊下を歩いていた。
「おや。ずいぶん考え込んでいますね」
穏やかな笑み。
けれど、その奥に何を考えているのか分からない。
アーバインは自然と警戒する。
「……フィラ様は、随分と愛されているのですね」
「ええ」
ラルフはあっさり頷いた。
「当然でしょう。あの子は、あれだけ愛されて当然の子です」
迷いがない。
「閣下も、皆も、返しているだけですよ」
「返す?」
「ええ。本来あの子が受け取るはずだったものを」
それ以上は言わない。
けれど、その一言だけで十分だった。
*
その夜。
自室で、アーバインは報告書を書いていた。
ヴァルドの様子。
フィラの力。
大公家の内情。
ペン先が止まる。
――大公家は危険だ。
皇帝の言葉が蘇る。
本当に、そうなのか。
思い出すのは、治療院で笑うフィラ。
その隣にいるヴァルド。
静かに叱るローグ。
揺るがないラルフ。
そして、領民が口にした言葉。
――大公家の一番大切なお姫様。
あれは、作られた忠誠ではなかった。
心からの敬愛だった。
忠誠を誓うべき主とは誰なのか。
まだ答えは出ない。
けれど。
確かに、心は揺れ始めていた。
今回はアーバイン視点で、大公家の日常を少しずつ見てもらう回でした。
皇宮で生きてきた彼にとって、貴族と民がこんなにも近く、そしてヴァルドがこんなふうに自然に受け入れられている光景はかなり衝撃だったと思います。
フィラが「大公家の一番大切なお姫様」と呼ばれる理由や、皆が彼女を守るだけではなく、“返している”という感覚も少しずつ伝わっていたら嬉しいです。
そして相変わらずフィラには鈍感なまま、ヴァルドは今日も頑張っています(笑)
次回はもう少しアーバインがフィラの過去に触れていく予定です。
ここまで読んでくださってありがとうございました。




