「静かな侵入者」
いつも読んでくださってありがとうございます。
暑くなり始めたかなと思えば、また急に肌寒くなったりと、なかなか落ち着かない季節ですね。
気温差が大きい時期なので、皆様もどうか体調にはお気をつけください。
今回は少し静かな回ですが、その分、それぞれの距離感や立場が見えるお話になっています。
それでは、第36話よろしくお願いします。
大公家へ戻って数日。
皇都の喧騒が嘘のように、屋敷の朝は静かだった。
その静けさに、アーバインは未だ慣れない。
皇帝から与えられた役目は明確だ。
ヴァルドの監視。
そして、大公家の内情を探ること。
――大公家は危険だ。
皇帝に仇なす思想を持つ者たちだ。
そう言い渡されている。
だからこそ、油断はできない。
そう思いながら食堂へ入ると、すでにヴァルドが席についていた。
窓際の席で、静かに紅茶を口にしている。
八歳の少年とは思えないほど、無駄のない所作だった。
「おはようございます、殿下」
声をかけると、ヴァルドはちらりと視線を向けた。
「……おはよう」
短い返事。
それ以上、会話を広げる気はないらしい。
向かいの席に腰を下ろし、アーバインは小さく息をつく。
警戒されている。
当然だ。
自分は皇帝の命で送り込まれた人間なのだから。
それでも、任務を果たすなら関係の改善は必要だ。
「こちらでの暮らしには慣れましたか」
当たり障りのない問いを投げる。
「困ることはない」
「それは何よりです」
また沈黙。
気まずいほど静かだった。
「大公閣下は厳しい方ですが、よく見ておられる」
その言葉に、ヴァルドの目がわずかに細くなる。
「知ってる」
ぴしゃり、と返された。
踏み込むな。
そう言われた気がした。
アーバインは苦笑を飲み込む。
「随分、信頼されているようですね」
今度は、ヴァルドの手が止まった。
少しだけ、ほんの少しだけ。
「……師だから」
短い言葉。
けれど、その響きは重かった。
ただの保護者ではない。
尊敬と信頼がそこにある。
それ以上は語らない。
語る必要もないというように。
なるほど、とアーバインは思う。
そこへ、食堂の扉が開いた。
「おはよう」
柔らかな声に、空気が変わる。
フィラだった。
穏やかな笑みを浮かべて、自然とヴァルドの隣へ座る。
その姿を見た瞬間、ヴァルドの表情がふっと和らいだ。
「フィラ」
声まで違う。
先ほどまでの冷たさが嘘のようだった。
フィラはそんなこと気にも留めず、楽しそうに笑う。
「今朝は早いね。ヴァルドに負けちゃった」
その言葉に、ヴァルドは少しだけ頬を染めた。
嬉しそうに、小さく笑う。
「うん」
隠しきれないほど機嫌がいい。
アーバインは無言で紅茶を口にした。
宴の場で見た静かな皇子と、今目の前にいる少年。
本当に同じ人物なのかと思う。
ふと、ヴァルドがフィラを見る。
「……寝れなかった?」
少しだけ心配そうな声だった。
フィラはきょとんとして、それから明るく笑った。
「ううん。寝坊しちゃっただけ」
「ならいい」
ほっとしたように、ヴァルドが息を吐く。
それから二人は自然に朝食を始めた。
「これ、美味しいよ」
フィラが果物を差し出せば、
「じゃあ、こっちあげる」
ヴァルドが焼き菓子を差し出す。
好きなものを譲り合いながら、楽しそうに食べている。
その姿は、ごく普通の子供だった。
「朝から楽しそうだな」
低い声がして、フィラがぱっと顔を上げた。
「父様!」
嬉しそうに立ち上がり、そのまま駆け寄る。
オズワルドは自然な動作でその身体を抱き上げた。
あまりにも慣れた仕草だった。
「ちゃんと食べたか」
「食べてるよ」
「本当か?」
「ほんと!」
その返事に、小さく笑う。
抱き上げたまま席へ戻り、そっと椅子へ下ろす。
そしてフィラとヴァルド、二人の頭を順に撫でた。
「しっかり食べて、大きくなれ」
「はーい」
フィラが素直に返事をし、
ヴァルドは少しだけ目を伏せながらも、されるがままだった。
その様子に、アーバインは静かに目を細める。
皇帝が語る“大公家”と、目の前の光景がどうしても結びつかない。
危険思想を持つ者たち。
皇帝に牙を向ける者たち。
本当に、そうなのだろうか。
*
朝食の後、アーバインはオズワルドの執務室へ呼ばれた。
「お前に頼みたいことがある」
書類から目を離さないまま、オズワルドが言う。
「何でしょう」
「ヴァルドの教育だ」
アーバインはわずかに目を細めた。
「教育、ですか」
「礼儀作法ではない。皇族として立つためのものだ」
