「沈黙の中で」
いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。
書いていると「このキャラならこうするかな」「やっぱりこっちの方が自然かも」と、何度も悩んでしまって、気づけば同じ場面を何度も見返していたりします。
でも、そうやって悩みながら少しずつ形になっていくのが、物語を書く楽しさでもあるなあと最近しみじみ感じています。
読んでくださる方がいるからこそ、悩みながらも楽しく書かせてもらっています。
今回も少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
よろしくお願いします。
宴が終わり、ようやく与えられた部屋へと戻る。
豪奢な客間。
柔らかな灯り。
けれどフィラにとっては、少しも落ち着かなかった。
「……疲れたね」
小さく息を吐く。
隣を歩くヴァルドは、いつも通り無表情だった。
「大丈夫」
淡々とした声。
その返事に、フィラはじっと彼を見る。
「……ほんとに?」
足を止める。
ヴァルドも立ち止まった。
しばらく見つめ合い――やがて、ほんの少しだけ表情が緩む。
「……ちょっとだけ、怖かった」
小さな、小さな本音。
フィラはふわりと笑った。
「うん」
そっと抱きしめる。
「頑張ったね、ヴァルド」
その瞬間。
張り詰めていたものが、少しだけほどけた。
「……うん」
年相応の返事。
その姿を見ていたオズワルドは、小さく息を吐く。
(……本当にわかりやすい)
フィラの前では、氷のようだった無表情が嘘のようだ。
だが、それでいい。
その方がまだ子供らしい。
「ヴァルド」
名を呼ぶ。
すぐに表情が引き締まる。
「はい」
先ほどまでとは違う声音。
オズワルドは椅子に腰を下ろし、腕を組んだ。
「感情を出しすぎだ」
短く告げる。
ヴァルドは目を伏せた。
「……すみません」
ちゃんと、自分でもわかっている。
だが。
拳が、わずかに握られる。
「……でも」
静かな声。
「フィラを侮辱されて……あれは、許せませんでした」
その言葉に、フィラの胸が少しだけ痛む。
オズワルドはしばらく黙り――やがて、ふっと口元を緩めた。
「そうか」
それだけ。
怒らない。
責めない。
ただ。
「それでいい」
低い声が落ちる。
ヴァルドが顔を上げる。
「守るために怒れることは、悪くない」
静かで、確かな言葉。
「だが」
その目が鋭くなる。
「次は止まれ」
一拍。
「フィラの声がなくてもな」
ヴァルドはまっすぐにその言葉を受け止める。
「……はい」
強く頷いた。
その様子を見て、フィラは少しだけ嬉しくなる。
父とヴァルド。
何だかとても素敵な師弟関係に見えた。
――
その頃。
皇帝の私室では、まだ夜は終わっていなかった。
豪奢な部屋。
そこには皇帝と数人の側妃たち。
そして――皇妃シルヴィア。
美しいアイスブルーの髪。
整いすぎた横顔。
氷のように冷たい、美貌。
誰よりも完璧な皇妃。
だからこそ、側妃たちは彼女を忌み嫌っていた。
第一皇子の母、側妃リベリアが優雅に笑う。
「本日の宴は、実に見応えがございましたわ」
その目には棘がある。
「まさかヴァルド殿下が、あそこまでとは。ですが、所詮は半端者。大公家に入り込むなら、もっと相応しい皇子がいるのではなくて?」
別の側妃もすかさず続く。
「ええ、我が子の方がよほどお役に立てますわ」
「オズワルド様に取り入るなら、ヴァルドなどより――」
まるで競うように、自分の息子を売り込む。
皇帝はただ、盃を傾けながらその囀りを聞いていた。
愚かで、浅ましく、だが面白い。
薄く笑う。
「……お前たちには無理だ」
その一言で、側妃たちが息を呑む。
皇帝は愉快そうに続けた。
「ヴァルドだからこそだ」
視線が細くなる。
「あれは哀れだ。飢え、虐げられ、愛されなかった」
静かな声。
「だからこそ、潜り込める」
救われた者ほど、その手を離せない。
初めて与えられた温もりほど、執着する。
あの目を見ればわかる。
ヴァルドはもう、フィラのためなら何でもする。
