「氷の奥」
いつも読んでいただきありがとうございます。
少しずつですが、自分のペースで書き進めています。なかなか思うように進まないことも多いですが、その分ひとつひとつ丁寧に書いていけたらと思っています。
今回もお付き合いいただけたら嬉しいです。
ヴァルドが戻ってきてから、しばらく。
いつも通りに笑っている。
言葉も変わらない。
けれど――
(少し、違う)
フィラはそう感じていた。
無理をしている、というほどではない。
ただ、何かを抱えているような。
それでも聞かないのは、信じているからだ。
ヴァルドが、自分で決めていることを。
――コンコン。
控えめなノックが響く。
「失礼いたします」
入ってきたのは、見慣れない侍女だった。
深く一礼し、静かに告げる。
「フィラ様。皇妃殿下がお会いになりたいとのことです」
一瞬、空気が止まる。
オズワルドの視線が、鋭くなる。
「……私も同行する」
低い声。
だが侍女は、あらかじめ用意された答えを返した。
「恐れながら、殿下はお一人でと仰せです」
わずかな沈黙。
オズワルドの目が細められる。
(……シルヴィアか)
名を口にすることはない。
だが、理解している。
「……フィラ」
視線が向けられる。
フィラは少しだけ考え――頷いた。
「行ってくるね」
不思議と、怖さはなかった。
オズワルドはわずかに眉を寄せたが、止めはしない。
「……すぐ戻れ」
短い言葉。
それだけで十分だった。
「はい」
頷き、フィラは侍女の後に続く。
――
通されたのは、静かな一室だった。
華美ではない。
だが整えられた空間。
どこか、冷たい。
「お入りください」
扉が開かれる。
その奥。
窓際に、ひとりの女性が立っていた。
皇妃――シルヴィア。
ゆっくりと振り返る。
(……綺麗)
思わずそう思う。
だが同時に感じる。
冷たさ。
感情を閉じ込めたような、静けさ。
「来てくれてありがとう」
淡々とした声。
感情は、ほとんど乗っていない。
「……お呼びいただき、ありがとうございます」
フィラは一礼する。
促されるままに座る。
向かい合う。
沈黙。
先に口を開いたのは、シルヴィアだった。
「あなたが、フィラね」
確認するような言葉。
「はい」
短く答える。
視線が、逸れない。
じっと見られている。
まるで――何かを探るように。
「大公の元で育ったと聞いているわ」
「はい」
「……優しい人でしょう」
その言葉に、フィラは迷わず頷いた。
「とても優しい父です」
はっきりと。
シルヴィアの瞳が、わずかに細められる。
「そう」
それだけ。
だが、その一言にはわずかな揺らぎがあった。
ほんの一瞬。
見逃せば気づかないほどの変化。
「優しさは……」
静かに、続ける。
「人を救うこともあれば、壊すこともあるわ」
どこか遠くを見るような声。
(……?)
意味を考える。
だが、はっきりとはわからない。
それでも。
フィラは首を振った。
「それでも、私は父が好きです」
まっすぐに言う。
「優しいのは、悪いことじゃないと思います」
迷いのない言葉。
その瞬間。
シルヴィアの視線が、わずかに揺れた。
ほんのわずか。
だが確かに。
「……強いのね」
ぽつり、と呟く。
「え?」
フィラが聞き返すと、シルヴィアは首を振った。
「いいえ」
そして、話題を変えるように。
「ヴァルド皇子のこと、どう思っているの?」
不意の問い。
フィラは少し驚いたが――
すぐに答える。
「大切な人です」
迷いなく。
シルヴィアはその言葉を、静かに受け止めた。
「……そう」
短く頷く。
そして、わずかに目を伏せる。
「あの人は……変わらないのね」
独り言のような声。
その意味を、フィラは知らない。
だが。
どこか、寂しさを感じた。
(……この人は)
何かを、諦めている。
そんな気がした。
「あなたは」
再び視線が向けられる。
「守られているわ」
静かな断定。
「はい」
フィラは頷く。
「でも」
続ける。
「守られるだけじゃなくて、守りたいとも思っています」
その言葉に。
シルヴィアはほんの一瞬、目を見開いた。
すぐに戻る。
何もなかったかのように。
「……そう」
静かに立ち上がる。
会話は終わり。
そう告げるように。
フィラも立ち上がる。
一礼する。
扉へ向かう。
その背に――
「フィラ」
呼び止める声。
振り返る。
シルヴィアは窓の方を向いたまま。
こちらを見ない。
「……今は…守られていなさい」
小さな声。
それは命令ではなく――
願いのようだった。
「……はい」
フィラは頷く。
それ以上は何も言わず、部屋を出た。
――
静かな部屋に、一人残される。
シルヴィアはしばらく動かない。
やがて、ぽつりと呟く。
「……似ている」
誰に、とは言わない。
言う必要もない。
ゆっくりと目を閉じる。
一瞬だけ、過去がよぎる。
剣を振るう背中。
笑い合った日々。
交わした約束。
――だが。
「……無意味ね」
感情を切り捨てるように。
目を開ける。
そこにあるのは、何も映さない瞳。
魔国の皇妃としての顔。
それだけだった。
⸻
部屋に戻ると。
「フィラ」
すぐに声がかかる。
ヴァルドだ。
その顔を見て、少しだけ安心する。
「ただいま」
笑う。
ヴァルドも、ほっとしたように笑った。
その様子を見ていたオズワルドは――
ほんの一瞬だけ、目を細める。
(……彼女は)
何も言わない。
ただ、静かに視線を伏せる。
胸の奥に浮かんだものを、押し殺すように。
「遅かったな」
それだけを告げた。
お読みいただきありがとうございます。
今回はフィラと皇妃シルヴィアの対面を描いた回になりました。
多くは語らないものの、シルヴィアの立場や内面、そしてフィラとの対比を感じていただけていたら嬉しいです。
言葉の端々に少しずつ過去や想いを滲ませる形にしているので、今後の展開とあわせて見ていただけたらと思います。
また、フィラのまっすぐさが周囲にどう影響していくのかも、この先のひとつの軸になります。
次回は少し動きのある展開に入っていく予定です。
引き続き見守っていただけたら嬉しいです!