淡々とした声が続く。
「貴族との距離感、言葉、立ち回り。そういうものは大公家では教えきれん」
確かに、それはそうだ。
「お前がやれ」
拒否する理由はない。
「……承知しました」
オズワルドはそこでようやく顔を上げた。
鋭い目だった。
「あいつには力が必要だ」
それだけだった。
けれど、その言葉の意味は重い。
皇族としての力。
立つための力。
それがヴァルドにとっても、そしてフィラにとっても必要なのだと。
さらに、外の者にその才を認められれば、ヴァルド自身の己に対する評価も変わるかもしれない。
オズワルドはそこまで見ているのだろう。
「……承知しております」
アーバインは深く頭を下げた。
*
執務室を出ると、廊下の先にフィラとヴァルドの姿があった。
並んで歩きながら、何やら楽しそうに話している。
「どちらへ?」
声をかけると、フィラが振り返った。
「中庭だよ。私は魔法の授業で、ヴァルドは剣の授業」
素直に答える。
その隣でヴァルドは黙ったままだ。
アーバインは物腰柔らかく微笑んだ。
「見学させていただいてもよろしいですか?」
「良いよ」
フィラはあっさり答えた。
それから、隣を見上げる。
「ね?」
ヴァルドはわずかに眉を寄せた。
嫌だ。
その顔に書いてある。
けれど、フィラが許したものを否定したくない。
少しの沈黙のあと、
「……うん」
小さく頷いた。
*
中庭へ向かい、アーバインは思わず足を止めた。
そこにいたのは、ローグとライオだった。
魔国でもその名を知らぬ者はいない大魔導師ローグ。
そして、大公軍でオズワルドに次ぐ強者と呼ばれる男、ライオ。
その二人が、まるで当然のように待っていた。
「遅い」
ローグが面倒そうに言い、
「今日は見学付きか」
ライオが笑う。
それだけでも十分に驚きだった。
だが、それ以上にアーバインの言葉を失わせたのは、その後だった。
フィラが、何の迷いもなく複数の属性魔法を操る。
火、水、風、土。
さらに光まで。
流れるように切り替わる魔力制御。
その精度。
その威力。
八歳の子供のものではない。
「……全属性」
思わず、声が漏れた。
ローグが鼻を鳴らす。
「今さら気づいたのか」
そして隣では、ヴァルドが剣を握っていた。
相手はライオ。
普通なら勝負にすらならない。
それなのに。
打ち合いは成立していた。
いや、成立どころではない。
受け、流し、隙を狙う。
一撃一撃に無駄がない。
すでに並の騎士では相手にならない。
アーバインは、ただ見つめるしかなかった。
皇帝が警戒する理由。
大公家が抱えるもの。
その一端を、ようやく理解した気がした。
*
夜。
自室に戻ったアーバインは、机に向かっていた。
窓の外は静かで、大公家の屋敷は眠りにつこうとしている。
ペンを取る。
報告書。
それが自分の役目だ。
ヴァルドの様子。
大公家の内情。
すべてを皇帝へ伝える。
紙の上に、迷いなく文字を落としていく。
――ヴァルド殿下は大公閣下を深く信頼している。
――フィラ嬢は全属性に適性を持ち、極めて高い魔力制御を見せた。
――ヴァルド殿下の剣技は、年齢を考えれば異常と言える。
そこまで書いて、手が止まった。
昼間の光景が脳裏をよぎる。
楽しそうに笑うフィラ。
その隣で、年相応に笑うヴァルド。
自然に抱き上げるオズワルド。
皇帝の言葉が蘇る。
――大公家は危険だ。
本当に?
アーバインは小さく目を伏せた。
まだ答えは出ない。
だからこそ、見る。
見極める。
忠誠を誓うべき主を。
自分の仕えるべき皇帝を。
書き終えた報告書を封じ、魔力を込める。
小さな使い魔が、それを咥えて夜の空へ飛び立った。
アーバインは静かに、それを見送った。
まだ、答えは遠い。
だが確かに。
何かが、少しずつ変わり始めていた。
第36話を読んでくださってありがとうございました。
今回はアーバイン視点で、大公家の日常とヴァルド、フィラの姿を見てもらう回でした。
皇帝から聞かされていた“大公家”と、実際に目にした光景。
その差に少しずつ違和感を抱き始めるアーバインですが、まだこの時点では忠誠を誓う相手は皇帝です。
だからこそ、この小さな違和感が今後どう変化していくのかを書いていけたらと思っています。
そして相変わらず、フィラの前でだけわかりやすく機嫌が良くなるヴァルドを書くのが楽しいです(笑)
次回はもう少し大公家の内側や、フィラの過去にも触れていけたらと思っています。
引き続き、楽しんでいただけたら嬉しいです。