それが使える。
「なるほど……さすが陛下ですわ」
「そこまでお考えとは」
側妃たちは慌てておべっかを並べる。
その姿を、シルヴィアはただ冷たい目で見ていた。
皇帝がその視線に気づく。
口元を歪め、挑発するように笑った。
「何か不服か?」
部屋の空気がわずかに張る。
側妃たちが息を潜める。
シルヴィアは静かに皇帝を見返した。
感情の見えない、冷たい青の瞳。
「いいえ」
淡々と。
「……相変わらず、貴方は欲しいものは、どんなことをしても手に入れようとなさるのだと思っただけです」
その言葉に、一瞬だけ沈黙が落ちる。
だが皇帝は怒らない。
むしろ、愉快そうに笑った。
「今さらだな」
シルヴィアは何も返さない。
ただ一礼し、そのまま部屋を後にする。
扉が閉まった途端。
側妃たちは待っていたかのように口を開いた。
「本当に、感じの悪い方」
「いつまで皇妃の座にしがみつくおつもりなのかしら」
「第一皇子もいらっしゃるのに」
「冷たいだけで、女としての可愛げもない」
好き勝手に囀る。
その声を聞きながら、皇帝は静かに笑っていた。
――元は、ただの嫌がらせだった。
オズワルドが愛した女。
その女を自分のものにする。
それだけで十分だった。
愛など、最初からない。
必要なのは、奪ったという事実だけ。
オズワルドに対する、最大の嫌がらせ。
それだけだった。
だが。
シルヴィアは壊れなかった。
媚びもせず、泣きもせず、恨み言すら言わない。
ただ役目として皇妃を務め、国母として民に尽くす。
誰にも屈しない。
その姿が、いつしか面白くなっていた。
手に入れたのに、決して手の中には落ちない。
それが、実に滑稽で。
そして、実に愉快だった。
皇帝は盃を揺らしながら、薄く笑う。
「……相変わらず、つまらぬ女だ」
けれど。
手放す気など、欠片もなかった。
――
夜更け。
自室へ戻ったシルヴィアは、ようやく一人になった。
深く息を吐く。
静かに。
「……最低ね」
誰に向けた言葉か。
わかりきっている。
あの男は昔から変わらない。
欲しいものを奪い、壊し、支配する。
私も。
オズワルドも。
そして今は――フィラまで。
それだけは、駄目だ。
静かにベルを鳴らす。
すぐに、一人の侍女が現れた。
長年仕える、唯一信頼できる存在。
「お呼びでしょうか」
シルヴィアは振り返らない。
窓の外を見たまま告げる。
「……大公閣下に、皇帝がフィラを狙っていると伝えて」
侍女は何も問わない。
ただ静かに頭を下げる。
「かしこまりました」
それだけだった。
音もなく去っていく。
再び、一人。
窓の外には、冷たい月。
シルヴィアは静かに目を閉じた。
本当は、忠告などしなくてもいいのかもしれない。
あの人なら。
オズワルドなら、きっともう気づいている。
皇帝が何を企み、何を狙っているのか。
誰よりも理解しているはずだ。
それでも。
それでも伝えずにはいられなかった。
守ってほしいのではない。
あの子を――フィラを。
皇帝の手に渡してはいけない。
(……あなたなら、きっと)
名前は呼ばない。
呼ぶ必要もない。
ちゃんと。
守るべきものを、守る人だと知っている。
だから。
ただ、信じるだけだった。
お読みいただきありがとうございます。
今回は派手な戦いや大きな事件ではなく、それぞれの立場や思惑が静かに動く回になりました。
皇帝、皇妃シルヴィア、側妃たち。
同じ皇宮の中にいても、見ているものも欲しいものもまったく違う。
その中で、シルヴィアという人の在り方をしっかり描きたかった回でもあります。
奪われても折れない人。
感情ではなく、役目として立ち続ける人。
フィラとはまた違った強さを持つ女性として、今後も大切に描いていきたいなと思っています。
そしてヴァルドもまた、大公家の中で少しずつ「守る側」へと変わってきています。
まだ子どもらしい危うさはありますが、それも含めて成長途中なんだろうなと。
次回はまた少し不穏さが増していくかもしれません。
引き続き、見守っていただけたら嬉しいです。




