「居場所」
いつもお読みいただきありがとうございます。
大公領へ戻り、少しずつ日常を取り戻していくフィラたち。
新たに加わったヴァルドもまた、不器用ながら前へ進もうとしています。
まだ警戒を解くことはできなくても、
それでも誰かのそばにいることで変わっていくものがある。
そんな静かな成長の一幕となっております。
それでは、第26話をお楽しみください。
大公領に戻ってから、フィラとヴァルドの新しい生活が始まった。
最初の数日、ヴァルドはほとんど言葉を発さなかった。
「ヴァルド、朝ごはんできてるよ」
呼びかけても、こくりと小さく頷くだけ。
ツェリが優しく声をかける。
「ヴァルド様、お口に合いますでしょうか?」
返事はない。ただ、ちらりとフィラを見る。
フィラが「大丈夫だよ」と微笑むと、ようやく少しだけ食べ始めた。
「……ふふ、可愛いですね」
ツェリが小さく笑う一方で、ラースは静かに呟く。
「……まだ警戒が解けていませんね」
ラルフも頷いた。
「無理もありません。あの環境にいたのですから」
それでも、フィラが手を引けば少しずつ変わっていく。
「ヴァルド、今日はこれやろ?」
「……うん」
小さな返事が返るようになった。
勉強の時間。
ラルフが本を開く。
「では、今日はここからです」
ヴァルドは姿勢を正し、ぎこちない発音で読み始める。
「……あ……る……」
詰まりながらも、諦めずに一文字ずつ追っていく。
「焦らなくていいですよ」
ラルフは穏やかに言う。
「ゆっくりで構いません。理解しようとすることが大切です」
「……はい」
短い返事。しかしその目は真剣だった。
少しでも間違えると、すぐに「……すみません」と謝る。
その様子にラルフは目を細める。
「謝る必要はありません。間違えるのは当然です」
「……でも……」
「努力しているのは、きちんと伝わっていますよ」
その言葉に、ヴァルドはほんの少し顔を上げた。
庭では、オズワルドの指導が始まっていた。
「構えろ」
低い声に、ヴァルドはびくりとしながら木剣を握る。
「……もっと腰を落とせ」
「は、い……」
ぎこちなく修正する。
「力を入れすぎるな。振りが鈍る」
「……っ」
歯を食いしばりながら、何度も振る。
やがて――
「……よし」
オズワルドがぽつりと呟いた。
「今のは悪くない」
その一言に、ヴァルドの目が大きく見開かれる。
「すごいねヴァルド!」
フィラが駆け寄る。
「父さまに褒められるなんて、すごいよ!」
「……ほんと……?」
「ほんとだよ!」
満面の笑顔に、ヴァルドは少しだけはにかんだ。
その様子を見て、ラースが小声で言う。
「……ずいぶんと変わりましたね」
ラルフも頷く。
「ええ。フィラ様のおかげでしょう」
だが、オズワルドは視線を逸らさない。
「……まだだ」
ぽつりと呟く。
「甘やかさんぞ」
その言葉に、ヴァルドの背筋が伸びる。
「はい……!」
しかしその直後、フィラがそっと手を握る。
「大丈夫だよ」
その温もりに、ヴァルドの肩の力がわずかに抜けた。
夜。
「今日の課題は終わりましたか?」
ラルフが尋ねる。
「……はい。もう一度、復習します」
「感心ですね」
「……できるように、なりたいから……」
小さく呟く。
フィラの隣に立てるように。
ここにいていいと、思えるように。
その想いは言葉にはしないが、確かに伝わっていた。
一方で――
「本日も、異常なし」
ラースが報告する。
「侵入者の気配もありません」
ラルフが続ける。
「皇帝側から、また人員が送られた形跡はありますが……」
「辿り着いてはいないな」
オズワルドが静かに言う。
「はい」
「……徹底していますね」
ラルフが苦笑する。
「当然だ」
オズワルドは短く答えた。
「ここは、俺の領地だ」
夕暮れ。
庭で剣を振るヴァルドと、それを見守るフィラ。
「がんばって、ヴァルド!」
「……うん!」
今度は、はっきりとした返事が返る。
その光景を、少し離れた場所からオズワルドは見つめていた。
(……少しは、使えるか)
そう思いながらも、その瞳の奥には確かに、わずかな認める色が宿っていた。
穏やかな日常。
だがその裏で、確実に何かは動いている。
それでも――
今だけは、この時間を守ると決めていた。
第26話をお読みいただきありがとうございました。
ヴァルドはまだ完全に心を開いたわけではありません。
それでも、フィラのそばで少しずつ「ここにいていい」と思い始めています。
一方でオズワルドたちは決して気を緩めてはいません。
守るべきものがあるからこそ、警戒は解かない。
優しさと厳しさ、その両方の中で育っていく関係が、
これからどう変わっていくのか。
引き続き見守っていただけると嬉しいです。




